残酷な描写あり
第二十八話 残酷な現実
一瞬、場が水を打ったように静かになった。
誰もが呼吸を忘れたかのように動きを止める。ケルティーの嘶きすらも聴こえない。
「――!?」
その奇妙に収まりかえった空気の中で、シェイドは必死に脳内でサニーの言葉を消化しようとしていた。
(な、に……を……? サニーさん、貴女は今……何と仰ったのです……っ!?)
今しがたサニーの口から飛び出してきた言葉が理解出来なかった。……いや、したくなかったのかも知れない。
その告発は、シェイドにとって予想だにしない内容だった。
それまで自分が信じてきたものが、積み重ねてきた時間が、全て否定されたかのような感覚。
「――呪いを、生み出したのは……」
それでも、いつまでも黙ってはいられなくて。
沈黙が、サニーの言葉の全てを肯定してしまいそうで。
激しく心臓が早鐘を打つ音を耳の奥で聴きながら、シェイドは震える唇から消え入るように声を紡いだ。
「私、の……父……?」
「……とうとう、知られてしまいましたね」
幽鬼のように表情を消したセレンが、不気味な程に落ち着いた様子で一際低い声を放つ。
「……否定しないのね」
挑むようなサニーの言葉にも、最早セレンは動じない。
「証拠を見せろ……と粘っても良かったんですが、まあ時間を無駄にするだけでしょうし」
先程までサニーを悪党に仕立て上げようとしていたとは思えないくらいの潔さだった。
セレンの矛盾した振る舞いに、サニーは眉を顰める。
遊ばれている。自分を虚仮にしているとしか思えない。
「あの手紙、今はあなたが持っているの?」
「私の手元にはございません。腹立たしい事に、あの手紙にはフリエ様の魔術による保護が掛けられておりますので。破いたり燃やしたりして棄却するのは勿論、館から持ち出す事すら出来ないという忌々しい代物でした」
「だから、あんな胸像に隠したっていうの?」
「先代様……亡くなられたジャック様が今際の際に申された、最後の御遺命でございました。ご子息様……シェイド様の目に触れないような場所を作って、そこに隠せ――と」
「……今は、何処にあるの?」
「私の部屋に。後で確かめに行かれると宜しいでしょう。もっとも、後があれば、ですが」
言い終えると同時に、セレンが背中に手を伸ばす。
「……っ!?」
ギラリ、という鈍い光が偃月の軌跡を描き、鋭い切っ先がサニーの喉元へと向けられる。
大振りなナイフを逆手に構えたセレンが、今にも飛びかからんとするかのように腰を落とした。
「ま、待って下さい!!」
殺気立つ空気を制するように、シェイドが困惑しきった声を出す。
「説明をして下さい、セレン! 手紙とは何なのですか!? 貴女は、一体何を、何処まで――!?」
「――黙って」
セレンの全身が、陽炎のように揺らぐ。
「――ッ!?」
殆ど反射的にシェイドの身体が動いた。
――ガキンッ!!
と、金属同士が激しく打つかる音が黎明を迎えた館の庭を震わせる。
「くっ……! セレン……!」
「流石でございます、シェイド様」
気付けば、シェイドとセレンの影が、互いの距離の中心で交わっていた。
瞬く間に間合いを詰めたセレンのナイフを、シェイドのステッキが受け止めたのだ。サニーへ振るわれようとしていたその凶刃を、途中でシェイドが止めた形となる。
鍔迫り合いの体勢になりながらも、セレンは余裕のある表情でシェイドに語りかける。
「どうかお下がり下さい。後程、全てご説明致しますゆえ」
「聴ける、筈が……っ! 無い、でしょう……!?」
セレンを押し戻さんと両足に力を込めるシェイド。だが、その顔は苦しげに歪んでいる。
優劣は見るからに明らかだった。シェイドはどちらかといえば痩せ型に相当する男だが、セレンはサニーよりも更に小柄な少女だ。にも関わらず、男女という基本的な力の差があることに加え、年齢も体格も及ばない筈の相手であるシェイドを、セレンは事も無げに圧倒していた。
シェイドの師は、父親とセレン。シェイド本人から聴いたその話を、サニーは思い出した。あれは正真正銘本当の話だったのだと、今なら全身全霊で理解できる。
徐々に朝の日差しが色を増していく中、メイド服姿の少女と燕尾服を着込んだ青年が、戦いという名の舞踊を演じている。
「――強情なところは、お父様譲りですね」
不意に、セレンが僅かに体勢を変える。
「……!?」
セレンの動きの変化を捉えて、シェイドがそれに対応しようとする。
が、セレンの方が速かった。
「ぐっ――!?」
