残酷な描写あり
第三十話 追跡と決意
朝日を背に、疾駆する影が二つ。
既に街人達が家篭りを済ませた後の無人の街中を、ひとりの少女と一頭の馬が各々同じ方向に向かって一心不乱に駆け続けている。少女の後を馬が追う形となっており、不思議な事に両者の距離は一定の間隔を保ち、差が縮まる気配も広がる気配も無い。
傍目から見れば、少女と馬の他愛のない追い掛けっこに見えるかも知れない。遊んでいるだけだから、馬はあえてすぐに追いついてしまわないよう手加減をしているのだろう、と。
しかし、実際は違う。
「くっ……! 速い……!」
「ウソでしょ!? セレンさん、どうしてあんなに速く走れるの!?」
全力疾走する馬から振り落とされないよう、シェイドとサニーはケルティーの背に掛けた両脚に力を込めた。
館から逃げたセレンを捕まえるべくケルティーを走らせる二人だったが、早くも大きな誤算が生じていた。
館を出てからというもの、一向にセレンに追いつけないのだ。
セレンの走行は、最早人間に可能なレベルを遥かに振り切っていた。
弾くように地を蹴り、大きく距離を稼ぎなら跳躍を繰り返す様はまるで飛蝗と見紛うばかりの運動能力である。どんなに走り幅跳びが得意な人間でも、彼女のあの動きを真似する事は不可能だろう。
「これも『影』化の……いえ、あのレッド・ダイヤモンドの為せる業なのですか!?」
忌々しげなシェイドの声が、サニーの耳を掠めて背後に流れてゆく。
「セレンさんは、何処に向かっているんでしょう!?」
舌を噛みそうになりながら、サニーはシェイドの背中に問うた。
「分かりません! 分かりようがありません! 彼女について何も知らなかった、私には……!」
「シェイドさん……!」
セレンを見据えるシェイドがどんな顔をしているのか、まるで想像もつかない。シェイドの後頭部を見つけながら、サニーは彼の胸中に渦巻く想いを汲み取る。
(どんなにショックだったんだろう……。ヒーローだと信じていたお父さんが本当の黒幕で、セレンさんがそれに加担していたと知ってしまったのよ。辛くない訳が無いじゃない……!)
サニーは、胸像の中から出てきたフリエの手紙を思い出していた。セレンの話が真実なら、あの手紙は破棄される事なくセレンの部屋にある。
だが今は、それを探している場合じゃない。あの手紙に込められた祖母の想いも、父親の狂気も、シェイドに詳しく伝えている暇は無い。
今は、とにかくセレンだ。何を差し置いても、まず第一に彼女を止めなくてはならない。
さもなくば、自暴自棄に陥った彼女が何をしでかすか分からないのだ。万が一にも、血迷って片っ端から街の住民を殺害して回る……などという事態を生じさせるのは防がねばならない。
「ケルティー! もっとスピードは出せませんか!?」
ケルティーの首を手で撫でながらシェイドが問う。ケルティーは『頑張ってみる!』と言うようにフンス! と鼻息を吐いて応えたが、やはり一向に距離は縮まらない。
無理もない。ケルティーだって疲れている筈だ。本来なら、今頃厩舎で一夜中働き通しだった身体を休めている頃合いなのだ。無論、それはシェイドも分かっている。分かっているが、頼まずにはいられなかった。この状況では、ケルティーだけが頼りだ。
ケルティーの方も、主人の意に逆らう素振りは微塵も見せず、むしろ積極的にセレンを追っているように見える。
考えてみれば、ケルティーにとってもセレンは特別な存在だ。先程はサニーを守るために、そしてシェイドに暴力を振るわれたが為に已む無くセレンに対して敵対行動を取ったが、きっと身を切る想いの決断だったに違いない。
“ケルぴー”と親しげに呼んで餌を与えていたセレンと、嬉しそうに彼女が差し出した飼葉を頬張るケルティーの姿が、サニーの脳裏に蘇った。
「なぜ、こんな……!? たとえセレンが『影』化を起こしかけているとしても、ここまでの身体能力は得られない筈なのに……!」
「それ、なんですけど……っ! シェイドさんっ!」
がくがくと激しく揺られる背中の上で四苦八苦しながらも、サニーは今伝えておかなければならない事を頑張って口にする。
