深夜の書き込みは誰のもの?
学校の裏サイト。
きっと最近では珍しくも何ともない。誰かが作った小さなコミュニティサイト。
コンテンツも雑談用の掲示板とか、イベントカレンダーとか。至って普通。内容だってそう。生徒達が普段から口にしてるような学校の噂。テストの話。時には先生の愚痴とか、質問とか。
知っている生徒だけの秘密基地。そんな場所。
ただ、誰も知らない事がある。
真夜中に学校内からの書き込みがある。
質問に答えたり、掲示板に返信したり。行動は何ひとつおかしくないのに、書き込みが行われた場所と時間だけがおかしい。
サイトの利用者はもちろん、そのクラスメイトも、その友人も、その先輩達も。
みんなが知っているのに、誰もその書き込みの主を。
「しゃろん」と名乗る誰かを知らない。
□ ■ □
夜のパソコン室。
カーテンも閉めきられた真っ暗な部屋で、ひとつだけ灯るディスプレイがあった。
いくつか開かれたウインドウ。連なっているコード。
カタカタと入力する音と、時折響くマウスのクリック音。
その全ての前に座っているのは、クセのない金髪を背中に流した少女だった。
鮮やかなグリーンの目に画面を映したまま、彼女は頬杖をつく。
「うーん。もうちょっとこう、いい方法ないかなあ……」
自分が書いたソースコードを眺めて彼女は首をひねっていた。
掲示板が表示されたブラウザに切り替えてF5を押すと、画面がちらつき、更新される。
画面に変化はない。もう皆とっくに寝静まってる時間だから当たり前だ。
「ホント誰かわかんないけど困るんだよねー」
少女が背もたれに勢いよく背中を預けると、ぎっ、と軋んだ椅子の音が室内に響いた。
少女は学校内の事なら何でも知っている。
生徒の名簿、クラスに選択授業。やり取りされたメールにチャットの内容、交わされた噂話。防犯カメラの映像まで何でも。学校の中で交わされる情報に知らない物はない。
「しゃろん」の正体? もちろん知っている。
だって。彼女こそが深夜の裏サイトに書き込みを残して去っていく張本人なのだから。
彼女の趣味は校内の情報収集とサイトの管理。
そんな彼女――シャロンが今注目しているのは「学校の噂話」だ。
学校内ではどんな噂が交わされているか。新しいもの、古いもの問わず集めている。いつかデータベース化できれば良いなー、なんて企んでいたりもする。過去にそういう話を集めていた生徒がいるのは知っているけれど、そのノートを見せてくれと頼んだら「自分の足で集めなさい」と一蹴された。
目的はその噂話の紐付け。それが誰かに該当するならいい……いや、良くない場合もあるけれど。新しい場合は「役割のない何か」から新しい仲間が生まれる可能性もある。
だから情報収集は怠れない、だけどそうちょくちょく目新しい物は出てこない。
一時期、「悪口を言ったら具合が悪くなる」とか「おまじないがよく効く」とかいう話があった。
それは、最近保健室に住み着いた狐が自分のせいだと言っていた。
先日、ハナが壊れたラジオを持って何かと出会ったと言っていた。
それはヤミが斬ったと聞いた。該当する話はあったけど、今回は噂話にもならなかったし、壊れたラジオはハナブサが保管している。
新しい噂話があるようだ、とサクラが言っていた。
それは既存の話に含まれそうだからノーカウントとも言っていた。影響と言えばヤミの呼び出し頻度が上がるくらいだろう。なので、本人に「頑張れ☆」と声をかけたらかなり嫌そうな顔をされた。
他にはドッペルゲンガーが居るとか、階段が1段多いとか、ハンカチの落とし物が多いとか、自販機に残されている5円玉とか。