シェイドの右脇腹に疼痛が走る。ナイフを握る方とは違うもう片方のセレンの手が、手刀となって死角から襲来したのだが、意識を乱されたシェイドには彼女の動きがまるで見えていなかった。
怯んだシェイドが思わず半歩退こうとした矢先、更に左の足首を衝撃が襲う。
セレンに足を払われた、と理解すると同時にシェイドの視界がぐるりと回転し、そのまま地面へ叩き付けられる。
「がはっ!?」
したたかに背中を打ち、肺の空気が強制的に口から体外へ排出される。倒れた衝撃で息を詰まらせたシェイドは、苦痛に顔を歪めて身悶えした。
「体勢を崩されないよう、足元には常にご注意を。何度もそうお教えしましたよね?」
這いつくばったシェイドを眉ひとつ動かさずに一瞥すると、セレンはサニーに目を戻した。
「……!? あっ……!?」
逃げる間も無く、サニーは一瞬で間合いを詰めてきたセレンに押し倒され、為すすべ無く仰向けに地面に転がった。
反射的に身を起こそうとすると、強い力が肩に伸し掛かる。
サニーの上でマウントポジションを確保したセレンが、膝でサニーの肩を抑えつけていた。
「もっと苦しめて殺してやりたかった……! 生きたまま徐々に焼かれる最期が、貴女にはお似合いだと思っていたのに……!」
目を据えてサニーを睨み、セレンは高々とナイフを掲げる。
「う、うぅぅ……!」
サニーはどうにか逃れようと藻掻くが、いくら力を込めても自分に跨ったセレンはびくともしない。
「けどもう逃しません。先代様に仇為す貴女は――」
セレンは勝ち誇ったように、口の端を僅かに歪める。
「此処で死になさい」
そして、彼女の手に握られたナイフが、黎明の空気を斬り裂きながらサニーの喉元へ振り下ろされた。
誰もが呼吸を忘れたかのように動きを止める。ケルティーの嘶きすらも聴こえない。
「――!?」
その奇妙に収まりかえった空気の中で、シェイドは必死に脳内でサニーの言葉を消化しようとしていた。
(な、に……を……? サニーさん、貴女は今……何と仰ったのです……っ!?)
今しがたサニーの口から飛び出してきた言葉が理解出来なかった。……いや、したくなかったのかも知れない。
その告発は、シェイドにとって予想だにしない内容だった。
それまで自分が信じてきたものが、積み重ねてきた時間が、全て否定されたかのような感覚。
「――呪いを、生み出したのは……」
それでも、いつまでも黙ってはいられなくて。
沈黙が、サニーの言葉の全てを肯定してしまいそうで。
激しく心臓が早鐘を打つ音を耳の奥で聴きながら、シェイドは震える唇から消え入るように声を紡いだ。
「私、の……父……?」
「……とうとう、知られてしまいましたね」
幽鬼のように表情を消したセレンが、不気味な程に落ち着いた様子で一際低い声を放つ。
「……否定しないのね」
挑むようなサニーの言葉にも、最早セレンは動じない。
「証拠を見せろ……と粘っても良かったんですが、まあ時間を無駄にするだけでしょうし」
先程までサニーを悪党に仕立て上げようとしていたとは思えないくらいの潔さだった。
セレンの矛盾した振る舞いに、サニーは眉を顰める。
遊ばれている。自分を虚仮にしているとしか思えない。
「あの手紙、今はあなたが持っているの?」
「私の手元にはございません。腹立たしい事に、あの手紙にはフリエ様の魔術による保護が掛けられておりますので。破いたり燃やしたりして棄却するのは勿論、館から持ち出す事すら出来ないという忌々しい代物でした」
「だから、あんな胸像に隠したっていうの?」
「先代様……亡くなられたジャック様が今際の際に申された、最後の御遺命でございました。ご子息様……シェイド様の目に触れないような場所を作って、そこに隠せ――と」
「……今は、何処にあるの?」
「私の部屋に。後で確かめに行かれると宜しいでしょう。もっとも、後があれば、ですが」
言い終えると同時に、セレンが背中に手を伸ばす。
「……っ!?」
ギラリ、という鈍い光が偃月の軌跡を描き、鋭い切っ先がサニーの喉元へと向けられる。
大振りなナイフを逆手に構えたセレンが、今にも飛びかからんとするかのように腰を落とした。
「ま、待って下さい!!」
殺気立つ空気を制するように、シェイドが困惑しきった声を出す。
「説明をして下さい、セレン! 手紙とは何なのですか!? 貴女は、一体何を、何処まで――!?」
「――黙って」
セレンの全身が、陽炎のように揺らぐ。
「――ッ!?」
殆ど反射的にシェイドの身体が動いた。
――ガキンッ!!
