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作者: 鈴奈
Exspetioa2.9.27
 今日は本当に、恥ずかしい思いをしました……。
 今日は、ニゲラ様の新しいお服ができあがりました。上下が分かれていて、上はおへその上までの丈の、ぴっちりとした黒いシャツ。首もとは私たちと同じ、釦付きの白い高襟。スカートは、左足側は短い丈、右足側は長い丈でした。皮のお靴も、かかとの高いものを改めてつくっていただきました。
 以前のお服より丈、袖感もぴったりでしたし、何より、ニゲラ様らしく、とても素敵でした。
 中庭へ行く途中、そうお伝えすると、ニゲラ様は隣の私とご自分の姿とを見比べながら、満足そうにおっしゃいました。

「よかったわ。胸もとを開けようか悩んだけど、こっちにして。セナとのバランスが取れてる」

「私のことも考えてくださったのですか? ありがとうございます」

「私がしたいだけよ」

 ニゲラ様はごきげんで、仕事中も、ニコニコしながら私を眺めてくださっていました。
 私は、ニゲラ様に、いつ、もう一緒にいられないということをお話ししようか、悩んでいました。
 
 休息の時間がはじまりました。ニゲラ様にお話をしようとすると、道すがら、ニゲラ様に「お似合いです!」「素敵です!」と声を掛け、手を振ってくださる方がたくさんいらっしゃいました。ニゲラ様は「どうも」とさらりとしたご様子で手を振り返し、すぐに私の話に耳を傾けようとしてくださいました。

「ニゲラ様!」と数人の子が集まってきました。皆、かかとの高い靴を履いていました。

「ニゲラ様にあこがれて、服飾の子に、かかとの高い靴をつくってもらったんです!」

「ニゲラ様ほど高くはできないけど……!」

「どうですか?」

「いいんじゃない。似合ってるわ」

 皆がキャアと高い声で歓喜しました。私は、胸に鈍い痛みを感じました。

「ニゲラ様、歩き方をおしえてください!」

「まだうまく歩けなくて!」

「慣れよ。お散歩してきたら?」

「じゃあ一緒に歩きましょうよ!」

「私たち、ニゲラ様とお話ししたいです!」

「悪いけど、私はセナと……」

「大丈夫です。私のことは気にせず、行っていらしてください」

 私は一礼をして、その場から足早に離れました。
 ニゲラ様が他の子と話しているのを見ていたら、胸が苦しくて、どうしようもなくなったのです。
 どうしてなのでしょう。前はただ、嬉しかっただけなのに。今は――そう。嬉しい、という気持ちが浮かんでこないのです。
 ……さみしい。そう。私は、さみしいのです。
 感情の正体がわかった時、私の足は、止まりました。いつの間にか、自分の唇をぎゅっと噛みしめていることに気が付きました。ですが、これを解いたら、涙があふれてしまいそうだったのです。

「セナ」

 後ろから、やさしいお声が聞こえました。私は、すぐに振り返ることができませんでした。噛みしめていた唇と、いつの間にか組んでいた指に、ぎゅっと力がこもりました。ひとつ静かな深呼吸をして、私はやっと振り向きました。でも、お顔を見ることができませんでした。
 ニゲラ様は、手を伸ばせば触れられる距離まで、そっと近づいていらっしゃいました。私には触れませんでした。あの子たちがあこがれていたニゲラ様のお靴が、私の目に入っていました。

「珍しく、素直じゃないのね」

 私は、なんと返せばいいのかわからなくて――それに、唇を開いたら、涙が出てしまいそうで、声を出せませんでした。しかし、泣きそうな気持ちを抑え込んで、唇を開きました。今なら言えると思ったのです。もう、一緒にいないということを……。

「私……もう、ニゲラ様とは一緒にいられません。ニゲラ様は、仲の良い方がたくさんいらっしゃいます。私と一緒にいなくても、ニゲラ様は、楽しく……」

「私の気持ちを決めないで」

 ニゲラ様は、やわらかくおっしゃいました。

「何があったの」

 私は、告白しました。
 シスター・コリウスが蟲になってしまったのは、私のせいだということ、これ以上同じような犠牲を出さないためには、一緒にいない方がいいのだということを話しました。

「それで、セナは幸せなの?」

 ドキリとしました。私は、私が幸せかどうか、考えていなかったのです。
 でも、私は、皆さんが幸せであれば、幸せでいられるのです。私がニゲラ様から離れて、皆さんの心が守られるなら、私は、幸せなはずなのです。だからきっと、これでいいのです……。
 私は、ゆっくりとうなずきました。
 さらりと、静かな風が流れました。うつむいていた私の視界に、ニゲラ様の新しいスカートがひらりとなびいたのが見えました。

