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作者: 龍崎操真
残酷な描写あり R-15
第19話 とある男の昔話
 地下工房にやってきた鈴音は黒のブレザーに白のブラウス、黒のプリーツスカートと学校指定の制服姿だった。おそらく放課後になってから、ここへ直行して来たのだろう。
 整備のスペースにやってくるなり、鈴音は備え付けの冷蔵庫の扉を開いて冷やしてある飲み物を物色し始めた。

「今日はちょっと暑いね〜。アタシ、喉渇いちゃった」
「お前、入ってくるなりさっそくか」
「だってマスターは好きに飲んで良いって言ってたし。明嗣も何か飲む?」

 俺は鈴音の血が良いな〜。
 黙ってろ。

 頭の中で囁く内なる吸血鬼の声に明嗣は抵抗する。しかし、内なる吸血鬼による誘惑はさらに続いた。

 ほら、よく見てみろ。あの真っ白なブラウス。あれの首筋の辺りが血で真っ赤に染まる所を想像してみな?
 うるせぇ……!
 ついでに血を吸われて気持ち良くなってる鈴音の姿を思い浮かべてみろよ。興奮してこねぇか?

「しねぇよ!」
「わっ! いきなり叫んでどうしたの!?」

 頭の中に留めるつもりが、思わず口をついて出てきてしまった。驚いた鈴音は困惑の表情で明嗣を見つめている。

「あ……いや、その……なんでもねぇよ」
「なら良いけど……。あ、もしかして一日中ここに引きこもっているからストレスたまってた?」

 この野郎……人の気も知らないで……!

 今、明嗣がどういう状態か知らないので仕方のない事だが、それでも冗談めかして笑っている鈴音の姿に少し苛立ちを覚えてしまう。だが、同時に明嗣は鈴音の言った事から、とりあえず内なる吸血鬼の誘惑から脱する道を思いついた。

「まぁ、そうかもな……。外の空気でも吸ってくるか……」
「え? 外出て大丈夫? 警察に捕まったりしない?」
「まだ手配されてねぇっての。それに店の中うえの方に行くだけだから心配いらねぇよ」

 惜っしい……あともうちょいだったのに……。

 もはや相手にするのも面倒になってきたので、明嗣は内なる吸血鬼の声を無視し、地上の店内を目指して階段を昇り始めた。



 階段を昇り終えると窓の外は夕焼けの橙色と夜空の藍色がコントラストを描いていた。店内ではアルバートが忙しなく動き回り、明日の仕込みを行っている。

「忙しそうだな。何か手伝おうか?」

 明嗣が声をかけるとアルバートは手を止めて、振り返った。

「明嗣、お前がなんで上がって来てるんだよ。整備はどうした」
「うるせぇのが来たから、ちょっと休憩しに来た」

 本当は逃げて来たんだろ?

 茶々を入れてくる内なる吸血鬼に、明嗣は苛立たしげに奥歯を噛んだ。すると、アルバートは何かに気付いたように明嗣へ近付いてくる。

「お前、なんかあったか?」
「はぁ? なんだよいきなり」
「これでも一応十年はお前の面倒見てるつもりだ。何か悩んでる事があるくれぇは分かる。言ってみろ」
「いや、別に何もねぇよ」
「言わねぇなら、今夜はメシ抜きな」
「うわっ、汚ぇ!」
「って言う事は、あるんだな?」
「あ」

 どうやらアルバートのカマかけに引っかかったようだ。タダ飯を取り上げる事をチラつかせれば、すぐに自白ゲロすると読んだ明嗣の性格を熟知しているからこそできた事だ。
 うまい具合に乗せられていた事を理解した明嗣は悔しがるようにアルバートへ呆れた視線を送る。

「やっぱ汚ぇ……」
「お前は食い物に弱いからな。胃袋さえ掴んじまえばこっちのモンさ。ほれ、話聞いてやるから言ってみろ」

 いつの間にかコーヒーマシンでエスプレッソまで作っていたアルバートは、ソーサーに乗せたコーヒーカップへエスプレッソを注いでいた。仕込みを終えた後、一息つく時に飲むつもりだったのだろうか。二人分のカップに注ぎ終えたアルバートは一つをカウンターのテーブルに置く。これは逃してくれないと感じた明嗣は、諦めてコーヒーが置かれた席へ腰を下ろし、一口すすった。淹れたての熱さとエスプレッソの濃い風味を楽しんだ明嗣は、ゆっくりと息をいて、単刀直入に切り込んだ。

