残酷な描写あり
1-2 初の依頼、緊張と異変 前
「ふぅぇ~……」
昼ごはんにはまだ少し早い頃。
シェラとテレザの二人は依頼主の牧場を目指して馬車に揺られていた。詰めればあと八人ほどは座れそうなゆったりした座席、天井は綺麗に手入れされた幌。
駆け出しのシェラにはあまりに不釣り合いで、乗り込むときに浴びた周囲の視線たるやそれだけで疲労のため息が漏れるほどだった。
「近くに私がいるんだから、堂々としてりゃいいのに」
この馬車を所望したテレザは、そう言って笑った。
「そうは言っても。駆け出しの中で、私だけこんな良い物に乗せてもらって良いんでしょうか……」
「良いのよ。そもそも、幻導士の階級で移動の快適さが変わっちゃうのこそどうかと思わない?」
「え? えーと……」
テレザにそうやって同意を求められても、安易にそうですね、とか、それはどうなんでしょう、と言えるほど幻導士として知識も、経験もシェラにはなかった。
「ま、折角乗ったんだし? ありがたく使わせてもらいましょ」
元々答えを求めてもいなかったのか。テレザはそう言って、一抱えほどの革袋から燻製肉を取り出して齧る。
「そのおっきな袋の中身、もしかして全部お肉ですか……?」
「うん。ちょっと塩が強いけど、美味しいわよ。はいっ」
当然、とばかりテレザは頷いた。差し出された一切れを口に入れると、しっかり利いた塩と香辛料が唾液の分泌を促す。続いて肉本体を噛み締めると、固い筋の間で縛り付けられていた強い旨味が口の中に解き放たれた。
「おいしい……!」
「でしょ? この辺だとファイトブルはいないし、新鮮だと思って」
「あ、と。多分……」
「あーファイトブル知らないか……もうちょっと北に住んでるデカい猪よ。今は肉が美味しいことだけ覚えといて」
「鹿の燻製は、村でたまーに食べましたけど……歯応えが全然違います。香りも、こっちが断然良いですし」
「分かる? チップに古い酒樽を使ってるの」
目を輝かせて一口一口しっかり噛みしめるシェラを、テレザは満足げに見つめる。シェラ以上のペースで肉を消費していくのも忘れない。
「これ、テレザさんが?」
「今ある分はぜーんぶ自家製。良いわよ、燻製。非常食にもなるし」
「非常食、こんなパクパク食べて大丈夫なんですか……?」
「そこは、うん。いつ作っても溢れないように。在庫管理ってやつよ」
「……あー、はい」
非常食は建て前で、肉を焼いて食べたいだけだなこの人。
シェラはそう確信した。言い訳しながらも、テレザの手は止まらないし。
「……もうすぐ牧場ね。到着したら何をするか、覚えてる?」
流石に手を止めたテレザが、表情を引き締める。
出発前にテレザがシェラに教えた、幻導士としての基本について。シェラはその内容を一言一句思い出しながら、慣れない馬車の揺れで舌を噛まないようゆっくり返す。
「えーと、まずは依頼主さんに挨拶をして。それから森に入る前に、痕跡のチェックを」
危険生物がいないという情報も、あくまで依頼が来た時点での話。生物は常に移動している。現地での確認を怠ると、あっさり死ぬことになる。
「よろしい。……それじゃ、折角良い馬車に乗れたし。私は少し寝るわ」
テレザは満足げに頷くと、足の装備類を外し始めた。あまりにテキパキとした動きに、シェラは目を丸くする。てっきり馬車の中でも、色々教えてくれるものだと思っていた。
「え? 寝ちゃうんですか?」
「いつ何が起こるか分からないもの。休めるときに休んどくのは幻導士の鉄則よ」
このまま現地に着いてしまったら、森に入るまでそう時間はない。森に入るまでのことは教わったが、森の中で注意することは、まだ教わっていない。不安に感じるシェラに、テレザはあくまでものんびりと答えた。
「それは、森に入るときに教えるわ。そもそも、最初から全部教えても、上手くいかないだろうしねー……ふわぁ」
テレザの口からいよいよ大きなあくびが飛び出す。そのまま座席に足まで乗せて横になり、シェラの向かい側を丸々占領してしまった。当然、素足もインナーも丸出しで。少々どころではなく眉をひそめたくなる光景である。女子力的に。
