レイライン
「できたぁっ!」
すっかり日が暮れたころ、私はようやく術式を完成させた。
立ち上がって周りを見回すと、レイラインの中継ポイントを中心に、放射状にびっしりと私の書いた魔法式が広がっている。
こんなに大きな術式を描いたのは久しぶりだ。
「エリス、お疲れ様です。夕食はいかがですか?」
少し離れたところから、ジオが声をかけてきた。
いつの間に用意したのか、火が起こされて食事の用意が整っている。空いている時間で自分の仕事を見つけて作業してくれる仲間、最高か。
「エリスの料理ほどはおいしくないかもしれませんが」
「ううん、充分おいしいわよ。ありがとう、ジオ」
作業した後にご飯が待ってる。それだけで幸せだ。
まずいなんて言ったらバチがあたる。
実際問題、ジオの作ってくれた夕食は、パンと肉を焼いただけだったけど、普通においしいし。
……ん? そう考えたらぶうぶう文句いってたあいつらが……うんおかしいな。よし、食事関連のことも忘れよう。
仲間の作ってくれたごはん嬉しい。
そこだけ覚えておけばいい。
「もうすぐ夜じゃ。術式とやらは明日の朝にでも発動させるのかえ?」
そばで私たちの食事風景を眺めていたスバルが声をかけてきた。
「いいえ、食事が終わったらすぐに始めます」
「エリス? それではあなたの体に負担がかかるのでは」
「魔法式を書くのに使った塗料が、あまり長く残らないのよ。夜が明けるまで待ってたら全部消えちゃうわ」
「……そういうことなら」
ジオが不満そうにため息を漏らす。
心配してくれてるのはわかるんだけど!
こればっかりはしょうがないから!
「本当は、もっと早く書きあがる予定だったの。でも、途中で修正を加えてたら遅くなっちゃって」
「もうすでに術式は完成している、とおっしゃってませんでしたか?」
「ただレイラインを曲げるだけならね。でも、せっかくだしスバルの卵も孵してあげたいじゃない」
「うむ?」
スバルがきょとんとした顔になった。
「術式を修正して、機能を追加しました。レイラインをねじまげるついでに、逆流してきたマナを卵に注げば、足りないマナを補えると思います」
体はほとんどできている、とスバルは言っていた。あと残っているのがマナ量だけの問題なら、レイライン操作でなんとかなるかもしれない。
「妾の子のことまで、かたじけない……。長き生の終わりに、そなたのように善き存在に出会えるとはな。幸運に感謝せねば」
スバルが大きな頭を私に寄せた。
すり、とほおずりされてふわふわの白い毛皮が私の頬をくすぐる。
「私は私の、やりたいことをしているだけですから」
ジオがごはんを作ってくれたおかげで、体力も気力も十分補給できた。
あとは、術を発動させるだけだ。
「スバル、まずは卵と一緒にこちらに座ってください」
「こうかの?」
スバルが巨体を縮めるようにして、ちょこんと術式の中心に座り込んだ。私の書いた術式を崩さないよう気を遣っている姿が、ちょっとほほえましい。
「それから、ジオはその隣に立って、卵に手を当てて」
「え、俺もですか? 何もできませんよ?」
「ただ間に立っててくれればそれでいいの。あなたは、人間とドラゴンふたつの性質を持ってる。私とスバルたちを繋ぐ、中継役ね」
そう言いながら、私はジオの隣に立って彼の手を取った。
「エリス?」
「これから、何があっても手を離さないでね。もちろん、卵から手を離してもダメ」
「……わかり、ました」
ぎゅ、とジオの手に力がこもる。
よし準備完了。
私は大きく深呼吸すると、魔力を流し始めた。地面いっぱいにひろがった術式が、魔力を得て順番に光り始める。
全ての術式に光がともったところで、大地をめぐるマナが光を帯びた。
可視化されたマナが、オーロラのようにゆらめいて見える。
「マナの把握は成功……ここから、流れを変える……!」
私はさらに術式に力をこめた。
まっすぐに『コキュートス』に向かっていたマナの流れがゆらぐ。大きな流れは、少しずつ、少しずつ形を変え始めた。
ダンジョンから、術式の中心へ。
ただ集めるだけじゃダメだ。卵を経由して大陸を循環する流れへと戻していかなくては。
「……く」
ばち、と手元でマナが弾けた。
集められたマナは、流れを操作している私を最初に経由する。まず私が受け止めなくちゃ術が成立しない。
それはわかってるけど……思ったよりマナの流れが強い!
