残酷な描写あり
2-5 小鬼に策、美醜の狭間 後
巣穴の入り口付近で待機することにしばらく。太陽がようやく散歩に出かけたらしく、気温がぐんぐん上がるのが分かる。ようやく奥からの煙が薄くなってきた。
「じゃあ、奥に行こう」
今度はカインを先頭に横穴からの奇襲に用心しつつ進み、四人は松明を置いた場所に着いた。未だ煙が立ち上り、やや視界が悪い。
「し、消火しますか?」
「どうせこれ以上火を使うことはないし、お願いするよ」
ジュゥッという音と共に煙の代わりに湯気が立ち、それを最後に視界が晴れていく。
この場所は、昔は傭兵が使ったりしていたのだろうか。通路より大分広くなった場所で、古い毛布や武器が転がっていた。幸いゴブリンの姿はなく、しかし捕虜となった女性の姿もない。
カインは思案する。何故女性の姿がない? 食いつくされたのか? いや、最近村では鶏が襲われたとの情報があった。食料に困っていない連中が、貴重な苗床を食べたりはすまい。
となると……
「どこかに、小さな隠しスペースがあるのかな」
残党が、苗床の女性ともどもそこに引きこもって難を逃れているのかもしれない。するとピジムが、違和感を発見した。
「ねえ先輩。あの盾だけ壁に張り付いてるの、何か変じゃない?」
「ん? 確かに……」
カインが見れば、武具が散乱した中で大きな盾が一枚だけ、壁にきっちりと飾られたように立っている。あれを扉代わりに、小部屋に立て籠もったのかもしれない。
「ど、どうしましょう?」
「どうするも何も……決まってる。盾を壊して、内部に突入するよ」
グラシェスの疑問に答えるが早いかカインは床に手を当て、独特な文様を指で描きながら詠唱する。
「逞しき神樹よ。岩をも砕く命の息吹、立ち塞がる門を破りたまえ──」
紋様が輝きを放ち、巨大な丸太が眼前に出現した。カインが汗をぬぐって狙いをつけ、撃ちだす。
「『破城槌』!」
攻城兵器の名を冠したその攻撃は、『木杭』とは比較にもならない威力でもって盾を吹き飛ばし、巣穴全体を揺るがすほどの大音量で小部屋内部の壁も大きく陥没させた。
攻撃型の幻導士であるピジムがその威力に呆然と呟く。
「すっご……」
「詠唱にすごく時間がかかるし、体力的にも一発しか撃てない。でも、威力自体はご覧の通りさ。……って、僕のことは良い。中の様子を確認しよう」
大きく息を吐いたカインがよろよろと立ち上がり、小部屋に向けて歩き出す。呆け気味だった三人も我に返り、内部へと踏み込んだ。
吹き飛ばされ「く」の字に折れ曲がった盾の下からは、ゴブリンにしては太く長めの手足が覗いていた。恐らくはこの巣穴のリーダーだろう。子供と自らだけはここに隠れて生き残り、再起を図る算段だったのかもしれない。
次いで見たモノに、シェラの表情が歪んだ。
「……酷い」
目に飛び込んできたのは、度重なる凌辱と出産で痩せ細り、もはや元がどんな人間だったかも分からなくなった女性の遺体。どれだけ殴打されたのか、頭部は異様に膨れ上がっている。
そのそばには、生まれたばかりのゴブリンの幼体が六体。紫色の成体とは異なり薄ピンク色の身体で、遺体の皮膚を噛んだり引っ掻いていた。
喰おうとしているのだ。
「まずは、生き残りを殲滅しよう」
カインの言葉は理解できずとも、何となく意味を察したか。
幼体は短い足で立ち上がって外へと逃げ出そうとするが、瓦礫に躓く。ころりと転がり、耳障りな泣き声が上がった。
ゴブリンの赤ん坊も、人間のように泣くことがあるらしい。
「……このっ!」
シェラは杖を振りかぶり、幼体を殴りつけた。
目の前で人間の子供らしい振る舞いを見せるこいつが、どうしようもなく許しがたかった。杖が腹に食い込み、ぐにょっとした感触が手に伝わる。恐らく内臓が損傷したのだろう。
しかしシェラの腕力では、ゴブリンの幼体ですら一撃で殺すことはできなかった。その事実にまた腹が立ち、さらに力を込めて振り下ろす。
「えぇぇえいっ!!」
「クキャッ……」
今度は頭部を捉えた。未発達な頭蓋がポコッとへこむ。もう一撃。もがく幼体に執拗に攻撃を加え、徹底的に破壊した。その間に他の三人も幼体を殲滅し、巣穴の中に生きているゴブリンはいなくなった。
「これでゴブリンは全部だろう。お疲れ様」
「……」
カインが労うが、シェラは無言のまま、たった今この手で殺したゴブリンの幼体を見下ろすことしかできなかった。
誰がどう見ても、先ほどのシェラは怒りに任せて暴力を振るっていた。そして魔物相手とはいえ、ざまぁみろ、と殺したことに快感すら覚えてしまっていた。
「……遺体、どうしましょうか」
今回も前回同様に、遺体を弔うつもりだった。でもそれ、今の自分がやって良いのかな? 私だって本当は、ゴブリンと大差ないんじゃないのかな……?