だがシェラの視線は、別の意味でテレザの足に釘付けになっていた。
「……やっぱり、逞しいんだなあ」
多くの野山を駆けてきたであろうそれはスラリとしなやかに伸び、だが頼りない印象は皆無だ。むしろ、余計な装飾を排した刀剣のような機能美すら感じさせる。
「……」
一方、とシェラはローブを捲って自らの足を見つめる。農作業の手伝いをしてはいたものの、鍬を振るって耕すような重労働は苦手だった。同年代と比べて背丈は小さく、手足も細い。これを取り柄に稼ぐ道もあったのだが……
と物思いに耽っていたシェラ。何やら視線を感じて視線を上げる。
「……うわーほっそ。色も真っ白、羨ましいわー」
「ぴゃぁああ! な、なっ何見てるんですか!」
いつの間にか目を開いたテレザが、シェラの足を食い入るように見つめていた。シェラが悲鳴をあげてローブを戻すと、テレザは拗ねたように露骨に唇を尖らせる。
「ちぇー。タダじゃダメか……。じゃあ、はいっ」
そう言ったテレザはおもむろに銀貨を取り出し、「これで見せてくれるでしょ?」と言わんばかりのどや顔で渡してくる。そういう話じゃない。
「お金を出しても見せませんからね!? というか、起きてたんですか!?」
「目が覚めたのは、あなたが私の足を舐め回すように見てた辺りね」
「最初から全部じゃないですか!」
どうやらテレザは横になって目を閉じただけで、別に寝てはいなかったらしい。
「そりゃ、あんな熱い視線を送られたら寝れないし。しかもいきなりローブをたくしあげるし……」
「う゛っ……」
認めたくはないが、確かに妙な行動をしていたのはシェラも同じであった。思い返すと恥ずかしさが押し寄せ、真夏でもないのに一気に顔が熱くなる。
顔を手で覆って俯いたシェラに対し、テレザは苦笑しつつ落ち着かせる言葉をかける。
「ま、初めての依頼だからね。ましてや麗銀級の幻導士と組むだなんて思ってなかっただろうし、緊張もするでしょ」
テレザがそう言うと、まだ頬に赤みの残るシェラの瞳が、指の間から覗く。その仕草は見れば見るほど、荒くれ者の多い幻導士には似つかわしくない。愛らしい顔も華奢な体も女として生きれば役立つのだろうが、幻導士としては劣等感しか生まない。
「その、何て言うか心がふわふわしてます。幻導士に憧れたは良いんですけど……」
「憧れた? この職業に? 大丈夫?」
言っちゃなんだがそんな上等な職業ではない、と口を挟んでしまうテレザ。が、シェラが構わず続ける。
「私、オークに狙われたことがあるんです。そこを『テレザ』って幻導士さんに救ってもらって……あなたですよね?」
当時のシェラは恐怖のあまり外に出られなかったため、その幻導士の顔は知らない。が、オークに狙われた村を単身救った「テレザ」が短期間に二人もいるはずはない。
「うん、間違いなく私。『シェラ』って名前が引っかかってたけど……あの時名前だけ聞いた娘さんか。凄い偶然」
「改めて、お礼を言わせてください。ありがとうございました」
「どういたしまして。で、ふふっ……私に憧れて?」
自分に憧れを持つ後輩、という存在にちょっと気持ち良くなってしまうテレザであった。
「はい。私も折角幻素が使えるなら、人の役に立ちたいなって。でも」
「でも?」
「……何年か後、テレザさんみたいになれる道が見えなくって」
シェラが発したぼやき、その心理をテレザは何となくだが感じ取った。
「私に憧れるは良いけど、比べちゃダメよ」
「――!」
シェラの顔が手のひらを飛び出し、テレザと目が合う。どうやら指摘は正鵠を射たようだ。テレザとシェラはそこまで歳も離れていないため、つい比べてしまったのだろう。
だがそれは誤りだと、テレザは言い聞かせる。
「私はね、十歳になるより前から、地元で幻導士まがいのことをしてたの。だから、約十年のキャリアがある」
シェラは頭の中で計算し、テレザは人生の半分以上を幻導士として過ごしてきた、という事実に行き着く。それはつまり、今日幻導士を始めたシェラと比較できるところなどないということで。
「色々と、私は特殊なの。シェラにはシェラの道がある。そしてそれを見定めるには、今はとにかく経験を積むことよ」
