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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
9-4 日和の謝罪
 朝、柔らかなベッドの上で目を覚ました日和は体を起こした。
 他人の家なのにどこか馴染んだように広がる部屋。
 昨夜は特別にこの部屋の中で食事をさせてもらった。
 沢山の使用人が居るし、華月という付き人の女中も居るが、全てに配慮して竜牙は誰にも会わせなかった。
 それから食事を終えて眠りについたのが昨日。
 目が覚めたこの空間、日和が真っ先に頭に浮かんだのは――お風呂だった。
 一昨日は生家に戻ったし、昨日はそんな思考も無かった。
 流石にこのままでは嫌である。……が、だからと言って今現在の時刻は午前5時半である。
 こんな時間に入浴したいと我儘を言う訳にはいかない。
 旅館ではないし、わざわざ準備させるのも申し訳ない。
 そう思って日和はただベッドに座り込んでいた。

 ――コンコン。

「ふぁい??」

 ただぼーっと窓の外を眺める。
 ただそれだけだったのに、部屋の外からノックが聞こえて日和は変な返事をしてしまった。
 こんな朝早くに誰だろうか?まさか、竜牙?
 大きな物音を立てた覚えはない。
 だが、誰かが日和の起床に気付いたらしい。
 逸る心臓に無性に焦っていると、扉は開いた。

「おはようございます、日和様。やっぱり朝早いですね」
「華月、さん……!」

 廊下から現れたのは早朝でありながら既に身なりを整え、女中として凛と立つ華月だった。
 『やっぱり』と言う辺り、日和が早起きであることを既に熟知している。
 そんな華月に驚いていると、華月は日和の傍まで寄って優しく微笑んだ。

「日和様、お体は大丈夫ですか?」
「あ……えっと……」

 一昨日、日和は帰らなかった。
 もしかしたらそのことを怒っているのではないか、とも思ったが……心配された。
 きっと昨日怪我をしたことも、竜牙から聞いている事だろう。
 それだけでも十分、自分は悪い事をした気持ちになった。
 謝らなければ。
 そう思った時、華月の表情は一瞬だけ哀しそうになってその姿が視界から消えた。

「……!」

 がば、と全身に圧を受けて、抱き締められたのだと気付く。
 同時にその身体が小さく震えているように感じた。

「あの、華月さん、ごめ、なさ……」
「日和様がご無事で良かったです」
「えっ……?」
「勿論日和様の事は心配しておりました。だけど、それよりも、こうしてこの家に帰ってきていただけたことが……私はとても嬉しいです」
「あ……」

 昨日、竜牙は言っていた。
 『外の範囲には必ず誰かがいる。それは家族かもしれない、友人、もしくはもっと外の人間だ。日和がもしその人間が認知できたら、言え。なんでも。気持ちでもいいし、我が儘でもいい』……と。
 その範囲に華月も居ることに、気付いてしまった。
 彼女はもう、他人なんかじゃない。
 玲とか竜牙、波音達と同じなのだ。
 そう確信した時、目からは再び涙が零れて、自分を抱き締めてくれる体を日和は抱き締める。

「ごめんなさい、華月さん……。ありがとう、ございます」
「いいえ。私は、日和様がこの家に戻ってきてくれただけで、十分なんです」
「華月さん、私……この家が嫌いになった訳じゃない、です。どう過ごしていいかはまだ分かりませんが、こんな私を気にかけて声をかけてくれる皆さんに、感謝しています。私は、ずっと孤独に過ごしてきました。だからか皆さんともどう接したらいいか分からなくて……。竜牙のお仕事も邪魔してるんじゃ、と不安になっていました。だから、帰ることができなくて……」
「日和様……。……大丈夫ですよ、何かあれば私にお申しつけ下さい。不安なことも、心配なことも、なんだって。貴女はもう、この置野家のご家族様の一人なんですから」

 自然と出た言葉に、華月は優しく微笑んで返してくれる。
 甘く、溶かしてくれるような優しさだった。
 日和の過去には知らない事ばかりを、この家は、この人達は与えてくれる。

「ところで日和様、朝ですが……もう、お食事になさいますか?」
「あの……えっと、少しだけ、体を流したいです……」
「うふふ、ではお風呂ですね。只今準備致しますから、お待ちください」

 昨日も竜牙に食事の催促をしたのに、華月もにこりと笑って準備に入る。
 どうしてこんなにも親身になってくれるのだろう?
 だけどこの温かな気持ちは、自然と零れた言葉は、自分が知ったものだ。
 お昼には、心配をさせてしまった波音と玲に謝らなければ。
 竜牙も一緒に居る筈だ、皆の前で、しっかりと謝ろう。
 華月の入浴による再度の呼びかけから体を温め、綺麗にした日和はこの後の為の気持ちを強く思うのだった。



***
「昨日は、ごめんなさい」

 翌日の昼食時、日和は深々と頭を下げる。
 今日は波音から声はかからなくて、だから日和は自分から屋上に向かった。
 いつもの三人は既に昼食の準備をして揃っている。
 そこにはしっかりと日和の分の場所を用意して待っていた。

