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作者: 龍崎操真
残酷な描写あり R-15
第35話 決着、そして……。
 二つのエネルギーがぶつかりあった余波で倉庫内の空気に舞い上がった埃や木くずが混じる。両手を縛られて口を塞げないので、澪はむせながら口を開いた。

「けほっ……けほっ……。どうなったの……?」

 煙で視界が利かないので、明嗣と“切り裂きジャック”の一騎打ちの勝敗はどちらに軍配が上がったのか分からない。やがて、もうもうと立ち込めていた煙が落ち着いてくると、人が立つシルエットが浮かんできた。

「そんな……!?」

 そのシルエットをハッキリと捉えた鈴音は、信じられないと言いたげに息を呑む。徐々に晴れる煙の中から姿を現したその人物のシルエットは、ゆったりとしたパーカーではなく、着たきりすずめのボロボロのコートを着ていたのだから。

「嘘……!? 明嗣くんが……負けたの……!?」

 同じように立っている姿を捉えた澪も、それっきり言葉も失ってしまった。立っている者の服がボロボロのコートという事は、“切り裂きジャック”が勝った事を指し示す事に他ならない。ならば、この先に待ち受けるのは……。最悪のイメージが澪と鈴音の頭に浮かぶ。だが、アルバートがフッと息を漏らして小さく笑った。

「よく見てみな。もうすぐ煙が晴れるから」

 やがて、アルバートが言う通りに煙が晴れて、周囲をよく見渡せるようになってきた。同時に、“切り裂きジャック”と思わしきシルエットの首がズレて、その場に転がった。そして、灰となって崩れ落ちそうな身体を押しのける者が一人。

「勝手に殺すんじゃねぇ……。きっちり地獄に落としてやったっつーの……」

 剣を杖代わりについて、明嗣が身体を引きずりながら歩いてくる。よく見ると切り傷を負って血が流れており、羽織っている真っ赤なパーカーやシャツなど衣服が所どころ裂けていた。巨大な風の刃と競り合った際に、正面からぶつかったが故にできた物だった。
 風や気流という物は暖かい場所から寒い場所へ空気が流れる現象を指す言葉だ。つまり、その流れを遮る高温の物体が出現したら、その空気の流れは理屈上は止まるという訳だ。なので、熱エネルギーを爆発させて飛び出した明嗣は“切り裂きジャック”が放った風の刃に対し、クリムゾンタスクのエンジンを吹かして高温の熱を持つ刃をぶつけたのだ。そのおかげでダメージは軽い切り傷と服が破けるだけで済み、その勢いに乗って“切り裂きジャック”の首を刃を入れる事に成功した訳だ。

 にしても、かなり疲れるなこれ……。立ってるのがやっとだぜ、おい……。

 肩で息をしつつ、明嗣はクリムゾンタスクを納めるためにブラッククリムゾンへ歩いてゆく。しかし、体力の限界が近いのか、その足取りはおぼつかずフラフラとした物だ。ガシャ、と音を立てて開いたボディが剣を飲み込むと、ブラッククリムゾンは通常の大型バイクの形態へ戻った。そして、支えを失った明嗣はその場に膝をつく。

「明嗣くん大丈夫!?」

 体勢を崩した明嗣へ澪が駆け寄った。どうやら鈴音の「何か危険な液体薬品が入っているかも」という心配は杞憂だったようだ。明嗣は手を上げて、問題ない、と駆け寄る澪を静した。だが、貧血気味なのか、明嗣の顔色が少し悪くなっているように見える。その上、立ち上がる元気がないのか、座った状態で息を整えていた。

「ちょっとクラっと来ただけだ。それより、早くマスターの手当てしねぇと……」
「そっちはやるからこっちにって鈴音ちゃんが言ったから」

 澪の言葉でアルバートが転がっている方へ目を向けると、鈴音が応急手当てのキットを広げていた。

「どこに隠していたんだよ、そんなモン」
「コツは分ける事だよ。こっち終わったら明嗣の方も手当てしてあげるから、どこ怪我してるかとか確認してて」

 呆れた表情で呼びかける明嗣に対し、鈴音は血が出ている箇所に燃える羽根のような物を当てていた。その鈴音の横では式神の朱雀が羽繕いをしている。どうやら、鈴音が手にしている物は朱雀の羽根で、炎をまとう鳥の式神である朱雀の羽根は焼きごてとしても使えるようだった。鈴音が行っている応急処置は、傷口を焼いて止血するという荒っぽい物だった。
 手当てを受けるアルバートの方は傷口を焼かれる痛みに耐えるように顔をしかめている。傷口から血が止まったのを確認した鈴音はガーゼを当てて、テープを貼って固定した。

