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作者: 鈴奈
Exspetioa2.7.13
 今日は目覚めてすぐに、胸が飛び出してしまうかと思いました。
 光に導かれ、うとうとと細く目を開けると、

「おはよう、セナ」

 と、美しいお顔がすぐ近くに見えたのです。
 私はキャッと悲鳴をあげて飛び起き、壁に背中を打ち付けました。なぜか、必死に掛け布団を抱きしめていました。
 ニゲラ様がベッドに肘をつき、両手で頬杖をついて、ほほ笑んでいらっしゃいました。
 私はバクバク動く胸を押さえながら、「おはようございます……」と小さくお返ししました。そういえば、前にもこんなことがあったような……。
 ニゲラ様はすでに着替えを終わらせていらっしゃいました。見張ってくださっていたシスター・ルドベキアがちょうど水場に手拭いを濡らしに行った直後に忍び込んでいらしたそうです。

「一日の流れを聞きたくて来たの。教えてくれるかしら」

「昨晩中にきちんとお伝えするべきでした。申し訳ありません」

 私は、「まず、三十分ほど朝の祈りをして……」とつぶやきました。ですが、口頭ではとても覚えるのが難しいことを思い出しました。私も、シスター・フリージアに一日の流れを教えていただいた際は紙に書いていただいたものでした。当時の私は字が読めず、結局、シスター・フリージアの後について一日の流れを覚えたのですが。
 でも、ニゲラ様は字をお読みになれるはず。私は日記を開き、一日の流れを書き記しました。私の字を見ると、ニゲラ様は、

「セナの字って、セナに似てかわいいのね」

 とおっしゃいました。顔が、かーっと熱くなって、思わず、両手で顔を押さえました。どうしてでしょう。同じようなことをマザーにお褒めいただいたことがあるけれど、その時の恐れ多さとは違う恥ずかしさが湧き上がってきたのです。ニゲラ様がベッドに肘をつき、私を見上げていらっしゃるために、そのお顔が妖艶に見えるからでしょうか……。
 そう考えた時、私はようやく、ニゲラ様が床に座っていらっしゃることに気が付きました。

「あっ、申し訳ありません。どうぞ、椅子かこちらに腰掛けてください」

「いいのよ。ここの方がセナの全部が見えるから」

 私は、また恥ずかしくなりました。恥ずかしすぎて、何も言えなくなりました。
 黙り込んだ私ににこりと笑って、ニゲラ様は私の書いた一日の流れを眺めました。

「ふうん。やっぱりどこもおんなじね。じゃあ私、午前の労働の時間にセナのところに行くわ」

「えっ。それまでは……」

「部屋にいるわ。私、修道女じゃないもの」

 私は、どういうことかわかりませんでした。神様にかたちをいただいた私たちは、皆、「花の修道女」なのではないでしょうか?

「私と一緒にいたかった?」

 妖艶にほほ笑みかけられて、私の胸が、ばくんと大きな音を鳴らしました。恥ずかしい――いえ、恥ずかしいとは違う、熱くなるような胸の高鳴り……。この感情の名前は何なのでしょう。考えてもわからないけれど、私の秘密にしておきたい――不思議とそう思ったのでした。

 四時の鐘が鳴りました。私は、いつものように両手を組んで、静かに祈りを捧げました。
 手拭いを濡らしに行こうとニゲラ様をお誘いすると、「後で行くわ。行ってらっしゃい」と断られてしまいました。外にはシスター・ルドベキアが座っていらして、朝の挨拶を交わさせていただきました。「よく眠れたか」とやさしいお言葉をいただき、嬉しくなりました。

 しかし帰ってくると、「シスター・セナ! どうして罪女ニゲラが君の部屋に忍び込んでいたのを言わなかった!」と厳しく叱られてしまいました。手拭いを濡らしに行くようにニゲラ様の部屋に呼びかけに行くと人影がなく、もしやと私の部屋を見たら……という経緯だったようです。今度はきちんとお伝えします。

 手紙、沈黙の祈り、礼拝が終わり、食事の準備の最中。私は、ニゲラ様は召し上がらなくていいのかしら、と思いました。今まではどうしていらっしゃったのでしょう。私たちは水があれば枯れることはないのですが、もしかして、これまで一度も何も召し上がっていらっしゃらなかったのでしょうか。あの暗くさみしい牢の中でただひとり、何の楽しみや喜びもなく過ごしていらしたのでしょうか……。それを思うと、ますますひとりの悲しみがつらく思われました。
 食事が終わり食器を片付けていると、ケーキが三切れ余っているのに気付きました。余りは、希望すればいただけることになっています。私はお菓子づくりの方にお願いし、一切れいただきました。
 午前の労働に向かうと、中庭の長椅子に、ニゲラ様が座っていらっしゃいました。

