商取引(レオン視点)
「ノクトス傭兵ギルドマスター、レオン・アークフィールド様。ようこそいらっしゃいました」
屋敷の入り口で、立派な身なりの紳士がお辞儀した。
単なる使用人ではない、おそらく屋敷を取り仕切っている家令クラスの人物だ。こんなに格の高い人物に、わざわざ出迎えられるとは思ってなかった。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
俺は動揺を表に出さないよう、背中に力を入れながら屋敷に足を踏み入れる。今日の訪問は、正式な招待によるものだ。怯える必要はない、はず。
紳士はすっと体を起こすと、流れるような仕草で案内を始めた。
「どうぞ、こちらへ」
外から見て豪華だった屋敷は、中に入っても豪華だった。
廊下にはいくらするのか想像もつかない優美な調度品が並び、咲いたばかりの花があちこちに生けられていた。物が多いはずなのに、どこもかしこもぴかぴかに磨き上げられていて、ほこりひとつない。
この屋敷の維持に、どれほどの金がかけられているのか、そちらも想像つかない。
「こちらでお待ちください」
応接室に通され、家令が去っていく。入れ替わりにメイドが入ってきて、一切無駄のない手つきでお茶とお茶菓子を出してくれた。お茶からは、とんでもなく上品な香りがしている。
「どうぞ」
「……はい」
メイドに促されてソファに座ったが、お茶が飲める気がしなかった。
「まさか、こんな大物から声がかかるとは思わなかったな……」
ため息をついてしまうのも、無理はない。
住み慣れたおんぼろギルドハウスとあまりにも世界が違いすぎて、頭がおいつかないのだ。呑まれるな、と何度自分に言い聞かせても、雰囲気に呑まれたまま自分が取り戻せない。
この屋敷に来たのは、薬の商談のためだ。
ジオに託された魔女エリスの薬を傭兵ギルドで認可するため、知り合いの商人と薬師に声をかけたところ、とんでもないことが起きた。何故かこの屋敷の主人から『一度話を聞きたい』と招待されてしまったのだ。
屋敷の主の名前は、アレクシス・エヴァーグリーン。国内流通最大手、エヴァーグリーン商会の会長である。庶民の食材から貴族の貴金属まで幅広く扱う商会だから、薬の流通にも当然関わっている。
レシピの流通先としてこれ以上ない相手である。
こっちが、一地方傭兵ギルドのマスターであることを差し引けば、だが。
こんな大物と取引して、まともな契約が結べる気がしない。
キリキリと痛む胃を押さえて、ひたすら待っていると、不意にノックの音が響いた。
「は、はいっ!」
返事をすると、さきほど案内してくれた紳士以上に、立派な衣装を着た紳士が現れた。俺は慌ててソファから立ち上がる。
「レオン・アークフィールドです。本日はお招きいただき……ありがとう、ございます」
「アレクシス・エヴァーグリーンだ。招いたのはこちらなのだから、あまりかしこまらないでくれ」
この紳士相手にかしこまらずして、誰にかしこまれというのか。だいたい商談時の「気楽に」や「無礼講」が、本当に言葉通りの意味だったことはない。
お辞儀していると、アレクシスの後ろから、もうひとり女性が現れた。
生い茂る常緑樹の葉のような濃い緑の瞳の女性は、その髪もまた美しい若草色をしていた。自然にない不思議な色の髪は、力ある魔法使いの証である。
「娘のミレーユだ。担当薬師として同席させたいのだが、良いかね?」
「も、もちろん。今回取引させていただくのは、薬のレシピですから」
エリスがそうであったように、魔法使いは薬に通じている。わざわざ身内を同席させたのは、その能力ゆえのことだろう。
お互いに、お辞儀し合ってからソファに座る。
よかった。あまりの緊張感で膝が笑ってしまって、立っているのも限界だったのだ。
「実は、君のレシピを見つけたのは、娘のミレーユなんだ」
アレクシスは淡々と経緯を語る。
