さっちゃんは表に出たい 1
さっちゃんは、サカキという。
みんなサカキと呼ぶから、それ以上名乗る事はほとんどない。
背は小さく、白いシャツとズボンはぶかぶか。くりっとした目は茶色く。ぱらぱらとした黒髪を短く整え、首には淡い橙のマフラーをしている。
その制服とマフラーの下はというと。
包帯とテープタイプの絆創膏があちこちに巻かれている。
普段の生活を送るだけならば外すこともできるのだが、サカキはそれをしようとはしない。
それは、自身がどのような話なのかを深く自覚している証拠とも言えた
基本的に裏側の校舎内で生活をしているサカキだけれども、表に興味がない訳じゃない。
学校生活の楽しさもちゃんと知っている。
あくびをかみ殺しながら受ける、ちょっと退屈な授業も。
定期的に行われる難しいテストも。
みんなでおしゃべりする休み時間も。
少しだけ面倒くさい掃除時間も。
なんだかんだ言って楽しい日々の一部だ。
だって、かつてはサカキ自身もそうだったから。
□ ■ □
保健室。
「よし。これでどうかな」
ヤツヅリの言葉で、サカキは姿見に映る自分を見た。
いつも制服で過ごすから、自分でもあまり見ることのない半袖の体育着。
そのあちこちに包帯が巻いてあって、見た目はとても痛々しい。実際は少し動きにくいだけだ。伸縮性のある包帯とネットで固定されているから、動かせないことはないけれど。阻害されてしまうのは仕方ない。
それぞれを軽く動かしてみて、取れたり緩んだりしないかを確認する。
手首。腕。よし。
足。膝。よし。
腹部。よし。
肩。首。よし。
自分で巻くよりもずっと、負担は軽くしっかりと固定されている。
「すごいですヤツヅリさん」
やっぱり僕ではこんなにしっかり巻けません、とサカキはくるりとヤツヅリを振り返る。
「ありがとうございます。これでいつもより保ちそうです」
「今日は表に行くって言ってたからね」
ヤツヅリは道具をしまった薬箱の蓋を閉めて「ああでも」と続けた。
「ちょっと強めに巻いてあるから、痛くなったりしたらすぐ外すんだよ」
「はい……でも、できるだけ外さないよう頑張ります」
「そうだね。それじゃあ――はい」
ヤツヅリは畳んで置いてあった制服とマフラーを手渡す。
「ありがとうございます」
「そこのベッド使って良いから、ゆっくり着替えな」
「はい」
サカキは受け取った制服をベッドに制服を置き、カーテンを閉める。
机に向かったヤツヅリの後ろでごそごそと物音がして。しばらくするとランナーがカーテンレールをゆっくり滑る音が聞こえた。
「ヤツヅリさん。うまく着れてますか?」
「うん?」
ぎい、と椅子ごと振り返ったヤツヅリは落ちかけていた眼鏡を上げてサカキを眺める。
ズボン。シャツ。マフラー。制服の着こなしは慣れたもので、包帯はどこからも見えないようになっていた。
「うん。問題ないかな――ああ」
まって、とヤツヅリは立ち上がる。不思議そうなサカキに後ろを向かせ、マフラーを首の後ろで軽く結んだ。
「こうすれば押さえる必要もなくなるだろう。うん、これで」
「わあ。なんかいいですね! ありがとうございます」
「この間、そうしてる生徒を見たんだ。よく考えるよね」
「そうですね。ふふ、いいですね」
えへへ、と嬉しそうにサカキが笑う。こうしていると年相応というか、中等部に混じっていてもきっとバレないだろうなと思わせた。
ただし体質がそうはさせてくれない。それだけが問題だ。
「それじゃあ、いってきます」
ぺこり、とサカキは両手を前に揃えて頭を下げる。
ヤツヅリは「うん。頑張っておいで」と見送り、椅子に座り直した。
「――今のは、誰だ?」
サカキとわずかな時間差で入ってきた声で顔を上げると、そこには灰色の狐が立っていた。
「ああ、タヅナくん。お帰り」
「ああ。戻った」
そう言いながら摘んできた薬草を籠に入れる。積んできたばかりの草の匂いが、薬品の匂いに混ざる。
「それで、さっきの襟巻きの」
「ああ、サカキくんだよ。あとで紹介しよう」
「サカキ。か」
ふむ。とタヅナは頷き、何かに気付いたように首を傾げた。
「動きがなんだか鈍かったように見えたが。彼は――人形か何かか?」
タヅナの言葉にヤツヅリはくすりと笑い、首を横に振る。
「いや、アレは包帯とかテーピングとか……色々巻いてるから。服で隠れてるのによく分かったね」
「うむ。身体のあちこちを庇うような動きだったからな。にしても、包帯……? あれほど動きが鈍くなる程に必要とは、怪我か?」