「マスターさ、吸血鬼になりてぇって思ったことあるか?」
「なんだいきなり」
「純粋な興味だよ。吸血鬼ハンターおれらってぶっちゃけ日陰者だろ? 電話をかけてくる奴だってお世辞にも良いやつとは言えないのだっている。だからそういうの見捨てて、逆に追い回してやる方になりてぇって思った事はあるのかな……って」
「なるほどな。なら、答える前に逆に聞く。お前はあるのか?」
「俺は……どうだろうな。嫌気が差すことは何回もあるかな……。つか、その事であのバイクの中で会った吸血鬼の俺に詰められてんだ」
「それを今、俺に言うか。筒抜けだろ、そういうの」
「別に構いやしねぇよ。さっきからうるさくて頭を抱えているのが悩みだからな。こう言っちゃなんだけど、マスターにはどうする事もできねぇよ」
「そ、そうか……。話を戻すが昨日のあの子の事でも同じ気分になったか?」

 あの子、とは澪のことだろう。明嗣は即座に首を横に振って否定する。
 
「いや、昨日のは関係ねぇよ。これは俺の根っこの問題……かな。俺、半吸血鬼こんなんだしな」

 明嗣は自分の左のまなこを指差し、少し乾いた笑みを浮かべてみせる。すると、アルバートはカップを置いて神妙な面持ちとなり、口を開いた。

「俺は吸血鬼になろうとは思った事はねぇな。理由は……そうだな……。一つ、今にぴったりな昔話を聞かせてやるよ。耳かっぽじってよく聞きな」

 意味ありげな笑みをアルバートはある男の昔話を語り始めた。


 
 その男は一国を治める立場にある領主だった。少しでも自分の領地で暮らす者が豊かに生活できるよう、時には領地を広げるために他国へ攻め入る事も決断する男だった。しかし、力による領土の拡大は反発を招き、内乱が起きる事もあった。その度に内乱を計画した主犯格を串刺しにして、反乱への抑止としてしていたらしい。それが反乱分子を抑え込む一番手っ取り早い方法だったからだ。こうして国を治めていた領主だったが、やがて人類の宿命というべき問題に直面してしまった。老いである。
 始まりあれば終わりがあるように、その男の命にも例外なく、老化による終わりの時が刻一刻と迫っていたのだ。別に、死ぬこと自体には何の文句もない。だが、この男が治める領地は戦火によって広がり、異を唱える者は恐怖をもって黙らせてきた場所だ。自分がいなくなった途端、即座に反乱が起き、辺り一面に火の海が広がる事は明らかだった。
 もちろん、それは領主として絶対に避けなければならない。だが、どうやって? 反乱によって国が滅ぶ事を避けるため、必死に方法を考えた。しかし、育てた息子には反乱分子へ恐怖を与えて牽制するような胆力はないし、配下の者達も自分が没した瞬間に血族を血祭りに上げるだろう。自分でその道を選んだとは言え、八方塞がりであった。果てには黒魔術の方面にも手を出し始めるほどに、男は追い詰められていった。
 ある日、男は悪魔を召喚する儀式を行った。魔導書グリモワールに記された手順に従い、男は独りで儀式を進めていき、やがて悪魔は男の前に下り立った。

「老いぼれよ。死にゆく老いぼれよ。貴様がそうまでして叶えたい願いはなんだ?」
「私の願いは……不老不死の身体だ! これからも私が国を治めて領地の者たちを豊かにするしかない……。そのために、老いる事がなく、死なない身体が欲しいのだ!」