そんな細々とした話なら転がってるが、まあ、いつものこと。今日も平和と言えば平和。
――そう言えたら、よかったのだけれど。
「……これは、一体どういう事かなー」
ぽつりと呟いてマウスホイールを人差し指ではじき、掲示板を勢いよくスクロールする。
流れていくのは、いつも通りの雑談。ぴたりと止めて、目を細め、もう一度ホイールを弾いて過去へと遡る。
ぴたりと止まる場所に現れる書き込みは、交わされる会話の空気を全く読んでいない、話題に何ひとつ関係のない内容だった。
685 しゃろん xxxx/xx/xx 02:48:56
いつまでもついてくるね。どこまでもついてくる。ついてくる。
582 しゃろん xxxx/xx/xx 04:33:20
明日のお昼は紗の雨が降るのでお弁当をやめることにしました。傘はありません。
065 しゃろん xxxx/xx/xx 03:15:39
ひとりじゃないよ。ふたりじゃないよ。でもひとりだしふたりふりだし。
873 しゃろん xxxx/xx/xx 01:59:27
あは。
あははははははは
シャロンはその内容に口を曲げる。
書き込みの名前は「しゃろん」とある。
シャロンは確かにいつもその名前を使っている。けれど、こんな書き込みをした覚えなんてない。書き込むときだって決めていることはちゃんとある。
話題に即したものであること。時間帯を気にかけること。学校の生徒として書き込むこと。
何気ない話題にそっと紛れ込むのがいつもの「しゃろん」なのに。
線引きはしっかりしているのに。そんなのは完全に無視されている。
それはつまり、シャロンの名前を騙って書き込みをした誰かがいるということ。
深夜の学校から。同じ名前で。シャロンの知らない間に。
最初のうちは管理者権限で消していたが、知らない間にまた書き込まれている。
何度も何度もそれを繰り返し。なにこれもうやだー、と頭を抱えて決めたのは、書き込みの主を探す事。
自慢の情報網にも引っかかってこない誰かさんを突き止める為に、何か仕掛けておきたい。せめてどこからアクセスされてるのか、位は突き止めたい。
自分が居ない時に誰かが操作しているなら。もし、その行動に悪意があるなら尚の事。
あと、正体が分からないものは怖い。この書き込みも気味が悪い。
「うーん。とりあえず時間区切って……書き込みあったらログ取ってアラーム飛ばしてー」
監視カメラなんてこの辺には付いてないし、ドアのロックは鍵ひとつ。そもそも自分達に鍵なんて必要ない。
かたかたと掲示板のソースコードに何行かプログラムを追加する。
試しに自分で適当に書き込んでみて、携帯に届いたメールをチェックする。
うん、大丈夫っぽい。
「あとは待つのみ。覚悟しろ偽物」
□ ■ □
そのアラームが反応したのは、仕掛けて数日後の事だった。
「よしきたあ!」
シャロンは勢い良く部屋を飛び出し、パソコン室へと向かう。
暗い廊下をぱたぱたと駆けながら、端末を操作する。呼び出したプログラムを走らせながらドアをすり抜ければ、そこはもうパソコン室の中。
薄暗い部屋の中に。ひとつだけ灯るディスプレイがあった。
あそこか。と近寄る。足音は床のマットが消してくれる。大丈夫、気付かれることはない。
「……あれ?」
覗き込んだシャロンは首を傾げた。
灯るディスプレイ。
そこにあるのは、それだけだった。
映し出されているのはシャロンが管理する裏サイトの掲示板。
最後の書き込みは「しゃろん」からだった。さっき確認したのと同じ文面があり。
書き込み欄に、未送信の文字列があった。
ひ っ か か っ ち ゃ っ た ね ?