「そうなんですね……。うん、そうですね」
そもそも比べること自体がナンセンスだ、というテレザの主張に、シェラは納得したように何度も頷く。
「もう、開き直っちゃいます。今の私は、誰と比べることもできない駆け出しですから。今できること、やるべきことに、集中したいと思います。依頼をこなしていけば、テレザさんまでとはいきませんが、皆に認めてもらえるでしょうから」
「それが良いわ。じゃ、私は本当に寝るから」
シェラを笑顔で肯定すると、テレザは再度横になり、今度こそスピーと寝息が立ち始めた。
そう、今から遥か上を見る必要などない。
大事なのは土台をしっかり固めることだ。シェラは荷物の中から、幻導士としての勉強のために買っていた本を取り出す。この一帯に住む猛獣や魔物の特徴を示した図鑑だ。緊張、そして突然現れたテレザを注視するあまり今しがたまで存在を忘れていた。
「私はちょっとでも、勉強しよう」
「熱心じゃない」
「さっきの寝息は何だったんですか!?」
起きていた。いや起きたのか? テレザが再びシェラを跳びあがらせる。
「妙な物音がしたから。ページをめくる音だったのね」
「分かるんですか……?」
「何かあったら飛び起きちゃうの、職業病よ。ごめんなさいね、びっくりさせちゃって」
そう言って、テレザは再び寝息を立て始めた。……これで休まるのだろうか。
かくして、馬車は牧場へと到着した。
「やや、ありがてぇ!こんな美人二人、しかも片方は麗銀級の幻導士様とは!」
「いえ、麗銀とはいえ上がったばかりですから」
「素人でも、その若さで上がるのは異例だって分かりますぜ。不老長寿の森妖人ってんでもないでしょう」
牧場主のいる小屋を訪ねると、恰幅の良い初老の男が、朗らかに二人を歓迎してくれた。が、集落の近況を語り始めるとその表情がみるみる曇る。
「……しっかし、最近の森は物騒で。ちょっと前までモリキノコを採りに行くなんざ朝飯前だったんですが。やれ狼に襲われただのゴブリンに出くわしただの、今じゃすっかり腰が引けちまって。隣の村は熊に襲われたとかで、エラい騒ぎになってます」
テレザが牧場主の心情を慮るように、うんうんと頷く。
「大変ですね……。ここ最近、各地で魔物の目撃が増えてるみたいです。魔物に生息地を追われて、この辺りに流れてきてるのかも」
「へぇ、そんなことが。こりゃしばらくは幻導士様にお世話になるかもしれませんなぁ……おっと失礼、客人にお茶も出してなかった! ささ、どうぞ」
小屋の中へと案内される。使われている材木はさして上等ではないが、人の手で建てられた温かみがあり、シェラには懐かしく思えるものだ。壁には牧場主が仕留めたものと思しき、フォレストディアの頭が剥製として飾られている。
「お待たせいたしました。平凡なコーヒーと、当牧場自慢のチーズでございます」
何となく視線の置き場に困ったシェラがその立派な角に見入っていると、牧場主がウェイターよろしくお盆を運んできた。そこに乗っているのはコーヒーと、ところどころに黒い粒の混じった白い塊。独特の匂いが鼻を刺激する。
牧場主はお盆から皿やカップを下ろしながら、そうそう、とシェラに尋ねた。
「持ってきておいてなんですが……シェラさんはまだ可愛らしいし、紅茶とクッキーの方が良かったですかな?」
「い、いえ! コーヒーもチーズも飲めます、お構いなく」
「……飲む? チーズを?」
「あっ」
緊張から意味不明な返しをしてしまう。訂正しようにも焦るシェラの唇は上滑りを繰り返し、会話が渋滞しかけた。
そんな様子を見かねたか、テレザがやや芝居がかった様子で牧場主に絡む。
「ちょっと牧場主さん? 『シェラはまだ』って、私はもう年増で可愛らしくないと?」
「おっとやめてくださいよぉ。テレザさんみてぇな方は美人だって言うんです!」
牧場主は上手く乗っかってくれた。おどけた笑いでテレザをとりなしながら、二人の向かいに座る。まだ熱いうちにコーヒーを一口飲むと、香ばしさと苦みが喉を通り抜ける。チーズは牧場主自らが自慢するだけあり、甘みの中に絶妙な酸味が混じり、一口食べたら止まらない絶品。