「あたし……見たんですっ! ジュディスさんに、取り込まれた時……っ!」
セレンが大通りに飛び出す。それを追って、ケルティーも大通りに身を躍らせた。街中で最も整備され、平坦にならしただだっ広い街道に出た事で少しだけ揺れが収まる。
その隙に、サニーは一気にまくし立てた。
「あの時、ジュディスさんの記憶が次々にあたしに流れ込んできました! あの人が抱える想いも、あの人の身に起きた出来事も全部! そしてつい先日、赤いダイヤモンドを持った誰かがジュディスさんの所に現れて、あの光を彼女に浴びせたんです!!」
「な、なんですって!?」
シェイドが、顔だけでサニーの方に振り向く。
「それが、セレンだと仰るのですか!?」
「相手の姿も、声もぼやけていましたけど、十中八九そうです! セレンさんが、レッド・ダイヤモンドの力を使ってジュディスさんを『影』化させたんですっ! あの光を直接浴びたから、きっとジュディスさんの『影』は、あんなに……!」
その先を、サニーは呑み込んだ。
あの異様な能力と強さ。サニーが目撃した『影』は、アングリッドとジュディスの二通りしか無いが、それでも両者の違いは嫌という程に分かった。シェイドは尚更だろう。
「では、今のセレンも同様だと……!?」
「レッド・ダイヤモンドは呪いの根源! その力を直接受けたジュディスさんが“あんな風に”なったんです! セレンさんだって……!」
「……っ!」
シェイドは強く唇を噛み締め、再び正面へと顔を戻した。
セレンは未だ止まる気配を見せず、駆け続けている。後ろを振り向きすらしない。
「……どうします? シェイドさん!」
「セレンとて、いつまでも走り続けてはいられない筈! 必ず何処かで休息を取ろうとします! その時が来れば、彼女に追いつけます!」
「それで、追い付いた後は……!?」
「……」
サニーの問いに対し、シェイドは少しだけ間を開けて、
「――レッド・ダイヤモンドを、砕きます!!」
セレンの背中をしっかりと見据え、ブルー・ダイヤモンドのステッキを握りしめながら、そう決然と答えたのだった。
既に街人達が家篭りを済ませた後の無人の街中を、ひとりの少女と一頭の馬が各々同じ方向に向かって一心不乱に駆け続けている。少女の後を馬が追う形となっており、不思議な事に両者の距離は一定の間隔を保ち、差が縮まる気配も広がる気配も無い。
傍目から見れば、少女と馬の他愛のない追い掛けっこに見えるかも知れない。遊んでいるだけだから、馬はあえてすぐに追いついてしまわないよう手加減をしているのだろう、と。
しかし、実際は違う。
「くっ……! 速い……!」
「ウソでしょ!? セレンさん、どうしてあんなに速く走れるの!?」
全力疾走する馬から振り落とされないよう、シェイドとサニーはケルティーの背に掛けた両脚に力を込めた。
館から逃げたセレンを捕まえるべくケルティーを走らせる二人だったが、早くも大きな誤算が生じていた。
館を出てからというもの、一向にセレンに追いつけないのだ。
セレンの走行は、最早人間に可能なレベルを遥かに振り切っていた。
弾くように地を蹴り、大きく距離を稼ぎなら跳躍を繰り返す様はまるで飛蝗と見紛うばかりの運動能力である。どんなに走り幅跳びが得意な人間でも、彼女のあの動きを真似する事は不可能だろう。
「これも『影』化の……いえ、あのレッド・ダイヤモンドの為せる業なのですか!?」
忌々しげなシェイドの声が、サニーの耳を掠めて背後に流れてゆく。
「セレンさんは、何処に向かっているんでしょう!?」
舌を噛みそうになりながら、サニーはシェイドの背中に問うた。
「分かりません! 分かりようがありません! 彼女について何も知らなかった、私には……!」
「シェイドさん……!」
セレンを見据えるシェイドがどんな顔をしているのか、まるで想像もつかない。シェイドの後頭部を見つけながら、サニーは彼の胸中に渦巻く想いを汲み取る。
(どんなにショックだったんだろう……。ヒーローだと信じていたお父さんが本当の黒幕で、セレンさんがそれに加担していたと知ってしまったのよ。辛くない訳が無いじゃない……!)