 これが男の出した結論だった。自分がいなくなって滅ぶのなら、これからも自分が治めていくしかない。だから、魔の存在である悪魔に不老不死を願う事にした。
 願いを聞き届けた悪魔は頷き、願い通りに不老不死の身体を男へ与え、元いた場所へ戻っていった。
 その日から男に変化が現れた。いくら水を飲んでも、いくら食事で腹を満たしても、渇いて飢えているような感覚が付きまとうようになったのだ。やがてある夜、その渇きを潤し、飢えを満たす方法を知った。食事を終えた片付けの際、不注意で侍従の女が皿を割り、破片で指を切ってしまった時の事だ。そこから流れ出した血が、いやに魅力的な物に見え、思わず口に咥えて舐めてしまったのだ。思わず、男はその美味しさに目を見開いた。どうして今まで見向きもしなかった、と思うほどに、その血の味が美味に感じたのだ。そして、気づいた時には飢えと渇きも消え失せていた。その時に男はこれが満たされる方法なのだ、と識った。
 男は悩んだ。これではまるで、私は化け物のようではないか。しかし、あの味がもう一度欲しい。どうしたら良いのか。悩んでいく内に男は思いつく。そうだ。串刺しにして処刑した反乱者の血を飲めば良いのだ、と。
 それから、男は領地の警戒網を広げた。少しでも逆らおうとする者は、即刻串刺しで処刑し、その血を杯へ注がせた。だが、いくら杯に注がれた血を飲んだとしても初めて舐めたあの血が忘れられず、男の欲求不満は募っていく。
 やがて、男は狂気の道を往く一歩目を踏み出す。初めて舐めた血の女を自室へ呼び出した男は、彼女に指を切って差し出すように命令した。すると、不思議なことに侍従の女はためらう事なく指示通りに指を切り、血の流れ出る指先を差し出した。その血の美しさは男に劣情を抱かせるほどに、甘美で魅惑的な物に映る。もう男にはその血の事しか頭になかった。誘われるように指を咥えた男は、舌先で流れ出る血をすくい上げた。すると、ピクリと侍従の女は身体を震わせた。驚いて男が侍従の女の顔を見やると、なんと彼女は頬を紅潮させていた。もう一度流れる血を舌先ですくうと、少しこらえるような吐息を漏らし、さらに求めるような表情を浮かべていた。もう自分ではどうする事もできない。理性をドロドロに溶かされ、己に眠る獣に身を任せた男は、本能が囁くままに彼女を抱き寄せた。そして、はだけさせた服が汚れる事も構わずに彼女の首筋へ噛みつく。
 思いっきり噛むと面白いように赤い蜜が溢れてくる。舌先ですくうと嬉しそうな吐息と共に、彼女も悶え狂った。そうして血を吸っていき、我に返った時にはすでに彼女は恍惚の表情を浮かべて絶命していた。さすがにまずいと思った男は急いで兵の者を呼び出した後、死体の始末をさせた。当然の事として、この事は口外しないようにきつく命じた。
 この夜をさかいに男は飢えた野犬のように血を求めるようになった。
 領地を広げるためのいくさは苛烈を極め、夜伽と称して夜な夜な制圧した領地した土地の娘を自室へ呼び、その生き血をすする。領地を広げるのが難しくなってくると自らが領地を巡り、町の娘へ声をかけて生き血をすするようになった。
 もうこの娘で最後にしよう、血をすする度に心に固く誓うが、気付いた時には恍惚の表情を浮かべた娘の死体が転がっている。男は血を求めずにはいられない鬼となっていたのだ。やがて、兵が男の元へやってきた。領主が娘をかどわかして生き血を吸っていると噂になっていたので、噂を聞きつけた息子が兵を差し向けたのだ。度重なる恐怖政治で領民も限界を迎えていた。そこへ突如耳に入ってきた父の良くない噂。息子は悪逆非道の悪魔を倒し、民を救った英雄として祭り上げられるためにこの噂を利用する事にしたのだ。そうしなければ、父への不満の矛先がこちらへ向くから。自身とその家族の安全を確保するには、もう父を討つ以外にすべは残されていなかったのだ。
 事を理解した瞬間、男のが外れた。自らの手に縄をかけようとする兵士の首を力いっぱいに拳で殴りつけた。すると、鎧で固めた兵士の首が
 兵士達、そして守ろうとしてきた息子の表情が恐怖の色に染まる。そうして、男は自らの拳で残りの兵士と兵をよこした息子を鏖殺し、城の中へを開始した。こうして、城の中は一晩の内に血の海となった。男はぐちゃぐちゃの肉塊となり、女は恍惚の表情で横たわる。自ら作り上げた凄惨な光景の中で独り、男は笑う。そして、城内で行った事を領地の中でも行い、男の国は一週間で滅んだ。