世間話に興じているうちに、みるみるチーズはなくなっていった。
「ここのは初めて食べたけど、すごく美味しかったです。お土産に欲しいくらい」
「いやぁありがたい。生産者冥利に尽きるってもんです」
テレザが手放しで絶賛し、牧場主が照れながら頭を掻く。この牧場の規模的に数が出ないのが惜しい、テレザに本気でそう思わせる味だった。シェラも美味で緊張がほぐれたか、いつの間にか笑顔が覗いている。
「んじゃ、仕事の話をしましょう」
満足そうに頷いていた牧場主の顔が一気に真剣になる。一般の来客には見せないだけで、生活には支障が出ているのだろう。テレザが笑顔を引っ込め、シェラも慌てて姿勢を正す。
「自分が知っているモリキノコの採集場所と……分かっているとは思いますが、森の中の注意を」
牧場主から森の情報を教わり、二人は牧場から森へ向けて歩き出す。
「お気をつけて! チーズの仕込みしながら待ってますよ。どうか、ご無事で」
わざわざ小屋の外まで見送ってくれた牧場主の言葉に、
「チーズ、ありったけお願いします」
テレザは涼やかな、しかし引き締まった笑顔で。
「い、行ってきます!」
シェラは余裕がないなりに、精一杯大きな声で応えた。
牧場の敷地を出ると、テレザの表情も流石に変わる。油断なく辺りを見回し、物音や匂いにも神経を研ぎ澄ます。そうして安全だと判断すると、シェラに問いかけた。
「さ。いよいよ、お仕事本番よ。まず最初は?」
再度、テレザから基本を確認される。
「痕跡の確認、ですね」
「そう。ジグザグに歩きながら、足跡や糞を探すの」
テレザが実際に歩き始め、地面で気になったものを一つずつ確認する。シェラもそれを真似て、二人は慎重に森へと近づいて行った。
昼ごはんにはまだ少し早い頃。
シェラとテレザの二人は依頼主の牧場を目指して馬車に揺られていた。詰めればあと八人ほどは座れそうなゆったりした座席、天井は綺麗に手入れされた幌。
駆け出しのシェラにはあまりに不釣り合いで、乗り込むときに浴びた周囲の視線たるやそれだけで疲労のため息が漏れるほどだった。
「近くに私がいるんだから、堂々としてりゃいいのに」
この馬車を所望したテレザは、そう言って笑った。
「そうは言っても。駆け出しの中で、私だけこんな良い物に乗せてもらって良いんでしょうか……」
「良いのよ。そもそも、幻導士の階級で移動の快適さが変わっちゃうのこそどうかと思わない?」
「え? えーと……」
テレザにそうやって同意を求められても、安易にそうですね、とか、それはどうなんでしょう、と言えるほど幻導士として知識も、経験もシェラにはなかった。
「ま、折角乗ったんだし? ありがたく使わせてもらいましょ」
元々答えを求めてもいなかったのか。テレザはそう言って、一抱えほどの革袋から燻製肉を取り出して齧る。
「そのおっきな袋の中身、もしかして全部お肉ですか……?」
「うん。ちょっと塩が強いけど、美味しいわよ。はいっ」
当然、とばかりテレザは頷いた。差し出された一切れを口に入れると、しっかり利いた塩と香辛料が唾液の分泌を促す。続いて肉本体を噛み締めると、固い筋の間で縛り付けられていた強い旨味が口の中に解き放たれた。
「おいしい……!」
「でしょ? この辺だとファイトブルはいないし、新鮮だと思って」
「あ、と。多分……」
「あーファイトブル知らないか……もうちょっと北に住んでるデカい猪よ。今は肉が美味しいことだけ覚えといて」
「鹿の燻製は、村でたまーに食べましたけど……歯応えが全然違います。香りも、こっちが断然良いですし」
「分かる? チップに古い酒樽を使ってるの」
目を輝かせて一口一口しっかり噛みしめるシェラを、テレザは満足げに見つめる。シェラ以上のペースで肉を消費していくのも忘れない。
「これ、テレザさんが?」
「今ある分はぜーんぶ自家製。良いわよ、燻製。非常食にもなるし」
「非常食、こんなパクパク食べて大丈夫なんですか……?」
「そこは、うん。いつ作っても溢れないように。在庫管理ってやつよ」
「……あー、はい」
非常食は建て前で、肉を焼いて食べたいだけだなこの人。
シェラはそう確信した。言い訳しながらも、テレザの手は止まらないし。
