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作者: 水無月 龍那
サクラ対話 前編
 夜。
 サクラは突然の頭痛で目を覚ました。

「痛……ぅ」
 初めてではない。時々ある事だ。もちろん、理由も分かっている。
 サクラは仰向けのまま腕で目を覆い、大きく息をつく。
「……こんな夜中に叩き起こしてくれるって、久し振りだね」

 ひとりの部屋には、他の影も気配もない。
 けれどもこの部屋にはもうひとり居る。
 ほとんどの人が知らない、サクラという少年の中にいるもうひとつの存在。彼が見聞きした相談事や噂話が見せる悪夢を、おいしそうに平らげていく者。
 名前は特にない。別に要らないとも言う。
 呼ぶのに不便だと言ったら「獏」と呼ばれていた、とだけ答えた。
 だけど、サクラはその名を呼ばない。
 要らないと言われたし、名乗った時も気の進まない声だった。ならば、無理に呼ぶ必要もない。
 あるいは。どうでも良いような意地のようなもの、なのかもしれない。

 何かな、と吐く息で問いかける。
「今日の雑談、は。終わったと、思ったんだけど……?」
「そうだな。終わってなかった事に気付いたからこうして起こしたんだよ」
 もうひとつの声が響くと同時に頭に鈍い痛みが走る。
「明日じゃ……駄目な話、か」
 夢の中で済ませる気もないのだろう。ならばきっと――大事な話だ。
「ん。できるだけ早い方が良い話だ」
 サクラは「そう」と小さくつぶやき、続きを待つ。脈打つ度にずきずきと痛む頭を、呼吸でなだめる。
「お前の記憶に気になったものがあってな」
「お前、また勝手に俺の記お、く――っ……」
 勢いよく起き上がり、走った痛みに頭を抱えてうずくまる。
「まあまあそう怒るな。頭に血が上るとよくないぞ? 大体、食事の風景くらい良いだろ。なんなら俺の記憶も見たって構やしないぜ?」
「……必要が、あったらね……」
 必要なんてあって欲しくないけれど。という溜息と痛みを逃すための吐息、二つが混じったそれは湿っぽく闇に溶ける。
「で、だ。早速だが本題といこう。カガミのことだ」
「……カガミくん達?」
「そうだ。あいつら、最近静かなの気付いてたか?」
「静かというか。何かを気にしてるような感じは、あったけど」
「ん。それだ」
 獏はさっくりと肯定する。

 食事時、カガミは何かを気にしているようだった。
 一日二日ではない。ここ数日ずっと、だ。
 いつからだったかは分からないし、聞いても「気のせいだと思う」と声を揃えて首を横に振っていた。
 だから、何かあるとは思うけど、何も分からないというのが現状だ。

「まあ、あいつら自身もよく分かってないんだろ」
「そう……。それで。何か掴んだから、俺を起こした、んだよね?」
「まあな。お前の記憶漁ってたら検討はついた。目立つのはトクサとあの金髪の……エバといったか」
「エヴァンズ。シャロンちゃんだね。それから……ミサギちゃんも?」
「ああ。だがその二人だけじゃねえな。他にも居る。が、共通点は見つけた。どうもあいつらは女を避けてるように見える」
「……?」

 どういうことだろう。あんなに人懐こいカガミの二人が誰かを避けるなんて事があるのか。
 思い返す。他の女子とはどうだっただろう。

「……」
 数名を思い浮かべてみるが、思い出した何人かとは普通に喋っていた気がする。
「そうなの……?」
「鈍感な奴め。おまえの記憶の限りではそう見えた」
 それで、と獏は言葉を続ける。
「記憶を遡って、最初じゃないかってヤツまでなんとか辿り着いた」
「最初……」
 一体どこまで記憶を読まれているのかという不快感はあるが、それは置いといて続きを待つ。
「ミキだ」
「スイバちゃん」
「そう。そういやミキとエヴァンズは最近姿をあまり見ねえな」
「文化祭が近いからね。生徒に混ざってるのかも」
「そうか」

 確かにシャロンやスイバの姿を最近見かけない。
 しかし、スイバはこの時期には文化祭の準備で毎年忙しくしているし、シャロンは夜型だ。他にもそう言う人は何人か居る。食事の時間がずれるのは以前からよくあることだった。

 何か避けたり、疑う理由があるのだろうか?
 考えてみるけれど、心当たりはなかった。そもそも、以前は普通に喋っていたはずだ。何か彼女達やカガミに変化でもあったのだろうか?