体にマナが溜まりすぎて指先から体がばらばらになりそうだ。
かといって、魔法使いじゃないジオに、あまりマナを勢いよく注いだら大変なことに……。
「エリス」
ぐい、とジオが繋いでいた手を引っ張った。
強引に体が引き寄せられる。
「いいから、俺にもわけてください。左目のぶんだけ、マナには耐性があるようですから」
「あ、ありがとう……」
限界に近かったから、正直助かった。
ジオに分けるマナの量を増やすと、体が楽になる。この量なら、うまくさばけそうだ。
「エリス、卵が!」
スバルが声をあげた。
驚いてるけど悲鳴じゃない、嬉しそうな声だ。そちらを見るとジオが触れているところから卵が輝きだしている。足りなかったマナを補うことで、中のドラゴンが急速に成長しているのだ。
「これなら、いける!」
ただひたすら、マナを卵に流す。あたりはマナがあふれてどんどん光り輝いていく。
反対に、『コキュートス』のある方角が暗くなってきた。あちらに流れるマナが減っているのだ。
もうあちらに流れ込むマナは、元の半分もない。
このまま続ければ、マナの流れは完全に断てるはずだ。
一気に、流れを引き寄せようとした時だった。
ぞわりと悪寒が走った。恐怖に全身が粟立つ。
「っ!」
「エリス?! しっかりしてください」
何かがくる。
コキュートスの方角から。ひきよせたマナの流れに乗って。
悪意の塊がやってくる。
どす黒いそれは人間のものではない。
ただひたすらに絶命の意志だけを持った、別の何かだ。
「あ……」
やばい。このままじゃ飲まれる。
でも、レイラインに接続している私は急に動けない。
私がこの場から離れたら、レイラインどころか、ジオも卵も死んでしまう。
「しゃらくさい!」
どすん、と白い何かが私たちの前に立ちはだかった。
見上げると、スバルが背を向けて立っている。
「私の子を、同朋を……何より、優しき魔女に手出しはさせぬ!」
ごお、とすさまじい魔力が逆巻いた。
スバルは翼を広げ、マナを身に纏う。そして口を大きく開くと、悪意を持った何かに向けてブレスを放った。
圧倒的な光と熱量を持ったブレスは、黒い何かを焼き尽くす。
悲鳴のような高い音をたてて、その何かは消えていった。
「……ふう」
ブレスを吐き終わり、スバルがため息をついた。
翼を畳んで、彼女が膝をつくと、ようやくその先の景色が見えるようになった。
森の奥、コキュートスがあるべき方向は真っ暗だった。
マナは一かけらもあちらへは流れていない。
そしてマナの逆流も収まっていた。
「術式……成功です」
流れは変わった。
コキュートスはもう、このポイントからマナを得ることができない。
「エリス?」
ジオが私を見て目を丸くした。
何事かと思って自分自身を見下ろすと、肩にかかる髪が黒から深い青に変わっている。
「大量のマナを受け止めたせいで、私の体も魔力で満たされたみたいね」
説明をしている間、ジオはじっと私を見つめている。魔法使いにとっては普通のことだけど、突然髪色が変わったらびっくりするよね。
「いえ、そうではなく……」
「エリス、卵が」
ジオが口を開こうとしたところで、スバルが声をかけてきた。
私もジオも慌てて卵を見る。
その瞬間、びしりと卵に大きなヒビが入った。
すっかり日が暮れたころ、私はようやく術式を完成させた。
立ち上がって周りを見回すと、レイラインの中継ポイントを中心に、放射状にびっしりと私の書いた魔法式が広がっている。
こんなに大きな術式を描いたのは久しぶりだ。
「エリス、お疲れ様です。夕食はいかがですか?」
少し離れたところから、ジオが声をかけてきた。
いつの間に用意したのか、火が起こされて食事の用意が整っている。空いている時間で自分の仕事を見つけて作業してくれる仲間、最高か。
