残酷な描写あり
5.白蓮の来訪-4
『父と異母姉の殺害』の容疑で囚われたハオリュウが、軟禁という名の滞在を余儀なくされている王宮の一室。
罪人の見張りやら、お付きの侍従やらを華麗に退け、部屋に乗り込んできた女王は、慣れた手つきで携帯端末に指を走らせる。
そして、狼狽するハオリュウに、問答無用で手渡した。
呼び出し音が一回――鳴るかならないかのうちに、端末の小さな画面が、荒い映像に切り替わった。
『ハオリュウ!』
高い叫びが、耳朶を打つ。
雑音をまといながらも、まっすぐに届いた響きを抱きとめ、ハオリュウの心が震えた。
「クーティエ……」
彼女の背後には、ルイフォンと異母姉の姿も見えた。
どうやら、あらかじめ話をつけてあったらしい。異母姉たちが居候をしている草薙家の客間で、彼らは回線が開くのを待ち構えていたのだろう。
『ハオリュウ、大丈夫!?』
「――っ」
何をもって『大丈夫』と答えればいいのか。
ハオリュウには分からないし、おそらく尋ねたクーティエにだって分かっていないだろう。
……状況から考えて、女王との婚約の件は、クーティエにも伝わっているはずだ。
ハオリュウは口ごもり、沈黙に陥る。
そのとき、不鮮明な画像の中で、クーティエが、つんと唇を突き出した。少し拗ねたような仕草で……けれど、可憐に微笑む。
『ハオリュウ。今度は、女王陛下をどんなふうに利用しようと考えているの?』
「――!?」
『あなたのことだもの。黙って摂政殿下に踊らされるつもりなんてないんでしょう? ――じゃあ、何を企んで、女王陛下の婚約者になると言い出したのよ?』
「ク、クーティエ!」
ハオリュウは焦った。
すぐそばに女王がいるのだ。いくら、鷹刀一族と親しくなったとはいえ、本人を前に『利用しようとしている』はまずいだろう。
どう取り繕うべきかと、善人顔の下で慌てていると、すかさず、天界の琴のような美しい音色が響く。――ただし、棘を含んだ口調の。
「藤咲の当主。あなたのことは、皆から、いろいろ聞いているわ。だから、遠慮なく、『腹黒いほうの顔』で話して」
「!?」
『腹黒いほうの顔』って、なんだ?
『皆』って、誰だ?
疑問が渦巻くハオリュウに、女王は憤然と告げる。
「クーティエはね、あなたと私の婚約の話を聞いたとき、驚きながらも、すぐに『何かの作戦だと思う』って、答えたのよ。――あなたのことを、ちっとも疑わないの。頭から信じているのよ。そんな彼女に、隠しごとなんてしていいと思っているの?」
女王は、如何にも『怒っているのよ!』という体で頬を膨らませ、ただでさえ幼く見える童顔に拍車を掛けた。正直なところ、滑稽な様相……しかし、突きつけられた言葉は、ハオリュウの心を強く揺さぶる。
彼は、ごくりと唾を飲み、端末の小さな画面を見つめた。
「クーティエ」
かすれる声で、彼女の名を呼ぶ。
『うん』
いつもと変わらぬ、彼女の声。いつもと変わらぬ、直刀のような、まっすぐな眼差し。
――僕とクーティエの、絆……。
急に胸が苦しくなり、ハオリュウは心臓を押さえた。
喉がつかえて、声を出せない。だが、沈黙すれば、周りは不審に思うだろう。
だから彼は、無理やりに言葉を吐き出す。
「クーティエ、ごめん。僕は、策を誤った」
『え?』
ハオリュウは、クーティエの背後に映る異母姉に視線を走らせる。
誤魔化した言い方をしても、聡明な異母姉は、異母弟の真意は自分を王宮から遠ざけることにあったと、気づいてしまうだろう。
もはや、どうしようもない。
かくなる上は、得ることのできた情報をルイフォンと異母姉に託し、あとを委ねる。
ハオリュウは、小さな溜め息と共に口を開いた。