「分かんねえか。それじゃまあ、これを聞いてみろよ」
「?」
 少しだけ間をおいて、サクラの脳内に声が再生される。

「お夜食もありがとう。それじゃあおやすみー」
「それじ ゃあ、おやすみー」

 頭痛をこらえて聴くが、その差はよく分からなかった。
「こいつはエヴァンズの声だな」
「そうだね」
「これを聴いて何か判らないか。……まあ、違いが些細すぎるか。だが、これだけでも違いとしては十分だろ」
「それはさ。どう言う変化なのか、っていうのは分かるの?」
 獏はサクラの言いたいことをすぐに汲み取って「そうだな」と答える。
「これはエヴァンズが変化した結果じゃねえ。ほぼ完璧と言って良いほどの複製だ」
「複製……」
「そう、複製。コピー。お前の頭痛の為に他の奴の発言は省略するとして、だ。同じような違和感をいくつか拾った。一度気付くと結構転がってる。はっ、意外とお粗末だな」
「……自分ならもっと上手くできるみたいな言い方」
「おまえの真似なら誰よりも完璧にこなしてやるぜ?」
「いらない」
 そんなの考えたくもない、と頭を振ると、獏はくつくつと笑った。
「――ま。こいつは違和感の出始めた期間からすると上出来も上出来ってやつだ」
 では問おう、と頭に声が響く。

「複製。コピーという単語で思い当たるのは何だ?」

 言われるままに考える。
 複製。コピー。複写――データ。いや。シャロンではないのだろう。
 映す。水面。そっくり。瓜ふたつ。鏡写し――。

「カガミくん……でも、ないんだよね」
「もちろん。不安を感じてる原因が自分自身でした、なんて事は言わないさ」
「じゃあ、何なんだよ」
 ようやく治まってきた頭痛に、肩の力を抜きながら問い返す。返ってきたのは笑い声だった。
「忘れたか? いいや、お前は覚えてるよな? カガミがここに来た時の事」
「え。……なんで今更、そんな昔の話を蒸し返すのさ」
「それを蒸し返すべき時なんだよ。ほら。思い出せ」
 言われるままに思い出す。

 もう随分と昔の事。
 カガミが。あの二人がこっち側へとやってきた時の事。

 □ ■ □

 その時。何かが割れるような音と、たくさんある細い糸の一本がぷつんと途切れたような空気があたりに走った。
 理科室に居た全員がそれに気付き、手を止めたり、何の気配だろうと見回したりしていた。
 最初に動いたのはウツロだった。
 見に行ってくる、と理科室を出て行って。すぐに戻ってきた。なんだか渋い顔で、普段はあまり持ち歩かない洋刀を手にしていたのを覚えている。
「鏡が生徒を喰った」
 その一言でサクラの背筋がひやりとした。だが、何も言えずにいるとウツロは「多分だが」と言葉を続けた。
「旧校舎の三階奥の鏡。誰か迎えに行ってくれ」
 その一言で跳ねるように席を立ったのはハナだった。
「ほう、新しい子がきたのだね? それは女子? それとも――いや、どちらでもいい。ボクが迎えにいこう」
「ん。状況は見れば分かるから説明は頼む、俺は――ちと用ができたから無理だ」
「了解した。ボクに任せたまえよ。よし、折角だからヤミちゃん。一緒に行こうではないか!」
「え」
「ほらほら、遠慮は無用さ」
「遠慮とかじゃなくて――は? ちょっ……」
 手を引かれて席を立つヤミに、ハナブサはいつもと変わらない調子で声を掛けた。
「二人とも気をつけて。ちゃんと見極めるんだよ」
「ああもちろん。心得ているとも」
「それから。怖がらせないようにね」
「そこも任せてくれたまえ。さあ行くぞヤミちゃん!」
「おい馬鹿、それ絶対ろくな事考えて――ちょ、ハナ!」
 そんなハナの勢いに押されて、ヤミは半ば引きずられるように理科室を後にした。