そうは思ったが、シェラの善良な部分は、何も聞かずに遺体を捨て置くことを良しとしてはくれなかった。震える声で尋ねる。
「そうだね……。とても村に連れて帰ることはできないけど、埋葬するくらいならできるかな」
カインはここでも正しく、また優しかった。
「じゃあアタシが穴を掘るから、シェラは祈りをお願い。見た目、一番シスターっぽいし」
「は、はい……」
ピジムによって簡単に墓穴が掘られ、シェラは祈りを捧げ始める。だが心はいよいよ軋みをあげて涙が溢れ、祈りを止めざるを得なくなってしまった。
「どうしたんだい!? そんなに親しい間柄だとは聞いてないけど……」
「違うんです。違うんです……っ」
慌てるカインに、涙のわけを正直に話した。途中からもうほとんど言葉にならなくなってしまったが、彼は黙って、最後まで聞いていてくれた。
「怒りに、任せてっ。殺すなんて……そんなの、ゴブリンと同じじゃないですか」
「……」
神妙な顔で他の二人も聞き入っている。ひょっとしたら彼等にも、心当たりがあるのかもしれない。
「君もゴブリンも、生き物という点では同じだからね。怒りの感情くらいあるさ」
カインは安易に同調するでも、そんなことと軽んじるでもなく、静かに口を開いた。
「でも君は、女性を弔おうとしただろう? 奴等にそんな思考はない」
「でもっ。私みたいな、汚れた人間の祈りじゃ……」
──神様には届かない──。
「届くよ」
その先を言葉に出してはいけないよ、というカインの想いが見えるような遮り方だった。
「犠牲者を本気で悼む君も、怒りに染まった君も、等しく君だ。ある一部分だけが君なわけじゃない。神様が見ているのはきっと今この時、祈りを届けたいと本気で願っているかどうかだ」
「醜いのも、私……」
「うん。パーティを組んだ僕らが保証するよ、君はとても良い子だ。だから一度の過ちで、良い部分を捨てちゃダメだよ」
犠牲者を悼むのは善だ。だがその気持ちが強いほど、裏腹に加害者への怒りも強まる。だが醜い部分から目を逸らせば、善の部分も見えなくなる。どちらもシェラで、そのどちらかを見ようとしてはいけない。そうカインは言った。泣きじゃくっていたシェラは、鼻声を出す。
「……祈り、最初からやり直してもいいですか?」
「気持ちに整理はついた?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる。この青年に、この短期間にどれほど救われたか。シェラは改めて、女性の冥福を祈り始めた。
「いきなり泣き出したときは何かと思ったよー、マジメか!」
「うっ」
「で、でもそれだけ真剣に人を思えるってことですよね。す、すごく良いことだと思います」
四人は無事に村へと戻り、寝泊まりに提供された小屋で今日の依頼について話し合う。話題がシェラに及ぶと、ピジムが遠慮なく背中を叩く。グラシェスも、あのやり取りは心に響いたらしい。少し頬が紅潮している。
その様子を見守っていたカインが、今回の依頼を総括する。
「とにかく、誰にも怪我がなくて良かった。初陣で皆頑張ったね、お疲れ様」
「センパイこそ、作戦ハマりまくりですごかったよ!」
「はは、年の功ってやつだよ。火攻めも、僕の木とは相性が良いからね。さあ、しっかり休もう。明日からも、幻導士の仕事は続くんだ」
ピジムの賞賛にも謙虚に応じたカインの言葉で、全員が床に就いて瞼を閉じる。初めての魔物との戦いは緊張の連続。意識できなかったが、相当の疲労が溜まっていたらしい。何か考える前に意識は眠気に押し流される。
「……今度こそは……」
当然、カインのこぼした一言を聞き取った者などいなかった。
「じゃあ、奥に行こう」
今度はカインを先頭に横穴からの奇襲に用心しつつ進み、四人は松明を置いた場所に着いた。未だ煙が立ち上り、やや視界が悪い。
「し、消火しますか?」
「どうせこれ以上火を使うことはないし、お願いするよ」
ジュゥッという音と共に煙の代わりに湯気が立ち、それを最後に視界が晴れていく。
