目標不在(ミレーユ視点)
エリス先輩が魔術協会を去ってから、もう何日が経っただろう。
先輩を失った私は、あの日以来抜け殻のように過ごしていた。一応魔術協会に出勤してはいるものの、仕事に身が入らないでいる。ただ指示されたことを惰性でこなす。プログラムコードで動くゴーレムと大差ない。
ぼんやりしているのは、私だけじゃない。
エリス先輩に期待していた魔女のほとんどが、気力を失い業務に手がつかなくなっていた。中には出勤して来なくなった魔女もいる。
「おい魔女ども! 精製水はまだか!」
イライラした声が部屋に響いた。いつかの男性魔法使いが、やっぱりフラスコの入った木箱を持って入ってくる。
「あー……今、作業中……です」
「んなことはわかってるんだ! 早くしろって言ってんだよ!」
わかっているのなら、聞かないでほしい。
「……無理、です」
「はあ? 先週までこの倍の水を作ってただろ」
純水精製器は繊細な魔道具だ。稼働させるためには、環境にあわせた細かい設定が必要となる。しかし、設定作業を担当する魔女が何人も休んでいるため、その日の稼働開始までに時間がかかっていた。
「設定に……時間が……」
「そんなの、適当でいいだろ!」
男性魔法使いが乱暴に精製器に触れる。
出力を最大にすると、蛇口から勢いよく水が流れ出した。
「これでいいじゃないか!」
男性魔法使いがフラスコを蛇口の前に宛がおうとした瞬間、魔道具正面に取り付けられたメーターの針がぎゅるんと回った。そこだけじゃない。メーターというメーターの針が、がくがくと左右にブレ始める。
「な、なんだぁ?!」
「ああ……設定が狂いましたね」
「こんなことで? 嘘だろ?」
今まで彼に何度『この魔道具は繊細だ』と説明してきただろうか。乱暴に扱えば道具は壊れる。そんな当たり前のことが、伝わらない。
「設定しなおせ!」
「……わかりました。完了までにお時間をいただきます」
「次に水が出せるのは!」
「……明日の朝……ですね」
「チッ!」
男性魔法使いは、舌打ちひとつ残して出ていった。入れ替わりに、鮮やかな紫髪の魔法使いが入ってくる。魔術協会長のガラルだ。
「魔女ミレーユはいるか?」
「私ですが」
協会長が、魔女を名指しするなんて珍しい。他の男性魔法使いたちと一緒で、私たちを呼ぶときは『魔女』としか呼ばないのに。
「鍵をよこせ」
ずい、と手を差し出された。
意味がわからなくて、私は首をかしげる。
「……?」
「鈍い奴だな! 鍵だ鍵! 魔女エリスの研究室のっ! あいつが派遣されていた間、お前が部屋の掃除をしていたんだろう!」
そこまで言われて、やっと何を求められていたのか理解した。
人の入らない部屋では、道具は簡単に壊れてしまう。勇者パーティーへの派遣が長期になると判断したエリス先輩は、後輩の私に鍵を預けていたのだ。
しかし、何故それを協会長が。
「どうして……?」
疑問が口をついて出る。
協会長ガラルはイライラと紫の髪をかきむしった。
「あいつが出ていった以上、研究室は閉鎖だ。とっとと荷物を運び出して、別の研究室を入れる! わかったら鍵をよこせ」
「研究室をあける、というのなら私が掃除します。あの部屋の薬品の扱いは、私が一番よくわかっていますから」
あそこにはエリス先輩の研究記録が詰まっている。
勝手に捨てさせるわけにはいかなかった。
「……いや、結構だ。私が片付ける」
しかし、協会長は渋面で手を差し出し続ける。
魔術協会において、雑用は魔女の仕事だ。掃除はその最たるもののひとつ。
協会長自らがやることではない。
それなのに、何故この男は研究室の鍵をほしがるのか。
他人が優秀な魔法使いの研究室に入りたがる理由。それはひとつしかない。
「まさか……」
私が、彼の目的を口にしようとした瞬間、睨まれた。
「お前は何も考えなくていい。さっさと鍵をよこせ」
「お断りします!」
自分でもびっくりするくらい鋭い声が出た。
ポケットの中の大事な鍵を握り締める。
「先輩の研究を横取りする気でしょう!」
「ただ掃除するだけだ」
「そんなの嘘です! 私は……!」
「いいからよこせと言ってる!」
ばちり、と私の周りで何かがはじけた。
見えない蛇のような何かが、私の体を締め上げる。体の自由を奪われた私は、ただただ鍵を握り締めることしかできない。
「かっ……は」
見えない蛇に体が吊り上げられ、つま先が床から浮いた。
苦しい。痛い。
