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作者: 水無月 龍那
さっちゃんは表に出たい 2
 昇降口を出て広がった景色は、薄暗い階段の踊り場だった。
 大きな姿見を背にした影に二人は立っていた。

「ここは……えっと、旧校舎かな」
「そうですね」
 裏への出入りは昇降口を介して行われるが、そこが表のどこに繋がっているかはランダムだ。
 基本的に人通りの一番少ない所が選ばれるため、薄暗い所に出ることが多い。
 今回は旧校舎、理科棟の奥にある階段のようだった。教室がある新校舎から少し離れたこの棟は実習室が多く、授業以外は人通りも少ない。
 昼間でも薄暗い、奥まった階段だ。

 サクラが荷物を確認していると、服がそっと引っ張られた。視線をそっちに向けると、サカキの小さな手がシャツを握っていた。
「やっぱり、旧校舎は怖い?」
「えっ。あ……!」
 無意識だったらしい。サカキは慌てて手を離し、ごめんなさいと謝る。
「なんか……薄暗いのはちょっと、怖い気がして」
 僕も怪談話なのに。とその顔には書いてあるようで、サクラは口元を緩める。
「握っててもいいよ」
 くすりと笑ったサクラはサカキの頭をそっと撫でる。
「それじゃあ、行こうか。地学室は……この校舎じゃないや。あっちだ」
「はい」
 そうして二人は歩き出す。

 理系の教室は旧校舎に残っているが、地学室だけは新校舎にある。
 渡り廊下を通って新校舎へ足を踏み入れると、部活に勤しんだり、帰宅しようとしていたり、残って雑談をしたりする生徒達がまだ残っていた。
 そんな生徒達の間をすり抜け、売店を通り過ぎて階段を上ると地学室はそこにある。

 こんこん、こん。
 サクラが準備室のドアをノックすると、中から「はあい」と声が返ってきた。
 ドアを開けると、資料が高く積まれたテーブルの奥に、ちらりと頭が見えた。
「失礼します。鹿島先生から預かってきた物を届けにきました」
「ああ、鹿島先生の。ありがとう」

 鹿島とはウツロの別名だ。
 ウツロやサクラには、苗字にあたるものが存在しない。普段はそれでも問題ないのだが、表で活動すると必要になることもある。その場合、ウツロは必ずこの名前を使っている。
 ここの地学教師には「化石を貸し出したり、交換したりしてくれる人」という認識をされている。用務員ではなく、近所のコレクターか何かだと思われているのかもしれない。
 まだ若いその教師は、サクラが渡した包みを早速解いて木箱を覗く。
「へえ。三葉虫……これはナラオイアかな。あはは、ニッポニテスもある。相変わらず面白いもの持ってるねえ――っと、ちょっと待っててね」
 そう言って教師が木箱を持って部屋の奥へと引っ込んでいくのを、サクラとサカキは見送る。
 彼が箱の中を確認した時に一緒に覗き込んだけれども、二人にはよく分からなかった。どの名前がどれかも分からない。三葉虫の見分けはつかないし、地学教師が嬉しそうに笑った物も、掃除機のホースが絡まったような何かにしか見えなかった。
「ああいうのが何か分かるって、すごいね」
「ですね……」
 よく分からない凄さに感心しているうちに、彼は別の箱を持って戻ってきた。
「それじゃあ、これが前借りてた物。いつもありがとうございますって、伝えておいて」
「はい。分かりました」
 嬉しそうな言葉に、サクラも思わずにっこり笑って箱を受け取った。
「それじゃあ、俺達はこれで」
「うんうん。いつも届けてくれてありがとう。君達、もし興味湧いたら地学部おいで。体験入部ならいつでも歓迎。天体観測とかもするよ」
「あはは……考えておきます」
 そうして二人は笑顔の教師に見送られながら、地学室をあとにした。

 他の部活や教室を覗いたりして校内を回った二人は、売店の自販機で飲み物を買って壁際のベンチに腰掛けた。
 売店はとうに閉まっていて、店内は薄暗く誰もいない。だが、その入り口にあたるホールには自動販売機が数台と、丸テーブルやベンチがいくつか置いてあり、談笑したり時間を潰したりする生徒が二組ほど居た。
 彼らを眺めながら二人でストローに口を付ける。
 フルーツミックスとココア。紙パックのそれを二人で飲みながら、生徒達の声を聞く。

 話題はとても他愛ない。
 明日の天気だとか。
 課題が多くてどうしようとか。
 ちょっとした噂話とか。
 穏やかな学校生活、ささやかな悩みや雑談。そんなものが交わされる。

 しばらく話を聞いている内に、二人の飲み物はすっかりなくなってしまった。
 部活終わりの生徒たちが、昇降口に向かう姿も増えてきた。
「そろそろ帰ろうか」
「はい」
 サクラが席を立ち、サカキに手を伸ばす。
「捨ててくるよ」
「あ。すみません。ありがとうござい――」