「おかえり。待ってたわ」

 私はまた、ドキリとしました。

「あの、ケーキをお持ちしました。今日は色々な果物がたっぷり入っていて、とてもおいしかったです。休息の時間に、召し上がってください」

「預かっておくわ。でも、セナが食べてちょうだい」

「あ……苦手な果物などございましたか?」

「あまり食べ物は好きじゃないの」

「そうなのですね。申し訳ありません。では、後ほど私がいただきます」

 私はケーキを受け取ろうとしたのですが、「仕事中は邪魔でしょう。持ってるわ」と預かっていてくださいました。おかげで、仕事に専念することができました。
 ただ、集中がふつりと切れた時、ふと目を上げると、ニゲラ様がいつものように私を眺めていて……。はっきりと見えるほほ笑み、はっきりと感じるまなざしに、体の底から恥ずかしさと熱さが込み上がってきました。塔の上にいらっしゃる時は、お会いできて嬉しいな、おやさしいまなざしで温かい気持ちになるな、と幸せな気持ちになっていただけだったのですが……。ドキドキしながら、顔を伏せて作業を続けましたが、顔が熱くなっていることばかりに気が取られて、手もとがもたついてしまいました。
 休息の時間がはじまりました。念のためもう一度確認したのですが、やっぱり食べなくていいとのことで、私はありがたくいただくことにしました。フォークはお借りできなかったので、一口ずつちぎりながら口に運びました。一口噛むと、香ばしい風味の、しっとりとした生地に、果物たちの濃厚な甘みがじんわりと染み出して、口の中が「おいしい」でいっぱいになりました。目を開けると、隣に座っていらしたニゲラ様が私の顔を覗き込むように、じっと見つめていらっしゃいました。

「幸せそう」

 ニゲラ様は、クス、と笑いました。また顔が熱くなりました。私は、どんな顔をしていたのでしょう。自分の知らない顔を見られてしまっていると思うと、恥ずかしくてたまらなくなりました。でも、ケーキを味わうのには目を閉じるのが決まりですし、何より、目を閉じた方がおいしさを感じることができますし……。私は見られるのを我慢して、目を閉じ、ケーキを口に運びました。見られている恥ずかしさより、おいしさの方が上まわり、結局夢中で食べすすめました。

「おいしそうに見えてくるわね。味、するの?」

「はい。たくさんの果物が入っているのですが、全部の味がきちんとして、おいしいがたくさんです!」

「へえ」

 そう声を漏らすと――ニゲラ様は、私の右手首をやさしく持ちました。そして、私がつまんでいた残り一口を、ニゲラ様のお口に入れたのです。ニゲラ様の唇が、私の指先に触れ――いえ、もはや、わずかにくわえられてしまって……頭のてっぺんに一気に熱いものが込み上げて、いよいよ爆発しそうになりました。驚きも相まって、ふらりと後ろに倒れそうになった私の肩を、ニゲラ様が掴んでくださいました。

「びっくりした。おいしいのね。ここのケーキ」

 バクバクと胸の音が鳴り響き、全身を激しく揺らしました。燃え上がった頭はくらくらするばかりです。私は、ニゲラ様のほほ笑みを前に、両手で顔を隠し、立ち尽くしていました。

 かすかな風に乗って、「シスター・セナ!」と、透明の声が聞こえてきました。目を上げると、シスター・プリムラとシスター・パンジーが、なぜだか少し先にある椿の木陰に小さくなって隠れていらっしゃり、「きてきて!」と一生懸命に手招きされていました。
 私は、「呼んでいただいているので、少し行ってまいります」とニゲラ様に一礼して、お二人の方へ向かいました。私が着くなりお二人は、

「誰なの、あの方?」

「初めて見る方だけどぉ……」

 とおっしゃいました。私は、マザーやシスター・ルドベキア、シスター・アザレアがお呼びになる「罪女ニゲラ」と呼ぶのが苦しく、少し考えて、「シスター・ニゲラです」とお伝えしました。まだ呼び方をご相談していなかったのです。お二人はこっそり、しかしまじまじとニゲラ様を見つめて、

