慈愛の魔女(ジオ視点)
「ミカエラが怪我したって?!」
医務室の診察台にミカエラを降ろしたところで、エリスが部屋に飛び込んできた。表の騒ぎを聞きつけて、慌ててやってきたのだろう。息を切らせたその顔色は真っ青だ。
「平気よ」
ひらひら、と元気そうに手を振って笑うミカエラを見て、エリスはほっと息を吐いた。
「よかった……」
「この程度ですんだのはジオのおかげね。相手もほぼ無傷で無力化するし」
ミカエラがそう言うと、エリスはぱあっと顔を輝かせた。綺麗な紫の瞳を俺に向ける。
「そうだったの? ありがとう、ジオ!」
「エリスに喜んでいただけて、光栄です」
エリスに笑顔を向けられると、思わず顔が緩んでしまう。俺も仮面をとって彼女に笑い返した。
「……さっきは業務って言ってたくせに」
ぼそりとミカエラがつぶやいたが、聞かなかったことにした。
「大きな怪我はないみたいだけど、打ち身が多いわね。治癒魔法をかけてあげるから、手を出して」
「それはいらない」
早速治療を始めようとしたエリスを、ミカエラが止めた。差し出された手をはねのけられた形になり、エリスが一瞬傷ついた顔になる。
「アンタは今、何かをするために魔力を蓄えてるとこなんでしょ? 製薬に使う魔力だってバカにならないし。こんなところで浪費してないで、貯めておきなさい」
「でも……ミカエラが痛いのは……」
「そういう心配は、髪が元の青に戻ってから言って。だいたい、この程度の怪我、あんたが調合した軟膏塗ってればすぐに治るわよ」
「でもね」
「何よ、治らないような薬を作ってるわけ?」
「そんなわけはないけどね?」
「じゃあいいじゃない」
なおも不満そうなエリスに、ミカエラはとろけるような極上の笑みを向ける。
「でも、心配してくれた気持ちは嬉しい。……ありがとね」
「う」
微笑まれて何も言えなくなったらしい。エリスは口をつぐんだ。
「ほら、さっさと仕事に戻る! こっちだって仕事の準備があるし!」
「わかったわよ……。でも、あとから痛みが増すようなら、ちゃんと相談してよね!」
「はいはい」
エリスは心配そうに何度もミカエラを振り向きながら、医務室から出ていった。彼女を見送ってミカエラがため息をつく。
「娼婦に甘いのがここにもひとり……しょうがない子ね」
そう言って苦笑する姿は、ただの友達のようだ。
娼婦と魔女、とりあわせがちぐはぐなことを除けば。
「不思議そうね」
「えっ」
何を観察されていたのか。ミカエラが俺を見上げて、いたずらっぽく笑った。
「どうしてあの生真面目な魔女が私たちと仲がいいのか、理解できないって顔してる」
「それは……まあ。エリスは、自分から歓楽街を訪れるタイプには見えませんから」
俺は素直に白旗をあげた。
彼女たちは感情の機微を読み取るのが仕事だ。顔色を取り繕ったところで、見通されるのがオチだ。
「ジネルア熱、って知ってる?」
「何年か前に王都で流行った熱病ですよね」
感染性の高い病気だが、治療法は確立されている。
「魔術協会の提供した薬のおかげで、すぐに感染は収まったと……」
「それはお綺麗な貴族様だけの話。貧民街だとか、歓楽街だとか、教会の慈悲の外にある場所に薬は配られなかったの。どころか、男を惑わすふしだらな女たちは、このまま死なせたほうがいいとか言い出してさ」
「……それは」
「そもそも街に熱病を持ち込んだのは、貴族の男連中なのにね」
ふ、とミカエラの瞳の色が深くなる。
「そんな時に手を差し伸べてくれたのが、エリスよ。まだ駆け出し魔女だったあの子が、魔術協会の反対を押し切って、薬を提供してくれたの。それどころか診察に看病まで……」
「エリスらしい」
彼女が俺を救ったとき、そこにあったのは純粋な慈愛だった。ミカエラたちもまた、同じようにして救ったのだろう。
「あの子、家族の縁談に障るからってわざわざ勘当されてきたのよ? 本当だったら裕福な家のお嬢様として悠々自適な暮らしができたのに!」
「エリスは、貴族だったんですか?」
「爵位まではないけど、代々国に仕える官僚の家柄だったはずよ。娘が娼館に出入りしてたら、醜聞どころじゃないのはわかるけど! ……あの子は妙なところで思い切りがよすぎるというか」
「でも、その決断に救われた」
俺も救われたひとりだ。彼女が治療をためらっていたら、今ごろ俺は生きてはいない。
「……おかげで当時の患者は全員ぴんぴんしてるわ。マリータも含めてね」
ミカエラは俺をじっと見つめた。
「あの子は私たちにとって大事な人なの。何をするつもりか知らないけど、絶対守ってあげてね」
「この命に代えても」
宣言するとミカエラはほほ笑んだ。
