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作者: 草上アケミ
残酷な描写あり R-15
天使が死んで、生まれた日(5)
「だめ、死んじゃだめ!」

 ドロリスはリーフにすがりついて泣き続けていた。

「ああ、分かった。シルヴィアなのね」

 二人の似た髪色を持つ者を見比べるうちに、年老いた女の虚ろな目に狂気の光が差し込んでいた。
 教皇は泣き叫ぶドロリスの肩にそっと手を置いた。

「嫌っ!」

 ドロリスは女の手を跳ね除けた。教皇がリーフの敵であることには気付いているようだ。

「あら、シルヴィアはこんなにお転婆だったかしら、ロギエ?」

 いつの間にか、教皇の背後には騎士が一人立っていた。ロギエと呼ばれた彼は抵抗させる暇すら与えずドロリスを拘束した。

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 助けてリーフッ!」

 ドロリスは暴れたが、か細い腕で足掻いてみせても騎士の拘束は微塵も揺るがなかった。

「ええそうね、これはリーフ、ただの卑しい殺し屋だわ」

 教皇は立ち上がり、血の池に沈むリーフを見下した。

「そして、あなたはシルヴィア、私の愛しい娘よ」

 教皇は嫌がるドロリスの頭を優しく撫でた。目には狂気と共に優しさがあった。

「違うっ、私はドロリス! 助けてリーフ!」
「いいえ、あなたはシルヴィアよ。ああ、シルヴィア、あなたはもう一度私にやり直させてくれるのね」

 教皇は喚き続けるドロリスの頭を力尽くで押さえつけ、祈るように目を閉じた。

「ロエール様、これも御身の導きなのですね」
「教皇聖下、この者はいかが致しましょう」

 騎士はリーフの処遇を教皇に問いかけた。
 答えなど、既に決まっているも同然だった。

「これは、ただの異端者、ただの殺し屋よ」

 教皇がリーフを見る目は、先程と打って変わって冷たいものだった。

 悲しみのあまり狂気に堕ちた彼女を諌める者は誰もいない。

「放っておきなさい。このまま捨て置けば、いずれ魔剣に食われて死ぬでしょう」
(やっぱり、そうなのか……)

 リーフの指先は氷のように冷たく、蝋のように白くなっていた。最早、剣を握れる程の力も感覚も残っていない。

(最初から愛など無かったんだ。それなら、は……)

 冷たい指先に、血以外の何かが回った。

 見えない何かが、ひび割れて砕け散った音がした。


◆ ◆ ◇


「ああああクッソうぜええええっ!」

 黒い影がひび割れた石畳の間から染み出す暗い灰色のもやを薙ぎ払った。

 其処は、赤黒い色が天上を覆う廃墟だった。壊れた絞首刑台に見渡す限りの死体の山――ギルが決して忘れてはならないと誓った惨劇の舞台を模した、彼だけの居場所だ。
 最近は、リーフを招き入れた時のために綺麗な椅子と机も用意している。

 本来ならば、ギルが自ら招いた者しかのぞくことができない場所だが、其処に無粋な侵入者が押し寄せていた。
 ギルの居場所に無理やり入り込めるのは、ギルと同じ魔剣の魂のみ。神殺しになった過程で砕けた魔剣の魂が、無数の虫のようにギルにたかっていた。

 今はまだ小手調べとしてもやのようなものしか届いていないが、ギルが力尽きる頃合いを狙って数を増やしてくるだろう。

「ちょこちょこ手ぇ伸ばさずに男らしくバシッと来いやぁっ! どうせ魔剣なんざ男ばっかりなんだろ、知ってんだかんな!」

 影は牙を剥き出して吼えた。不揃いな両腕は刃のように鋭く、振るう度にもやは千切れとんで消えた。

 向こうの真の狙いは、ギルが守るリーフの魂である。

 憑依霊デモニアのギルが立ち塞がる限り、他の魔剣は直接リーフの魂に触れて食らうことはできない。
 故に、ギルの攻撃をくぐり抜けてその奥に守られた魂を掠め取るか、ギルごと魂を食らうかの二択を迫られる。

 敵は前者を選択した。例え限界まで疲労していても、ギルが食らわれるような存在ではないことを本能で悟っていたからだ。
 そこで、ギルがリーフの魂を守り続ける限り攻勢に打って出られないのをいいことに、じわじわと攻めてギルの疲労を蓄積させていた。

 ぜえぜえと息を切らせながらも、影はもやを全て追い払っていた。しかし、限界は意外にも早く訪れた。リーフの生命力が急激に弱り始めたのだ。
 ギルの力の供給源であるリーフが先にくたばってしまっては、元も子もない。