「これでよし。あとはお店にある物でなんとかするしかないけど、縫う物とかあるかな……」
「まぁ……最悪の場合、釣り用のやつで代用すりゃいいさ……」
「監察医の友達がいるなら、ちゃんと医療用の縫合糸を譲ってもらいなよ……」
「備品をちょろまかすのは難しいんだと……」

 アルバートの返事を聞いた鈴音は、仕方ない、と苦笑いを浮かべた。そして、比較的にダメージが軽い明嗣の手当てに取り掛かるが……。

「あれ? もう塞がってる……」

 鈴音が傷の具合を確認すると困惑の表情を浮かべた。対して、明嗣はフウ、と息を吐いて身体から力を抜いた。

「クリムゾンタスクを使うと自然治癒能力も上がるみてぇだな……。けど、その代わりに相当体力が消耗するのか……」

 あんまり乱用はできないな、と明嗣は心の中でこぼした。クリムゾンタスクはあくまで奥の手。相当な強さの敵が現れた時に使うのが良いだろう。

「すっご……。これだけ綺麗に塞がってるなら応急処置はいらないね。大丈夫? 動けそう?」
「ああ……。休んだおかげでちょっとだけなら動けそうだ」
「そっ。じゃ、アタシはマスター連れて先に戻ってるから」
「なら、男手があった方が良いだろ。車はたしか……」

 アルバートを運ぶために明嗣が立ち上がろうとすると、鈴音がいきなりその肩を押さえつけた。

「ストーップ! アタシだけで十分だから明嗣はここで大人しくしてて良いよ」
「いや、だってマスターの身体って重い……」
「良いから言う通りにする! わかった!?」
「い、いえーす……」
「まったく……。それじゃあ澪、コイツが無茶しないように付いててあげてね。追いかけてくるのは、なるべくゆ〜っくりで良いからね」

 剣幕に圧倒された明嗣が素直に返事をすると、鈴音はアルバートに肩を貸しながら、澪へ声を掛けてそそくさと去ってしまった。
 そして、“切り裂きジャック”の嵐が過ぎ去った倉庫には、明嗣と澪の二人だけが残された。

「なんだアイツ……」
「きっと明嗣くんの事を気遣ってくれたんだよ」

 こっちは早く休みたいのに、と不満の表情を浮かべる明嗣に対し、鈴音の意図に気づいた澪は明嗣の隣に腰を下ろしながら困ったように笑う。
 鈴音が一人でアルバートを運ぶと言って譲らなかった理由は、言うまでもなくこの状況を作り出すためにあった。お昼は二人でお出かけ、そして今回の騒動。ならば、この後は二人でだけだろう。そう考えた鈴音が、気を利かせて二人きりの時間をセッティングしてくれたという訳だ。
 もちろん、明嗣もその意図には気づいており、呆れたようにため息を吐いた。ついでに物語フィクションじゃあるまいし、そんな事あるわけ無いだろう、と心の中でツッコミを入れる。
 互いに無言のまま、時間だけが流れていく。やがて、無言に耐えきれなくなったのか、澪が口を開いた。

「なんか。今日は大変だったね……。ただ、明嗣くんの一日について回るだけで終わる予定だったのに」
「まぁ、これも俺の日常さ。今回はちとヘビーだったけどな……」

 本当に疲れたと言いたげに大きく息を吐いた明嗣は、真っ直ぐに正面から澪に向き直ると深々と頭を下げた。

「アイツは俺が前にボッコボコにされた奴だったんだ。俺が弱かったからこんな事になっちまった。ごめんな」
「え、いや、そんな事ないよ! それだけ強かったって事でしょ? 明嗣くんは弱くなんか無いよ!」
「いや、そもそもの話、吸血鬼ってのは会ったその時に仕留めてなきゃならねぇんだよ。今回は俺がアイツより弱くて、仕留め損なったから起こった事だ。だから、俺が悪い」