「娘はつい先日まで魔術協会に所属していてね。妻の旧姓を名乗り一市民として飛び込んだ魔法の世界から戻ってきて、のんびりとした生活を送っていたと思ったら……急に君のレシピを扱いたいと言い出した」
「そうなんですか」
なるほど、これは彼女が運んできた縁だったらしい。
「あ……あのっ……商談の前に、レシピの出どころを伺ってもよろしいですか?」
緊張した面持ちで、ミレーユが口を開いた。
俺は鞄の中から、用意していたレシピの束を取り出す。
「これは、魔女エリスより託されたレシピです。彼女も数か月前まで魔術協会に所属していたので、ミレーユ様もご存知かもしれませんね」
「託された、とおっしゃいますが、それは正式なものですか? 取り上げたり、奪ったりしたものでは……」
「ミレーユ、言葉を慎みなさい」
「でも」
「いえいえ、お嬢様のご懸念は当然です。……あわせて、こちらをご確認ください」
俺はもうひとつ用意していた書類を取り出す。
「魔女エリスが作成した、正式な委任状です。契約の魔法がかけてあるので、偽造はできません。この契約書があるかぎり、私は彼女の忠実なる代理人としてふるまうことを誓います」
「このサイン! 確かにエリス先輩の……!」
委任状を見たとたん、ミレーユの目からぽろりと涙がこぼれた。
「え……?!」
唐突な涙の登場に、背筋がぞっと粟立つ。
しかし、大商会のお嬢様は、すぐに自分で涙をぬぐって顔をあげた。
「お恥ずかしいところをお見せしました。どうにも……ほっとしてしまって」
ミレーユはにこりと笑顔を作る。
怒りや悲しみの涙でなくてよかった。
父親の前で娘を泣かせたとあっては、商談どころの話ではなくなる。
「魔女エリスは、私の先輩魔女だったんです。魔術協会長の理不尽な評価に反発して、協会をやめてから行方が知れなくて……ずっと心配していました」
「それは、心中お察しします」
よほど尊敬する相手だったらしい。彼女は魔法で契約書を細かく確認してから、ふたたび安堵のため息をもらした。
「レオン様、エリス先輩は今どちらに?」
「正確な居所は私にもわかりません。ダンジョン攻略のために、レイラインを正すと言って旅立っていきましたので」
「またダンジョン……律儀につきあわなくていいのに」
はあ、とミレーユは別のため息をもらす。
「魔女エリスの身の安全については、ご安心ください。当ギルド屈指の実力者を護衛につけております」
ジオの現ランクについては伏せたまま、付け加える。わざわざ不安になるようなことを言う必要はないだろう。
「ありがとうございます。先輩は無鉄砲なところがあるので、護衛がいると聞いて、とても安心しました」
ミレーユは、委任状を横に置くと改めてレシピを確認した。先輩を心配する後輩の顔から、仕事に向かう魔法使いの顔に切り替わる。
「これと……これと……ジネルア熱の薬まで」
手際よくレシピの束をめくっていたミレーユは、最後のページまで確認すると顔をあげた。背筋を正して父親に向き合う。
「お父様、エヴァーグリーン商会の一員として進言します。このレシピは本物です。これが出回れば、薬品界……いいえ、医学界すら変えてしまうでしょう。その経済効果は商会に莫大な富をもたらします」
「そうか」
「これはわが商会最大の敬意を持って商うべき品です」
商会長は一瞬だけ、娘をじっと見つめたあと、ゆっくり頷いた。
「……わかった。このレシピはエヴァーグリーン商会が買った。可能な限り最速で市場に流通させよう。承認や契約の手続きなど、レオン殿との取引窓口は、ミレーユが担当するように」
「ありがとうございます、お父様!」
「ありがとうございます」
俺は全力で頭を下げる。
魔女エリスを安心させるため「ギルドで薬を認可させてみせる」とは言ったものの、制度自体は古い話で、正直実現性は低かった。
