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作者: 霜月かつろう
意味のあるバトン その8
「はじめましてっ。望月翔です。よろしくお願いします」

 スケートリンクに脚をひきずりながら辿り着いた先に待っていたのはふくらませた風船のどれとも違う、男の子だった。分度器で測ったかのようにしっかりと三十度の角度で頭を下げている。

 学は比較的身長が高い方だ。大抵の人は見下ろす形になる。だからそれ自体は普段通りなのだが、それにしてもいつもより下を向いている。なんなら美波と喋るときよりも下なのだ。ようするに彼は美波よりも身長が低かった。それに身体も丈夫そうには見えない。学の時代であればガリ勉くんとあだ名を付けていただろう第一印象だ。運動神経はいい方と聞いていたのだけれど、とてもそうは見えない。

「お、おう。よろしく。入り口で挨拶もなんだから奥へ行こうか」

 こんな子がフィギュアスケートをやりたいなんてと、戸惑いも相まってハッキリしない挨拶になってしまった。スケートリンクの受付に挨拶をすると靴を履くために用意されたスペースへと向かう。その間もふたりの様子に興味は尽きない。

「なに緊張してるのよ」

 美波の声に思わず返事をしそうになるけど、学が振り向く前に違う声が聞こえた。

「そりゃ緊張もするよ。美波ちゃんのお父さんなんだから」

 決していちゃついているわけではないのだろうが、その距離の近さが気になってしょうがない。それは仲良しの証拠なのだろうが、親に見せる距離感でもないだろう。
 到底自分の頃には想像できなかった光景だ。学は硬派であるとアピールするように妻との距離は一定に保っていた。それが義父には好印象に見えたそうだし、人前でくっつくものでもないと今もそう思っている。

 しかし、目の前で繰り広げられているのはそれを壊すものだ。目くじらを立てるようなことではない。そう自分に言い聞かせて気分を落ち着かせる。

「それで望月くんはスケートやったことはあるのか?」

 スケート靴をカバンから取り出して望月くんに渡した。スケート靴は予めサイズを聞いておいて用意してある。学と同じ二十七・五センチだったのでそのまま自分の靴を貸してあげることにした。足のサイズが同じなのにこんなに身長が違うなんて想像もしていなかったが。

「あっ。いえ。それがやったことはないんです。母にお願いしても連れて行ってくれなかったもので」
「そうなんだ。小学校のときにスケート教室とかあったでしょ。それも?」
「僕は中学校でここに引っ越してきたから。通ってた小学校にはスケート教室なかったんだ。せっかく引っ越してきてスケートリンクが近くにあるから、興味はあったんだけどね。中々機会にも恵まれなくて」
「ふーん。誘ってくれればよかったのに」

 小声で言葉をつぶやく美波に望月くんは気づいていないみたいだ。スケート靴をしげしげと眺めていて、そっちに気を取られている。

 こちらへと集中を戻す様に軽く咳払いをする。

「それじゃあ、なんでスケートをやりたいって思ったんだ?」
「えっ。あー。それはその」

 急に歯切れが悪くなった。なんだ。やましい気持ちでもあるのか。美波にカッコつけたかっただけか。

「言えばいいじゃん。大丈夫だよ。そういうの理解ある方だし」

 美波は知っているのか促すように腕をつついている。そんな優太みたいなじゃれ方を目の前でしないでほしい。

「えと。漫画が面白くて。それで」

 聞けば話題になっているフィギュアスケート漫画があるそうだ。学は名前は知らなかったが、ストーリーだけ聞いても面白そうだった。

「昔から興味があったので、読んだら我慢できなくなってきてて。それを美波ちゃ、あっ。美波さんに話したら、いい機会があるよって、対抗戦のこと教えてもらったんです。でも、そのときにはもうメンバーは決まってたみたいで諦めて来年を狙ってたんですが」
「俺が怪我をしたと聞いたわけだな」
「そうです。それでいても立ってもいられなくて美波さんにお願いしてもらいました」

 なるほどなと思う。漫画云々の話は否定はしないが、理解はできない話だ。しかし少なくともその熱意は本物なのだろう。いや、熱意だけなら他のメンバーよりもある。真面目そうだしちゃんと練習もしてくれるだろう。

 いよいよ、受け入れなくてはならない時なのか。

「わかったよ。じゃあ、一旦滑ってみてなんとかなりそうだったらお願いしようかな」
「はいっ」

 元気な返事に少し圧倒されてしまう。正直、滑れるまでもなく望月くんにお願いしようと。決めてしまっていた。
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