闖入者(ジオ視点)
「離してよっ!」
「いいから来るんだ、ミカエラ!」
娼館の玄関ホールに男の声が響き渡った。
先輩用心棒のあとについて中に入ると、ホール中央で男がひとり仁王立ちになっている。
二十代半ばくらいだろうか。身なりはよく服自体は高価そうだったが、上着は乱れ髪はボサボサになっている。
そして、その右手には紫色の光を纏う禍々しいデザインの剣を、左手には女性をひとり抱えていた。
女性は非常に布面積の少ないドレスを着ていた。この娼館で働いている姫のひとり、ミカエラだ。彼女は目の前に剣をつきつけられながらも、気丈に男を睨みつけている。
「ち……オースティン家の放蕩息子かよ」
「ご存知の方ですか?」
「家に金の使いこみがバレて出禁になったぼっちゃんだよ。軍にいれて叩き直すっつー話だったんだが」
なるほど、言われてみれば彼の着崩してぐしゃぐしゃの服は軍服に見えなくもない。
外はまだ陽が高い。まともな軍人は仕事をしている時間のはずだ。何がどうなってこんな登場の仕方になったのやら。
「まずは他の姫を避難させるぞ」
「はい」
広間に集まった用心棒たちで、その場にいた姫たちを奥に移動させる。これ以上人質が増えては困るからだ。
同時に何人かが出入口をふさぐ。言動から察するに、彼の目的はミカエラの誘拐らしかった。商売道具をタダで盗まれてはたまらない。
じり、と俺たちは男を取り囲んでにらみ合う。
取り押さえるべきなんだろうが、ミカエラと男の距離が近すぎてうかつに手を出せなかった。
「お前ら、そこをどけ!」
いらいらと男が叫んだ。
ぐい、と乱暴に腕を引っ張られて、ミカエラが小さく悲鳴をあげる。
前に出ようとしたら、先輩用心棒が俺の肩を叩いた。
「わかってんだろうな? 優先順位」
「……かなり乱心してますが」
「腐ってもお貴族様だ。怪我させて責められるのはこっちなんだよ」
「要は無傷でおとなしくさせればいいんでしょう」
「え? おい!」
俺は仮面の下でこっそり眼帯を外してから、男に向かって一歩前に踏み出した。
「お客様、落ち着いてください」
「ああ?」
声をかけると、男は勢いよくこちらを向いた。
奴の濁った瞳と目があう。俺の金の左目を真正面からとらえた男は、びくっと動きを止めた。
よし、かかった。
「他のお客様のご迷惑になります。どうか、落ち着いて」
声をかけながら、瞳に力をこめる。男の顔はみるみる怒りの形相へと変化した。
「うるせ……え! 俺に命令するな!」
「落ち着いてください」
言葉とは裏腹に、金の瞳は男の怒りを増幅させる。彼には、俺が親の仇以上に憎い相手に見えているだろう。
その憎悪は、腕に抱えている女への執着を凌駕する。
「お客様」
ことさらゆっくりとかけられた声が、引き金になった。
「だまれええええっ!」
男は、ミカエラを放り出すと俺に向かって切りかかってきた。
勢いだけの剣をかわし、男の腕をとらえる。軽くひねっただけで、男は簡単に剣を手放した。
「お前っ!」
なおも反撃しようと、殴りかかってきた男の胸倉を掴んでひきよせる。
ごく間近で、俺は男の瞳を覗き込んだ。金の瞳に力をこめる。
「ひっ……」
力にあてられ、男は白目をむいて気絶した。
だらんと腕を投げ出し、全身が脱力する。俺は男が頭をぶつけないよう、胸倉を掴んだまま体を支えた。
「……ふう」
「おおおお、おい、新入り! 大丈夫か! そいつ殺してないだろうな!」
先輩用心棒が慌てて走ってきた。俺は男を抱え直して振り向く。
「気絶しただけですよ。怪我もさせてません」
「はあ~~……よ、よかった……。おい、誰か! 馬車を回せ! こいつが起きる前に家に送り返せ!」