「――え?」
声を上げた瞬間。ぶうん、と小さな音を立ててパソコンが落ちた。
ディスプレイも電源が切れ、辺りは真っ暗になる。明るさに慣れた目では突然の暗転に対応できない。
ぱちぱちと瞬きをして目を慣れさせようとしていると。
「つーか まえた」
「みー つけた」
ぽん。と肩を叩かれて。耳元で囁く声がした。
聞き覚えがある。男女どちらともつかない二人分の声は、ひとりで二人のあの二人。
「カガミ……? ちょっと。こんな趣味の悪いイタズラ、許されないよ?」
文句を言いながら振り返る。が。そこに居たのはよく知る寄り添った影ではなかった。
曖昧な輪郭の影。やけに目立つ白目。小さな黒い瞳がじっとシャロンを見つめている。
「どう縺励◆のしゃろんちゃん?」
「なにかあったのし繧?mんちゃん」
ざらざらとしたノイズ混じりの声は、彼らの声を模しただけの音だった。
奥底からの不快感が、シャロンの喉をつまらせる。
ああそうだ。今はもう深夜。彼らはもうとっくに寝ているはず。なんて、当たり前の事を思い出す。
「な……」
なによ、という声より先に相手の口がにたりと歪み、影が揺らいだ。
それはみるみるうちによく知った姿へと変化する。
背中に流れる癖の無い金髪。鮮やかなグリーンの瞳。
口元、指先。服装から背格好。髪を背中に流すちょっとした仕草に至るまで。
目の前に立つ「何か」はドットを散らし、「シャロン」へと変化した。
「縺ゅ↑縺……あ゛な、あー……貴女。は、私を知らな いからねー」
それは、シャロンと同じ声、同じトーンで喋り、にっこりと笑った。
「ずっとずっと昔か ら居たしね。気付かな いのも、仕方ないよー」
瞳の色に、ちらりと紫がきらめく。
それは夜の色か。目の前の影が持つ何かか。
「……なんだって、言うのよ」
「なんだっ て言おう、かなー」
それはくすくすと笑ってシャロンの手をそっと取った。
「――私は、シャロ ン。シャロン=エヴァンズ。学校の情 報全て――を知ってい る噂話」
「馬鹿いわな――っ!」
馬鹿言わないで、と言いかけたその口は細い指で塞がれた。
取られた手がぐっと引かれ、頬を掴むように口を手で押さえられる。耳元に寄せられた口から、くす、と笑う声がした。
それから。甘い甘い。ささやき声。
「無 駄だよー。だって、誰もこな いもの。こんな夜遅くのパソコン室なんて。分かって るでしょ?」
シャロンが抵抗するより先に、その耳が軽く食まれた。
背筋に指で撫でられたような痺れが走る。
「ふふ。――それじゃー、いただき ます ♪」
「ーー!」
声に、頭がくらりとした。
膝から力が抜けて。
体中が軽くなった気がして。
自分自身がバラバラと……。
ドットに。
0と1に。
電気信号の有無として。
散らばってしまったようで。
声を上げる事すらできなかった。
□ ■ □
「おはよー」
「おはよう」
朝食の席。シャロンはいつものように姿を現した。
「シャロンちゃん」
トーストを齧るハナが隣に座った彼女に話しかける。
「掲示板の書き込み、綺麗に消えたんだね」
こつこつと卓上に置いた携帯を指差して、彼女は良かったねと言う。
そこに映されているのは裏サイトの掲示板。あの気味悪かった書き込みはひとつ残らず消えていて、生徒からのレスだけがその余韻を物語っていた。
「うん。なんかボ ット仕込まれててさー。それ駆除したら書 き込まれなくなったよ」
「そうかそうか」
「うん。あれ、なんか怖かっ たんだよねー」
よかったよー。と、シャロンも用意された朝食を食べ始める。
賑やかな朝食を終えたら、シャロンは寝る時間だ。
夜型のシャロンは、夕食が朝食で、夜食が昼食。朝食が夕食。
そんな生活リズムだから、朝食の後は部屋に戻って寝るのが常だ。
「ふわあ……もうひと仕事したら寝ようっと。それじ ゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