 二人が出て行って、残ったのはハナブサ、ウツロ、サクラ、サカキ。他数名。
「新しい人、って……どんな方なんでしょう」
 サカキが少し不安そうにカップを置いた。隣に座っていたサクラは、その不安を拭うように答える。
「鏡だって言ってたね。そこはハナちゃん達を待とう。危なくないって判断されたら、きっとここに連れてきてくれるよ」
 そうだね、とハナブサも頷く。一見、普段と変わらない表情に見えたけれど、難しい顔をしていた。
「連れてきてもらったら自己紹介の場を設けよう――それでウツロ」
「ああ。ちょっと行ってくる」
「うん。頼むよ」
 ハナとヤミがドタバタしている間に何か言葉を交わしたのだろう。ハナブサとウツロはそれだけの言葉で通じるような了解があるようだった。
「そういえば用ができた、って言ってたね。俺も手伝える?」
 サクラの問いに、ウツロは一瞬だけ鋭い目線を返した。
 思わず言葉を飲み込んだサクラに対して「ああ、すまん」と目を伏せる。
「いや。手伝いは不要だ。後始末もあるが……ちと手荒な事になるかもしれんしな。俺ひとりでなんとかする」
「手荒な事って……」
 サクラの腕に、サカキが身を寄せたのが伝わる。大丈夫、となだめるように背中を軽く押さえ、ウツロの言葉を待つ。
「あいつらは……多分だが、鏡に喰われた」
「さっきも言ってたね。喰われた……それは、その人は生徒だってこと?」
「ああ。ありゃあ、校内からこっち側へ身体ごと無理に引きずり込まれたんだろう。俺が見た時は心ここに在らずといった状態で、返事もろくにできなかった」
 ウツロの声と表情に苦いものが混じる。
「表から俺達を呼び出す事はできるが、こっち側に生身で来るというのはほぼ不可能、ってのは覚えてるよな」
「そうだね」
「はい」
 サカキもこくりと頷く。

 生徒達の過ごす学び舎と、自分たちが暮らすこの校舎は表裏一体。だが、双方の行き来――特に生身でこちら側に来るというのは自殺行為に近い。というか、生身でこちら側にやってきたという例はない。人ではない何かだったり、校内で死を迎えたり、噂話から生まれたりと、一度でも「生身の身体を持たない何か」を経た者ばかりだ。
 逆は簡単だ。噂話があればいいし、一定の手順を踏めば呼び出せる。
 その代表格がハナコさんであり、こっくりさんであり、人体模型だ。

「鏡は身体を持っていなかったからな。大方、生徒の身体を得ようとしたんだろ」
 だが、と息をつくウツロの口元は気難しそうだった。
「あれは失敗だ。あの場に鏡の気配はなかった。声もしねえ。そもそも、状況が予想外だった」
 ウツロの言葉に首を傾げると、彼は「見りゃ分かる」とだけ言った。
「それからこれは予想だが。鏡はそいつらに役割と能力を押し付けた可能性がある」
「え。ってことは役割を放棄したって事? どうやって……」
「そういうのは結構居るだろ? 別に珍しくもない。名前も姿も無く、どこかの隅でくすぶってるような奴ら」
 噂話から生まれるのは、そこから切り出されたようなものだから、とウツロは言う。サクラは「そうだね」と曖昧に答える。
「それに紛れたと考えるのが妥当だろうな」
「そうだね。だとすると……見つけるのはちょっと難しいかもしれないね」
 珍しくハナブサが難しい顔をしていた。
「鏡は表……実際の校内との接点が多いけれど、表に出る事はできなかったから」
「どうして、表に出られなかったんですか?」
 サカキがぽつりと問いかける。
「実体がないってのと、あいつ自身の問題だ」
 ウツロの答えは簡潔だった。
「人の姿を映しはするが、鏡像だ。本体が鏡だから身動きひとつとれやしない、ただの影。だから口を開けば言ってた」

 外に出たい。
 身体が欲しい。

「日々様々な生徒の姿を映すから、その誰かに成り代われたらいいだろうか、と零したりもしてな」
「その度に話し合ったけど……誰かの身体があれば、って考えは捨てなかった。だから鏡から外に出ないよう様子は見ていたんだけど……いや、すまない。きっと、もっと尽くせる手はあったはずなんだ」
 ハナブサの言葉に「起きたことは仕方ない」と溜息混じりのウツロの言葉が続く。
「話はちと変わるが。――表で流行ってるまじないってのがあるんだって?」
 サクラの方を向いたウツロに、頷いて答える。
「うん。定期的に流行ってるね。鏡に向かって一週間、質問し続けると違う自分になれる、って」
 サクラが軽く説明をすると、ウツロは眉間にしわを寄せて「ああ」とぼやいた。
「そいつは鏡を呼び出す手順のひとつだったんだろうな。あいつらはそれを実行して自分自身を見失った、ってのは自業自得とも言えるが。鏡はそれを利用して生徒を巻き込んだ」
 けど、とウツロは言葉を探すように言葉を切って、頭を掻く。
「それは危害を与えていい理由にはならない。つまり、俺達の方針……? えーっと。あー……、なんだ」
「ポリシー、かな?」
「ああ。それだ。それに反する。超えちゃならん一線を越えた」
「生徒に危害を与えてはいけない。っていうのはとても大事な事だからね。――仕方ないけれど、ウツロ」
「ああ。分かってる。特にあいつらは「人」としては死んだ事になる。最悪の事態だ」
 だから処分は免れない、行ってくる。と、ウツロも理科室を出て行った。

 それが、あの日にサクラが見た出来事だった。
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