男に媚びるための笑顔ではない。心からの笑顔だった。
医務室の診察台にミカエラを降ろしたところで、エリスが部屋に飛び込んできた。表の騒ぎを聞きつけて、慌ててやってきたのだろう。息を切らせたその顔色は真っ青だ。
「平気よ」
ひらひら、と元気そうに手を振って笑うミカエラを見て、エリスはほっと息を吐いた。
「よかった……」
「この程度ですんだのはジオのおかげね。相手もほぼ無傷で無力化するし」
ミカエラがそう言うと、エリスはぱあっと顔を輝かせた。綺麗な紫の瞳を俺に向ける。
「そうだったの? ありがとう、ジオ!」
「エリスに喜んでいただけて、光栄です」
エリスに笑顔を向けられると、思わず顔が緩んでしまう。俺も仮面をとって彼女に笑い返した。
「……さっきは業務って言ってたくせに」
ぼそりとミカエラがつぶやいたが、聞かなかったことにした。
「大きな怪我はないみたいだけど、打ち身が多いわね。治癒魔法をかけてあげるから、手を出して」
「それはいらない」
早速治療を始めようとしたエリスを、ミカエラが止めた。差し出された手をはねのけられた形になり、エリスが一瞬傷ついた顔になる。
「アンタは今、何かをするために魔力を蓄えてるとこなんでしょ? 製薬に使う魔力だってバカにならないし。こんなところで浪費してないで、貯めておきなさい」
「でも……ミカエラが痛いのは……」
「そういう心配は、髪が元の青に戻ってから言って。だいたい、この程度の怪我、あんたが調合した軟膏塗ってればすぐに治るわよ」
「でもね」
「何よ、治らないような薬を作ってるわけ?」
「そんなわけはないけどね?」
「じゃあいいじゃない」
なおも不満そうなエリスに、ミカエラはとろけるような極上の笑みを向ける。
「でも、心配してくれた気持ちは嬉しい。……ありがとね」
「う」
微笑まれて何も言えなくなったらしい。エリスは口をつぐんだ。
「ほら、さっさと仕事に戻る! こっちだって仕事の準備があるし!」
「わかったわよ……。でも、あとから痛みが増すようなら、ちゃんと相談してよね!」
「はいはい」
エリスは心配そうに何度もミカエラを振り向きながら、医務室から出ていった。彼女を見送ってミカエラがため息をつく。
「娼婦に甘いのがここにもひとり……しょうがない子ね」
そう言って苦笑する姿は、ただの友達のようだ。
娼婦と魔女、とりあわせがちぐはぐなことを除けば。
「不思議そうね」
「えっ」
何を観察されていたのか。ミカエラが俺を見上げて、いたずらっぽく笑った。
「どうしてあの生真面目な魔女が私たちと仲がいいのか、理解できないって顔してる」
「それは……まあ。エリスは、自分から歓楽街を訪れるタイプには見えませんから」
俺は素直に白旗をあげた。
彼女たちは感情の機微を読み取るのが仕事だ。顔色を取り繕ったところで、見通されるのがオチだ。
「ジネルア熱、って知ってる?」
「何年か前に王都で流行った熱病ですよね」
感染性の高い病気だが、治療法は確立されている。
「魔術協会の提供した薬のおかげで、すぐに感染は収まったと……」
「それはお綺麗な貴族様だけの話。貧民街だとか、歓楽街だとか、教会の慈悲の外にある場所に薬は配られなかったの。どころか、男を惑わすふしだらな女たちは、このまま死なせたほうがいいとか言い出してさ」
「……それは」
「そもそも街に熱病を持ち込んだのは、貴族の男連中なのにね」
ふ、とミカエラの瞳の色が深くなる。
「そんな時に手を差し伸べてくれたのが、エリスよ。まだ駆け出し魔女だったあの子が、魔術協会の反対を押し切って、薬を提供してくれたの。それどころか診察に看病まで……」
「エリスらしい」
彼女が俺を救ったとき、そこにあったのは純粋な慈愛だった。ミカエラたちもまた、同じようにして救ったのだろう。
「あの子、家族の縁談に障るからってわざわざ勘当されてきたのよ? 本当だったら裕福な家のお嬢様として悠々自適な暮らしができたのに!」
「エリスは、貴族だったんですか?」
「爵位まではないけど、代々国に仕える官僚の家柄だったはずよ。娘が娼館に出入りしてたら、醜聞どころじゃないのはわかるけど! ……あの子は妙なところで思い切りがよすぎるというか」
「でも、その決断に救われた」
俺も救われたひとりだ。彼女が治療をためらっていたら、今ごろ俺は生きてはいない。
「……おかげで当時の患者は全員ぴんぴんしてるわ。マリータも含めてね」
ミカエラは俺をじっと見つめた。
「あの子は私たちにとって大事な人なの。何をするつもりか知らないけど、絶対守ってあげてね」
「この命に代えても」
宣言するとミカエラはほほ笑んだ。
男に媚びるための笑顔ではない。心からの笑顔だった。