「僕が『女王陛下の婚約者になる』と言えば、摂政殿下の機嫌を取ることができると考えた。他にも、殿下にとって都合の良いことを並べ立てて、『ライシェン』を諦めさせ、僕の逮捕は間違いだったとして解放するよう、働きかけたんだ。――けど」
『けど?』
「摂政殿下の目的は、『ライシェン』じゃなかった。勿論、『ライシェン』を必要としていることは事実だけれど、それ以上に、セレイエさんを捕まえることに固執していた」
狂気にも似た、カイウォルの信念は、どう言えば伝わるだろうか。
私利私欲ではない。正道とすら言える執念。
彼の思いは、間違ってはいない。
だからこそ、厄介だ。
「セレイエさんは、過去の王の遺伝子をすべて廃棄した。そして、唯一の〈神の御子〉となった『ライシェン』を切り札に、先王殺しの罪人であるヤンイェン殿下の幽閉を解かせた。――このことは、皆、知っているよね?」
ハオリュウの確認に、一同は思い思いに頷く。
「カイウォル殿下の主張は、こうだ。『セレイエさんは、自分の身勝手で、王家を存続の危機に陥らせている。彼女の暴挙は許しがたい。国賊として捕らえ、誅するべし』」
端的に告げてみたが、こんな言葉では不充分だ。
ハオリュウは歯噛みする。
それでも、携帯端末からは、幾つもの息を呑む音が聞こえてきた。そして、すぐそばからは、激しく音階を外したような調べが。
「お兄様ったら、そんなことを考えていたの!? ――そんな……、だって、もう……っ、セレイエは……」
亡くなっているのに。
声にならなかった息が、苦しげに漏れる。
「セレイエさんが亡くなっていることは、僕の口からは言えなかった。言えば、鷹刀一族とヤンイェン殿下が接触を持ったことを、証言することになってしまうからだ」
セレイエについて、もっとうまく話を進めればよかった。
後悔が付いて回る。
「カイウォル殿下は、僕を人質に、セレイエさんを連れてくるよう、姉様に命じるつもりだ。姉様、申し訳ございません。姉様にご迷惑を……」
『迷惑だなんて、思ってない! どうして、あなたは、ひとりで全部、背負い込もうとするの!?』
ハオリュウを遮り、メイシアが叫んだ。
あまり似ていない異母弟の彼と、唯一そっくりな黒絹の髪が画面をよぎり、クーティエを押しのける。
『ハオリュウ、私は書状を出したの。『父と異母姉の殺害』という、あなたの冤罪を晴らすために、王宮で釈明をする機会を与えてほしい、って』
「――っ」
『あなただって、初めから気づいていたんでしょう? カイウォル殿下の目的が『私を動かすことにある』って。なのに、『女王陛下の婚約者』になって殿下の機嫌を取る、だなんて……! クーティエが可哀想でしょう! それに、陛下だって、リュイセンだって、いい迷惑だわ!』
唇をわななかせ、眦を吊り上げるメイシアに、ハオリュウは、びくりと身を震わせる。
――勿論、気づいていた。
カイウォルは権力を駆使して、メイシアが表に出て来ざるを得なくなるよう追い詰めた。逃げ場など、なかった。
それでも、と。
ルイフォンのもとに『嫁がせた』異母姉をそのままにしたかったから、ハオリュウは悪あがきをした。結局、メイシアの王宮行きを阻止できなかったのだから、彼のしたことは、文字通り『無駄な悪あがき』だ。
――分かっている。僕は失敗した。負けを認める。でも、だからといって、この場を悲観的な方向に持っていくことには、なんの益もないから……。
だから、せめてもの償いに、皆の心の有り様を変える。
ハオリュウは、伏し目がちに深呼吸をひとつ落とした。
次に顔を上げたとき……。
彼は、冷ややかな光沢を放つ、絹の貴公子だった。
