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作者: 鈴奈
Exspetioa2.7.24
 今日は午前の労働の時間に、りんご畑に行き、りんごづくりの皆さんのお手伝いをしてきました。
 シスター・パンジーが、昨日のうちにりんごづくり長のシスター・サクラと交渉してくださり、とても助かりました。私の、色々な仕事場にお手伝いに行って、ニゲラ様の素敵なところを皆さんに見ていただきたい、そうして、私とシスター・ルドベキアの楽園をつくりたいというお願いを、ひとつ返事で受け入れてくださったニゲラ様には、格別の感謝を心からお伝えいたしました。
 りんご畑に着くなり、ニゲラ様は、

「昨日も言ったけど、私、好かれるために私を偽ることはしないからね」

 とおっしゃいました。私は、

「はい。大丈夫です。ニゲラ様はそのままでいらしてください」

 とお応えしました。ニゲラ様はそのままで十分素敵でいらっしゃいますから。

 この四時間半で、りんごづくりの皆さんに、ニゲラ様の素敵なところ、おやさしいところを見ていただけますように。私は祈りながら、りんご畑に足を踏み入れました。
 ですが……りんごの収穫のお仕事があまりに楽しく、私は、そちらばかりに夢中になってしまっていました。
 はじめに、シスター・パンジーがお手本を見せてくださいました。ククッとひねって傾け、ぷちん。目にも止まらぬ速さで、へたをとらずに華麗にもぎ取る手捌きに、感動して拍手しました。ククッとひねって傾け、ぷちん。呪文のように唱えながら、ニゲラ様と一緒にやってみました。ですが、へたが切れません。

「ねえ、はさみを使っても構わない?」
 シスター・パンジーはおどおどした様子で、「鋏?」と聞き返しました。鋏というと、雑貨職人や服飾の皆さんがお使いになるあの……? 
 ニゲラ様の瞳と花が青く光りました。シスター・パンジーはびっくりしてのけぞり、私にどんとぶつかって、そのまま二人でしりもちをつきました。

「大丈夫?」

 目を上げると、ニゲラ様の体からはとっくに青い光が消えていて、手には二つの鋏が握られていました。ニゲラ様は鋏を土の上に放り投げると、私たち――私の上にいるシスター・パンジーの前にしゃがみました。シスター・パンジーは「ひっ」と悲鳴をあげ、跳ねました。

「驚かせて悪かったわ。立てるかしら」

「えっ、あっ、あっ……たて、たてて……たてるわ……!」

 シスター・パンジーは転がるように私の上からどくと、近くのりんごの木に縋りながら、立ち上がりました。腰と足ががくがくしていらっしゃいました。

「セナ、立てる?」

 ニゲラ様が私に手を差し伸べてくださいました。私はドキリとしましたが、なんとか小さく、「はい……」とお答えしました。そっと手を重ねると、ニゲラ様が勢いよく立ち上がり、私を立たせてくださいました。
 そうして、地面に放っていた鋏を、私にひとつ渡してくださいました。

 そこからはもう、楽しくて楽しくて……。ちょきんと切れる感触も、切った後に真っ赤で美しいりんごが私の手の中にぽとんとおさまるのも、肩に掛けた布袋にりんごがどんどん溜まっていくのも、木からりんごがなくなっていくのも。私は梯子の上で、夢中になってりんごを集めました。最初の方は、ニゲラ様と、「ほら、こんなに綺麗に採れたわ」「美しいです。さすがです。私は小さくてかわいいりんごが採れました」と見せ合いっこをしていたのですが、いつの間にかそれもなくなり、すっかり集中していました。

 シスター・パンジーが、「シスター・セナぁ。いったん下りた方がいいわよぉ」と声を掛けてくださいました。
 私ははじめ、なぜだかわからなかったのですが、布袋がパンパンになって、今にもはちきれそうになっていたからだと気付きました。たしかに、体がとても重い気がしました。

「そのまま下りたら危ないわ。先に袋をもらうから、こっちにちょうだい。気を付けて」

 ニゲラ様が私に両手を広げてくださいました。シスター・パンジーが梯子を押さえてくださいました。私は右手で梯子にしがみつき、左手で肩掛け紐を外したのですが――片手で持つにはあまりに重く、体がぐらりと傾いてしまったのです! 私の体が宙に投げ出され、シスター・パンジーが悲鳴をあげました。
 ごろごろと、りんごの転がる音がしました。私の集めたりんごはすべて、地面に散らばってしまいました。

 私の体も、地面に打ち付けられてしまう――!

