残酷な描写あり
第二十九話 呪いの根源
「――っ!?」
高々と掲げられた白刃が、サニーの喉元に迫り来る。
黎明の薄明かりの中で、セレンのその動きは酷く緩慢に見えた。
が、実際は目にも留まらぬような速さで振り下ろされた必殺の一撃であり、マウントポジションを取られたサニーではどうあっても躱せない。
(死ぬ――)
恐怖すらも追いつかず、サニーは間もなく自分の身に起こる“死”という現実だけをただ認識し、反射的に目を閉じた。
――ヒヒヒヒーン!!
だが、サニーの耳に届いたのは、己の喉を抉る音ではなく、甲高い馬の嘶きであった。
「ちっ――!」
舌打ちが聴こえたかと思うと、次の瞬間にはサニーの身体に伸し掛かる重みが消えた。
「……? ――っ!?」
目を開けたサニーの視界に、竿立ちになった馬の腹が飛び込んでくる。
「ちょ、きゃ――!?」
上げかけた悲鳴が、大地に打ち付けられた馬の前脚が奏でる音に掻き消された。振動が背中を叩き、土埃が頬を撫でる。
サニーの身体は、跨がれるような形でケルティーの腹下に収まっていた。
「……邪魔をしないで、“ケルぴー”!」
サニーを殺し損なったセレンが、間合いを取りながら鋭い目でケルティーを睨む。
――ブルルッ! ブルッ!
ケルティーも負けじと、鼻息荒く姿勢を屈めてセレンを威嚇した。
「何故、その女を庇うの!? 貴女だって疎んじてたじゃない!」
――庇う? 自分は、ケルティーに庇ってもらったのか?
土埃に噎せながら、サニーは涙目でケルティーを見上げる。
「どうして……!?」
サニーにも信じられなかった。ケルティーには嫌われているものと思っていたから。
(もしかして、『影』となったジュディスさんから私が庇ったから……?)
心当たりがあるとすれば、それだけだ。アングリッドを狙ったジュディスの攻撃に巻き込まれる寸前、サニーが身を挺してそれを防いだこと。
ケルティーも、恩に感じてくれていたのだろうか?
――フンッ!
ケルティーは、断固とした態度でセレンと相対している。本心はどうあれ、サニーを守るつもりでいるのは間違いが無かった。
「……そう、貴女もなのね? 仕方ないわ。争いたくは無かったけれど、楯突くのなら容赦は出来ない」
セレンの声から暖気が消え、目が一層細まる。
本気になった馬を相手にしても、彼女は勝てる気でいるのだ。
そして怖ろしいことに、先程までの彼女の身のこなしを見ていたらそれも十分可能に思えてしまう。何せシェイドすらも圧倒した彼女だ。
そのシェイドは、ようやくよろよろと膝立ちになりながら必死に身を起こそうとしているところだった。
「結局、皆私から離れてゆく……。先代様も、シェイド様も、貴女も――」
セレンの声が増々冷える。地の底から響くようなくぐもった声音に、サニーははっとなってセレンを見た。
「それが私の使命なら、それでも良い……! レインフォール家に尽くす事だけが残された道なら……!」
薄明かりの中にあったセレンの輪郭が、俄に鮮明になる。横顔が光に照らされ、庭の地面に彼女の影が落ちた。
朝日が昇ったのである。
アンダーイーヴズの呪い。太陽に照らされた者はどうなるか。
「誰にも、邪魔はさせない……っ! 私の存在は、この為だけにある――っ!」
大地に浮かび上がるセレンの影が、おもむろにその形を歪め、質量を伴って盛り上がり……
「……!? あれは……!」
サニーは気付いた。セレンの着込むメイド服のポケットから、赤い光が漏れ出しているのを。
「――っ!? だ、ダメっ! まだ、私が『影』になっては……!」
セレンが顔を顰め、赤い光を押し止めるかのように手をポケットに突っ込む。
取り出した彼女の掌に握られていた、赤い光の正体。
どんなに質を高めたルビーであっても、その美しさには敵わないと思わせる程の輝き。
「やっぱり、あなたが……!」