この場所は、昔は傭兵が使ったりしていたのだろうか。通路より大分広くなった場所で、古い毛布や武器が転がっていた。幸いゴブリンの姿はなく、しかし捕虜となった女性の姿もない。
カインは思案する。何故女性の姿がない? 食いつくされたのか? いや、最近村では鶏が襲われたとの情報があった。食料に困っていない連中が、貴重な苗床を食べたりはすまい。
となると……
「どこかに、小さな隠しスペースがあるのかな」
残党が、苗床の女性ともどもそこに引きこもって難を逃れているのかもしれない。するとピジムが、違和感を発見した。
「ねえ先輩。あの盾だけ壁に張り付いてるの、何か変じゃない?」
「ん? 確かに……」
カインが見れば、武具が散乱した中で大きな盾が一枚だけ、壁にきっちりと飾られたように立っている。あれを扉代わりに、小部屋に立て籠もったのかもしれない。
「ど、どうしましょう?」
「どうするも何も……決まってる。盾を壊して、内部に突入するよ」
グラシェスの疑問に答えるが早いかカインは床に手を当て、独特な文様を指で描きながら詠唱する。
「逞しき神樹よ。岩をも砕く命の息吹、立ち塞がる門を破りたまえ──」
紋様が輝きを放ち、巨大な丸太が眼前に出現した。カインが汗をぬぐって狙いをつけ、撃ちだす。
「『破城槌』!」
攻城兵器の名を冠したその攻撃は、『木杭』とは比較にもならない威力でもって盾を吹き飛ばし、巣穴全体を揺るがすほどの大音量で小部屋内部の壁も大きく陥没させた。
攻撃型の幻導士であるピジムがその威力に呆然と呟く。
「すっご……」
「詠唱にすごく時間がかかるし、体力的にも一発しか撃てない。でも、威力自体はご覧の通りさ。……って、僕のことは良い。中の様子を確認しよう」
大きく息を吐いたカインがよろよろと立ち上がり、小部屋に向けて歩き出す。呆け気味だった三人も我に返り、内部へと踏み込んだ。
吹き飛ばされ「く」の字に折れ曲がった盾の下からは、ゴブリンにしては太く長めの手足が覗いていた。恐らくはこの巣穴のリーダーだろう。子供と自らだけはここに隠れて生き残り、再起を図る算段だったのかもしれない。
次いで見たモノに、シェラの表情が歪んだ。
「……酷い」
目に飛び込んできたのは、度重なる凌辱と出産で痩せ細り、もはや元がどんな人間だったかも分からなくなった女性の遺体。どれだけ殴打されたのか、頭部は異様に膨れ上がっている。
そのそばには、生まれたばかりのゴブリンの幼体が六体。紫色の成体とは異なり薄ピンク色の身体で、遺体の皮膚を噛んだり引っ掻いていた。
喰おうとしているのだ。
「まずは、生き残りを殲滅しよう」
カインの言葉は理解できずとも、何となく意味を察したか。
幼体は短い足で立ち上がって外へと逃げ出そうとするが、瓦礫に躓く。ころりと転がり、耳障りな泣き声が上がった。
ゴブリンの赤ん坊も、人間のように泣くことがあるらしい。
「……このっ!」
シェラは杖を振りかぶり、幼体を殴りつけた。
目の前で人間の子供らしい振る舞いを見せるこいつが、どうしようもなく許しがたかった。杖が腹に食い込み、ぐにょっとした感触が手に伝わる。恐らく内臓が損傷したのだろう。
しかしシェラの腕力では、ゴブリンの幼体ですら一撃で殺すことはできなかった。その事実にまた腹が立ち、さらに力を込めて振り下ろす。
「えぇぇえいっ!!」
「クキャッ……」
今度は頭部を捉えた。未発達な頭蓋がポコッとへこむ。もう一撃。もがく幼体に執拗に攻撃を加え、徹底的に破壊した。その間に他の三人も幼体を殲滅し、巣穴の中に生きているゴブリンはいなくなった。
「これでゴブリンは全部だろう。お疲れ様」
「……」
カインが労うが、シェラは無言のまま、たった今この手で殺したゴブリンの幼体を見下ろすことしかできなかった。
誰がどう見ても、先ほどのシェラは怒りに任せて暴力を振るっていた。そして魔物相手とはいえ、ざまぁみろ、と殺したことに快感すら覚えてしまっていた。
「……遺体、どうしましょうか」
今回も前回同様に、遺体を弔うつもりだった。でもそれ、今の自分がやって良いのかな? 私だって本当は、ゴブリンと大差ないんじゃないのかな……?
