覚えるべきこと、忘れるべきこと
「……エリス?」
ジオの怪訝な声で我に返ると、いつのまにかすっかり日が暮れていた。
目の前の焚火の上では、スープがぐつぐつと煮えている。
一心不乱に作業をしているうちに、食事の支度が整っていたらしい。自分がスープを作ったはずなんだけど、作業をしていた間の記憶が定かではない。
どれだけ余計な感情に振り回されて考え事してたの。
「あ。夕食……そう! 夕食ができたわよ」
「そのようですね」
私の隣にジオが座る。
彼の瞳は焚火に照らされて、昼間とはまた別の色合いに輝いていた。
……ではなくて!
見とれてる場合じゃないから、私!
「器によそって食べましょ。……って、ごめん!」
「どうしました?」
「そういえば、ジオの好き嫌いをちゃんと確認せずに作ってた……! 今更だけど、食べられないものとかって、あったっけ?」
娼館にいたころは、食堂で何を出されても完食してたから、大丈夫だと思うけど。
それはそれとして、一緒に旅をする仲間として、聞いておくべきことだろう。それも食事を作る前に。
「いえ、嫌いなものはないですよ。おいしそうですし、食べてもいいですか?」
「う、うん……」
私はスープを器に注ぐと恐る恐るジオに渡した。
だ……大丈夫かな。
そういえば、私の野営料理ってあんまり評判よくないんだよね。
セクハラ勇者ヴィクトルは肉が少ないって文句を言うし、呪術師ベリルは田舎くさいオバサン料理だって言うし、治癒術師サフィーアは香味野菜を吐き出すし、女傭兵ルビィは塩気が足りないって言うし。
でも、探索中の栄養バランスと塩分量を考えたら、どうしてもこういう献立になるし、自分が食べてみた感じは、どう考えても不味くはないし。
毎回どうやったら満足してもらえるか、ずっと考えてたんだけど。
うろうろと考えていた私の隣で、ジオがほう……とため息をついた。
やばい、ため息つかれるほどマズかった?
どうしよう、今からリカバリーできるだろうか。
でも、次に出て来たのは予想外の言葉だった。
「おいしい」
「え」
おいしい、っておいしい?
味がいい、デリシャス、って意味であってる?
思わずジオを見ると、彼は瞳を褒められた時と同じ、嬉しそうな笑顔だった。
「野営でこんなにおいしいものを食べたのは、初めてです」
「わ……私に気を遣わなくていいのよ? 不味い時は遠慮なく言ってくれれば」
「お世辞じゃありません。本当においしいです」
ジオは、そこで初めてむっと不満そうな顔になった。
「それとも、不味いと思って作ってたんですか?」
「そんなことないわよ! ちゃんと栄養バランスと味を考えて!」
「だったらいいじゃないですか。本当においしいですよ、このスープ」
そう言いながら、ジオは器に盛られたスープを完食し、勝手におかわりをよそっている。その動作に迷いはない。本当に食べるのが苦じゃないみたいだ。
「よか……った」
料理を褒められたなんて、初めてかもしれない。
どうしよう、さっきの笑顔以上に、何て答えたらいいかわからない。
とにかく食べよう。自分も食べれば気がまぎれる。
もくもくと食事を口に運んでいると、不意にジオがつぶやいた。
「……やっぱり、腹がたつな」
「何? ジオ」
いきなり何の話?
やっぱりおいしくなかった?
「俺が怒ってるのは、別の人間です。あなたの食事がまずい、って言ったのは勇者ヴィクトルですか?」
「え? な、なに、いきなり」
確かにそうだけど。
何故ジオにそれがわかるの。
「わかりますよ。あなたのプライドを折ったのが、誰かくらい」
「プライドって……」
今の私に、そんなものは。
「あなたは、いつもどこか遠くを見てる。マリータが認めても、ミカエラが差し入れしても、俺がどれだけ、素晴らしいって言っても。それは……ずっと、勇者パーティーのことを考えているからじゃないんですか?」
「そんな……こと」
ない、と否定できなかった。
だって今まさにヴィクトルたちに文句を言われていたことを、思い出してたから。
「忘れましょう? あなたの価値もわからない連中の言葉なんて、覚えている必要はない。あなたは、あなたを大切に想う人の言葉だけ、聞くべきだ」
「私が、大切? こんな年増で女のくせに好き勝手生きてる私を、そんな風に想う人なんて」
「いますよ! いくらでも!」
不意にジオが私の肩を掴んだ。
強引に引き寄せられて、真正面から見つめられる。
何故かジオの色違いの瞳は泣きそうだった。
「娼館の子たちは、あなたを慕っていました。マリータだってあなたのことを可愛がっていた。俺たちが出会った酒場の主人だってそう。旅に出る前、『エリスに何かあったらただじゃおかない』ってどれだけ脅されたと思うんです」
「え」
何、その話初耳なんだけど。
「俺たちが大事に想うあなたを、ないがしろにしないでください」
そんなこと言われても困る。
だって現に私はパーティーからはじき出されて、協会からも追い出されて。
「忘れられないなら、せめて、俺の言葉を覚えて。ここにいる俺の言葉を信じてください」
ぐ、と肩を掴むジオの手に力がこもった。
金の瞳が私を捕らえて離さない。
「あなたは、誇り高き魔女エリスだ」
私は、私。
嬉しい言葉のはずなのに。
私はどうして彼の言葉が素直に受け入れられないんだろうか。
ジオの怪訝な声で我に返ると、いつのまにかすっかり日が暮れていた。
目の前の焚火の上では、スープがぐつぐつと煮えている。
一心不乱に作業をしているうちに、食事の支度が整っていたらしい。自分がスープを作ったはずなんだけど、作業をしていた間の記憶が定かではない。
どれだけ余計な感情に振り回されて考え事してたの。
「あ。夕食……そう! 夕食ができたわよ」
「そのようですね」
私の隣にジオが座る。
彼の瞳は焚火に照らされて、昼間とはまた別の色合いに輝いていた。
……ではなくて!