「……はぁー。なぁに?今更謝りに来て。それで私が直ぐに許すとでも思ってるの? 私、まだ怒ってるのよ?」
「まあ、僕も怒ってるけど……」

 最初に口を開き、低い声で睨み付けているのは波音だ。
 それに合わせてか、玲の口数も少ない。

「夏樹も心配していた。あまり一人で抱え込むな」

 竜牙も、波音達とは少し違う表情ではあるが静かに言う。
 この状況、皆の雰囲気、完全に嫌われてしまった、と日和は一人心の内で自責する。
 ここで初めて嫌われたことの悲しさや喪失感を味わった。
 結局ただ仲良くしているつもりだったのだ。
 相手の気持ちなんて、皆がどんなことを思っているかなんて想像できていなかった。
 自分からも理解しにいかなくてはいけないのだと気付かされた。

「――全く、いつまでそうしているの? 早く食べないと時間、無くなるわよ?」
「え……」

 いつの間にか先ほどとは打って変わって、口先を突き出して不機嫌そうな波音がそこにいた。

「日和ちゃん、ちゃんと食べてる? ちゃんと休んでしっかり食べないとだめだよ?」

 勝手に日和の皿におかずを盛る玲は、微笑んで日和に差し出す。
 その皿にはご飯と日和がよくつまむおかずが乗っている。

「分かったか?日和。ここに居るのは、こんな奴らだ」

 腕を組む竜牙は真っ直ぐに日和を見ている。
 少しにじみ出そうな涙を堪え、その輪に近づき、日和は皿を受け取ってはにかんだ。

「えと……いただきます」

 初めて日和が選んだ居場所だった。
 流されたままの与えられた場所ではない、日和が自分で選んだ場所。
 そこは優しくて、温かくて、とても眩しい。

「全く、たったの1日だけど長いわよ! それもこれも全部あいつのせいよ、もう!」

 唐揚げを頬張る波音は一昨日と同様に不機嫌だった。

「日和ちゃんはもう大丈夫? 落ち着いた?」
「あの、もう、大丈夫……です。ご心配おかけしました……」

 玲は日和の心配ばかり聞いてくる。
 これで3度目だ。
 ぺこりと再度、日和が頭を下げれば玲は「そっか……」と控えめに笑っているのは……多分まだ日和のことを気にしているのだろう。

「あの、櫨倉さんは……」

 そうして訪れた静けさの中、日和は口を開いた。
 今日、教室に彼女の姿は無かった。
 だからこそその名を挙げると玲と波音が目配せをする。
 それから一拍置いて表情を変えずに答えたのは、竜牙だった。

「……櫨倉命はこの後16時に神宮寺師隼から処分を言い渡される。それまでは神宮寺家で聴取中だ」
「処分って、あの……!」
「日和、これは仕方の無いことなの」

 竜牙に身を乗り出す日和に、波音は言葉を遮る。

「波音……?」
「櫨倉命は命令違反をしたの。それだけでなく、彼らの必要性と私達への信用を地に落としたの。だったら、彼らの雇い主となる師隼が処分を下すのは、仕方ないことだと思わない?」
「……」

 日和には何も答えられず、ただうつむく。
 すると話を終わらせるようにチャイムが鳴った。

「私も今回の件は納得してないの。悪いけど、先に行くわ」

 真っ先に波音は日和の横を通り過ぎ、校舎へと向かう。
 玲は悲痛な面持ちで真っ直ぐに日和を見つめた。

「波音はあの人を許せない気持ちでいっぱいなんだ。自分で処分を下したいと思ってる。……でもね、日和ちゃん。僕も、怒ってるんだ」
「兄、さん……」
「僕はこれ以上日和ちゃんに傷ついて欲しくなかった。だけど君は傷ついた。心だけでなく身体だって死にかけて。僕は……日和ちゃんが大切だから元気になって、心底安心した……」

 玲は腕を伸ばし、日和を抱き締める。
 その力はとても強く、逃げる気は無いがそんなことも許されない程で。
 少しだけ玲自身も手が震えていて、ただ……何も言えない。
 大きな心配をかけさせてしまった申し訳ない気持ちだけが溢れた。

「もう、こんな気持ちにはなりたくないんだ。特に、同じ人間のせいでこれ以上、日和ちゃんが傷つくのなら僕は……その人を許す訳にはいかない……」
「……ごめんなさい、兄さん…………」
「……ほら、行こう。授業始まるよ」
「はい……あ、ちょっと待って」

 立ち上がる玲が伸ばした手を取ろうとして、日和は竜牙に向き直る。

「た、竜牙……私、後で師隼の所に行きたいです。良いですか……?」
「ああ。……というより、日和は師隼に呼ばれている。終われば、向かえに行く」
「分かりました……。じゃあ、また後で」
「ああ」

 竜牙は承諾し、立ち上がると荷物を持って先に姿を消した。

「行こう、日和ちゃん」
「はい……」
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