ばたばたと用心棒たちがやってきて、男を回収していく。家に戻された彼が、もう二度とここに来ないことを祈るばかりだ。
彼らの関心が男に向けられているうちに、俺はずらしていた眼帯を元に戻した。一連の動作はすべて仮面をつけたまま行っていた。その奥の左目がどんな色をしているか、なんて誰も気づかなかっただろう。
「状態はどうですか?」
手があいた俺は、まだ床に座り込んだままのミカエラに声をかけた。彼女は大きくため息をついた。
「大丈夫、と言いたいところだけど無理ね。あちこち痛いし、足に力が入らなくて、立てないのよ」
「医務室で治療しましょう」
男に引きずりまわされたせいだろう。よく見れば体のあちこちが赤くなっている。こんな目にあったら、立てなくなるのも無理はない。
俺はミカエラを抱き上げると、肩にかついだ。
「ちょっと、運ぶのはいいけど荷物扱い?」
「両手がふさがると困るので。こちらのほうが、運ばれる方も腰に負担がかかりませんし」
「……情緒のない男ねー」
「用心棒には不要な技能でしょう」
娼館の奥へと移動しようとした時だった。
不意に何かが俺に向かって飛んできた。反射的に手で受け止めて、手のひらをみるとなぜか銀貨が一枚きらりと輝いている。
飛んできたほうを見ると、玄関ホール上のバルコニーに娼館オーナー、マリータが立っていた。
「お駄賃だよ」
それだけ言うと、マリータはバルコニーの奥へとひっこんでいく。
「駄賃……?」
「さっきアイツを取り押さえたご褒美ってことじゃない?」
姫を守るのは用心棒の業務の範囲内と思うが。
「評価されたんだから、素直に受け取っておきなさいよ。マリータってば、上客を第一にって言う割には、私たちに甘いのよね」
「……そうですか」
俺は、銀貨をポケットにしまいこむと、今度こそ医務室へ向かった。
「いいから来るんだ、ミカエラ!」
娼館の玄関ホールに男の声が響き渡った。
先輩用心棒のあとについて中に入ると、ホール中央で男がひとり仁王立ちになっている。
二十代半ばくらいだろうか。身なりはよく服自体は高価そうだったが、上着は乱れ髪はボサボサになっている。
そして、その右手には紫色の光を纏う禍々しいデザインの剣を、左手には女性をひとり抱えていた。
女性は非常に布面積の少ないドレスを着ていた。この娼館で働いている姫のひとり、ミカエラだ。彼女は目の前に剣をつきつけられながらも、気丈に男を睨みつけている。
「ち……オースティン家の放蕩息子かよ」
「ご存知の方ですか?」
「家に金の使いこみがバレて出禁になったぼっちゃんだよ。軍にいれて叩き直すっつー話だったんだが」
なるほど、言われてみれば彼の着崩してぐしゃぐしゃの服は軍服に見えなくもない。
外はまだ陽が高い。まともな軍人は仕事をしている時間のはずだ。何がどうなってこんな登場の仕方になったのやら。
「まずは他の姫を避難させるぞ」
「はい」
広間に集まった用心棒たちで、その場にいた姫たちを奥に移動させる。これ以上人質が増えては困るからだ。
同時に何人かが出入口をふさぐ。言動から察するに、彼の目的はミカエラの誘拐らしかった。商売道具をタダで盗まれてはたまらない。
じり、と俺たちは男を取り囲んでにらみ合う。
取り押さえるべきなんだろうが、ミカエラと男の距離が近すぎてうかつに手を出せなかった。
「お前ら、そこをどけ!」
いらいらと男が叫んだ。
ぐい、と乱暴に腕を引っ張られて、ミカエラが小さく悲鳴をあげる。
前に出ようとしたら、先輩用心棒が俺の肩を叩いた。
「わかってんだろうな? 優先順位」
「……かなり乱心してますが」