「姉様、それから皆も。落ち着いて、聞いてほしい。――確かに、カイウォル殿下の機嫌を取って、僕を無罪放免にしてもらう、という目論見は失敗した。けれど、その代わり、殿下は僕に最大限の譲歩をしてくださった」
『最大限の……譲歩?』
回線の向こうのメイシアが、困惑を示す。
「藤咲家を陥れようとした厳月家に『正当な裁きを下す』と、約束してくださった。僕の逮捕によって近衛隊の調査が入り、『いろいろ判明した』と発表される。最終的には、僕も姉様も、何も恥じることはない、不幸な被害者だった――と、落ち着くはずだ」
『え……? どういうこと?』
「詳しいことは、あとで女王陛下に携帯端末をお借りして、書面で送るよ」
そのほうが口頭で話すより、正確に伝わるであろう。
それに、婚約の件で女性陣が次から次へと責め立ててくるため、情報を共有しておきたいルイフォンと、まったく言葉を交わせていないのだ。カイウォルに関する報告が、山ほどあるというのに。
あとで、全部まとめて書面だ。
ハオリュウは、にこやかな顔を保ちつつ、目元だけに苛立ちを含ませ、小さな画面の端を見やる。かろうじて映っているといった体のルイフォンが、苦笑混じりに口の端を上げたので、どうやら心情を理解してもらえたらしい。
一方、画面のこちら側、ハオリュウの目前にいる女王は、臣下であるはずの彼に、勝手に『端末を借りる』と言われたことを怒るどころか、むしろ『説明は当然でしょう』とばかりに大きく頷いていた。
――純粋無垢で、善良な女性なんだよな……。
『使い勝手のよい駒』としか見ていなかった自分に、ほんの少しだけ罪悪感を覚えながら、ハオリュウは「こほん」と咳払いをした。
「それで、皆は、僕と女王陛下との婚約を問題視しているようだけど、実のところ、たいした問題ではないんだ」
「どうしてよ!?」
当事者である女王が、誰よりも早く噛みついた。
ハオリュウは、すかさず彼女に問う。
「陛下。あなたは、私と結婚したいと思っていますか?」
「えぇっ!? あ、あなた、何を寝ぼけたことを言っているのよ!? あなたには、クーティエっていう人がいて、私にはっ! ……、その……」
透き通るような先天性白皮症の白い肌を、さぁっと朱に染め、女王は口ごもる。
「ええ、あなたには、リュイセンさんという人がいます。身分や立場を考えると、なかなか茨の道だとは思いますが、自分たちの関係を『共犯者』と定めた、あなたたちなら、必ずや添い遂げることでしょう」
「……そ、そうなると、いいな……って、思っているわ……」
初めの勢いはどこへやら。あちらこちらへと視線を彷徨わせる女王に、ハオリュウは畳み掛けた。
「ならば、たとえ私たちが婚約をしたところで、じきに破談となるのは自明の理。ほら、なんの問題もないでしょう?」
「は? ちょ、ちょっと……、な、何よ、それ……?」
狐につままれたような顔をする女王を横目に、ハオリュウは端末の中のクーティエに視線を移す。いつもは可憐な彼女が、今だけは間抜けに、ぽかんと口を開けていた。
彼と目が合うと、クーティエは、はっと真顔に戻り、それから胡散臭げに眉根を寄せた。
『ハオリュウ……、えっと、その……、なんか、納得できないんだけど……?』
「摂政殿下が、僕に『女王陛下の婚約者になりませんか』と持ち掛けたときの話を、よく思い出してほしい。彼は『女王陛下が相思相愛の相手と出逢うまでの時間を稼ぐために、年若い僕を婚約者にしたい』と言ったんだ」
『うん。それは聞いたけど……?』
「だから、陛下がリュイセンさんと出逢った今、僕はお役御免なんだよ」