実物を目にしたのは初めてである。
それでもサニーには、その一点の曇りも無い血のような赤さを纏うその宝石が、探し求めていたレッド・ダイヤモンドであると分かった。
「うううっ……! ぐぅぅぅ……っ!!」
赤い光はどんどん強さを増す。太陽の光すら寄せ付けないかのように、セレンの全身を包み込もうとする。
「セレンさん! そのダイヤを捨てて!! さもないと、あなたまで……っ!!」
サニーの必死の説得に、セレンは激しく頭を振る。
「私は……! この、石の……守り、人……! 人の心に眠る……『影』を、呼び覚まし……っ! この街に、裁きを……! それ、が……私の、し……めい……!!」
レッド・ダイヤモンドの光で縁取られたセレンの影が、セレンを呑み込もうとその大口を開けた。
「――ッ! うわあああああああ!!!」
突如、セレンは耐えかねたように走り出した。
サニーもケルティーも無視し、シェイドの脇も駆け抜けて何処かへ行こうとしている。
「セレンッッ!!」
シェイドが振り向き様に悲痛な声で呼び止めるが、セレンは赤い影を背中にまとわりつかせたまま、全く足を止めずにそのまま走り去ってしまう。
「っ! ケルティー!!」
シェイドは弾かれたように立ち上がり、急いでケルティーとサニーの元へ駆け寄った。
ケルティーが『分かっている!』と言わんばかりに首を巡らす。
「サニーさん!」
流れるようにその背に跨り、馬上の人となったシェイドがサニーに手を伸ばす。
「はいっ! セレンさんを追い掛けましょう、シェイドさん!!」
サニーはしっかりとその手を掴み、シェイドに引き上げられる形で彼の後ろにその身を乗せた。
これまでとは逆の配置。今度はシェイドが前である。
「さあ、行きましょう!!」
サニーが自分の腰に両腕を回したのを確認し、シェイドがケルティーを促す。
そして、二人と一頭は駆け出した。
セレンを追い、全ての決着をつける為に――!
高々と掲げられた白刃が、サニーの喉元に迫り来る。
黎明の薄明かりの中で、セレンのその動きは酷く緩慢に見えた。
が、実際は目にも留まらぬような速さで振り下ろされた必殺の一撃であり、マウントポジションを取られたサニーではどうあっても躱せない。
(死ぬ――)
恐怖すらも追いつかず、サニーは間もなく自分の身に起こる“死”という現実だけをただ認識し、反射的に目を閉じた。
――ヒヒヒヒーン!!
だが、サニーの耳に届いたのは、己の喉を抉る音ではなく、甲高い馬の嘶きであった。
「ちっ――!」
舌打ちが聴こえたかと思うと、次の瞬間にはサニーの身体に伸し掛かる重みが消えた。
「……? ――っ!?」
目を開けたサニーの視界に、竿立ちになった馬の腹が飛び込んでくる。
「ちょ、きゃ――!?」
上げかけた悲鳴が、大地に打ち付けられた馬の前脚が奏でる音に掻き消された。振動が背中を叩き、土埃が頬を撫でる。
サニーの身体は、跨がれるような形でケルティーの腹下に収まっていた。
「……邪魔をしないで、“ケルぴー”!」
サニーを殺し損なったセレンが、間合いを取りながら鋭い目でケルティーを睨む。
――ブルルッ! ブルッ!
ケルティーも負けじと、鼻息荒く姿勢を屈めてセレンを威嚇した。
「何故、その女を庇うの!? 貴女だって疎んじてたじゃない!」
――庇う? 自分は、ケルティーに庇ってもらったのか?
土埃に噎せながら、サニーは涙目でケルティーを見上げる。
「どうして……!?」
サニーにも信じられなかった。ケルティーには嫌われているものと思っていたから。
(もしかして、『影』となったジュディスさんから私が庇ったから……?)
心当たりがあるとすれば、それだけだ。アングリッドを狙ったジュディスの攻撃に巻き込まれる寸前、サニーが身を挺してそれを防いだこと。
ケルティーも、恩に感じてくれていたのだろうか?