「初めて聞くお名前だわ」

「どこかからいらしたのぉ?」

「でも、お帽子をしていないわ。どうしたのかしら」

「着ているのは東の修道服のようだけどぉ……」

「裾が切れているわ……」

「不思議な靴ぅ……」

 と、ぼんやりとお言葉をこぼしていらっしゃいました。

「そういえば、お二人はどうされたのですか」

「ただ遊びに来ただけだったのだけど、シスター・セナが見たことのない方といらっしゃったものだから」

「でも、なんだか入りにくい雰囲気で、声を掛けられなくってぇ……。それで見ていたら、なんだかいけないところを見てしまったみたいでぇ……」

 一瞬で、顔が真っ赤になったのを感じました。私の指からぱくりとケーキを召し上がったあの恥ずかしい瞬間を、お二人に見られていたなんて……。それに、やっぱり他の方が見ても恥ずかしいと思うことだったんだと思うと、もうたまらなく恥ずかしくて、じわじわ涙が滲んできました。

「ごめんなさい! 見るつもりはなかったのよ!」

「いえ……」と小さくつぶやく私に、お二人は慌てて、採れたてのりんごと、できたてのハーブティーをくださいました。「見てしまったお詫びよ」と、きっとお二人で食べようとしていたであろうクッキーまでいただいてしまいました。

「ごめんなさいね」

「また今度ねぇ」

 と、お二人はいそいそと帰っていかれました。
 私はたくさんのお土産を抱えてニゲラ様の隣に戻りました。

「たくさんもらってきたのね。りんご、食べる?」

「あ……そうですね。採れたてとおっしゃっていたので、今いただくのが一番おいしいですね。シスター・ニゲラは、りんごはお好きですか」

「私は修道女(シスター)じゃないわ。ニゲラと呼んで。りんごは、そうね。考えたことなかったけど」

 ニゲラ様の瞳と花とが一瞬青く光りました。その光が消えたと思うと、ニゲラ様の手には、美しい銀のナイフが握られていました。ニゲラ様は、りんごの真ん中にさらりと切れ込みを入れると、ぱっくりと割り、その片割れを、私にくださいました。
 ニゲラ様は、ご自分のりんごをしゃくりとかじられました。そして、やわらかい笑みを唇に浮かべられたかと思うと、

「――ええ。好きだわ」

 と、おっしゃいました。
 私は――どうしてでしょう。とても心の中がきらきらして……嬉しくて、幸せで――よかった、と思ったのです……。

「セナも食べたら?」

 私は、はたと気付きました。「ニゲラ」と呼ぶよう言われてしまったけれど、私もいつの間にかシスターをつけずに呼ばれてしまっています。このままそのように呼び合ったら、まるで、エスのよう……。私の心は、ぽんわりとした感覚になりました。ですが、「ニゲラ」とお呼びすることを想像すると、なんとも畏れ多い気持ちになりました。私はそのことをお伝えし、やはり、「シスター」をつけてお呼びしたい、とお願いしました。

「セナの頼みでも、そこは譲れないわ。神のために咲いていないし、神に尽くすつもりもない。だから私は、修道女じゃないの。シスターと呼ばれることも、修道女の慣習も、私はしない。私は私の心のままに、私の好きな私でいるわ。その方が、気持ちいいもの」

 素敵、と思いました。ご自身を貫かれていることが――ご自身のために咲いていらっしゃることが、私には、とても美しく映ったのです。

「わかりました……では、シスターはおつけしません。ただ、敬称はつけさせていただきたいのです。えっと、えっと……」

 他の敬称があるだろうかと一生懸命考えて、神様の「様」も敬称であることを思い出しました。

「ニゲラ様はいかがでしょう」

 ニゲラ様は、ぷっと吹きだされました。

「私、様なんて呼ばれるタチじゃないわ」

「だめでしょうか。ご希望はございますか?」

「本当は、呼び捨てが一番いいけれど。様ってつけられると、なんだか距離を感じるし」

「たしかに、そうかもしれません。どうしましょう」

「でもまあ、とりあえずはそれでもいいわ。セナが呼びやすいなら。呼び方で距離を感じている、私の心を変えればいいだけ。私たちは、たしかに隣にいるのだから」

 じっと見つめられて、また、ドキリとしました。だけど同時に、心が温かくなりました。
 今まで「あのお方」と呼んでいた方が、隣にいる。お名前を呼べる。
 私たちは、たしかに近くにいるのです。

 今日は数えられないくらい胸がドキドキし、顔が熱くなり、恥ずかしさでいっぱいになりました。こんな日は、これまでを思い返してもありません。
 明日もこのような一日になるのでしょうか。次はいよいよ、胸が爆発してしまうかもしれません……。
 ですが、とても楽しく、幸せな一日でした。
 神様、ニゲラ様を赦していただき、本当にありがとうございました。こんなに素敵な一日を過ごせたのは、神様のおかげです。心から感謝申し上げます。
 明日は、ニゲラ様と質問大会をしたいと思います。ニゲラ様も楽しんでくださいますように。
 明日も、幸せに過ごすことができますように。
 神に感謝。神に愛を。
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