未練
「水……が?」
ジオは複雑な顔で眉間に皺を寄せた。私の言うことを否定したくないが、言ってる意味がわからないって感じだ。なんて紳士的な対応。セクハラ勇者ヴィクトルだったら『イミフ』の一言で話が終わっている。
「そうね……ジオ、水の味が違うって思ったことない? 街中の水道水はちょっとにおいがある、とか郊外の井戸水はおいしいとか」
「ああ、それはわかります。ダンジョン内の泉で飲む水は、どこで飲む水とも違って不思議な味がします」
「それは、水に含まれる鉱物や有機物のせい。つまり……水は何も入ってないようで、実は様々なものが溶け込んでいるのよ」
「ここに……たくさん」
ジオは水の入ったカップを見つめる。
「これらの不純物を一切取り除いた、『水』だけで構成された液体のことを『純水』と呼ぶの。製薬は不純物だらけの材料から薬効成分を抽出するのが主な仕事だからね。混じりけのない水は重宝されるの。この発明のおかげで、魔術協会全体の製薬技術が飛躍的に向上したんだから!」
「魔術協会の、ということはこれと同じものがあちらにもあるんですか?」
ほほう、そこに気づきますか。
「同じ機能を持った魔道具が一個、不本意ながら研究棟の一室を占領してるわ」
「ずいぶん不満そうな顔ですね。自分を追い出した協会に良い道具があるのが嫌、とか?」
「道具があるのはいいのよ、別に。協会長はセクハラクズ男だけど、製薬研究に罪はないもの。どんどんいい薬を作ってくれればいいわ。でもね、あの魔道具ポンコツすぎなの!」
「……ぽんこつ」
「五年も前に作った魔道具だから、あちこち無駄が多くてね……。その日の気温と湿度にあわせて細かい設定しなくちゃいけないし、その設定装置もボタンや計測機器がごちゃごちゃ並んでて見づらいし。肝心の精製効率は今手元にあるやつの半分以下だし」
新型を作らせてくれ、と何度も上申したけどついに許可が下りなかった。
動いているのならそれでいい。面倒なメンテナンスは雑用魔女にやらせれば問題ない、といって新型製造の予算を出してもらえなかったのだ。
作業効率が上がれば導入費程度はすぐに取り返せるし、魔女たちも自分の仕事に集中できる、って何度も説明したんだけど。
あそこの男どもは、魔女の労働力は基本タダだと思ってるフシがあるんだよなあ。
人に仕事をさせておいて、対価が発生しないわけないのに。
「あんな不細工な魔道具が、ずっと使われ続けると思うと恥ずかしくて……」
私が頭を抱えていると、ジオがふっ、と吹き出した。
「エリスは優しいですね」
「え、どこが」
自分のことしか考えてなかったと思うんだけど。
「いいじゃないですか、もう出て来た場所のことは。残された仕事は、残された方々がどうにかしますよ」
「でも、苦労するのは末端の魔女たちだし……」
「それだって、魔女自身がどうにかすることですよ。あちらを心配している暇があったら、他のことを考えましょう」
「例えば?」
「そうですね、まずはミカエラさんにいただいたお菓子を、デザートに食べるのはいかがです?」
「いいわね、それ!」
確かに、出て来た組織のことより目の前のお菓子だ。焼き菓子はおいしいうちに食べるに限る。
「お茶を入れ直しますね。……おっと」
立ち上がったジオはポットを取ろうとして、すぐそばの書類の山を崩しかけた。さっきテーブルから避難させた書類が多すぎて、そのへんに置くしかなかったんだよね。
「この書類はきちんと片付けておいたほうがいいですね。どちらに収めておきましょうか?」
「あーそれは捨てておいて」
「よろしいんですか? どれも薬のレシピのようですが」
「いーのいーの、どうせ認可が降りない無駄レシピだから」
「……何か問題があるんですか」
「ないわよ。従来品に比べて、精製効率が高くて薬効も高い。副作用も少ないと思うわ」