「また夜にね」
小さく手を振って見送るハナとカガミ。
「うん。おやすみー」
同じように手を振って。シャロンは朝食の場をあとにした。
□ ■ □
真っ暗なパソコン室の中。ひとり佇む金髪の少女。
ちり、と小さな静電気が走った口元を押さえて、彼女は一つだけ灯ったディスプレイの前に立っていた。
小さな舌で唇に残った何かを拭うように舐める。
「これで私がシャロン。ふふ。心配し なくてもいいよー。サイトの管理はち ゃんとしてあげる。情報収集もこれまで通 り完璧にしてあげる」
どうせ誰も気付かないんだからねー。
そう言って。
彼女は緑色の目を細め、くすくすと笑っていた。
きっと最近では珍しくも何ともない。誰かが作った小さなコミュニティサイト。
コンテンツも雑談用の掲示板とか、イベントカレンダーとか。至って普通。内容だってそう。生徒達が普段から口にしてるような学校の噂。テストの話。時には先生の愚痴とか、質問とか。
知っている生徒だけの秘密基地。そんな場所。
ただ、誰も知らない事がある。
真夜中に学校内からの書き込みがある。
質問に答えたり、掲示板に返信したり。行動は何ひとつおかしくないのに、書き込みが行われた場所と時間だけがおかしい。
サイトの利用者はもちろん、そのクラスメイトも、その友人も、その先輩達も。
みんなが知っているのに、誰もその書き込みの主を。
「しゃろん」と名乗る誰かを知らない。
□ ■ □
夜のパソコン室。
カーテンも閉めきられた真っ暗な部屋で、ひとつだけ灯るディスプレイがあった。
いくつか開かれたウインドウ。連なっているコード。
カタカタと入力する音と、時折響くマウスのクリック音。
その全ての前に座っているのは、クセのない金髪を背中に流した少女だった。
鮮やかなグリーンの目に画面を映したまま、彼女は頬杖をつく。
「うーん。もうちょっとこう、いい方法ないかなあ……」
自分が書いたソースコードを眺めて彼女は首をひねっていた。
掲示板が表示されたブラウザに切り替えてF5を押すと、画面がちらつき、更新される。
画面に変化はない。もう皆とっくに寝静まってる時間だから当たり前だ。
「ホント誰かわかんないけど困るんだよねー」
少女が背もたれに勢いよく背中を預けると、ぎっ、と軋んだ椅子の音が室内に響いた。
少女は学校内の事なら何でも知っている。
生徒の名簿、クラスに選択授業。やり取りされたメールにチャットの内容、交わされた噂話。防犯カメラの映像まで何でも。学校の中で交わされる情報に知らない物はない。
「しゃろん」の正体? もちろん知っている。
だって。彼女こそが深夜の裏サイトに書き込みを残して去っていく張本人なのだから。
彼女の趣味は校内の情報収集とサイトの管理。
そんな彼女――シャロンが今注目しているのは「学校の噂話」だ。
学校内ではどんな噂が交わされているか。新しいもの、古いもの問わず集めている。いつかデータベース化できれば良いなー、なんて企んでいたりもする。過去にそういう話を集めていた生徒がいるのは知っているけれど、そのノートを見せてくれと頼んだら「自分の足で集めなさい」と一蹴された。
目的はその噂話の紐付け。それが誰かに該当するならいい……いや、良くない場合もあるけれど。新しい場合は「役割のない何か」から新しい仲間が生まれる可能性もある。
だから情報収集は怠れない、だけどそうちょくちょく目新しい物は出てこない。
一時期、「悪口を言ったら具合が悪くなる」とか「おまじないがよく効く」とかいう話があった。
それは、最近保健室に住み着いた狐が自分のせいだと言っていた。
先日、ハナが壊れたラジオを持って何かと出会ったと言っていた。
それはヤミが斬ったと聞いた。該当する話はあったけど、今回は噂話にもならなかったし、壊れたラジオはハナブサが保管している。
新しい噂話があるようだ、とサクラが言っていた。