 一般人カタギは絶対に巻き込むな。アルバートの教えが明嗣の頭の中で木霊する。「闇の中の事は闇の中で決着カタを着ける。それが俺たちの暗黙の掟ルールだ。だから、絶対に一般人カタギを巻き込む事は許されねぇぞ」と口を酸っぱくして教えられてきた。その本質がやっと理解できた気がする。
 今回はなんとかなったが、このような事が何回も起きれば、精神的に追い詰められて行くことになるだろう。それが大切な存在であればあるほど、深刻さの度合いは高くなるのも想像に難くない。そんな時こそ求められるのが冷静な判断力、ひいては何事にも動じない鋼の精神力だ。だが、心を持つ者はどうやったって感情に囚われてしまい、自分にとって大切な存在ほど心が揺れ動いてしまう生き物。友人、家族、恋人、このような存在が利用されたら冷静でいられるか、と問われたら、おそらく首を横に振る。明嗣はそれほどにまで自分が熱くなりやすいと認識したし、アルバートも吸血鬼ハンターとして育てると決めた時にその気質を見抜いていたから、口を酸っぱくして言っていたんだなと理解したのだ。
 加えて、澪は純粋だ。悪いことは悪い、と真っ直ぐに言えるし、今言った明嗣の事を気遣う言葉も本心から口にしていると感じる。優しいと言ってくれた事も、友達になろうと手を握ってくれた事も、全て本心から来る物だったのだ。
 だからこそ、明嗣は澪に対して、どうすれば良いという思いでいっぱいだった。これからも似たような事は起こるだろう。澪だってまた巻き込まれるかもしれないし、今度は取り返しのつかない事態になるかもしれない。だから、友達になろうという澪の申し出を受ける事はできない。かといって、断ればたぶん澪が悲しむ事も容易に想像できる。今の明嗣はそれも嫌だと感じた。それほどまでに、明嗣は澪の事を気に入ってしまった。

「ねぇ、明嗣くん」
「なんだよ」

 澪が呼びかけると明嗣がぶっきらぼうに返事する。

「助けてくれてありがとうね」
「別に。俺はボコられた借りを返しただけだ」
「ここは素直にどういたしましてって言うとこだよ」
「……初めて首を吹き飛ばすの見た時ビビり倒してた奴が言うようになったじゃねぇかよ」

 明嗣は憎まれ口を叩きつつ、気恥ずかしいのを隠すように俯いた。一方、澪はそんな明嗣に対し、負ける事なく言葉を返す。

「うん。あの時のあたしは何も知らなかったね。銃で人を撃って平然としている明嗣くんが本当に怖くて仕方なかった。でも、鈴音ちゃんが怖がってるあたしの背中を押して明嗣くんと向き合わせてくれて、明嗣くんがそうするしかない世界があるんだって教えてくれて、アルバートさんがもっと考える事の大切さを教えてくれた。だからね__」

 顔を上げて、澪は明嗣へ呼びかけた。言うとおりに顔を上げると、明嗣の人間の証である黒い瞳と吸血鬼の証である紅の瞳を宿した両目に映っていたのは、本当にありがとう、と感謝するように微笑む澪の顔だった。

「ありがとう。あたし、見る景色が変わったよ。明嗣くんが変えてくれたの。明嗣くんと会ってなかったら、目の前しか見えなくてずっと狭い世界で生きてたと思うんだ」
「俺は何もしてねぇよ。いつも自分の事に手一杯で、誰かに何かやってやれる余裕なんてまったくない」
「そんな事ないよ。だって、明嗣くんはあたしの事を助けに来てくれたでしょ?」