「ええ? それでどうして!」
「マルア草を使ってないから」
「え」
「魔術協会では、マルア草を使ってない新薬は認可が降りないの」
「そんなに……すごい薬草なんですか?」
「まあ悪くない素材だと思うわよ。実際解熱剤にはよく使われてるし。でも病気によっては、悪化の原因になることもある。どの薬にも使え、っていうのは無茶ね」
ジオは首をかしげた。
私の言うことが腑に落ちないんだろう。私も、理不尽を承知で説明する。
「でも、このマルア草の生産農場のオーナーが、魔術協会長の妻の父親、つまり義理の父なの。マルア草の利権で得た金を後ろ盾にしてのしあがった協会長にとって、コレを使わない薬は全部悪なのよ」
私は息を吐く。思ったより重いため息になった。
「私もバカよねー。いくら薬効が高くても、認可されなきゃ誰にも届かないのに。使われないレシピばっかりいくつも考案してさ。最後には、レシピの公開場所すらなくしちゃうなんてね」
協会を追い出された私はただの無職だ。どれほどすばらしい薬を考案しても、非正規の怪しい薬と同列に扱われてしまう。幸い、薬剤師としての資格は取り上げられなかったから、製薬自体は可能だけど、協会指定のレシピ以外は販売できない。
薬の質を管理している組織から出る、とはそういうことだ。
新薬はもう誰の手にもわたらない。
「……ふう」
なんとなく、部屋が暗くなった気がして私はまたため息をついた。
あの日、協会長にブローチを叩きつけたことは後悔していない。組織に残り続けたところで、ろくなことにはなってないだろう。
だけど。
私は思っていたより、研究者の自分に未練があったみたいだ。
「ごめんなさい、ジオ。先に休んでていい?」
「……わかりました」
こんな気持ちで焼き菓子を食べても味がしないだろう。
せめて一晩寝てから、朝ごはんと一緒に食べよう。
せっかく差し入れしてくれたミカエラにこっそり謝りながら、私はベッドに入った。
ジオは複雑な顔で眉間に皺を寄せた。私の言うことを否定したくないが、言ってる意味がわからないって感じだ。なんて紳士的な対応。セクハラ勇者ヴィクトルだったら『イミフ』の一言で話が終わっている。
「そうね……ジオ、水の味が違うって思ったことない? 街中の水道水はちょっとにおいがある、とか郊外の井戸水はおいしいとか」
「ああ、それはわかります。ダンジョン内の泉で飲む水は、どこで飲む水とも違って不思議な味がします」
「それは、水に含まれる鉱物や有機物のせい。つまり……水は何も入ってないようで、実は様々なものが溶け込んでいるのよ」
「ここに……たくさん」
ジオは水の入ったカップを見つめる。
「これらの不純物を一切取り除いた、『水』だけで構成された液体のことを『純水』と呼ぶの。製薬は不純物だらけの材料から薬効成分を抽出するのが主な仕事だからね。混じりけのない水は重宝されるの。この発明のおかげで、魔術協会全体の製薬技術が飛躍的に向上したんだから!」
「魔術協会の、ということはこれと同じものがあちらにもあるんですか?」
ほほう、そこに気づきますか。
「同じ機能を持った魔道具が一個、不本意ながら研究棟の一室を占領してるわ」
「ずいぶん不満そうな顔ですね。自分を追い出した協会に良い道具があるのが嫌、とか?」
「道具があるのはいいのよ、別に。協会長はセクハラクズ男だけど、製薬研究に罪はないもの。どんどんいい薬を作ってくれればいいわ。でもね、あの魔道具ポンコツすぎなの!」
「……ぽんこつ」
「五年も前に作った魔道具だから、あちこち無駄が多くてね……。その日の気温と湿度にあわせて細かい設定しなくちゃいけないし、その設定装置もボタンや計測機器がごちゃごちゃ並んでて見づらいし。肝心の精製効率は今手元にあるやつの半分以下だし」
新型を作らせてくれ、と何度も上申したけどついに許可が下りなかった。