「……そう。セナが幸せなら、私は、それでいいわ」

 ニゲラ様の靴が、くるりと向きを変えました。一歩、私から離れたのが見えて、私の視界にぶわりと涙が広がりました。ぽたぽたと地面に涙が落ちて染みて消えていきました。堪えられなくなって、うずくまりました。びしょびしょに濡れた顔を覆って、声を漏らして泣きました。
 私は、この世界に、たったひとりになってしまったような気持ちになったのです。

 ――ああ、やっぱり、私…………私は…………。

 想いが募った時。温かなぬくもりが、私を包み込みました。

「――セナ。あなたの気持ちを、全部教えて。セナの、本当の幸せを」

 神様、ここで改めて告白します。
 私は、ニゲラ様が、ニゲラ様を慕う子たちと仲良く話しているのを見た時、素敵と言われて慕われるところを見た時――まるで、大切なものを失くしてしまったかのような気持ちになっていたのです。
 かつて、ニゲラ様のことは、私だけが知っていました。ニゲラ様は、私だけにほほ笑みかけてくださっていました。ニゲラ様とのあの時間、いえ、あの時のニゲラ様は、私の大切な「秘密」だったのです。
 それが今では、皆さんがニゲラ様のことを知っている。皆さんが、ニゲラ様とほほ笑みを交わしています。
 喜ばしいことだとわかっています。ニゲラ様の素敵なところが皆さんに伝わり、皆さんがニゲラ様を受け入れてくださった。ニゲラ様が孤独ではなくなり、温かい方々に囲まれて過ごせるようになった。ニゲラ様の幸せが叶ったと思いました。その光景を、楽園とさえ思いました。
 ですが、私の大切な「秘密」は、私だけのものではなくなってしまったのだと感じて……。

 私は、いやだな、と思ってしまったのです。

 私だけが、ニゲラ様の近くにいたのに。私だけが、ニゲラ様の素敵なところを知っていたのに。

 私の、私だけの、ニゲラ様だったのに――。

 その言葉を吐き出して、私は気付きました。
 私の心を覆いつくしていたもやもやは、周りの方々を傷つけて蟲にしてしまうかもしれないという思いではなく、この、私だけのニゲラ様でいてほしいという気持ちだったのだと……。
 自分がこんなに自分勝手だったなんて、私は思ってもみませんでした。
 涙と一緒に、心の底から、「ごめんなさい……」という言葉があふれてきました。

「私……それでも、やっぱり、ニゲラ様と一緒にいたい。一緒に、いたいです――……!」

 ニゲラ様は、私の体を少し離しました。そして、私の濡れた頬を指で拭ってくださいました。

「嬉しいわ、セナ。ずっと、見ているだけでよかった。あなたが幸せであればよかった。そんなあなたに、こんな風に気持ちを向けてもらっている。私は今、今まで感じたことがないくらい幸せ」

 ニゲラ様の両手が、私の頬を包みました。ニゲラ様のまっすぐな瞳が――そのお心が、私の目の奥から心に流れていくように感じました。そんな不思議な温かい気持ちになった、その時。ニゲラ様が、――これは、合っているかわからないのですが、いとおしそうにほほ笑まれたと私は思いました。

 そして。

「今も、そしてこれからも――私の楽園は、あなたよ」

 そうおっしゃった、すぐ後のことでした。

 ニゲラ様が、唇を、私の唇に重ねたのです……!

 私は、何が起こっているかわかりませんでした。ただやわらかい感触が……いえ、恥ずかしくなるので、書くのはやめておきます……。
 そうして、どのくらい時間が経ったのか――あまり長い時間ではないと思うのですが――ニゲラ様は唇をそっと離し、ふっと私にほほ笑まれました。そして、くるりと後ろを向くと、きっぱりとおっしゃいました。

「そういうわけだから、私もう、セナ以外とおしゃべりしないわ。わかった?」

 ぼんやりしたような、か細い「は、はい……」という声が聞こえました。私は、ニゲラ様の後ろに、ニゲラ様をお散歩に誘っていらっしゃった方々がいらっしゃったこと、そして、ここは雑貨職人の仕事場の近くであること――つまり、休息の時間に一番花の修道女が集まる場所にいて、周りに、たくさんの方々がいて、皆さんが私たちを囲むように見ていたことに気付きました。皆さんは両手で口を押さえて、目を大きく見開いたままでいらっしゃいました。
 私はたちまち、恥ずかしさで頭が沸騰しました。そしてそのまま倒れてしまったのです。
 周りにいた方々が心配し、ニゲラ様と一緒に、私を木陰まで連れていき、お水をくださったというのですが、私はまったく覚えていません。
 私はそのまま、自室に運ばれました。そして、鐘の音で目が覚めました。