 ああ……マジで参った……。

 明嗣は本当に困ったように澪から顔を背けた。おそらく、澪はどれだけ明嗣が否定したとしても、あなたは助けを求める人に手を差し伸べる事ができる優しい人だ、と言って譲らないだろう。カメラマンの父親に影響されて自分もカメラを手にすると共に、その両目ファインダーに映してきた物はさぞかし綺麗な物ばかりだっただろう。そんな彼女の綺麗さ加減が、どれだけ自分が汚れているかを突きつけているようで、明嗣は嫌気が差しそうだった。なぜなら、明嗣は知っている。血と硝煙が香るこの暗い世界で生きる者なんかが優しい奴の訳がない事を。

「あのさ、彩城」

 明嗣が不意に口を開いた。
 
「どうしたの?」
「初めて会った時、女の写真について何か知らないかって聞いたよな。白い何かを抱えたあれ。んで、俺の盗撮写真でも同じような事が起きていて、何だよこれって詰め寄った時もあったよな」
「それ、今言う? ちょっと気にしているのに……」

 笑っていた澪の表情ががらりと申し訳ないと言った表情に変わる。どうやら、本人の中では黒歴史にしたいようだ。落ち込む澪に対し、明嗣は苦笑交じりに続ける。

「あの時の答え、教えてやるよ。あれな、女の人は俺の母親で白いのは赤ん坊だった頃の俺だ」
「そうなの!? あ、でも考えてみればそうだよね。あんな珍しい現象なんて、無関係な方がおかしいもん。でも、明嗣くんのお母さんだったなんてね……」
「あの時は吸血鬼がどうとか言っても信じるわけないし、知らないって言うしかなかったんだよ」
「うん。確かににそうかも。普通は信じないよ。え、それじゃあ、写っているのは2人だけなのになんで右に寄せた配置になってたの? だって、被写体は赤ちゃんだった明嗣くんと明嗣くんのお母さんと……」

 そこまで言いかけた所で澪はハッとある事に気付いた。そう。よっぽどの理由がない限り、母とその息子だけの家族写真なんて不自然極まりない物だ。その上、2人だけ写すつもりなら、明嗣とその母親の位置は中央に寄せるのが当然だろう。だが、実際の写真は右に寄り気味の配置で撮影されている。これが指し示す事実は……。

……? 明嗣くんのお父さんがそこに……?」

 澪は信じられないと言った面持ちだ。何も知らなければ、バカバカしいと切り捨てて終わりのチープな答え。だが、目の前にいるこの少年は普通の人間とは違う事を、今の澪は知っている。そして、澪の考えを肯定するように明嗣は頷いてみせた。

「ああ。吸血鬼は写真に写らない。で、そのハーフの俺は、気を抜いた状態だとどっちつかずで白いぼやけた感じに写る。だから、あんな写真になっちまったんだろうな……」
「そういう事だったんだ……」

 澪は探していた答えを見つける事ができて、スッキリとした表情となった。澪がこうして現地に訪れる程に惹かれたあの女性の笑顔は、家族と一緒にいる幸せを噛み締めている物だったのだ。
 最初から答えは近くに転がっていた事に対して、澪は正直拍子抜けしたような気分だが、まぁ良しとした。蓋を開けてみると中身が大した事ない、なんてよくある話なのだから。
 ずっと疑問に思っていた事に対して、答えを得られた事に満足した澪だったが、ここでささやかな疑問が一つ浮かんできた。それは……。

「ねぇ、明嗣くん」
「なんだよ」
「どうして今、あの写真の事を話してくれたの?」

 もっと落ち着いた時にゆっくりと教える事だってできたはずだ。にも関わらず、どうして戦いを終えて疲労困憊な今なのか? 当然の疑問に対して、明嗣は少し黙り込んでしまった。そして、逡巡するように視線を泳がせると、覚悟を決めて澪の質問に答えた。

「それは……ここでお別れだからさ」
「え……?」

 急に何を言い出すんだ、と澪は困惑の表情を浮かべた。一方、明嗣は困惑する澪に構う事なく、言葉を続ける。

「俺は一つだけ吸血鬼と同じ魔法が使えるんだ。だから、それで俺と会ってから今までの事を全部忘れてもらう」
「何……何言ってるの、明嗣くん……!? どうしてそんな事言うの……!?」