そうは思ったが、シェラの善良な部分は、何も聞かずに遺体を捨て置くことを良しとしてはくれなかった。震える声で尋ねる。
「そうだね……。とても村に連れて帰ることはできないけど、埋葬するくらいならできるかな」
カインはここでも正しく、また優しかった。
「じゃあアタシが穴を掘るから、シェラは祈りをお願い。見た目、一番シスターっぽいし」
「は、はい……」
ピジムによって簡単に墓穴が掘られ、シェラは祈りを捧げ始める。だが心はいよいよ軋みをあげて涙が溢れ、祈りを止めざるを得なくなってしまった。
「どうしたんだい!? そんなに親しい間柄だとは聞いてないけど……」
「違うんです。違うんです……っ」
慌てるカインに、涙のわけを正直に話した。途中からもうほとんど言葉にならなくなってしまったが、彼は黙って、最後まで聞いていてくれた。
「怒りに、任せてっ。殺すなんて……そんなの、ゴブリンと同じじゃないですか」
「……」
神妙な顔で他の二人も聞き入っている。ひょっとしたら彼等にも、心当たりがあるのかもしれない。
「君もゴブリンも、生き物という点では同じだからね。怒りの感情くらいあるさ」
カインは安易に同調するでも、そんなことと軽んじるでもなく、静かに口を開いた。
「でも君は、女性を弔おうとしただろう? 奴等にそんな思考はない」
「でもっ。私みたいな、汚れた人間の祈りじゃ……」
──神様には届かない──。
「届くよ」
その先を言葉に出してはいけないよ、というカインの想いが見えるような遮り方だった。
「犠牲者を本気で悼む君も、怒りに染まった君も、等しく君だ。ある一部分だけが君なわけじゃない。神様が見ているのはきっと今この時、祈りを届けたいと本気で願っているかどうかだ」
「醜いのも、私……」
「うん。パーティを組んだ僕らが保証するよ、君はとても良い子だ。だから一度の過ちで、良い部分を捨てちゃダメだよ」
犠牲者を悼むのは善だ。だがその気持ちが強いほど、裏腹に加害者への怒りも強まる。だが醜い部分から目を逸らせば、善の部分も見えなくなる。どちらもシェラで、そのどちらかを見ようとしてはいけない。そうカインは言った。泣きじゃくっていたシェラは、鼻声を出す。
「……祈り、最初からやり直してもいいですか?」
「気持ちに整理はついた?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる。この青年に、この短期間にどれほど救われたか。シェラは改めて、女性の冥福を祈り始めた。
「いきなり泣き出したときは何かと思ったよー、マジメか!」
「うっ」
「で、でもそれだけ真剣に人を思えるってことですよね。す、すごく良いことだと思います」
四人は無事に村へと戻り、寝泊まりに提供された小屋で今日の依頼について話し合う。話題がシェラに及ぶと、ピジムが遠慮なく背中を叩く。グラシェスも、あのやり取りは心に響いたらしい。少し頬が紅潮している。
その様子を見守っていたカインが、今回の依頼を総括する。
「とにかく、誰にも怪我がなくて良かった。初陣で皆頑張ったね、お疲れ様」
「センパイこそ、作戦ハマりまくりですごかったよ!」
「はは、年の功ってやつだよ。火攻めも、僕の木とは相性が良いからね。さあ、しっかり休もう。明日からも、幻導士の仕事は続くんだ」
ピジムの賞賛にも謙虚に応じたカインの言葉で、全員が床に就いて瞼を閉じる。初めての魔物との戦いは緊張の連続。意識できなかったが、相当の疲労が溜まっていたらしい。何か考える前に意識は眠気に押し流される。
「……今度こそは……」
当然、カインのこぼした一言を聞き取った者などいなかった。
エレメンターズ豆知識
『葬送の祈り』
人間に幻素を与えてくれた龍族へ向け、生者が死者の遺志を継ぎ正しき世を守っていくことを伝える儀式。
葬送の種類によって祈祷文の内容が変わり、土葬の場合は大地を連想させる文言となっている。
『葬送の祈り』
人間に幻素を与えてくれた龍族へ向け、生者が死者の遺志を継ぎ正しき世を守っていくことを伝える儀式。
葬送の種類によって祈祷文の内容が変わり、土葬の場合は大地を連想させる文言となっている。