「エリスの料理ほどはおいしくないかもしれませんが」
「ううん、充分おいしいわよ。ありがとう、ジオ」
作業した後にご飯が待ってる。それだけで幸せだ。
まずいなんて言ったらバチがあたる。
実際問題、ジオの作ってくれた夕食は、パンと肉を焼いただけだったけど、普通においしいし。
……ん? そう考えたらぶうぶう文句いってたあいつらが……うんおかしいな。よし、食事関連のことも忘れよう。
仲間の作ってくれたごはん嬉しい。
そこだけ覚えておけばいい。
「もうすぐ夜じゃ。術式とやらは明日の朝にでも発動させるのかえ?」
そばで私たちの食事風景を眺めていたスバルが声をかけてきた。
「いいえ、食事が終わったらすぐに始めます」
「エリス? それではあなたの体に負担がかかるのでは」
「魔法式を書くのに使った塗料が、あまり長く残らないのよ。夜が明けるまで待ってたら全部消えちゃうわ」
「……そういうことなら」
ジオが不満そうにため息を漏らす。
心配してくれてるのはわかるんだけど!
こればっかりはしょうがないから!
「本当は、もっと早く書きあがる予定だったの。でも、途中で修正を加えてたら遅くなっちゃって」
「もうすでに術式は完成している、とおっしゃってませんでしたか?」
「ただレイラインを曲げるだけならね。でも、せっかくだしスバルの卵も孵してあげたいじゃない」
「うむ?」
スバルがきょとんとした顔になった。
「術式を修正して、機能を追加しました。レイラインをねじまげるついでに、逆流してきたマナを卵に注げば、足りないマナを補えると思います」
体はほとんどできている、とスバルは言っていた。あと残っているのがマナ量だけの問題なら、レイライン操作でなんとかなるかもしれない。
「妾の子のことまで、かたじけない……。長き生の終わりに、そなたのように善き存在に出会えるとはな。幸運に感謝せねば」
スバルが大きな頭を私に寄せた。
すり、とほおずりされてふわふわの白い毛皮が私の頬をくすぐる。
「私は私の、やりたいことをしているだけですから」
ジオがごはんを作ってくれたおかげで、体力も気力も十分補給できた。
あとは、術を発動させるだけだ。
「スバル、まずは卵と一緒にこちらに座ってください」
「こうかの?」
スバルが巨体を縮めるようにして、ちょこんと術式の中心に座り込んだ。私の書いた術式を崩さないよう気を遣っている姿が、ちょっとほほえましい。
「それから、ジオはその隣に立って、卵に手を当てて」
「え、俺もですか? 何もできませんよ?」
「ただ間に立っててくれればそれでいいの。あなたは、人間とドラゴンふたつの性質を持ってる。私とスバルたちを繋ぐ、中継役ね」
そう言いながら、私はジオの隣に立って彼の手を取った。
「エリス?」
「これから、何があっても手を離さないでね。もちろん、卵から手を離してもダメ」
「……わかり、ました」
ぎゅ、とジオの手に力がこもる。
よし準備完了。
私は大きく深呼吸すると、魔力を流し始めた。地面いっぱいにひろがった術式が、魔力を得て順番に光り始める。
全ての術式に光がともったところで、大地をめぐるマナが光を帯びた。
可視化されたマナが、オーロラのようにゆらめいて見える。
「マナの把握は成功……ここから、流れを変える……!」
私はさらに術式に力をこめた。
まっすぐに『コキュートス』に向かっていたマナの流れがゆらぐ。大きな流れは、少しずつ、少しずつ形を変え始めた。
ダンジョンから、術式の中心へ。
ただ集めるだけじゃダメだ。卵を経由して大陸を循環する流れへと戻していかなくては。
「……く」
ばち、と手元でマナが弾けた。
集められたマナは、流れを操作している私を最初に経由する。まず私が受け止めなくちゃ術が成立しない。
それはわかってるけど……思ったよりマナの流れが強い!
