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作者: 鈴奈
Exspetioa2.12.24 (1)
 昨日、大変なことがありました。
 ラジアータさんとお会いしたのです。

 夜の祈りを終え、深い眠りについた後。
 私の耳に、「起きて」というたくさんの声がうっすらと聞こえてきました。
 目を覚ますと、私の枕もとに、三羽の蝶をまとったひとりの花の修道女が立っていました。窓からわずかに射し込む夜の光でうすぼんやりとお顔が見えたのですが、見覚えがありませんでした。両手には黒い手袋をしていて、花の色も形も見えませんでした。どなたでしょう、夢でしょうか……。そう思いながら体を起こすと、

「身支度を整えて。お姉さまがお呼びよ」

 と吐き捨てるようにおっしゃいました。
 私は訳もわからぬまま、急いで支度をしました。そうして、急いでついていきました。「早く、早く! お姉さまをお待たせしないで!」としきりにおっしゃるために、焦ってしまって、何も考えられなかったのです。
 花の修道女たちの部屋をすべて通り過ぎ、一階に降りる階段に足を踏み入れた時、案内してくださっていた方の体が赤く光りました。そして、階段の一番下に、光り輝く赤い扉が現れたのです。
 イクス・モルフォの力だ、と私は察しました。その力のことを訊こうとして、「あの」とお声を掛けてみたのですが、

「あなたとなんて、話したくないわ」

 と言われてしまいました。少し、悲しかったです。
 彼女が、手に持つ鍵を扉に差し入れまわすと、扉が開きました。すると、扉の中から闇が迫ってきました。たちまち私は、真っ暗な空間に包まれました。
 どうしよう、ここはどこなのだろう……。きょろきょろしていると、頭の上に、四つほどの淡い光が灯りました。目の前に赤い格子があるのが見えました。私のすぐ傍には、赤い椅子があります。私の立つ足もとは、ずいぶん狭いこともわかりました。この特徴に、私は、シスター・アナベルたちのお話を思い出し、ぴんときました。
 エスの指輪をもらう場所。

「懺悔室……」

 知らず知らずにそうつぶやくと――。

「ご名答」

 空気に溶けるような、なまめかしいお声が響き渡りました。
 目を凝らして格子の向こうを見てみると、修道服を着たお方が脚を組んで座っているお姿が、うっすらと見えました。ですが、私の知っている修道服のかたちとは違いました。大きな白い三角襟。太ももの上丈までのとても短い黒のワンピースは、体にぴったりと張り付いているようでした。周りを、何羽もの蝶が舞っていました。

「お姉さまをじろじろ見ないで! 失礼だわ!」

「あっ、申し訳ありません!」

 案内してくださった方のお声が格子の向こうから飛んできて、私は咄嗟に深く頭を下げました。

「座って頂戴」

 ねっとりとしたお声に従い、私は一礼して座らせていただきました。

「初めまして、シスター・セナ。私はラジアータ」

 私が一瞬息を呑んだ間に、私を案内してくださったお方が、

「お姉さま! お名前を言っていいの⁉」

 と声をあげました。ラジアータさんは、

「大丈夫よ。私の可愛いリコちゃん」

 と甘い声でおっしゃいました。彼女は、「もう……そうやってお姉さまはいつも私を喜ばせる……」と体をくねくねさせて、喜んでいらっしゃいました。
 リコ――シスター・リコ……。聞いたことのないお名前でした。花の修道女の数が少なくなって、今いらっしゃるすべての花の修道女のお名前は存じ上げているはずだったのですが……。ぼんやりと悩んでいる私に、ラジアータさんが話しかけました。