動いているのならそれでいい。面倒なメンテナンスは雑用魔女にやらせれば問題ない、といって新型製造の予算を出してもらえなかったのだ。
作業効率が上がれば導入費程度はすぐに取り返せるし、魔女たちも自分の仕事に集中できる、って何度も説明したんだけど。
あそこの男どもは、魔女の労働力は基本タダだと思ってるフシがあるんだよなあ。
人に仕事をさせておいて、対価が発生しないわけないのに。
「あんな不細工な魔道具が、ずっと使われ続けると思うと恥ずかしくて……」
私が頭を抱えていると、ジオがふっ、と吹き出した。
「エリスは優しいですね」
「え、どこが」
自分のことしか考えてなかったと思うんだけど。
「いいじゃないですか、もう出て来た場所のことは。残された仕事は、残された方々がどうにかしますよ」
「でも、苦労するのは末端の魔女たちだし……」
「それだって、魔女自身がどうにかすることですよ。あちらを心配している暇があったら、他のことを考えましょう」
「例えば?」
「そうですね、まずはミカエラさんにいただいたお菓子を、デザートに食べるのはいかがです?」
「いいわね、それ!」
確かに、出て来た組織のことより目の前のお菓子だ。焼き菓子はおいしいうちに食べるに限る。
「お茶を入れ直しますね。……おっと」
立ち上がったジオはポットを取ろうとして、すぐそばの書類の山を崩しかけた。さっきテーブルから避難させた書類が多すぎて、そのへんに置くしかなかったんだよね。
「この書類はきちんと片付けておいたほうがいいですね。どちらに収めておきましょうか?」
「あーそれは捨てておいて」
「よろしいんですか? どれも薬のレシピのようですが」
「いーのいーの、どうせ認可が降りない無駄レシピだから」
「……何か問題があるんですか」
「ないわよ。従来品に比べて、精製効率が高くて薬効も高い。副作用も少ないと思うわ」
「ええ? それでどうして!」
「マルア草を使ってないから」
「え」
「魔術協会では、マルア草を使ってない新薬は認可が降りないの」
「そんなに……すごい薬草なんですか?」
「まあ悪くない素材だと思うわよ。実際解熱剤にはよく使われてるし。でも病気によっては、悪化の原因になることもある。どの薬にも使え、っていうのは無茶ね」
ジオは首をかしげた。
私の言うことが腑に落ちないんだろう。私も、理不尽を承知で説明する。
「でも、このマルア草の生産農場のオーナーが、魔術協会長の妻の父親、つまり義理の父なの。マルア草の利権で得た金を後ろ盾にしてのしあがった協会長にとって、コレを使わない薬は全部悪なのよ」
私は息を吐く。思ったより重いため息になった。
「私もバカよねー。いくら薬効が高くても、認可されなきゃ誰にも届かないのに。使われないレシピばっかりいくつも考案してさ。最後には、レシピの公開場所すらなくしちゃうなんてね」
協会を追い出された私はただの無職だ。どれほどすばらしい薬を考案しても、非正規の怪しい薬と同列に扱われてしまう。幸い、薬剤師としての資格は取り上げられなかったから、製薬自体は可能だけど、協会指定のレシピ以外は販売できない。
薬の質を管理している組織から出る、とはそういうことだ。
新薬はもう誰の手にもわたらない。
「……ふう」
なんとなく、部屋が暗くなった気がして私はまたため息をついた。
あの日、協会長にブローチを叩きつけたことは後悔していない。組織に残り続けたところで、ろくなことにはなってないだろう。
だけど。
私は思っていたより、研究者の自分に未練があったみたいだ。
「ごめんなさい、ジオ。先に休んでていい?」
「……わかりました」
こんな気持ちで焼き菓子を食べても味がしないだろう。
せめて一晩寝てから、朝ごはんと一緒に食べよう。
せっかく差し入れしてくれたミカエラにこっそり謝りながら、私はベッドに入った。