「……もうすぐ牧場ね。到着したら何をするか、覚えてる?」
流石に手を止めたテレザが、表情を引き締める。
出発前にテレザがシェラに教えた、幻導士としての基本について。シェラはその内容を一言一句思い出しながら、慣れない馬車の揺れで舌を噛まないようゆっくり返す。
「えーと、まずは依頼主さんに挨拶をして。それから森に入る前に、痕跡のチェックを」
危険生物がいないという情報も、あくまで依頼が来た時点での話。生物は常に移動している。現地での確認を怠ると、あっさり死ぬことになる。
「よろしい。……それじゃ、折角良い馬車に乗れたし。私は少し寝るわ」
テレザは満足げに頷くと、足の装備類を外し始めた。あまりにテキパキとした動きに、シェラは目を丸くする。てっきり馬車の中でも、色々教えてくれるものだと思っていた。
「え? 寝ちゃうんですか?」
「いつ何が起こるか分からないもの。休めるときに休んどくのは幻導士の鉄則よ」
このまま現地に着いてしまったら、森に入るまでそう時間はない。森に入るまでのことは教わったが、森の中で注意することは、まだ教わっていない。不安に感じるシェラに、テレザはあくまでものんびりと答えた。
「それは、森に入るときに教えるわ。そもそも、最初から全部教えても、上手くいかないだろうしねー……ふわぁ」
テレザの口からいよいよ大きなあくびが飛び出す。そのまま座席に足まで乗せて横になり、シェラの向かい側を丸々占領してしまった。当然、素足もインナーも丸出しで。少々どころではなく眉をひそめたくなる光景である。女子力的に。
だがシェラの視線は、別の意味でテレザの足に釘付けになっていた。
「……やっぱり、逞しいんだなあ」
多くの野山を駆けてきたであろうそれはスラリとしなやかに伸び、だが頼りない印象は皆無だ。むしろ、余計な装飾を排した刀剣のような機能美すら感じさせる。
「……」
一方、とシェラはローブを捲って自らの足を見つめる。農作業の手伝いをしてはいたものの、鍬を振るって耕すような重労働は苦手だった。同年代と比べて背丈は小さく、手足も細い。これを取り柄に稼ぐ道もあったのだが……
と物思いに耽っていたシェラ。何やら視線を感じて視線を上げる。
「……うわーほっそ。色も真っ白、羨ましいわー」
「ぴゃぁああ! な、なっ何見てるんですか!」
いつの間にか目を開いたテレザが、シェラの足を食い入るように見つめていた。シェラが悲鳴をあげてローブを戻すと、テレザは拗ねたように露骨に唇を尖らせる。
「ちぇー。タダじゃダメか……。じゃあ、はいっ」
そう言ったテレザはおもむろに銀貨を取り出し、「これで見せてくれるでしょ?」と言わんばかりのどや顔で渡してくる。そういう話じゃない。
「お金を出しても見せませんからね!? というか、起きてたんですか!?」
「目が覚めたのは、あなたが私の足を舐め回すように見てた辺りね」
「最初から全部じゃないですか!」
どうやらテレザは横になって目を閉じただけで、別に寝てはいなかったらしい。
「そりゃ、あんな熱い視線を送られたら寝れないし。しかもいきなりローブをたくしあげるし……」
「う゛っ……」
認めたくはないが、確かに妙な行動をしていたのはシェラも同じであった。思い返すと恥ずかしさが押し寄せ、真夏でもないのに一気に顔が熱くなる。
顔を手で覆って俯いたシェラに対し、テレザは苦笑しつつ落ち着かせる言葉をかける。
「ま、初めての依頼だからね。ましてや麗銀級の幻導士と組むだなんて思ってなかっただろうし、緊張もするでしょ」
テレザがそう言うと、まだ頬に赤みの残るシェラの瞳が、指の間から覗く。その仕草は見れば見るほど、荒くれ者の多い幻導士には似つかわしくない。愛らしい顔も華奢な体も女として生きれば役立つのだろうが、幻導士としては劣等感しか生まない。
「その、何て言うか心がふわふわしてます。幻導士に憧れたは良いんですけど……」
「憧れた? この職業に? 大丈夫?」
言っちゃなんだがそんな上等な職業ではない、と口を挟んでしまうテレザ。が、シェラが構わず続ける。
「私、オークに狙われたことがあるんです。そこを『テレザ』って幻導士さんに救ってもらって……あなたですよね?」