「クッソ、コレだから話の通じねぇ頭が俺より馬鹿なケダモノ共は嫌いなんだよ。こうなったら――」

 影は湧き上がり続けるもやに背を向けて一直線に駆けた。

「すまねぇが先に報酬を頂くぜ、リーフ」

 罪悪感に襲われながらも、影は一番先にリーフの魂を食らうため廃墟を走り抜ける。その足取りに一切の迷いはなかった。

「さて、それはどうかな」

 影が側を通った建物の陰から、見知った人影が現れた。
 白い衣服に身を包んだ、月色の髪の涼やかな顔の男だ。

「あ、テメ――」

 次の瞬間、突風が押し寄せた。影は完全に不意を突かれ、為す術もなく来た道へと吹き飛ばされた。
 突風とともに白い結晶が影の全身を打ちすえ、まるで吹雪のようだった。


◆ ◆ ◆


  ぐしゃり


 その音は喉から発せられた。

「ぐへあ?」

 女の目が驚きで見開かられる。意味のない音が口から無理やり排出された。
 続いて、ぐじゅっ、という音も喉の位置から発生した。

 女の視界は突然上下に振り回され反転し、次の瞬間赤へ、そして永遠の闇へと落ちた。

 もし女の目が事切れる直前までの光景を見ていたならば、首の無い自身の身体が吹き飛ぶ様が見えていた筈だ。

 女が立っていた場所のすぐ側に立ち尽くすリーフは真正面から女の鮮血を浴び、元々血塗れだった身体が頭まで更に赤く染まった。

 あまりの予想できない事態に、泣き喚いていたドロリスも一時言葉を失った。

 リーフの口元には千切れた銀髪が数本垂れていたが、軽い音と共に吐き出されて宙を舞った。赤い雫がリーフの顎を伝い首筋まで落ちた。

「き、きさ、きさま、貴様ぁ!」

 騎士の一人がリーフに斬りかかった。リーフは両腕と左足を魔剣に食いつかれたまま、剣も手に持たずにただ立っていた。

「ぎゃあっ!」

 リーフは一歩も動かなかった。騎士の姿さえ視界に入れていなかった。
 騎士は、リーフに食らいついていた魔剣に切り裂かれた。
 三つのトラバサミはあっさりとリーフから離れ騎士の肉をむさぼり食い始めた。

「いぎっ……あああ、ああああああっ!」

 リーフの肩は食い千切るに至らなかったというのに、騎士はみるみるうちに鎧ごと粉々になった。

 魔剣が離れたリーフの傷口を鱗のような白い結晶が覆い、出血が止まった。結晶はそのまま成長して肩を這い登り、翼のような形へと変わっていった。
 大きく成長した白い結晶は、内部が少し濁った色をしていた。鉱石にしか見えないが、本物の翼のようにしなって動いた。

「きゃっ」
「貴様!」

 拘束していたドロリスを脇に投げ捨て、騎士が剣を抜いた。

 リーフもまた、騎士の動きに呼応するように腰の剣を抜いた。
 敬月教の騎士が扱う、三日月の意匠が入った剣だ。

 勝負は一瞬。両肩が重傷とは思えない速度で騎士の目に剣が突き立てられ、目玉もろとも脳を切り裂いて即死。剣を引き抜いた傷口からは血とのう漿しょうがこぼれ落ちた。

 倒れる騎士の死体に、ドロリスは息を呑んで震えた。

 リーフは死体を踏み越え、後詰の部隊へと歩を進めた。

「き、教皇陛下の仇ーーーーーっ!」
「うおおおおおおおっ!」
「討ち取れえええええええええっ!」

 リーフの只ならぬ雰囲気に押されながらも、近衛騎士たちはときの声をあげて一斉に突撃した。

 もうリーフが何者だったのか、誰も頭になかった。

 白い翼が羽ばたき、一人の騎士の喉に剣が生えた。
 間髪入れずに別の騎士の首がとんだ。
 鎧ごと心臓を貫き、耐え切れずに剣が折れた。

 リーフはあっさりと剣から手を離し、事切れた騎士が腰につっていた同じ剣を奪う。

 それでまた何人も屠り自らを血に染め、剣を折り、また奪い、再び鮮血を散らせ、折り、奪い、殺し、殺し、殺し、奪い、殺し、殺し、殺し、殺し、奪い――いつの間にか、全ては死んでいた。

 重武装の近衛騎士隊はぬらぬらと鮮血で光る剣の欠片と共に葬り去られていた。高台から銃撃していた支援部隊も、誰一人として立ち上がらない。

 血の匂いが強く香る広場で立っているのはリーフ唯一人。

 その足元には、地面に手をついて震えるドロリスの姿があった。
 惨劇を目にして、ドロリスは激しく嘔吐していた。

「酷い、酷いよ、リーフぅ、あんまりだよ……」

 ドロリスは泣きじゃくりながらリーフの顔を見上げ、ひっと声を上げた。

 リーフの顔は人のそれではなかった。
 表情が無い、などと言う表現でさえ生温い人形の面で、僅かな怒りも悲しみも喜びさえもなく、ただ殲滅する異形の戦士の姿だった。

「あんた誰ぇっ! あんたなんかリーフじゃないっ、リーフじゃ」

 狂乱するドロリスの胸が斜めに裂け、それきり動かなくなった。

 リーフは剣に付いた血を払い、腰の鞘へと戻す。同じ規格で製造された剣は、異なる鞘であるのにぴったりと収まった。

 リーフの背中の翼は静かに空気へと溶けて消え、空いた背に落ちていた魔剣ギルを拾って戻す。
 リーフの格好に比べて、魔剣はとても綺麗な状態だった。

 監獄の扉がゆっくりと開き、一部始終を見ていたリンが恐る恐る外へと出た。

 今のリーフに近づいて下手を打てば殺されかねないと、リンの本能が告げていた。

 突然、リーフは地面に膝をついた。

「おげええぇぇぇぇっ!」

 びちゃびちゃと水音が響き、赤いものが混ざった液体が地面に跳ねた。

「おいそこのクソ女、とっとと手を貸しやがれ。コイツ立ったまま気絶しやがっ――うっ」

 場の雰囲気にそぐわない軽快な言葉遣いに、リンはぶん殴りたくなる気持ちを抑えてリーフギルに駆け寄った。
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