それなら自分の薬を分けようとかそう言うことを考えているのだろう。
「まあ、似たようなものだけど、そこはね……サカキくん気にしてるから、オレから話すのはちょっとやめておこう」
「ほう」
「もう一度ここに来るかもしれないし。そしたら色々分かるさ」
多分、来るだろうね。とヤツヅリはふう、と息をつく。
「ああ。そうだ。それで、ちょっと手伝って欲しい事ができるかも」
「? ……手伝い、とは」
頭の上に疑問符を浮かべるタヅナに、ヤツヅリは薬棚の一角を指差す。
「君がこの間作っていた塗り薬。アレが役に立つかもしれない」
「……? あれは私とお前で効能は試しただろう?」
「うん。だからさ」
ヤツヅリの言葉がどういうことか分からないタヅナは、「そうか」とだけ頷いて自分専用にと充てがわれた薬棚に視線を向ける。そこには先日試作した傷薬が入っていた。
「お前がそう言うのなら、用意しておこう」
「ああ。できればちょっと多めに頼むよ」
「多めに……?」
不審がるタヅナに、ヤツヅリは「多めに」と繰り返す。
「いや、ないに越したことはないんだけど。よろしく」
「……お、おう」
タヅナはよく分からないまま、こくりと頷いた。
□ ■ □
校内をうろついていたハナは、売店ホールに座っているサカキを見つけた。
「おや、さっちゃん」
「あ、ハナさん」
こんにちは、と頭を下げるサカキの動きにハナは違和感を覚えて首を傾げた。ぎこちない……いや、ちょっとだけ動きにくそうな。近寄りながらそんな事を考えていると、マフラーの影から覗く首に、真新しい白い布が見えた。なるほど。とハナは心の中で納得する。きっと包帯を巻き直したばかりなのだろう。
「やあ。今日はかわいいマフラーの巻き方をしているね」
「これ。ヤツヅリさんが結んでくれたんです」
「ほうほうなるほど、ヤツヅリ君が」
そう言いながら、マフラーの形をそっと直す。
「うん。これでカンペキだ」
それで、とハナはサカキの隣で壁に寄りかかり、話を続ける。
「ここに居るってことは、今から表に行くのかい?」
「はい」
「そうか。今日は誰と? ウツロさん?」
「いえ。今日はサクラさんと一緒です」
えへへ、となんか嬉しそうな顔でサカキは答える。
「サクラ君か――と、噂をすれば、か。来たな」
ハナの視線の先には、ぱたぱたと駆けてくるサクラの姿があった。その腕には布に包まれた大きな箱が抱えられている。
「お待たせ……ごめんね。ちょっと遅くなっちゃって。って。あれ。ハナちゃん」
呼吸を整えながら謝るサクラは、顔を上げてようやくハナに気付いたようだった。そんな彼に、ハナは「やあ」とひらひら手を振って見せた。
「ハナちゃんも外に?」
「いや、ボクはたまたま通りかかっただけさ。邪魔なんてするつもりはないよ」
サクラは「そうか」と頷いて箱を抱え直す。
「しかしなんだか重そうな箱だな。今日は何用なんだい?」
「これはウツロさんからちょっと頼まれごと。化石を交換してきて欲しいって」
サクラが脇に抱えていた包みを解いて見せる。古くて大きな木箱。ガラスの蓋から見える中身はきれいに仕切られていて、いくつか石が入っていた。名前も一緒に貼ってあるが、古すぎて読めない所もある。
「ははあ、なるほど。先日さっちゃんが聞いた音の正体達か」
「うん。それで、すぐに済む用事ならサカキくんも一緒に行かないかって誘ってみたんだ」
こくこくと隣でサカキが頷く。
「僕。誰かと一緒じゃないと……表に、行くの怖いので」
「そうだね。その方が安心だ。だがさっちゃん。前よりは良くなってきているのだろう?」
「はい。少しは。でも、やっぱりそんなに長くは持ちませんし……。なので、今回はヤツヅリさんにもちょっと強めに巻いてもらいました」
「ああ、だから動きがぎこちなく見えるんだな。まあ、大丈夫さ。ボク達を肯定するのは噂話。その存在を存分に誇示してきても構わないんだよ」
「はは……そうですね」
サカキは少々自信なさげに笑う。
ハナはそんなサカキの姿を見てうんうんと頷いた。
「どんな姿であれ、それがさっちゃん、君なんだ。生徒達が怖がろうとも、ボク達は決してそんな事はしない。サクラ君もフォローしてくれるだろうし、安心して行ってきたまえよ」
親指をぐっと立てて笑うハナに、サカキは目を細めた。
「――はい。ありがとうございます。それじゃあ……サクラさん」
「うん。行こうか」
「行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振るハナに見送られ、二人は昇降口から出て行った。