「シスター・セナ。私の名前、聞いた事は有るわよね」

「あ、はい。あの……お姿が見えた時、もしかしたら、と思っておりました」

「あら、凄い。良く私の事を勉強してくれているのね」

 シスター・リコが、「一番ラジアータお姉さまのことを勉強しているのは私よ!」とおっしゃいました。

「今日はね、シスター・セナ。貴女とお話してあげようと思って呼んだのよ。私とお話ししたいのでしょう?」

 私はびっくりしました。どうしてわかったのでしょう。

「何もかも知っているわ。可愛いリコちゃんのお蔭でね」

 シスター・リコが、「まあ、またかわいいだなんて、お姉さまったら……」と照れた声でつぶやかれました。
 シスター・リコは、花の修道女たちの部屋を掃除する補佐役に紛れ込み、ラジアータさんの代わりに、修道女たちにエスの手紙を渡す役割を担っているそうです。そして手紙を渡す相手を選ぶために、花の修道女たちの日記を読み、そのうち気になった内容のものをラジアータさんに報告しているそうです。
 時折、ラジアータさんに体を貸し、実際の光景や日記を見せてさしあげているそうです。体を貸すとはどのようなことか、いまひとつわからなかったのですが、ニゲラ様からお聞きしていた「毒」の力だけではなく、色々なことがおできになるのだな、と思いました。
 私の日記も、ずっと読まれていたのでしょうか。そう思うと、とても恥ずかしい気持ちになりました。

「それで? 私と、何の話をしたいの?」

「あの……たくさんあるのですが」

 そうつぶやいた途端、シスター・リコが「図々しいわ! お姉さまはお暇じゃないのよ!」と叫びました。私は、どうしよう……と悩みましたが、ラジアータさんが、「言って」と促されるので、一番初めに浮かんだ最初の問いをお訊きしようとしました。ですが、なんとお呼びしたらいいかわからず、まずはそのことをお伺いしました。シスター・リコは、「私のお姉さまのお名前をお呼びしようだなんて図々しいわ!」と怒り通しでいらっしゃいました。私は少し困ったのですが、ラジアータさんが、「許してあげなさい、リコちゃん」とおっしゃると、「お姉さまがおっしゃるなら……」とたちまち承諾されました。私は、シスター・リコが気を悪くされないよう、「さん」をつける提案をいたしました。シスター・リコは、「私の高貴なお姉さまになんてこと!」とお怒りになりましたが、距離が一番遠く感じる敬称であるというシスター・フリージアの教えをお伝えしたら、「まあ、そういうことならいいかしら、お姉さま?」と少し気分をよくされました。ラジアータさんも承諾してくださいました。
 私は、話を続けました。

「ニゲラ様にお話をお聞きし、ラジアータさんは、とても素敵なお方のように思えました。ですが、どうして私たち花の修道女を蟲に変え、私たちを亡ぼそうとされているのですか?」

 シスター・リコが、「お姉さまが素敵なのは当然のことよ! というか、こっちの目的をそう簡単に言うと思っているの? とんだ馬鹿ね!」と怒りの声でおっしゃいました。
 ラジアータさんが、「可愛いリコちゃん。お散歩していらっしゃい」とおっしゃいました。シスター・リコは素直に「はあい、お姉さま!」とお応えになりました。
 ふっと、シスター・リコの気配が消えたようでした。ラジアータさんが、格子に顔を近づけ、私を覗き込みました。こんなお顔をしていらっしゃるんだ、と素直な感動を覚えました。

「さて、邪魔ものは居なくなった事だし、貴女の訊きたい事に答えてあげる」

「シスター・リコとは、エスのご関係ではないのですか?」

「あの子は、北の花の修道女の生き残り。亡ぼそうと思った所で『箱庭アルタス』――空間を自由に造れる便利なイクス・モルフォに成ったから、毒を入れて操っているだけ。……嗚呼、其れより、質問の答えを教えてあげなくちゃね」

「いいのですか?」

「ええ。どうせもう直ぐ、全て終わるから」

 ラジアータさんが、にやりと、不気味に笑いました。

「私がどうして貴女達を蟲にしているか……。簡単よ。私は、壊すのが大好(だあいす)きなの。貴女達の心が、体が、貴女達が造ったお城が、日常が……壊れていく様を見るのが楽しいの」

「そんな……。どうしてですか?」

「貴女達が神の創ったものだから」

「神様を、憎んでいらっしゃるのですか?」

「ええ。死んでも良いほど嫌いだわ」

 ラジアータさんの目が、暗い色で、ぎらりと光りました。心の底から憎んでいらっしゃることを感じ、恐ろしい気持ちになりました。ですが私は、ラジアータさんに伝えなければならないと思い、胸を握りました。