魔法で反撃したいけど、首を絞められ呪文を口にすることができない。
「鍵よ、わが手に」
協会長ガラルが短く命令すると、私の手の中にあった鍵が消えた。
金色に輝く鍵は皺の刻まれたガラルの手の上に現れる。
「おとなしくしていればいいものを」
ガラルが鍵を握りこんだ次の瞬間、蛇が消えた。急に拘束を解かれた私は、床に崩れ落ちる。
「さすがに、協会の魔女を殺したとなれば面倒だからな。見逃してやる」
そう言って、ガラルは部屋を出て行った。
私は必死に体を起こした。ガラルの魔法のせいで、全身痛い。息をするのだって苦しい。
でも、彼を追わなくては。
エリス先輩は汚名を着せられ研究発表の場を奪われた。
その上、今まで積み上げてきた努力まで横取りさせるわけにはいかない。
「きゃっ!」
必死に廊下に出ると、女性の悲鳴が聞こえた。すぐに誰かの手が私に触れる。顔をあげると、同僚魔女が心配そうに私を見ていた。
「どうしたの……!」
「会長が……先輩の、研究室に……」
「はあ? 魔法使いの研究室はお互い不可侵でしょ。ガラルが協会長でもそんなことしたら、契約違反で呪われるわよ」
「でも先輩はもう、協会員じゃないから」
「あっ……そういうことね。わかったわ、すぐに行きましょ」
肩を貸してくれる同僚と一緒にガラルを追う。先輩の努力は、私たちが守らなくては。
しかし、エリス先輩の部屋の前にたどりついた私たちが見たのは、今まさに鍵を開けようとするガラルの姿だった。
がちゃん、と金の鍵を回すとドアから無機質な声が響く。
『第一認証キーを確認しました』
「ふ……」
ガラルの顔が愉悦に歪む。
ドアを開けようと取っ手に力をこめるガラルに、さらに無機質な声がかけられた。
『第二認証を開始します』
「ん?」
ピピピピピ……と小さな音を立てながら、ドアから青白い光が放たれる。光は、鍵を持つガラルの体を頭からつま先までを舐めるように照らしてから、ふっと消えた。
『鍵の使用者を確認。事前登録データに該当者なし』
「は?」
『鍵が不正使用されたと判断。研究室内の資料を処分します』
「な……に?!」
状況が理解できなかったんだろう。鍵を持ったままガラルはぽかん、と口をあける。
しかし、研究室の番人はガラルの戸惑いなんか気にしない。
ドアの向こうから、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ! というすさまじい音が響き始めた。
「お、おい! 何が起きてる! 処分だと!? 嘘だろ!」
ガラルが力まかせにドアをバンバン叩いてるけど、分厚い扉はびくともしない。
ゴゴゴゴゴ、という音は止まることなく続いている。
あまりの事態に、近くの研究室から魔女や魔法使いたちが集まってきた。全員が見守るなか、研究室からの異音が続く。
「止まれ……! 止まれといってる!」
協会中の人間がほとんどが集まったところで、ようやく音がとまった。
『処分終了。ドア開きます』
チーン、とベルの音が響いてあっけなくドアが開いた。
その先には空間が広がっている。
薬品どころか、書類も、魔道具も、家具すらなかった。
ただまっさらな床板と、壁紙だけの部屋があるだけだ。
「は……」
ガラルは慌てて部屋の中に駆け込むと、中を見回した。何も残されていないのは、戸口から覗き込んでいる私たちでもわかる。
エリス先輩、あなたという人は。
「ふっ……」
思わず、笑ってしまった。
それを聞きつけて、ガラルが勢いよくこちらを振り向く。
「魔女め! 何がおかしい!」
だって笑うしかないじゃないか。
協会長ともあろう者が、からっぽの部屋で右往左往している姿なんて、滑稽以外何者でもない。
「その笑いを止めろ!」
ズカズカとガラルが私に近づいてきた。
私はわざと笑みを深くする。
「それで、どうするんですか? また、魔法を使いますか?」
純水製造室は閉鎖空間で、ガラルの蛮行を咎める者はいなかった。だから蛇の魔法で襲われたことは、誰に訴えたところで取り合ってもらえないだろう。
でも、今ここには協会中の人間が集まっている。さすがにここで何かすれば、犯罪として訴えられてしまう。
「……ちっ」
ガラルもまた、舌打ちして去っていった。どうして態度の悪い男はみんな舌打ちをするのか。
「私……この協会、辞めるわ」
ぽろりと言葉がこぼれた。ずっと私に肩を貸してくれていた同僚魔女が苦笑する。
「奇遇ね、私もよ」
私たちは翌日、朝一番で魔術協会のブローチを返還した。