体にマナが溜まりすぎて指先から体がばらばらになりそうだ。
かといって、魔法使いじゃないジオに、あまりマナを勢いよく注いだら大変なことに……。
「エリス」
ぐい、とジオが繋いでいた手を引っ張った。
強引に体が引き寄せられる。
「いいから、俺にもわけてください。左目のぶんだけ、マナには耐性があるようですから」
「あ、ありがとう……」
限界に近かったから、正直助かった。
ジオに分けるマナの量を増やすと、体が楽になる。この量なら、うまくさばけそうだ。
「エリス、卵が!」
スバルが声をあげた。
驚いてるけど悲鳴じゃない、嬉しそうな声だ。そちらを見るとジオが触れているところから卵が輝きだしている。足りなかったマナを補うことで、中のドラゴンが急速に成長しているのだ。
「これなら、いける!」
ただひたすら、マナを卵に流す。あたりはマナがあふれてどんどん光り輝いていく。
反対に、『コキュートス』のある方角が暗くなってきた。あちらに流れるマナが減っているのだ。
もうあちらに流れ込むマナは、元の半分もない。
このまま続ければ、マナの流れは完全に断てるはずだ。
一気に、流れを引き寄せようとした時だった。
ぞわりと悪寒が走った。恐怖に全身が粟立つ。
「っ!」
「エリス?! しっかりしてください」
何かがくる。
コキュートスの方角から。ひきよせたマナの流れに乗って。
悪意の塊がやってくる。
どす黒いそれは人間のものではない。
ただひたすらに絶命の意志だけを持った、別の何かだ。
「あ……」
やばい。このままじゃ飲まれる。
でも、レイラインに接続している私は急に動けない。
私がこの場から離れたら、レイラインどころか、ジオも卵も死んでしまう。
「しゃらくさい!」
どすん、と白い何かが私たちの前に立ちはだかった。
見上げると、スバルが背を向けて立っている。
「私の子を、同朋を……何より、優しき魔女に手出しはさせぬ!」
ごお、とすさまじい魔力が逆巻いた。
スバルは翼を広げ、マナを身に纏う。そして口を大きく開くと、悪意を持った何かに向けてブレスを放った。
圧倒的な光と熱量を持ったブレスは、黒い何かを焼き尽くす。
悲鳴のような高い音をたてて、その何かは消えていった。
「……ふう」
ブレスを吐き終わり、スバルがため息をついた。
翼を畳んで、彼女が膝をつくと、ようやくその先の景色が見えるようになった。
森の奥、コキュートスがあるべき方向は真っ暗だった。
マナは一かけらもあちらへは流れていない。
そしてマナの逆流も収まっていた。
「術式……成功です」
流れは変わった。
コキュートスはもう、このポイントからマナを得ることができない。
「エリス?」
ジオが私を見て目を丸くした。
何事かと思って自分自身を見下ろすと、肩にかかる髪が黒から深い青に変わっている。
「大量のマナを受け止めたせいで、私の体も魔力で満たされたみたいね」
説明をしている間、ジオはじっと私を見つめている。魔法使いにとっては普通のことだけど、突然髪色が変わったらびっくりするよね。
「いえ、そうではなく……」
「エリス、卵が」
ジオが口を開こうとしたところで、スバルが声をかけてきた。
私もジオも慌てて卵を見る。
その瞬間、びしりと卵に大きなヒビが入った。