当時のシェラは恐怖のあまり外に出られなかったため、その幻導士の顔は知らない。が、オークに狙われた村を単身救った「テレザ」が短期間に二人もいるはずはない。
「うん、間違いなく私。『シェラ』って名前が引っかかってたけど……あの時名前だけ聞いた娘さんか。凄い偶然」
「改めて、お礼を言わせてください。ありがとうございました」
「どういたしまして。で、ふふっ……私に憧れて?」
自分に憧れを持つ後輩、という存在にちょっと気持ち良くなってしまうテレザであった。
「はい。私も折角幻素が使えるなら、人の役に立ちたいなって。でも」
「でも?」
「……何年か後、テレザさんみたいになれる道が見えなくって」
シェラが発したぼやき、その心理をテレザは何となくだが感じ取った。
「私に憧れるは良いけど、比べちゃダメよ」
「――!」
シェラの顔が手のひらを飛び出し、テレザと目が合う。どうやら指摘は正鵠を射たようだ。テレザとシェラはそこまで歳も離れていないため、つい比べてしまったのだろう。
だがそれは誤りだと、テレザは言い聞かせる。
「私はね、十歳になるより前から、地元で幻導士まがいのことをしてたの。だから、約十年のキャリアがある」
シェラは頭の中で計算し、テレザは人生の半分以上を幻導士として過ごしてきた、という事実に行き着く。それはつまり、今日幻導士を始めたシェラと比較できるところなどないということで。
「色々と、私は特殊なの。シェラにはシェラの道がある。そしてそれを見定めるには、今はとにかく経験を積むことよ」
「そうなんですね……。うん、そうですね」
そもそも比べること自体がナンセンスだ、というテレザの主張に、シェラは納得したように何度も頷く。
「もう、開き直っちゃいます。今の私は、誰と比べることもできない駆け出しですから。今できること、やるべきことに、集中したいと思います。依頼をこなしていけば、テレザさんまでとはいきませんが、皆に認めてもらえるでしょうから」
「それが良いわ。じゃ、私は本当に寝るから」
シェラを笑顔で肯定すると、テレザは再度横になり、今度こそスピーと寝息が立ち始めた。
そう、今から遥か上を見る必要などない。
大事なのは土台をしっかり固めることだ。シェラは荷物の中から、幻導士としての勉強のために買っていた本を取り出す。この一帯に住む猛獣や魔物の特徴を示した図鑑だ。緊張、そして突然現れたテレザを注視するあまり今しがたまで存在を忘れていた。
「私はちょっとでも、勉強しよう」
「熱心じゃない」
「さっきの寝息は何だったんですか!?」
起きていた。いや起きたのか? テレザが再びシェラを跳びあがらせる。
「妙な物音がしたから。ページをめくる音だったのね」
「分かるんですか……?」
「何かあったら飛び起きちゃうの、職業病よ。ごめんなさいね、びっくりさせちゃって」
そう言って、テレザは再び寝息を立て始めた。……これで休まるのだろうか。
かくして、馬車は牧場へと到着した。
「やや、ありがてぇ!こんな美人二人、しかも片方は麗銀級の幻導士様とは!」
「いえ、麗銀とはいえ上がったばかりですから」
「素人でも、その若さで上がるのは異例だって分かりますぜ。不老長寿の森妖人ってんでもないでしょう」
牧場主のいる小屋を訪ねると、恰幅の良い初老の男が、朗らかに二人を歓迎してくれた。が、集落の近況を語り始めるとその表情がみるみる曇る。
「……しっかし、最近の森は物騒で。ちょっと前までモリキノコを採りに行くなんざ朝飯前だったんですが。やれ狼に襲われただのゴブリンに出くわしただの、今じゃすっかり腰が引けちまって。隣の村は熊に襲われたとかで、エラい騒ぎになってます」
テレザが牧場主の心情を慮るように、うんうんと頷く。
「大変ですね……。ここ最近、各地で魔物の目撃が増えてるみたいです。魔物に生息地を追われて、この辺りに流れてきてるのかも」
「へぇ、そんなことが。こりゃしばらくは幻導士様にお世話になるかもしれませんなぁ……おっと失礼、客人にお茶も出してなかった! ささ、どうぞ」