「腐ってもお貴族様だ。怪我させて責められるのはこっちなんだよ」
「要は無傷でおとなしくさせればいいんでしょう」
「え? おい!」
俺は仮面の下でこっそり眼帯を外してから、男に向かって一歩前に踏み出した。
「お客様、落ち着いてください」
「ああ?」
声をかけると、男は勢いよくこちらを向いた。
奴の濁った瞳と目があう。俺の金の左目を真正面からとらえた男は、びくっと動きを止めた。
よし、かかった。
「他のお客様のご迷惑になります。どうか、落ち着いて」
声をかけながら、瞳に力をこめる。男の顔はみるみる怒りの形相へと変化した。
「うるせ……え! 俺に命令するな!」
「落ち着いてください」
言葉とは裏腹に、金の瞳は男の怒りを増幅させる。彼には、俺が親の仇以上に憎い相手に見えているだろう。
その憎悪は、腕に抱えている女への執着を凌駕する。
「お客様」
ことさらゆっくりとかけられた声が、引き金になった。
「だまれええええっ!」
男は、ミカエラを放り出すと俺に向かって切りかかってきた。
勢いだけの剣をかわし、男の腕をとらえる。軽くひねっただけで、男は簡単に剣を手放した。
「お前っ!」
なおも反撃しようと、殴りかかってきた男の胸倉を掴んでひきよせる。
ごく間近で、俺は男の瞳を覗き込んだ。金の瞳に力をこめる。
「ひっ……」
力にあてられ、男は白目をむいて気絶した。
だらんと腕を投げ出し、全身が脱力する。俺は男が頭をぶつけないよう、胸倉を掴んだまま体を支えた。
「……ふう」
「おおおお、おい、新入り! 大丈夫か! そいつ殺してないだろうな!」
先輩用心棒が慌てて走ってきた。俺は男を抱え直して振り向く。
「気絶しただけですよ。怪我もさせてません」
「はあ~~……よ、よかった……。おい、誰か! 馬車を回せ! こいつが起きる前に家に送り返せ!」
ばたばたと用心棒たちがやってきて、男を回収していく。家に戻された彼が、もう二度とここに来ないことを祈るばかりだ。
彼らの関心が男に向けられているうちに、俺はずらしていた眼帯を元に戻した。一連の動作はすべて仮面をつけたまま行っていた。その奥の左目がどんな色をしているか、なんて誰も気づかなかっただろう。
「状態はどうですか?」
手があいた俺は、まだ床に座り込んだままのミカエラに声をかけた。彼女は大きくため息をついた。
「大丈夫、と言いたいところだけど無理ね。あちこち痛いし、足に力が入らなくて、立てないのよ」
「医務室で治療しましょう」
男に引きずりまわされたせいだろう。よく見れば体のあちこちが赤くなっている。こんな目にあったら、立てなくなるのも無理はない。
俺はミカエラを抱き上げると、肩にかついだ。
「ちょっと、運ぶのはいいけど荷物扱い?」
「両手がふさがると困るので。こちらのほうが、運ばれる方も腰に負担がかかりませんし」
「……情緒のない男ねー」
「用心棒には不要な技能でしょう」
娼館の奥へと移動しようとした時だった。
不意に何かが俺に向かって飛んできた。反射的に手で受け止めて、手のひらをみるとなぜか銀貨が一枚きらりと輝いている。
飛んできたほうを見ると、玄関ホール上のバルコニーに娼館オーナー、マリータが立っていた。
「お駄賃だよ」
それだけ言うと、マリータはバルコニーの奥へとひっこんでいく。
「駄賃……?」
「さっきアイツを取り押さえたご褒美ってことじゃない?」
姫を守るのは用心棒の業務の範囲内と思うが。
「評価されたんだから、素直に受け取っておきなさいよ。マリータってば、上客を第一にって言う割には、私たちに甘いのよね」
「……そうですか」
俺は、銀貨をポケットにしまいこむと、今度こそ医務室へ向かった。