「私たちはたしかに、神様から命をいただきました。そのことには、尽きないほどの感謝をしております。ですが、私たちは、自分の生を咲いています。神様のものではありません。私たちは今、そういう気持ちで咲いています」

「そう云う考えを持って居るのは良い事ね。でも、何方(どちら)にしたって、私は貴女達が邪魔なの。この楽園は、私が貰う」

 低いお声に、私は、こちらが本心なのだと察しました。
 ですが、それを隠すように、ラジアータさんはふっと笑みをこぼされました。

「貴女の質問は此処迄。次は、私の番よ。
 この部屋は懺悔室。貴女にも、抱えている罪が在るでしょう。――さあ、懺悔なさい。貴女の罪を。貴女は、ニゲラとエスに成りたいのでは無ァい?」

 ドキッとしました。やはり日記が読まれていたのだと気付き、カーッと顔が熱くなりました。
 でも、違うのです。たくさんたくさん考えて、ニゲラ様とはエスにならなくていいのだと思ったのです。私がそう言うと、ラジアータさんは、はっと浅く笑い飛ばしました。

「じゃあ、本気で『神の花嫁』に為る心算つもり? 貴女、あんな奴と居て、幸せな訳?」

 指をさされて返答を促され、私は困りました。私は、神様にお会いしたことがないのです。私は、「わかりません……」とお答えしました。

「解らないって事は、幸せじゃ無いって事よ。何れにしろ、あんな奴と生涯を共にしたら、確実に幸せになんて成れない。寧ろ、死にたく成る程不幸になるわ。貴女、イヴの話は聞いた事が有るわよね」

 私は、うなずきました。神様が二番目に創造した存在で、神様を裏切った――と。

「そもそも、伝え方が可訝(おか)しいのよ。裏切っただなんて――嗚呼、反吐が出る。イヴは、神の事だって想っていたわ。神はその想いを受け取る事無く、イヴの愛するアダムに酷い仕打ちをした。イヴが自分だけを愛するよう仕向ける為に。彼奴あいつは、自分の孤独を埋められれば其れで良い。自分の幸せしか考えていない、自分勝手な奴なの。御負けに自分の創った物を、『自分の物』として扱っている。イヴの事も、ニゲラの事も、花の修道女たちの事も。貴女の事だってそう。貴女は神にとって、只自分の孤独を埋める為の物。そんな奴に、貴女の生と自由を奪われて良いの? 全てを幸せにしたいという思いも、好きな相手と生きる人生も。
 良い事? 自由を奪われることは自分の心を殺す事。自分に害を及ぼす奴とは離れなさい。一番大事なのは自分。自分を幸せにする選択をなさい」

 私は、なんて素敵なのだろうと感動し、「はい……」とお応えしました。ニゲラ様に似ていらっしゃるお考え。そして、生まれもって、当然そうであると信じているような洗練された芯の強さを感じました。僭越ながら、シスター・リコが「お姉さま」とお呼びになる理由がわかるような気持ちがいたしました。
 ラジアータさんは、ぷっと吹きだしたかと思うと、声高らかに笑いだしました。

「嗚呼、可笑しい。素直な子だ事。神が云っていたわ。貴女は希望だってね。だけど、貴女は神の希望では無く、私の希望だわ。二日後が楽しみね……」

 目の前に、六羽ほどの蝶が飛んできて、くるくるとまわりました。

「そろそろお別れね。最後に、もっと素直に心のままに、幸せに手を伸ばせるよう、贈り物を上げるわ……」

 両足と両腕に、何かが這い、巻きつくような感覚がしました。暗がりの中、目を凝らして見ると、椅子の脚と背もたれから、赤黒い蛇が伸び、私の体を捕えていたのです。きょろきょろとする私の顎が掴まれ、正面に向けられました。目の前に、ラジアータさんのお顔がありました。そして彼女は、一度、にやりと不気味に笑ったかと思うと、私の唇の中に、舌を入れました。ぬるりという感覚に驚いて、私は思わず、ごくりと飲み込んでしまいました。喉が鳴った音が聞こえた次の瞬間、私は、意識を失っていました。
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