 ぎゅっと目をつむり、恐怖でかたくなった体が、やさしく、やわらかく、温かなぬくもりに包まれました。
 ニゲラ様が、私を抱きとめてくださったのです。

「も、申し訳ありません……」

「大丈夫。よかったわ、何もなくて」

 ドキン! と胸が鳴りました。ニゲラ様のお声が、耳もとで聞こえたのです。そういえば、体がぴったりくっついています。私の胸がバクバクと鳴っているのが聞こえました。いけない、離れなくては、ニゲラ様に振動が伝わってしまう。そんなの、とっても恥ずかしい――! 
 足が地面に着くなり、急いで体を離しました。けれど、鼻の先が触れ合うような距離になると、再び、ニゲラ様が、私をぎゅっと抱きしめたのです。

「……セナ。今私たち、こんなに近くにいるのね」

 ぶわっと頭に熱が込み上がりました。そして、その熱が頂点に達した時、頭の中で、何かがプツンと弾ける音がしました。私はもうくらくらして、足腰の力が抜けてしまいました。ふにゃふにゃになって地面にへたり込む私に驚き、ニゲラ様が私を木陰に運んでくださいました。シスター・パンジーもびっくりして、ハーブ水をくださいました。ミントの香りがしておいしかったです。
 落ち着いてくると、私たちの担当した木の周りのりんごの木を収穫している方々の姿がやっと目に入りました。あの方々は、ニゲラ様のお姿をご覧になってくださったでしょうか。どういった印象をもってくださったのでしょうか。そのことがとても気になりました。
 地面に散らばったりんごを集めたところで、鐘が鳴りました。皆で一斉に指を組み、祈りました。いつもひとりなので、こういった場所で皆揃って沈黙の祈りを捧げることがとても新鮮でした。

 休息の時間、中庭に戻る道中、ニゲラ様と、楽しかったことを話し合いました。私はりんごを採ること全般が楽しかったのですが、ニゲラ様は収穫したりんごの中から真っ赤で美しいものを選び、布でピカピカに磨く作業が楽しかったとおっしゃっていました。そんなことをしていらっしゃったなんて、全然気付きませんでした。ぴかぴかのりんご、見てみたかったです。
 

 休息の時間があとわずかで終わる頃。シスター・パンジーとシスター・プリムラ、そして、もう四名のりんごづくりの方々がいらっしゃいました。お名前がわからないので、明日、シスター・パンジーにお聞きしたいと思います。

「シスター・パンジー。先ほどはありがとうございました。つきっきりでご指導いただいて……」

「いいのよぉ。それより私たち、二人に話があって来たのぉ」

 時間の関係でしょうか、シスター・パンジーはいつもよりせかせかとおっしゃいました。

「この子たちは、同じりんごづくりの子たちなんだけどぉ、皆エスなのぉ。さっきりんご畑の前でシスター・プリムラと話をしている時、集まってきてくれてぇ」

 四人の方々が、身を乗り出すようにして話してくださいました。

「私たち、あなたたちが抱きしめ合っているのを見て、素敵だと思ったの」

「そう。とても羨ましかった。愛を感じたわ」

「私たちが話していたら、どんどん集まってきて。そうしたら、シスター・パンジーたちも同じ話をしていて、それで」

「あんなに愛にあふれたことをする方が、ひどい方のはずがないと思ったの」

 嬉しさが込み上げました。ニゲラ様の素敵なところが、お伝えしたかったことが、伝わった。
 本当に本当に嬉しくて、じわりと涙が滲みました。
 シスター・プリムラが、一歩前に出ておっしゃいました。

「彼女が罪女ニゲラとわかった日、あんな風に言ってしまったけれど……。本当は私たち、はじめてお目にかかった時、とても愛にあふれた方ねって話していたのよ」

 シスター・パンジーもおっしゃいました。

「シスター・セナから話をもらった時、断れなかったのはその時の印象が大きかったからなのぉ。私もあの時の印象から、本当は、信じたい気持ちがあったのぉ。でも、皆が拒絶しているから、罪を犯したものだからって理由で、怖がっていたわぁ……。だけど今日、あなたたちの姿を見て――私たちの大切なセナを、大切にしてくださっている。そしてセナが、幸せそうにほほ笑んでいる。その姿を見て、私たち、決めたのよぉ。私たちは、罪女ニゲラ――いえ、シスター・ニゲラの心を信じるわぁ」