純水製造機の再設定はしなかった。
先輩を失った私は、あの日以来抜け殻のように過ごしていた。一応魔術協会に出勤してはいるものの、仕事に身が入らないでいる。ただ指示されたことを惰性でこなす。プログラムコードで動くゴーレムと大差ない。
ぼんやりしているのは、私だけじゃない。
エリス先輩に期待していた魔女のほとんどが、気力を失い業務に手がつかなくなっていた。中には出勤して来なくなった魔女もいる。
「おい魔女ども! 精製水はまだか!」
イライラした声が部屋に響いた。いつかの男性魔法使いが、やっぱりフラスコの入った木箱を持って入ってくる。
「あー……今、作業中……です」
「んなことはわかってるんだ! 早くしろって言ってんだよ!」
わかっているのなら、聞かないでほしい。
「……無理、です」
「はあ? 先週までこの倍の水を作ってただろ」
純水精製器は繊細な魔道具だ。稼働させるためには、環境にあわせた細かい設定が必要となる。しかし、設定作業を担当する魔女が何人も休んでいるため、その日の稼働開始までに時間がかかっていた。
「設定に……時間が……」
「そんなの、適当でいいだろ!」
男性魔法使いが乱暴に精製器に触れる。
出力を最大にすると、蛇口から勢いよく水が流れ出した。
「これでいいじゃないか!」
男性魔法使いがフラスコを蛇口の前に宛がおうとした瞬間、魔道具正面に取り付けられたメーターの針がぎゅるんと回った。そこだけじゃない。メーターというメーターの針が、がくがくと左右にブレ始める。
「な、なんだぁ?!」
「ああ……設定が狂いましたね」
「こんなことで? 嘘だろ?」
今まで彼に何度『この魔道具は繊細だ』と説明してきただろうか。乱暴に扱えば道具は壊れる。そんな当たり前のことが、伝わらない。
「設定しなおせ!」
「……わかりました。完了までにお時間をいただきます」
「次に水が出せるのは!」
「……明日の朝……ですね」
「チッ!」
男性魔法使いは、舌打ちひとつ残して出ていった。入れ替わりに、鮮やかな紫髪の魔法使いが入ってくる。魔術協会長のガラルだ。
「魔女ミレーユはいるか?」
「私ですが」
協会長が、魔女を名指しするなんて珍しい。他の男性魔法使いたちと一緒で、私たちを呼ぶときは『魔女』としか呼ばないのに。
「鍵をよこせ」
ずい、と手を差し出された。
意味がわからなくて、私は首をかしげる。
「……?」
「鈍い奴だな! 鍵だ鍵! 魔女エリスの研究室のっ! あいつが派遣されていた間、お前が部屋の掃除をしていたんだろう!」
そこまで言われて、やっと何を求められていたのか理解した。
人の入らない部屋では、道具は簡単に壊れてしまう。勇者パーティーへの派遣が長期になると判断したエリス先輩は、後輩の私に鍵を預けていたのだ。
しかし、何故それを協会長が。
「どうして……?」
疑問が口をついて出る。
協会長ガラルはイライラと紫の髪をかきむしった。
「あいつが出ていった以上、研究室は閉鎖だ。とっとと荷物を運び出して、別の研究室を入れる! わかったら鍵をよこせ」
「研究室をあける、というのなら私が掃除します。あの部屋の薬品の扱いは、私が一番よくわかっていますから」
あそこにはエリス先輩の研究記録が詰まっている。
勝手に捨てさせるわけにはいかなかった。
「……いや、結構だ。私が片付ける」
しかし、協会長は渋面で手を差し出し続ける。
魔術協会において、雑用は魔女の仕事だ。掃除はその最たるもののひとつ。
協会長自らがやることではない。
それなのに、何故この男は研究室の鍵をほしがるのか。
他人が優秀な魔法使いの研究室に入りたがる理由。それはひとつしかない。
「まさか……」
私が、彼の目的を口にしようとした瞬間、睨まれた。
「お前は何も考えなくていい。さっさと鍵をよこせ」
「お断りします!」
自分でもびっくりするくらい鋭い声が出た。
ポケットの中の大事な鍵を握り締める。
「先輩の研究を横取りする気でしょう!」
「ただ掃除するだけだ」
「そんなの嘘です! 私は……!」
「いいからよこせと言ってる!」
ばちり、と私の周りで何かがはじけた。
見えない蛇のような何かが、私の体を締め上げる。体の自由を奪われた私は、ただただ鍵を握り締めることしかできない。
「かっ……は」
見えない蛇に体が吊り上げられ、つま先が床から浮いた。
苦しい。痛い。
魔法で反撃したいけど、首を絞められ呪文を口にすることができない。