 こんっ。

 言い終わるより先に、軽い音を立てて空の紙パックが床に。
 サカキの腕が、二の腕からだらりと膝に落ちた。

「――え」
 小さな声が上がると同時に。
「きゃっ!」
 それを目にしたらしい、女子生徒の声があがった。
 二人の顔が青ざめる。
「何?」
「どうしたの?」
「腕が…………」
 一緒に居た生徒が、声をあげた生徒に声を掛けている。
「サカキくん、腕降ろして!」
「は、はい……っ」
 小声で言葉を交わしても、見られてしまった。もう遅い。
 ずり落ちた腕を袖の中に押し戻す。よれた袖を引っ張って整える。
 後ろで女子が何か喋っている。足音がする。
 真後ろで、その音が止まった。
「あの……大丈夫、ですか?」
 サクラが振り返ると、女子生徒が三人立っていた。その内のひとりは、何かあり得ない物を見たように真っ青な顔をしている。腕が外れた瞬間をを見てしまったのだろう。
「あ。はい。ちょっとふらついてしまって」
 困ったように笑うサクラの口元から八重歯が覗いた。
 そっとサカキの腕を押さえて、ほら、と見せると彼女達はそっと覗き込む。

 背の高い少年が身体をずらすと、そこには小柄な少年が座っていた。
 さっき、彼の腕があり得ない箇所から折れたように見えたのだが――。
「……」
 特に何もない、膝の上に置かれた手がそこにあった。
 おどおどした様子の少年が彼女たちを見上げ、「大丈夫です」と笑いかける。
「驚かせてごめんなさい。先輩にジュースを渡そうとして、落としてしまって……心配してくれてありがとうございます」
 顔色は良くないように見えたが、それが彼自身のものなのか日陰だからか分からない。
 ただ、彼女達は何も言えず。こくりと頷いた。

「ほら。見間違いだったんじゃない?」
「疲れてるんだよ。今日は早く帰って寝な?」
「う、うん……」
 そう言い合って離れていく彼女達を見ながら、サクラはほっと胸をなで下ろすが、まだ安心はできない。彼女達が居なくなっても、このホールが、学校が無人になった訳ではない。
「サカキくん」
 小声で呼びかけると、その意図を読み取ったサカキが「はい」と小さく答えた。
「腕……気付きませんでした……。血で、テープが取れてしまった。みたい、です」
「なるほど……って、サカキくん」
 ちょっとごめん、と、マフラーを指で少し降ろす。隙間から赤い布が見えた。
 
 ――赤。

 首に巻かれた包帯は本来の色ではなかった。
 血が、滲んでいる。
 サカキの身体が、崩れかけている。

「首が……」
「はい……」
 頷いたのだろう。だが、その首は動かなかった。なぜかはサカキ自身も分かっているのだろう。顔が青い。膝が小さく震えている。
「他の場所は……?」
 返ってきたのは「分かりません」という小さな声だった。
「なんで……こんな急に……」
 マフラーに顔を埋めて呟いた声は震えている。焦点が合わない目は潤んでいて、今にも雫がこぼれそうだ。サクラは膝をついて、サカキの両手を膝の上で押さえる。震えるその手を少しでも温めるように、元気づけるように。
「あ、ああ……やっぱり。僕……」
「大丈夫。向こうに戻ればなんとかなるから。すぐに帰ろう――立てる?」
 はい、と消え入りそうな声を受け取ったサクラは、外れかけた腕に気をつけながら肩を貸し、立ち上がる。
 だが、持ち上がったのは上半身だけだった。勢いに重さが足りず、サクラ自身も数歩たたらを踏む。
「――っ!?」
 しまった、と思ってももう遅い。
 立ち上がろうとしてバランスを崩した下半身。ズボンからはみ出た赤く濡れたシャツ。それを頼りなく繋ぐ包帯。
「あ……ごめ、な……」
 サカキの声が、今にも消えそうに震えている。サクラにしがみついている手も、肩から外れかけているらしく、シャツにじわりと血が滲む。
 サクラも思わず、言葉を失った。

「――さっちゃんだ」
 誰かの、そんな声がした。
 小さいけれど、水面に小石を投げたような、波紋を広げる一言。
 サカキが息を呑む音がした。
 その場に居た全員によぎったのは同じ話だろう。


 旧校舎の崩落事故でバラバラになって死んでしまった生徒がいる。
 瓦礫に混じってどこに行ったか分からなくなってしまったその生徒は、今でも身体を探し、誰かの身体を接いで回っているという。
 バラバラの身体はどうにも合わないから。生徒に混じって似た身体を探している。
 この話を聞いたり、その姿を見てしまったら――。


「きゃあーーーーっ!」
「な。なんだ」
「マネキンじゃ……」
「いや、動いて……!」
「うわあああああああ!」
 ホール中に声が響き渡る。通りがかった生徒が足を止めて絶句し、どこからかシャッター音が響き。教室からはなんの騒ぎだと窓を開けて様子を窺う影が見えた。
 サカキは動けない。今、ここでどうにかできるのはサクラだけだ。どうしようと焦る気持ちを無理やり抑えて、今できることだけを導き出す。
「サカキくん、ちょっと手荒だけど――ごめん!」
 言うが早いか、サカキを右腕で抱え直し、左腕で膝をすくうように持ち上げる。
 膝はまだ大丈夫のようだけど、油断はできない。
 これ以上人目に晒されないようサカキを抱きしめ、その場を急いで後にした。
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