見とれてる場合じゃないから、私!
「器によそって食べましょ。……って、ごめん!」
「どうしました?」
「そういえば、ジオの好き嫌いをちゃんと確認せずに作ってた……! 今更だけど、食べられないものとかって、あったっけ?」
娼館にいたころは、食堂で何を出されても完食してたから、大丈夫だと思うけど。
それはそれとして、一緒に旅をする仲間として、聞いておくべきことだろう。それも食事を作る前に。
「いえ、嫌いなものはないですよ。おいしそうですし、食べてもいいですか?」
「う、うん……」
私はスープを器に注ぐと恐る恐るジオに渡した。
だ……大丈夫かな。
そういえば、私の野営料理ってあんまり評判よくないんだよね。
セクハラ勇者ヴィクトルは肉が少ないって文句を言うし、呪術師ベリルは田舎くさいオバサン料理だって言うし、治癒術師サフィーアは香味野菜を吐き出すし、女傭兵ルビィは塩気が足りないって言うし。
でも、探索中の栄養バランスと塩分量を考えたら、どうしてもこういう献立になるし、自分が食べてみた感じは、どう考えても不味くはないし。
毎回どうやったら満足してもらえるか、ずっと考えてたんだけど。
うろうろと考えていた私の隣で、ジオがほう……とため息をついた。
やばい、ため息つかれるほどマズかった?
どうしよう、今からリカバリーできるだろうか。
でも、次に出て来たのは予想外の言葉だった。
「おいしい」
「え」
おいしい、っておいしい?
味がいい、デリシャス、って意味であってる?
思わずジオを見ると、彼は瞳を褒められた時と同じ、嬉しそうな笑顔だった。
「野営でこんなにおいしいものを食べたのは、初めてです」
「わ……私に気を遣わなくていいのよ? 不味い時は遠慮なく言ってくれれば」
「お世辞じゃありません。本当においしいです」
ジオは、そこで初めてむっと不満そうな顔になった。
「それとも、不味いと思って作ってたんですか?」
「そんなことないわよ! ちゃんと栄養バランスと味を考えて!」
「だったらいいじゃないですか。本当においしいですよ、このスープ」
そう言いながら、ジオは器に盛られたスープを完食し、勝手におかわりをよそっている。その動作に迷いはない。本当に食べるのが苦じゃないみたいだ。
「よか……った」
料理を褒められたなんて、初めてかもしれない。
どうしよう、さっきの笑顔以上に、何て答えたらいいかわからない。
とにかく食べよう。自分も食べれば気がまぎれる。
もくもくと食事を口に運んでいると、不意にジオがつぶやいた。
「……やっぱり、腹がたつな」
「何? ジオ」
いきなり何の話?
やっぱりおいしくなかった?
「俺が怒ってるのは、別の人間です。あなたの食事がまずい、って言ったのは勇者ヴィクトルですか?」
「え? な、なに、いきなり」
確かにそうだけど。
何故ジオにそれがわかるの。
「わかりますよ。あなたのプライドを折ったのが、誰かくらい」
「プライドって……」
今の私に、そんなものは。
「あなたは、いつもどこか遠くを見てる。マリータが認めても、ミカエラが差し入れしても、俺がどれだけ、素晴らしいって言っても。それは……ずっと、勇者パーティーのことを考えているからじゃないんですか?」
「そんな……こと」
ない、と否定できなかった。
だって今まさにヴィクトルたちに文句を言われていたことを、思い出してたから。
「忘れましょう? あなたの価値もわからない連中の言葉なんて、覚えている必要はない。あなたは、あなたを大切に想う人の言葉だけ、聞くべきだ」
「私が、大切? こんな年増で女のくせに好き勝手生きてる私を、そんな風に想う人なんて」
「いますよ! いくらでも!」
不意にジオが私の肩を掴んだ。
強引に引き寄せられて、真正面から見つめられる。
何故かジオの色違いの瞳は泣きそうだった。
「娼館の子たちは、あなたを慕っていました。マリータだってあなたのことを可愛がっていた。俺たちが出会った酒場の主人だってそう。旅に出る前、『エリスに何かあったらただじゃおかない』ってどれだけ脅されたと思うんです」
「え」
何、その話初耳なんだけど。
「俺たちが大事に想うあなたを、ないがしろにしないでください」
そんなこと言われても困る。
だって現に私はパーティーからはじき出されて、協会からも追い出されて。
「忘れられないなら、せめて、俺の言葉を覚えて。ここにいる俺の言葉を信じてください」
ぐ、と肩を掴むジオの手に力がこもった。
金の瞳が私を捕らえて離さない。
「あなたは、誇り高き魔女エリスだ」
私は、私。
嬉しい言葉のはずなのに。
私はどうして彼の言葉が素直に受け入れられないんだろうか。