――フンッ!
ケルティーは、断固とした態度でセレンと相対している。本心はどうあれ、サニーを守るつもりでいるのは間違いが無かった。
「……そう、貴女もなのね? 仕方ないわ。争いたくは無かったけれど、楯突くのなら容赦は出来ない」
セレンの声から暖気が消え、目が一層細まる。
本気になった馬を相手にしても、彼女は勝てる気でいるのだ。
そして怖ろしいことに、先程までの彼女の身のこなしを見ていたらそれも十分可能に思えてしまう。何せシェイドすらも圧倒した彼女だ。
そのシェイドは、ようやくよろよろと膝立ちになりながら必死に身を起こそうとしているところだった。
「結局、皆私から離れてゆく……。先代様も、シェイド様も、貴女も――」
セレンの声が増々冷える。地の底から響くようなくぐもった声音に、サニーははっとなってセレンを見た。
「それが私の使命なら、それでも良い……! レインフォール家に尽くす事だけが残された道なら……!」
薄明かりの中にあったセレンの輪郭が、俄に鮮明になる。横顔が光に照らされ、庭の地面に彼女の影が落ちた。
朝日が昇ったのである。
アンダーイーヴズの呪い。太陽に照らされた者はどうなるか。
「誰にも、邪魔はさせない……っ! 私の存在は、この為だけにある――っ!」
大地に浮かび上がるセレンの影が、おもむろにその形を歪め、質量を伴って盛り上がり……
「……!? あれは……!」
サニーは気付いた。セレンの着込むメイド服のポケットから、赤い光が漏れ出しているのを。
「――っ!? だ、ダメっ! まだ、私が『影』になっては……!」
セレンが顔を顰め、赤い光を押し止めるかのように手をポケットに突っ込む。
取り出した彼女の掌に握られていた、赤い光の正体。
どんなに質を高めたルビーであっても、その美しさには敵わないと思わせる程の輝き。
「やっぱり、あなたが……!」
実物を目にしたのは初めてである。
それでもサニーには、その一点の曇りも無い血のような赤さを纏うその宝石が、探し求めていたレッド・ダイヤモンドであると分かった。
「うううっ……! ぐぅぅぅ……っ!!」
赤い光はどんどん強さを増す。太陽の光すら寄せ付けないかのように、セレンの全身を包み込もうとする。
「セレンさん! そのダイヤを捨てて!! さもないと、あなたまで……っ!!」
サニーの必死の説得に、セレンは激しく頭を振る。
「私は……! この、石の……守り、人……! 人の心に眠る……『影』を、呼び覚まし……っ! この街に、裁きを……! それ、が……私の、し……めい……!!」
レッド・ダイヤモンドの光で縁取られたセレンの影が、セレンを呑み込もうとその大口を開けた。
「――ッ! うわあああああああ!!!」
突如、セレンは耐えかねたように走り出した。
サニーもケルティーも無視し、シェイドの脇も駆け抜けて何処かへ行こうとしている。
「セレンッッ!!」
シェイドが振り向き様に悲痛な声で呼び止めるが、セレンは赤い影を背中にまとわりつかせたまま、全く足を止めずにそのまま走り去ってしまう。
「っ! ケルティー!!」
シェイドは弾かれたように立ち上がり、急いでケルティーとサニーの元へ駆け寄った。
ケルティーが『分かっている!』と言わんばかりに首を巡らす。
「サニーさん!」
流れるようにその背に跨り、馬上の人となったシェイドがサニーに手を伸ばす。
「はいっ! セレンさんを追い掛けましょう、シェイドさん!!」
サニーはしっかりとその手を掴み、シェイドに引き上げられる形で彼の後ろにその身を乗せた。
これまでとは逆の配置。今度はシェイドが前である。
「さあ、行きましょう!!」
サニーが自分の腰に両腕を回したのを確認し、シェイドがケルティーを促す。
そして、二人と一頭は駆け出した。
セレンを追い、全ての決着をつける為に――!