薬がひとつでも認可されたら大成功、と思っていたのだが……どうも、とんでもないことになりそうだった。
屋敷の入り口で、立派な身なりの紳士がお辞儀した。
単なる使用人ではない、おそらく屋敷を取り仕切っている家令クラスの人物だ。こんなに格の高い人物に、わざわざ出迎えられるとは思ってなかった。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
俺は動揺を表に出さないよう、背中に力を入れながら屋敷に足を踏み入れる。今日の訪問は、正式な招待によるものだ。怯える必要はない、はず。
紳士はすっと体を起こすと、流れるような仕草で案内を始めた。
「どうぞ、こちらへ」
外から見て豪華だった屋敷は、中に入っても豪華だった。
廊下にはいくらするのか想像もつかない優美な調度品が並び、咲いたばかりの花があちこちに生けられていた。物が多いはずなのに、どこもかしこもぴかぴかに磨き上げられていて、ほこりひとつない。
この屋敷の維持に、どれほどの金がかけられているのか、そちらも想像つかない。
「こちらでお待ちください」
応接室に通され、家令が去っていく。入れ替わりにメイドが入ってきて、一切無駄のない手つきでお茶とお茶菓子を出してくれた。お茶からは、とんでもなく上品な香りがしている。
「どうぞ」
「……はい」
メイドに促されてソファに座ったが、お茶が飲める気がしなかった。
「まさか、こんな大物から声がかかるとは思わなかったな……」
ため息をついてしまうのも、無理はない。
住み慣れたおんぼろギルドハウスとあまりにも世界が違いすぎて、頭がおいつかないのだ。呑まれるな、と何度自分に言い聞かせても、雰囲気に呑まれたまま自分が取り戻せない。
この屋敷に来たのは、薬の商談のためだ。
ジオに託された魔女エリスの薬を傭兵ギルドで認可するため、知り合いの商人と薬師に声をかけたところ、とんでもないことが起きた。何故かこの屋敷の主人から『一度話を聞きたい』と招待されてしまったのだ。
屋敷の主の名前は、アレクシス・エヴァーグリーン。国内流通最大手、エヴァーグリーン商会の会長である。庶民の食材から貴族の貴金属まで幅広く扱う商会だから、薬の流通にも当然関わっている。
レシピの流通先としてこれ以上ない相手である。
こっちが、一地方傭兵ギルドのマスターであることを差し引けば、だが。
こんな大物と取引して、まともな契約が結べる気がしない。
キリキリと痛む胃を押さえて、ひたすら待っていると、不意にノックの音が響いた。
「は、はいっ!」
返事をすると、さきほど案内してくれた紳士以上に、立派な衣装を着た紳士が現れた。俺は慌ててソファから立ち上がる。
「レオン・アークフィールドです。本日はお招きいただき……ありがとう、ございます」
「アレクシス・エヴァーグリーンだ。招いたのはこちらなのだから、あまりかしこまらないでくれ」
この紳士相手にかしこまらずして、誰にかしこまれというのか。だいたい商談時の「気楽に」や「無礼講」が、本当に言葉通りの意味だったことはない。
お辞儀していると、アレクシスの後ろから、もうひとり女性が現れた。
生い茂る常緑樹の葉のような濃い緑の瞳の女性は、その髪もまた美しい若草色をしていた。自然にない不思議な色の髪は、力ある魔法使いの証である。
「娘のミレーユだ。担当薬師として同席させたいのだが、良いかね?」
「も、もちろん。今回取引させていただくのは、薬のレシピですから」
エリスがそうであったように、魔法使いは薬に通じている。わざわざ身内を同席させたのは、その能力ゆえのことだろう。
お互いに、お辞儀し合ってからソファに座る。
よかった。あまりの緊張感で膝が笑ってしまって、立っているのも限界だったのだ。
「実は、君のレシピを見つけたのは、娘のミレーユなんだ」
アレクシスは淡々と経緯を語る。