と、金属同士が激しく打つかる音が黎明を迎えた館の庭を震わせる。
「くっ……! セレン……!」
「流石でございます、シェイド様」
気付けば、シェイドとセレンの影が、互いの距離の中心で交わっていた。
瞬く間に間合いを詰めたセレンのナイフを、シェイドのステッキが受け止めたのだ。サニーへ振るわれようとしていたその凶刃を、途中でシェイドが止めた形となる。
鍔迫り合いの体勢になりながらも、セレンは余裕のある表情でシェイドに語りかける。
「どうかお下がり下さい。後程、全てご説明致しますゆえ」
「聴ける、筈が……っ! 無い、でしょう……!?」
セレンを押し戻さんと両足に力を込めるシェイド。だが、その顔は苦しげに歪んでいる。
優劣は見るからに明らかだった。シェイドはどちらかといえば痩せ型に相当する男だが、セレンはサニーよりも更に小柄な少女だ。にも関わらず、男女という基本的な力の差があることに加え、年齢も体格も及ばない筈の相手であるシェイドを、セレンは事も無げに圧倒していた。
シェイドの師は、父親とセレン。シェイド本人から聴いたその話を、サニーは思い出した。あれは正真正銘本当の話だったのだと、今なら全身全霊で理解できる。
徐々に朝の日差しが色を増していく中、メイド服姿の少女と燕尾服を着込んだ青年が、戦いという名の舞踊を演じている。
「――強情なところは、お父様譲りですね」
不意に、セレンが僅かに体勢を変える。
「……!?」
セレンの動きの変化を捉えて、シェイドがそれに対応しようとする。
が、セレンの方が速かった。
「ぐっ――!?」
シェイドの右脇腹に疼痛が走る。ナイフを握る方とは違うもう片方のセレンの手が、手刀となって死角から襲来したのだが、意識を乱されたシェイドには彼女の動きがまるで見えていなかった。
怯んだシェイドが思わず半歩退こうとした矢先、更に左の足首を衝撃が襲う。
セレンに足を払われた、と理解すると同時にシェイドの視界がぐるりと回転し、そのまま地面へ叩き付けられる。
「がはっ!?」
したたかに背中を打ち、肺の空気が強制的に口から体外へ排出される。倒れた衝撃で息を詰まらせたシェイドは、苦痛に顔を歪めて身悶えした。
「体勢を崩されないよう、足元には常にご注意を。何度もそうお教えしましたよね?」
這いつくばったシェイドを眉ひとつ動かさずに一瞥すると、セレンはサニーに目を戻した。
「……!? あっ……!?」
逃げる間も無く、サニーは一瞬で間合いを詰めてきたセレンに押し倒され、為すすべ無く仰向けに地面に転がった。
反射的に身を起こそうとすると、強い力が肩に伸し掛かる。
サニーの上でマウントポジションを確保したセレンが、膝でサニーの肩を抑えつけていた。
「もっと苦しめて殺してやりたかった……! 生きたまま徐々に焼かれる最期が、貴女にはお似合いだと思っていたのに……!」
目を据えてサニーを睨み、セレンは高々とナイフを掲げる。
「う、うぅぅ……!」
サニーはどうにか逃れようと藻掻くが、いくら力を込めても自分に跨ったセレンはびくともしない。
「けどもう逃しません。先代様に仇為す貴女は――」
セレンは勝ち誇ったように、口の端を僅かに歪める。
「此処で死になさい」
そして、彼女の手に握られたナイフが、黎明の空気を斬り裂きながらサニーの喉元へ振り下ろされた。