 そうです。ニゲラ様はこんなにやさしいのです。それが、伝わってよかった……。嬉しくて幸せで、涙があふれ出しました。ニゲラ様がすぐに膝をつき、私の背中を抱きしめてくださいました。
 四人の方々が、やさしく声を掛けてくださいました。

「私たちはエスだからわかるの。彼女の心は愛に満ちている」

「他の子たちも、きっと気付くはず」

「たくさんの子に信じてもらえるよう、願っているわ」

「私たちも友達に伝えておくわ」

 ありがとうございます、と言ったつもりだったのですが、涙でぐしょぐしょで、声になりませんでした。ニゲラ様はなぜか聞き取れたらしく、「ありがとうって言ってるわ」と代弁してくださいました。

「シスター・セナ。ずっと信じないでいてごめんなさい。だけど、あなたが彼女を信じ続けている姿を見て、私たち、やっと勇気が出たの」

「シスター・ニゲラを受け入れることは、マザーのおっしゃる『正しい美しさ』とは違うかもしれないわぁ。私たちは、皆が守るその『正しい美しさ』から外れてしまうことを怖がっていたのぉ。エスである分、他のことはきちんと守ろうと思っていたからぁ……」

「だけど私たちは、マザーのおっしゃる『正しい美しさ』よりも、シスター・セナの、受け入れ、信じる心こそが、本物の美しさだと思ったの。だから私たちも、そう在りたいと思ったのよ」

「あなたのことが大切なのに、ずっとひとりにしていたわぁ……。あなたは、私たちがエスであることを受け入れてくれたのにぃ……。ごめんなさいねぇ……」

 私は、首を振りました。シスター・プリムラが、

「明日は、私のいるハーブティーづくりのところに来てちょうだい。ハーブティーづくり長に、必ずうんと言わせておくわ」

 と明るい声でお約束くださいました。
 私が顔を上げると、お二人はふんわりとほほ笑んでくださいました。

 しかし直後、シスター・プリムラが真剣な面持ちになり、泣きじゃくる私をはさんで、ニゲラ様と向き合いました。

「罪女ニゲラ……いえ、シスター・ニゲラとお呼びした方がよろしいでしょうか」

「そうね。どちらかだったら、罪女の方がいいわ」

「では、罪女ニゲラ。あなたを信じるにあたり、やっぱり、確認しておきたいことがあるのです。あなたはどうして……」

「神を亡ぼしたのか、でしょう?」

 ニゲラ様は、さらりとおっしゃいました。振り向くと、いつも通り、唇にほほ笑みを浮かべていらっしゃいました。
 そして、ニゲラ様は、おっしゃいました。

「私が、私でいられなかったから」

 笑みがわずかにかげったように見えました。瞳の奥にも、苦しみがかすんで見えるようでした。ですが、ニゲラ様は言葉を続けられました。

「神にとっての楽園は、私の楽園ではなかった。神の楽園で、私は、息ができなかった。私にとって、私で在れないことは、死んでいるのと同じ。私は私を守るために、私らしく咲くために、神を亡ぼしたの」

 自分で自分を撃ったのも、同じ理由だったのだそうです。ラジアータに毒を入れられて、自分が自分でいられなくなりそうだったのだと……。
 私は、何も言えずにいました。ただ涙を拭いながら、じっと聞いていました。ニゲラ様は、空を見上げ、思い出すようにおっしゃいました。

「創ってもらいはしたけれど、私の命は私のものよ。私は私のために咲いている。だから私は、私の楽園をつくろうとしたの」

 ひとつひとつの言葉を、ご自身の心にぴたりとあてがうように、ニゲラ様は、とても力込めておっしゃいました。まるで、ご自身の信念を、改めてご自身で確かめていらっしゃるかのようでした。
 
 私は……たしかに神様を亡ぼしたということは、恐ろしいことだとは思います。
 ですが、ニゲラ様は、本当におつらかったのだと思いました。おつらくて、おつらくて、咲いていられないほどおつらかったのだと。それでも、咲きたいと思われたこと、そのために、ご自身で運命を切り拓かれたことを、私は、とても素敵なことだと思いました。そして、おつらい日々を送られた過去のニゲラ様を、とてもいとおしく思いました。
 私はやっぱり、ニゲラ様にも幸せになっていただきたい。そう、強く思いました。

 神様。どうかニゲラ様のお心をご理解ください。そして、ニゲラ様をお赦しください。
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