「娘はつい先日まで魔術協会に所属していてね。妻の旧姓を名乗り一市民として飛び込んだ魔法の世界から戻ってきて、のんびりとした生活を送っていたと思ったら……急に君のレシピを扱いたいと言い出した」
「そうなんですか」
なるほど、これは彼女が運んできた縁だったらしい。
「あ……あのっ……商談の前に、レシピの出どころを伺ってもよろしいですか?」
緊張した面持ちで、ミレーユが口を開いた。
俺は鞄の中から、用意していたレシピの束を取り出す。
「これは、魔女エリスより託されたレシピです。彼女も数か月前まで魔術協会に所属していたので、ミレーユ様もご存知かもしれませんね」
「託された、とおっしゃいますが、それは正式なものですか? 取り上げたり、奪ったりしたものでは……」
「ミレーユ、言葉を慎みなさい」
「でも」
「いえいえ、お嬢様のご懸念は当然です。……あわせて、こちらをご確認ください」
俺はもうひとつ用意していた書類を取り出す。
「魔女エリスが作成した、正式な委任状です。契約の魔法がかけてあるので、偽造はできません。この契約書があるかぎり、私は彼女の忠実なる代理人としてふるまうことを誓います」
「このサイン! 確かにエリス先輩の……!」
委任状を見たとたん、ミレーユの目からぽろりと涙がこぼれた。
「え……?!」
唐突な涙の登場に、背筋がぞっと粟立つ。
しかし、大商会のお嬢様は、すぐに自分で涙をぬぐって顔をあげた。
「お恥ずかしいところをお見せしました。どうにも……ほっとしてしまって」
ミレーユはにこりと笑顔を作る。
怒りや悲しみの涙でなくてよかった。
父親の前で娘を泣かせたとあっては、商談どころの話ではなくなる。
「魔女エリスは、私の先輩魔女だったんです。魔術協会長の理不尽な評価に反発して、協会をやめてから行方が知れなくて……ずっと心配していました」
「それは、心中お察しします」
よほど尊敬する相手だったらしい。彼女は魔法で契約書を細かく確認してから、ふたたび安堵のため息をもらした。
「レオン様、エリス先輩は今どちらに?」
「正確な居所は私にもわかりません。ダンジョン攻略のために、レイラインを正すと言って旅立っていきましたので」
「またダンジョン……律儀につきあわなくていいのに」
はあ、とミレーユは別のため息をもらす。
「魔女エリスの身の安全については、ご安心ください。当ギルド屈指の実力者を護衛につけております」
ジオの現ランクについては伏せたまま、付け加える。わざわざ不安になるようなことを言う必要はないだろう。
「ありがとうございます。先輩は無鉄砲なところがあるので、護衛がいると聞いて、とても安心しました」
ミレーユは、委任状を横に置くと改めてレシピを確認した。先輩を心配する後輩の顔から、仕事に向かう魔法使いの顔に切り替わる。
「これと……これと……ジネルア熱の薬まで」
手際よくレシピの束をめくっていたミレーユは、最後のページまで確認すると顔をあげた。背筋を正して父親に向き合う。
「お父様、エヴァーグリーン商会の一員として進言します。このレシピは本物です。これが出回れば、薬品界……いいえ、医学界すら変えてしまうでしょう。その経済効果は商会に莫大な富をもたらします」
「そうか」
「これはわが商会最大の敬意を持って商うべき品です」
商会長は一瞬だけ、娘をじっと見つめたあと、ゆっくり頷いた。
「……わかった。このレシピはエヴァーグリーン商会が買った。可能な限り最速で市場に流通させよう。承認や契約の手続きなど、レオン殿との取引窓口は、ミレーユが担当するように」
「ありがとうございます、お父様!」
「ありがとうございます」
俺は全力で頭を下げる。
魔女エリスを安心させるため「ギルドで薬を認可させてみせる」とは言ったものの、制度自体は古い話で、正直実現性は低かった。
薬がひとつでも認可されたら大成功、と思っていたのだが……どうも、とんでもないことになりそうだった。