「起きた?」

 美しいお顔が私を覗き込みました。私は、「今は何の時間ですか」とお訊きしました。

「午後の労働が終わった時間かしら」

 ということは、沈黙の祈りの時間です。私はお礼をお伝えすると、目を閉じました。
「修道女の誓い」を唱え、神様への感謝と愛を想いながら、明日、午前の労働の時に、マザーにお詫びをしに行かなければ、と思いました。
 じわじわと、さっきまでのことが思い出されてきて、私はまた恥ずかしくなり、思わず顔を覆いました。ニゲラ様がクスクス笑うお声が聞こえました。
 私は、深く息を吐いて、考えました。あれはいったい、なんだったのでしょう。唇を重ねる……。唇を触れる行為であるキスは、神様への愛をお伝えするためのものです。私は訳もわからず恥ずかしくなっていたのですが、もしかしたら、そういう愛を伝える部分を重ね合ったことで、愛を感じたかのように思えたのかもしれません……。でも、これは私の解釈ですし、ニゲラ様は別のお考えがあったのかもしれません。勇気が出なくて、訊けなかったのですが……。
 思い返して、私は気付いてしまいました。
 沈黙の祈りを終える鐘が鳴り、私は、慌ててニゲラ様にお話ししました。

「ニゲラ様を好きな方々が、がっかりされたかもしれません……」

「そんなの、気にしなくていいわ。互いの気持ちが通じ合わないことなんて、よくあることよ」

「ですが……せっかくニゲラ様の周りにたくさんの方が集まってくださるようになったのに……」

「そんなもの、はじめからいらないのよ。私は、あなたがいればいいの。私は、あなたといるために、ここにいるんだから」

「ですが……それで、傷ついた方々が蟲になってしまわれたら……」

 ニゲラ様のお顔が、近づきました。

「セナの、誰かを想う気持ちはとてもやさしくて美しいと思う。だけど、誰かのために自分の気持ちを我慢したら、あなたにはきっと、後悔と哀しみしか残らない。それは自分の心を亡ぼす。それだけはしてはいけないことだと、私は思うわ。
 私たちは、誰ひとりとして同じものはいない。誰も、同じ心をもってはいないの。心が通じ合わないことがあって当たり前だわ。だけど、自分のことだけは、自分で幸せにできる。
 だから、自分の幸せのために咲いて。あなたはあなたのことを、一番大切にして」

 心が温かくなりました。私のことを大切に想ってくださる気持ちが、体に染み込んでいくかのようでした。不安が、いっぺんになくなっていきました。そうです。ニゲラ様は、ずっと私をそう想っていてくださったのです。どうしてそのことを忘れてしまっていたのでしょう。どうしてニゲラ様が他の子たちとお話していただけで落ち込んでいたのでしょう。
 私がそうつぶやくと、ニゲラ様が、クスッとお笑いになりました。

「ほんと。セナがあんなにやきもち焼きだと思わなかったわ」

 私は、勢い任せで、「私だけのニゲラ様だったのに」と言ってしまったことを思い出し、ひどく恥ずかしくなりました。
 うつむいていると、ニゲラ様が、私の赤くなった頬を指の背で触れられました。

「私に、堕ちちゃったかしら」

 ドキリとして、呼吸が止まりました。目が大きく開いたまま、かたまってしまっていました。

「まあ、私は私のものだから、あなたのものにはなれないけれど」

 ニゲラ様はそうおっしゃると、満足そうにほほ笑まれました。

 今、気になって、「堕ちた」という言葉の意味を字引で調べてみました。「神でないものを愛してしまうこと」とありました。そうなのでしょうか。ですが、私が知っている「愛」――神様への「愛」とは、違う気持ちです。そして、皆さんへの「好き」とも、違う気持ちです。
 こんなにひとつひとつの言葉と仕草に恥ずかしくなりどおしで。幸せになっていただきたいけれど、独り占めしたい気持ちもあって……。この気持ちは、いったいなんと呼ぶのでしょうか。
 今はまだわかりません。でも、私は――。

 私を深く想ってくださり、それでも、一番にご自身を愛していらっしゃる。
 そんなニゲラ様と一緒にいたい。
 ニゲラ様と一緒にいることが私の幸せなのだと、心の底から思いました。
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