小屋の中へと案内される。使われている材木はさして上等ではないが、人の手で建てられた温かみがあり、シェラには懐かしく思えるものだ。壁には牧場主が仕留めたものと思しき、フォレストディアの頭が剥製として飾られている。
「お待たせいたしました。平凡なコーヒーと、当牧場自慢のチーズでございます」
何となく視線の置き場に困ったシェラがその立派な角に見入っていると、牧場主がウェイターよろしくお盆を運んできた。そこに乗っているのはコーヒーと、ところどころに黒い粒の混じった白い塊。独特の匂いが鼻を刺激する。
牧場主はお盆から皿やカップを下ろしながら、そうそう、とシェラに尋ねた。
「持ってきておいてなんですが……シェラさんはまだ可愛らしいし、紅茶とクッキーの方が良かったですかな?」
「い、いえ! コーヒーもチーズも飲めます、お構いなく」
「……飲む? チーズを?」
「あっ」
緊張から意味不明な返しをしてしまう。訂正しようにも焦るシェラの唇は上滑りを繰り返し、会話が渋滞しかけた。
そんな様子を見かねたか、テレザがやや芝居がかった様子で牧場主に絡む。
「ちょっと牧場主さん? 『シェラはまだ』って、私はもう年増で可愛らしくないと?」
「おっとやめてくださいよぉ。テレザさんみてぇな方は美人だって言うんです!」
牧場主は上手く乗っかってくれた。おどけた笑いでテレザをとりなしながら、二人の向かいに座る。まだ熱いうちにコーヒーを一口飲むと、香ばしさと苦みが喉を通り抜ける。チーズは牧場主自らが自慢するだけあり、甘みの中に絶妙な酸味が混じり、一口食べたら止まらない絶品。
世間話に興じているうちに、みるみるチーズはなくなっていった。
「ここのは初めて食べたけど、すごく美味しかったです。お土産に欲しいくらい」
「いやぁありがたい。生産者冥利に尽きるってもんです」
テレザが手放しで絶賛し、牧場主が照れながら頭を掻く。この牧場の規模的に数が出ないのが惜しい、テレザに本気でそう思わせる味だった。シェラも美味で緊張がほぐれたか、いつの間にか笑顔が覗いている。
「んじゃ、仕事の話をしましょう」
満足そうに頷いていた牧場主の顔が一気に真剣になる。一般の来客には見せないだけで、生活には支障が出ているのだろう。テレザが笑顔を引っ込め、シェラも慌てて姿勢を正す。
「自分が知っているモリキノコの採集場所と……分かっているとは思いますが、森の中の注意を」
牧場主から森の情報を教わり、二人は牧場から森へ向けて歩き出す。
「お気をつけて! チーズの仕込みしながら待ってますよ。どうか、ご無事で」
わざわざ小屋の外まで見送ってくれた牧場主の言葉に、
「チーズ、ありったけお願いします」
テレザは涼やかな、しかし引き締まった笑顔で。
「い、行ってきます!」
シェラは余裕がないなりに、精一杯大きな声で応えた。
牧場の敷地を出ると、テレザの表情も流石に変わる。油断なく辺りを見回し、物音や匂いにも神経を研ぎ澄ます。そうして安全だと判断すると、シェラに問いかけた。
「さ。いよいよ、お仕事本番よ。まず最初は?」
再度、テレザから基本を確認される。
「痕跡の確認、ですね」
「そう。ジグザグに歩きながら、足跡や糞を探すの」
テレザが実際に歩き始め、地面で気になったものを一つずつ確認する。シェラもそれを真似て、二人は慎重に森へと近づいて行った。
エレメンターズ生物図鑑
『ファイトブル』
乾燥した涼しい気候を好む大型の猪。最大で体高約一・八メートルにもなり、少ない餌を取り合って生きるため気性も荒い。
闘争心が高まると、体内で特殊なホルモンが分泌される。「何度も戦いを繰り返した個体ほど肉質が良い」と言われるのは、この特性が関係しているらしい。
ちなみにテレザが燻製にしたのは二歳、まだまだ若造である。
『ファイトブル』
乾燥した涼しい気候を好む大型の猪。最大で体高約一・八メートルにもなり、少ない餌を取り合って生きるため気性も荒い。
闘争心が高まると、体内で特殊なホルモンが分泌される。「何度も戦いを繰り返した個体ほど肉質が良い」と言われるのは、この特性が関係しているらしい。
ちなみにテレザが燻製にしたのは二歳、まだまだ若造である。