 あらかた話終えたアルバートは少しぬるくなったエスプレッソをすすった。一方、明嗣は複雑な表情でアルバートを見つめている。

「なぁ、マスター……今のってまさか……」
「あぁ、これは俺がガキの時分だった頃にお前の親父、アーカードが聞かせてくれた話だ。吸血鬼になるってのはそういう事なんだよ」

 おずおずと思い浮かんだ事を口に出した明嗣へアルバートはつまらなそうに頷いた。
 悪魔に魂を売ってまで民のために身を粉にした結果、自らの手で築き上げた物を壊す事になるとは皮肉な話である。そして、吸血鬼になるという事は、その結末へ向けて歩む事なのだ。

「別にお前がどっちに行くかは勝手だ。だがな、吸血鬼の道にはこういう結末が待っているってのは肝に銘じておけよ」
「あ、あぁ……分かった……」

 頷いてから明嗣も少しぬるくなったエスプレッソを一気に飲み干した。後味が悪い話を聞いた後のせいか、一層苦味が強く感じる。空になったカップを見つめていると明嗣はふと変化を感じた。

 あれ? そういやアイツ、話している間は妙に静かだったな……。

 内なる吸血鬼の声が収まった事を不思議に思った明嗣は首を傾げた。理由を考えているとドアベルの音が店内の音に響いた。
 音がした入口の方へ視線を向けると、そこには紺のベストとブルーのワイシャツ、そして頭には桜の紋が入った帽子を乗せた男性二人組が立っていた。

「すみません。私達、交魔市警察署の者なんですが」
「あ、あぁ……お巡りさん。どうしたんだい」

 警察手帳を見せて身分を見せた二人へ、アルバートは少しぎこちないながらも気さくな調子で用件を尋ねた。まさか明嗣の件で、と一瞬考えたが、それなら昼の内に刑事が来ているはずだ、と思い直す。しかし、この店の地下には大量の銃火器が保管されているので、少し背中に冷や汗が滲んでしまう。明嗣も、このタイミングで立ち去るのは不信感を与えてしまうのでは、と考えてこの場にいる事を選んだ。

「ただの見回りです。不審者が来店したとか、そういう話はありますか?」
「いやぁ、特にないね。むしろウチは不審者でも来て欲しいくらいだな。もう夕飯時だしお巡りさん達、ウチでメシはどうだい。一応、酒だってある」

 冗談めかしてアルバートが食事を勧めると警官達は苦笑いを浮かべて答えた。
 
「いえ、勤務中ですので……。ただ、ここら辺でも出たらしいのでお気をつけください」
「出たって……何が」

 アルバートがおそるおそる尋ねると警官達は表情を引き締めて質問に答えた。
 
「“切り裂きジャック”ですよ。もしかすると助けを求めて駆け込んでくる人がいるかもしれないので、念の為」
「あ、あぁ……そうなのか……。分かった。気をつけるよ」
「今日はそんな所です。では、失礼します」

 軽く会釈をして警官達は店を去っていった。気配がなくなったのを確認すると明嗣とアルバートはドっと疲れたように脱力した。

「焦った……。やっぱ心臓に悪いぜ、あの制服」
「同感だ。だが、明嗣の件はまだ警察の耳に入ってないのか……」
「みてぇだけど、早めになんとかしねぇとな……」

 その後、アルバートが地下でくつろいでいた鈴音を呼び寄せた後、事情を説明して式神の朱雀を飛ばすように指示した。こうして警戒しておけば、とりあえず安心だろう。
 しかし、“切り裂きジャック”も警察で対処できるはずがなく、いつかこちらがなんとかしなければならない問題だ。
 とりあえず、今夜は電話がならなかったので解散になった。そして、週末に入り、土曜日を終えた日曜日の夜に事件は起きた。
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