それは既存の話に含まれそうだからノーカウントとも言っていた。影響と言えばヤミの呼び出し頻度が上がるくらいだろう。なので、本人に「頑張れ☆」と声をかけたらかなり嫌そうな顔をされた。
他にはドッペルゲンガーが居るとか、階段が1段多いとか、ハンカチの落とし物が多いとか、自販機に残されている5円玉とか。
そんな細々とした話なら転がってるが、まあ、いつものこと。今日も平和と言えば平和。
――そう言えたら、よかったのだけれど。
「……これは、一体どういう事かなー」
ぽつりと呟いてマウスホイールを人差し指ではじき、掲示板を勢いよくスクロールする。
流れていくのは、いつも通りの雑談。ぴたりと止めて、目を細め、もう一度ホイールを弾いて過去へと遡る。
ぴたりと止まる場所に現れる書き込みは、交わされる会話の空気を全く読んでいない、話題に何ひとつ関係のない内容だった。
685 しゃろん xxxx/xx/xx 02:48:56
いつまでもついてくるね。どこまでもついてくる。ついてくる。
582 しゃろん xxxx/xx/xx 04:33:20
明日のお昼は紗の雨が降るのでお弁当をやめることにしました。傘はありません。
065 しゃろん xxxx/xx/xx 03:15:39
ひとりじゃないよ。ふたりじゃないよ。でもひとりだしふたりふりだし。
873 しゃろん xxxx/xx/xx 01:59:27
あは。
あははははははは
シャロンはその内容に口を曲げる。
書き込みの名前は「しゃろん」とある。
シャロンは確かにいつもその名前を使っている。けれど、こんな書き込みをした覚えなんてない。書き込むときだって決めていることはちゃんとある。
話題に即したものであること。時間帯を気にかけること。学校の生徒として書き込むこと。
何気ない話題にそっと紛れ込むのがいつもの「しゃろん」なのに。
線引きはしっかりしているのに。そんなのは完全に無視されている。
それはつまり、シャロンの名前を騙って書き込みをした誰かがいるということ。
深夜の学校から。同じ名前で。シャロンの知らない間に。
最初のうちは管理者権限で消していたが、知らない間にまた書き込まれている。
何度も何度もそれを繰り返し。なにこれもうやだー、と頭を抱えて決めたのは、書き込みの主を探す事。
自慢の情報網にも引っかかってこない誰かさんを突き止める為に、何か仕掛けておきたい。せめてどこからアクセスされてるのか、位は突き止めたい。
自分が居ない時に誰かが操作しているなら。もし、その行動に悪意があるなら尚の事。
あと、正体が分からないものは怖い。この書き込みも気味が悪い。
「うーん。とりあえず時間区切って……書き込みあったらログ取ってアラーム飛ばしてー」
監視カメラなんてこの辺には付いてないし、ドアのロックは鍵ひとつ。そもそも自分達に鍵なんて必要ない。
かたかたと掲示板のソースコードに何行かプログラムを追加する。
試しに自分で適当に書き込んでみて、携帯に届いたメールをチェックする。
うん、大丈夫っぽい。
「あとは待つのみ。覚悟しろ偽物」
□ ■ □
そのアラームが反応したのは、仕掛けて数日後の事だった。
「よしきたあ!」
シャロンは勢い良く部屋を飛び出し、パソコン室へと向かう。
暗い廊下をぱたぱたと駆けながら、端末を操作する。呼び出したプログラムを走らせながらドアをすり抜ければ、そこはもうパソコン室の中。
薄暗い部屋の中に。ひとつだけ灯るディスプレイがあった。
あそこか。と近寄る。足音は床のマットが消してくれる。大丈夫、気付かれることはない。
「……あれ?」
覗き込んだシャロンは首を傾げた。
灯るディスプレイ。
そこにあるのは、それだけだった。
映し出されているのはシャロンが管理する裏サイトの掲示板。
最後の書き込みは「しゃろん」からだった。さっき確認したのと同じ文面があり。
書き込み欄に、未送信の文字列があった。
ひ っ か か っ ち ゃ っ た ね ?