みんなサカキと呼ぶから、それ以上名乗る事はほとんどない。
背は小さく、白いシャツとズボンはぶかぶか。くりっとした目は茶色く。ぱらぱらとした黒髪を短く整え、首には淡い橙のマフラーをしている。
その制服とマフラーの下はというと。
包帯とテープタイプの絆創膏があちこちに巻かれている。
普段の生活を送るだけならば外すこともできるのだが、サカキはそれをしようとはしない。
それは、自身がどのような話なのかを深く自覚している証拠とも言えた
基本的に裏側の校舎内で生活をしているサカキだけれども、表に興味がない訳じゃない。
学校生活の楽しさもちゃんと知っている。
あくびをかみ殺しながら受ける、ちょっと退屈な授業も。
定期的に行われる難しいテストも。
みんなでおしゃべりする休み時間も。
少しだけ面倒くさい掃除時間も。
なんだかんだ言って楽しい日々の一部だ。
だって、かつてはサカキ自身もそうだったから。
□ ■ □
保健室。
「よし。これでどうかな」
ヤツヅリの言葉で、サカキは姿見に映る自分を見た。
いつも制服で過ごすから、自分でもあまり見ることのない半袖の体育着。
そのあちこちに包帯が巻いてあって、見た目はとても痛々しい。実際は少し動きにくいだけだ。伸縮性のある包帯とネットで固定されているから、動かせないことはないけれど。阻害されてしまうのは仕方ない。
それぞれを軽く動かしてみて、取れたり緩んだりしないかを確認する。
手首。腕。よし。
足。膝。よし。
腹部。よし。
肩。首。よし。
自分で巻くよりもずっと、負担は軽くしっかりと固定されている。
「すごいですヤツヅリさん」
やっぱり僕ではこんなにしっかり巻けません、とサカキはくるりとヤツヅリを振り返る。
「ありがとうございます。これでいつもより保ちそうです」
「今日は表に行くって言ってたからね」
ヤツヅリは道具をしまった薬箱の蓋を閉めて「ああでも」と続けた。
「ちょっと強めに巻いてあるから、痛くなったりしたらすぐ外すんだよ」
「はい……でも、できるだけ外さないよう頑張ります」
「そうだね。それじゃあ――はい」
ヤツヅリは畳んで置いてあった制服とマフラーを手渡す。
「ありがとうございます」
「そこのベッド使って良いから、ゆっくり着替えな」
「はい」
サカキは受け取った制服をベッドに制服を置き、カーテンを閉める。
机に向かったヤツヅリの後ろでごそごそと物音がして。しばらくするとランナーがカーテンレールをゆっくり滑る音が聞こえた。
「ヤツヅリさん。うまく着れてますか?」
「うん?」
ぎい、と椅子ごと振り返ったヤツヅリは落ちかけていた眼鏡を上げてサカキを眺める。
ズボン。シャツ。マフラー。制服の着こなしは慣れたもので、包帯はどこからも見えないようになっていた。
「うん。問題ないかな――ああ」
まって、とヤツヅリは立ち上がる。不思議そうなサカキに後ろを向かせ、マフラーを首の後ろで軽く結んだ。
「こうすれば押さえる必要もなくなるだろう。うん、これで」
「わあ。なんかいいですね! ありがとうございます」
「この間、そうしてる生徒を見たんだ。よく考えるよね」
「そうですね。ふふ、いいですね」
えへへ、と嬉しそうにサカキが笑う。こうしていると年相応というか、中等部に混じっていてもきっとバレないだろうなと思わせた。
ただし体質がそうはさせてくれない。それだけが問題だ。
「それじゃあ、いってきます」
ぺこり、とサカキは両手を前に揃えて頭を下げる。
ヤツヅリは「うん。頑張っておいで」と見送り、椅子に座り直した。
「――今のは、誰だ?」
サカキとわずかな時間差で入ってきた声で顔を上げると、そこには灰色の狐が立っていた。
「ああ、タヅナくん。お帰り」
「ああ。戻った」
そう言いながら摘んできた薬草を籠に入れる。積んできたばかりの草の匂いが、薬品の匂いに混ざる。
「それで、さっきの襟巻きの」
「ああ、サカキくんだよ。あとで紹介しよう」
「サカキ。か」
ふむ。とタヅナは頷き、何かに気付いたように首を傾げた。
「動きがなんだか鈍かったように見えたが。彼は――人形か何かか?」
タヅナの言葉にヤツヅリはくすりと笑い、首を横に振る。
「いや、アレは包帯とかテーピングとか……色々巻いてるから。服で隠れてるのによく分かったね」
「うむ。身体のあちこちを庇うような動きだったからな。にしても、包帯……? あれほど動きが鈍くなる程に必要とは、怪我か?」