 やっと欲しかった物を手に入れたのに。せっかくここまで近づけたと思っていたのにどうして。なぜ、それを台無しにするような事を言い出すのか。
 やめてと懇願するように、澪は悲しげな表情を明嗣へ向けた。その表情に罪悪感を覚えながら、明嗣は自分の意思を貫くように澪の目を見据えて表情を引き締める。

「初めて会った日の夜から彩城は悪い夢を見ていたんだ。だから、俺がそれを終わらせてやるよ」
「嫌だよ! せっかく心を開いてくれたのにどうしてそんな事するの!?」
「悪ぃな。俺とつるんでいたら、似たような事がこれからもある。今回はなんとかなったけど、次も同じようになんとかできるとは限らねぇ。巻き込んで命を落とした、なんていくら詫び入れても足りないなんて事だってあるかもしれない」

 だからお別れする。これが明嗣の覚悟だった。

「じゃあな、彩城。友達になろうって言ってくれて嬉しかった」
「ダメだよ!お願いだから考え直して!」

 澪の懇願に構う事無く、明嗣に宿る吸血鬼の左眼が紅色に光る。そして、明嗣はお別れの引き金を引く言葉を口にした。

「彩城、吸血鬼に関する事全てを……」
「待っ___」
「“忘れろ”」

 瞬間、澪は一瞬にして気を失い、その場に倒れ込んでしまった。
 その数十分後、匿名の通報を受けてやって来た警察官が倒れて気を失っている澪を発見した。保護されて警察署の医務室で目が覚めた澪は、どうして自分があの場に倒れていたのか覚えておらず、調書を取られて家に帰された。



 “切り裂きジャック”との戦いから三日後。
 体調不良につき休み、と書いた黒板を店先に出して休業中のHunter's rustplaatsは、気まずい雰囲気に包まれていた。原因は、負傷により動けないアルバートに代わって電話番をしている明嗣と鈴音の二人にあった。

「……」

 スマートフォンでネットサーフィンをする明嗣に対してじーっ、と無言の抗議をするような鈴音の視線が刺さる。明嗣が溜め息を吐いて、視線を感じないように姿勢を変えると、鈴音もまた移動してじーっ、と睨むような視線を送りつける。実に陰険な嫌がらせだった。やがて、耐えかねた明嗣が鈴音へ呼びかける。

「なんだよ。言いたい事あんならさっさと言え」
「なんで澪の記憶を消したの」
「その事か」

 大した事じゃないな、と言わんばかりの明嗣の軽い返事に、鈴音はついに怒り出してしまった。
 
「その事か、じゃないでしょ! 学校行ったら、一昨日の事なんてなかったみたいにケロッとした顔で学校生活送ってる澪を見たアタシの気持ち、考えた事ある!?」
「はいはい、そりゃ悪うござんした」
「心がこもってない! だいたい、記憶消すの嫌だしやらないって言ってたじゃん! なんで澪の記憶を消したのか納得する説明をしてもらわないと許さないよ!?」

 せっかく良い雰囲気ムードをお膳立てしてやったのにそれを台無しにしたな貴様、という鈴音の恨めしげな思いをヒシヒシと感じつつ、明嗣は語り始めた。

「まぁ、彩城のあれはストックホルム症候群とか、ああいうのと同じ気の迷いだ。そんなんで俺らとつるんでいたら、いつか後悔する時が必ず来る。その時に恨まれちゃたまったもんじゃねぇよ」
「でも___」
「それにこの世界を見るには優しすぎる。その優しさを利用しようとする奴だって出てくるだろうよ。依頼してくる奴が良い奴だとは限らないからな」
「それはそうだけど……」
「だからここで縁を切ってやるのが一番良いんだよ。抜け出せないレベルまでどっぷり浸かっちまう前に」
「うぅ……」

 本当にそれで良いのか、と思うと同時に反論する言葉を持たない鈴音は、明嗣の言い分に唸り声を上げる事しかできない。

「分かったらこの話はもうこれで終わりだ。もう二度と鬱陶しい睨みやってくんなよ」

 話を切り上げた明嗣は再びスマートフォンへ視線を落とした。しかし、それが最善だと信じているはずの少年の表情には、少し寂しさが滲んでいた。
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