「――え?」
声を上げた瞬間。ぶうん、と小さな音を立ててパソコンが落ちた。
ディスプレイも電源が切れ、辺りは真っ暗になる。明るさに慣れた目では突然の暗転に対応できない。
ぱちぱちと瞬きをして目を慣れさせようとしていると。
「つーか まえた」
「みー つけた」
ぽん。と肩を叩かれて。耳元で囁く声がした。
聞き覚えがある。男女どちらともつかない二人分の声は、ひとりで二人のあの二人。
「カガミ……? ちょっと。こんな趣味の悪いイタズラ、許されないよ?」
文句を言いながら振り返る。が。そこに居たのはよく知る寄り添った影ではなかった。
曖昧な輪郭の影。やけに目立つ白目。小さな黒い瞳がじっとシャロンを見つめている。
「どう縺励◆のしゃろんちゃん?」
「なにかあったのし繧?mんちゃん」
ざらざらとしたノイズ混じりの声は、彼らの声を模しただけの音だった。
奥底からの不快感が、シャロンの喉をつまらせる。
ああそうだ。今はもう深夜。彼らはもうとっくに寝ているはず。なんて、当たり前の事を思い出す。
「な……」
なによ、という声より先に相手の口がにたりと歪み、影が揺らいだ。
それはみるみるうちによく知った姿へと変化する。
背中に流れる癖の無い金髪。鮮やかなグリーンの瞳。
口元、指先。服装から背格好。髪を背中に流すちょっとした仕草に至るまで。
目の前に立つ「何か」はドットを散らし、「シャロン」へと変化した。
「縺ゅ↑縺……あ゛な、あー……貴女。は、私を知らな いからねー」
それは、シャロンと同じ声、同じトーンで喋り、にっこりと笑った。
「ずっとずっと昔か ら居たしね。気付かな いのも、仕方ないよー」
瞳の色に、ちらりと紫がきらめく。
それは夜の色か。目の前の影が持つ何かか。
「……なんだって、言うのよ」
「なんだっ て言おう、かなー」
それはくすくすと笑ってシャロンの手をそっと取った。
「――私は、シャロ ン。シャロン=エヴァンズ。学校の情 報全て――を知ってい る噂話」
「馬鹿いわな――っ!」
馬鹿言わないで、と言いかけたその口は細い指で塞がれた。
取られた手がぐっと引かれ、頬を掴むように口を手で押さえられる。耳元に寄せられた口から、くす、と笑う声がした。
それから。甘い甘い。ささやき声。
「無 駄だよー。だって、誰もこな いもの。こんな夜遅くのパソコン室なんて。分かって るでしょ?」
シャロンが抵抗するより先に、その耳が軽く食まれた。
背筋に指で撫でられたような痺れが走る。
「ふふ。――それじゃー、いただき ます ♪」
「ーー!」
声に、頭がくらりとした。
膝から力が抜けて。
体中が軽くなった気がして。
自分自身がバラバラと……。
ドットに。
0と1に。
電気信号の有無として。
散らばってしまったようで。
声を上げる事すらできなかった。
□ ■ □
「おはよー」
「おはよう」
朝食の席。シャロンはいつものように姿を現した。
「シャロンちゃん」
トーストを齧るハナが隣に座った彼女に話しかける。
「掲示板の書き込み、綺麗に消えたんだね」
こつこつと卓上に置いた携帯を指差して、彼女は良かったねと言う。
そこに映されているのは裏サイトの掲示板。あの気味悪かった書き込みはひとつ残らず消えていて、生徒からのレスだけがその余韻を物語っていた。
「うん。なんかボ ット仕込まれててさー。それ駆除したら書 き込まれなくなったよ」
「そうかそうか」
「うん。あれ、なんか怖かっ たんだよねー」
よかったよー。と、シャロンも用意された朝食を食べ始める。
賑やかな朝食を終えたら、シャロンは寝る時間だ。
夜型のシャロンは、夕食が朝食で、夜食が昼食。朝食が夕食。
そんな生活リズムだから、朝食の後は部屋に戻って寝るのが常だ。
「ふわあ……もうひと仕事したら寝ようっと。それじ ゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
「また夜にね」
小さく手を振って見送るハナとカガミ。
「うん。おやすみー」
同じように手を振って。シャロンは朝食の場をあとにした。
□ ■ □
真っ暗なパソコン室の中。ひとり佇む金髪の少女。
ちり、と小さな静電気が走った口元を押さえて、彼女は一つだけ灯ったディスプレイの前に立っていた。
小さな舌で唇に残った何かを拭うように舐める。
「これで私がシャロン。ふふ。心配し なくてもいいよー。サイトの管理はち ゃんとしてあげる。情報収集もこれまで通 り完璧にしてあげる」
どうせ誰も気付かないんだからねー。
そう言って。
彼女は緑色の目を細め、くすくすと笑っていた。