「鍵よ、わが手に」
協会長ガラルが短く命令すると、私の手の中にあった鍵が消えた。
金色に輝く鍵は皺の刻まれたガラルの手の上に現れる。
「おとなしくしていればいいものを」
ガラルが鍵を握りこんだ次の瞬間、蛇が消えた。急に拘束を解かれた私は、床に崩れ落ちる。
「さすがに、協会の魔女を殺したとなれば面倒だからな。見逃してやる」
そう言って、ガラルは部屋を出て行った。
私は必死に体を起こした。ガラルの魔法のせいで、全身痛い。息をするのだって苦しい。
でも、彼を追わなくては。
エリス先輩は汚名を着せられ研究発表の場を奪われた。
その上、今まで積み上げてきた努力まで横取りさせるわけにはいかない。
「きゃっ!」
必死に廊下に出ると、女性の悲鳴が聞こえた。すぐに誰かの手が私に触れる。顔をあげると、同僚魔女が心配そうに私を見ていた。
「どうしたの……!」
「会長が……先輩の、研究室に……」
「はあ? 魔法使いの研究室はお互い不可侵でしょ。ガラルが協会長でもそんなことしたら、契約違反で呪われるわよ」
「でも先輩はもう、協会員じゃないから」
「あっ……そういうことね。わかったわ、すぐに行きましょ」
肩を貸してくれる同僚と一緒にガラルを追う。先輩の努力は、私たちが守らなくては。
しかし、エリス先輩の部屋の前にたどりついた私たちが見たのは、今まさに鍵を開けようとするガラルの姿だった。
がちゃん、と金の鍵を回すとドアから無機質な声が響く。
『第一認証キーを確認しました』
「ふ……」
ガラルの顔が愉悦に歪む。
ドアを開けようと取っ手に力をこめるガラルに、さらに無機質な声がかけられた。
『第二認証を開始します』
「ん?」
ピピピピピ……と小さな音を立てながら、ドアから青白い光が放たれる。光は、鍵を持つガラルの体を頭からつま先までを舐めるように照らしてから、ふっと消えた。
『鍵の使用者を確認。事前登録データに該当者なし』
「は?」
『鍵が不正使用されたと判断。研究室内の資料を処分します』
「な……に?!」
状況が理解できなかったんだろう。鍵を持ったままガラルはぽかん、と口をあける。
しかし、研究室の番人はガラルの戸惑いなんか気にしない。
ドアの向こうから、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ! というすさまじい音が響き始めた。
「お、おい! 何が起きてる! 処分だと!? 嘘だろ!」
ガラルが力まかせにドアをバンバン叩いてるけど、分厚い扉はびくともしない。
ゴゴゴゴゴ、という音は止まることなく続いている。
あまりの事態に、近くの研究室から魔女や魔法使いたちが集まってきた。全員が見守るなか、研究室からの異音が続く。
「止まれ……! 止まれといってる!」
協会中の人間がほとんどが集まったところで、ようやく音がとまった。
『処分終了。ドア開きます』
チーン、とベルの音が響いてあっけなくドアが開いた。
その先には空間が広がっている。
薬品どころか、書類も、魔道具も、家具すらなかった。
ただまっさらな床板と、壁紙だけの部屋があるだけだ。
「は……」
ガラルは慌てて部屋の中に駆け込むと、中を見回した。何も残されていないのは、戸口から覗き込んでいる私たちでもわかる。
エリス先輩、あなたという人は。
「ふっ……」
思わず、笑ってしまった。
それを聞きつけて、ガラルが勢いよくこちらを振り向く。
「魔女め! 何がおかしい!」
だって笑うしかないじゃないか。
協会長ともあろう者が、からっぽの部屋で右往左往している姿なんて、滑稽以外何者でもない。
「その笑いを止めろ!」
ズカズカとガラルが私に近づいてきた。
私はわざと笑みを深くする。
「それで、どうするんですか? また、魔法を使いますか?」
純水製造室は閉鎖空間で、ガラルの蛮行を咎める者はいなかった。だから蛇の魔法で襲われたことは、誰に訴えたところで取り合ってもらえないだろう。
でも、今ここには協会中の人間が集まっている。さすがにここで何かすれば、犯罪として訴えられてしまう。
「……ちっ」
ガラルもまた、舌打ちして去っていった。どうして態度の悪い男はみんな舌打ちをするのか。
「私……この協会、辞めるわ」
ぽろりと言葉がこぼれた。ずっと私に肩を貸してくれていた同僚魔女が苦笑する。
「奇遇ね、私もよ」
私たちは翌日、朝一番で魔術協会のブローチを返還した。
純水製造機の再設定はしなかった。