サニーは、胸像の中から出てきたフリエの手紙を思い出していた。セレンの話が真実なら、あの手紙は破棄される事なくセレンの部屋にある。
だが今は、それを探している場合じゃない。あの手紙に込められた祖母の想いも、父親の狂気も、シェイドに詳しく伝えている暇は無い。
今は、とにかくセレンだ。何を差し置いても、まず第一に彼女を止めなくてはならない。
さもなくば、自暴自棄に陥った彼女が何をしでかすか分からないのだ。万が一にも、血迷って片っ端から街の住民を殺害して回る……などという事態を生じさせるのは防がねばならない。
「ケルティー! もっとスピードは出せませんか!?」
ケルティーの首を手で撫でながらシェイドが問う。ケルティーは『頑張ってみる!』と言うようにフンス! と鼻息を吐いて応えたが、やはり一向に距離は縮まらない。
無理もない。ケルティーだって疲れている筈だ。本来なら、今頃厩舎で一夜中働き通しだった身体を休めている頃合いなのだ。無論、それはシェイドも分かっている。分かっているが、頼まずにはいられなかった。この状況では、ケルティーだけが頼りだ。
ケルティーの方も、主人の意に逆らう素振りは微塵も見せず、むしろ積極的にセレンを追っているように見える。
考えてみれば、ケルティーにとってもセレンは特別な存在だ。先程はサニーを守るために、そしてシェイドに暴力を振るわれたが為に已む無くセレンに対して敵対行動を取ったが、きっと身を切る想いの決断だったに違いない。
“ケルぴー”と親しげに呼んで餌を与えていたセレンと、嬉しそうに彼女が差し出した飼葉を頬張るケルティーの姿が、サニーの脳裏に蘇った。
「なぜ、こんな……!? たとえセレンが『影』化を起こしかけているとしても、ここまでの身体能力は得られない筈なのに……!」
「それ、なんですけど……っ! シェイドさんっ!」
がくがくと激しく揺られる背中の上で四苦八苦しながらも、サニーは今伝えておかなければならない事を頑張って口にする。
「あたし……見たんですっ! ジュディスさんに、取り込まれた時……っ!」
セレンが大通りに飛び出す。それを追って、ケルティーも大通りに身を躍らせた。街中で最も整備され、平坦にならしただだっ広い街道に出た事で少しだけ揺れが収まる。
その隙に、サニーは一気にまくし立てた。
「あの時、ジュディスさんの記憶が次々にあたしに流れ込んできました! あの人が抱える想いも、あの人の身に起きた出来事も全部! そしてつい先日、赤いダイヤモンドを持った誰かがジュディスさんの所に現れて、あの光を彼女に浴びせたんです!!」
「な、なんですって!?」
シェイドが、顔だけでサニーの方に振り向く。
「それが、セレンだと仰るのですか!?」
「相手の姿も、声もぼやけていましたけど、十中八九そうです! セレンさんが、レッド・ダイヤモンドの力を使ってジュディスさんを『影』化させたんですっ! あの光を直接浴びたから、きっとジュディスさんの『影』は、あんなに……!」
その先を、サニーは呑み込んだ。
あの異様な能力と強さ。サニーが目撃した『影』は、アングリッドとジュディスの二通りしか無いが、それでも両者の違いは嫌という程に分かった。シェイドは尚更だろう。
「では、今のセレンも同様だと……!?」
「レッド・ダイヤモンドは呪いの根源! その力を直接受けたジュディスさんが“あんな風に”なったんです! セレンさんだって……!」
「……っ!」
シェイドは強く唇を噛み締め、再び正面へと顔を戻した。
セレンは未だ止まる気配を見せず、駆け続けている。後ろを振り向きすらしない。
「……どうします? シェイドさん!」
「セレンとて、いつまでも走り続けてはいられない筈! 必ず何処かで休息を取ろうとします! その時が来れば、彼女に追いつけます!」
「それで、追い付いた後は……!?」
「……」
サニーの問いに対し、シェイドは少しだけ間を開けて、
「――レッド・ダイヤモンドを、砕きます!!」
セレンの背中をしっかりと見据え、ブルー・ダイヤモンドのステッキを握りしめながら、そう決然と答えたのだった。