それなら自分の薬を分けようとかそう言うことを考えているのだろう。
「まあ、似たようなものだけど、そこはね……サカキくん気にしてるから、オレから話すのはちょっとやめておこう」
「ほう」
「もう一度ここに来るかもしれないし。そしたら色々分かるさ」
多分、来るだろうね。とヤツヅリはふう、と息をつく。
「ああ。そうだ。それで、ちょっと手伝って欲しい事ができるかも」
「? ……手伝い、とは」
頭の上に疑問符を浮かべるタヅナに、ヤツヅリは薬棚の一角を指差す。
「君がこの間作っていた塗り薬。アレが役に立つかもしれない」
「……? あれは私とお前で効能は試しただろう?」
「うん。だからさ」
ヤツヅリの言葉がどういうことか分からないタヅナは、「そうか」とだけ頷いて自分専用にと充てがわれた薬棚に視線を向ける。そこには先日試作した傷薬が入っていた。
「お前がそう言うのなら、用意しておこう」
「ああ。できればちょっと多めに頼むよ」
「多めに……?」
不審がるタヅナに、ヤツヅリは「多めに」と繰り返す。
「いや、ないに越したことはないんだけど。よろしく」
「……お、おう」
タヅナはよく分からないまま、こくりと頷いた。
□ ■ □
校内をうろついていたハナは、売店ホールに座っているサカキを見つけた。
「おや、さっちゃん」
「あ、ハナさん」
こんにちは、と頭を下げるサカキの動きにハナは違和感を覚えて首を傾げた。ぎこちない……いや、ちょっとだけ動きにくそうな。近寄りながらそんな事を考えていると、マフラーの影から覗く首に、真新しい白い布が見えた。なるほど。とハナは心の中で納得する。きっと包帯を巻き直したばかりなのだろう。
「やあ。今日はかわいいマフラーの巻き方をしているね」
「これ。ヤツヅリさんが結んでくれたんです」
「ほうほうなるほど、ヤツヅリ君が」
そう言いながら、マフラーの形をそっと直す。
「うん。これでカンペキだ」
それで、とハナはサカキの隣で壁に寄りかかり、話を続ける。
「ここに居るってことは、今から表に行くのかい?」
「はい」
「そうか。今日は誰と? ウツロさん?」
「いえ。今日はサクラさんと一緒です」
えへへ、となんか嬉しそうな顔でサカキは答える。
「サクラ君か――と、噂をすれば、か。来たな」
ハナの視線の先には、ぱたぱたと駆けてくるサクラの姿があった。その腕には布に包まれた大きな箱が抱えられている。
「お待たせ……ごめんね。ちょっと遅くなっちゃって。って。あれ。ハナちゃん」
呼吸を整えながら謝るサクラは、顔を上げてようやくハナに気付いたようだった。そんな彼に、ハナは「やあ」とひらひら手を振って見せた。
「ハナちゃんも外に?」
「いや、ボクはたまたま通りかかっただけさ。邪魔なんてするつもりはないよ」
サクラは「そうか」と頷いて箱を抱え直す。
「しかしなんだか重そうな箱だな。今日は何用なんだい?」
「これはウツロさんからちょっと頼まれごと。化石を交換してきて欲しいって」
サクラが脇に抱えていた包みを解いて見せる。古くて大きな木箱。ガラスの蓋から見える中身はきれいに仕切られていて、いくつか石が入っていた。名前も一緒に貼ってあるが、古すぎて読めない所もある。
「ははあ、なるほど。先日さっちゃんが聞いた音の正体達か」
「うん。それで、すぐに済む用事ならサカキくんも一緒に行かないかって誘ってみたんだ」
こくこくと隣でサカキが頷く。
「僕。誰かと一緒じゃないと……表に、行くの怖いので」
「そうだね。その方が安心だ。だがさっちゃん。前よりは良くなってきているのだろう?」
「はい。少しは。でも、やっぱりそんなに長くは持ちませんし……。なので、今回はヤツヅリさんにもちょっと強めに巻いてもらいました」
「ああ、だから動きがぎこちなく見えるんだな。まあ、大丈夫さ。ボク達を肯定するのは噂話。その存在を存分に誇示してきても構わないんだよ」
「はは……そうですね」
サカキは少々自信なさげに笑う。
ハナはそんなサカキの姿を見てうんうんと頷いた。
「どんな姿であれ、それがさっちゃん、君なんだ。生徒達が怖がろうとも、ボク達は決してそんな事はしない。サクラ君もフォローしてくれるだろうし、安心して行ってきたまえよ」
親指をぐっと立てて笑うハナに、サカキは目を細めた。
「――はい。ありがとうございます。それじゃあ……サクラさん」
「うん。行こうか」
「行ってらっしゃい」
ひらひらと手を振るハナに見送られ、二人は昇降口から出て行った。