『何を言っているのよ!? 摂政殿下が、リュイセンにぃを『女王陛下のお相手』と認めるわけがないでしょ!』
目を尖らせたクーティエが、口早に言い返す。
予想通りの反応に、ハオリュウは笑みを漏らしそうになり、慌てて口元を引き締めた。こんなことで、彼女の不興を買いたくはない。
「そうだろうね。――でも、問題ないよ」
『どういうことよ!?』
「僕が婚約者になれば、女王陛下のご結婚は、僕が十八歳になるまで延期される。――そして、いざ僕が十八歳になったとき、陛下は二十一歳だ」
『それが、どうしたのよ?』
「カイウォル殿下は、いつまでも『摂政』でいられるわけじゃない。女王陛下が成年を迎えられれば、『未成年の王の代理』である摂政の任を解かれる。つまり、僕が結婚できる歳になったときには、カイウォル殿下は既に『摂政』ではないんだよ」
『え?』
「王兄とはいえ、カイウォル殿下は女王陛下の『臣下』になるんだ。『臣下』が勝手に決めた婚約なんか、女王陛下は『王』という最高の権力でもって、破棄してしまえばいい」
『ああっ!』
クーティエの声が、高く震えた。同時に、至近距離からも女王の驚愕が重ねられ、立体音響となる。
「以前、『女王の婚約者』を勧められたときには、まだ陛下とリュイセンさんが出逢っていなかった。それに、陛下のお人柄も分からなかったから、迂闊なお返事はできなかった。――けど、事情が変わった。ノーリスクで、カイウォル殿下の機嫌を取れるなら、『女王の婚約者』の札を手にしない理由がない」
鋭く言い切ったハオリュウの言葉に、画面の中も外も、しんと静まる。
……これは詭弁だ。
皆がこれ以上、状況を悪く捉えないようにするための。
そして、クーティエに伝えるための。
もう少しだけ、待っていてほしい、と。
厚顔の下に、ハオリュウは祈るような気持ちを隠す。
不意に、高い声が響いた。
『ハオリュウ、腹黒!』
小さな画面のクーティエが、『言ってやったわ』とばかりに、ぐっと口角を上げた。それから、緩やかに目を細め、悪戯好きの森の妖精のように、可憐に笑う。
『とっても、ハオリュウらしいわ!』
あなたの思惑は分かったから、受け止めてあげる。――そんな無言の声が聞こえた。
ハオリュウは、誰にも気づかれないように、そっと唇を噛む。
クーティエは、いつだって、そうやって笑い飛ばしてくれる。本当は、泣きたいほどに傷ついていても。
彼女には我慢させてばかりだ。
破棄が前提とはいえ、他の女性との婚約に抵抗がないはずがない。平気なふりをして笑ってくれる彼女に、彼は甘えているのだ。
――だから僕は、身分のない世界を、あなたに贈る。僕自身のために。
ハオリュウは胸の内で誓い、クーティエが作ってくれた明るい流れに乗るべく、気持ちを切り替えた。
「これで、納得していただけましたでしょうか?」
改まった口調で、ハオリュウは皆に問いかける。
「……やっぱり、なんか、もやもやするわ」
女王が、不満げに口を尖らせた。
「そうですね。やはり、私などが陛下の婚約者というのは、不遜かもしれませんね」
「だから、そういうことじゃなくて!」
テーブルの向こうから、白金の頭が詰め寄る。綺麗に整えられた毛先が、ハオリュウの頬をぺちんと叩いた。
距離感のおかしさ以外は、計算通り。うまく誘導できた反発に、ハオリュウは満足げに微笑む。
「陛下。私は婚約者として、あなたに服を贈りましょう」
「はい?」
何を言っているの? と。青灰色の瞳が、胡乱に歪んだ。
「あなたのお気に入りのデザイナーであるユイランさんが、王都で開いている店にお連れいたします」
「え?」
「もしも、その店に――」
焦らすように、ゆっくりと。ハオリュウは、女王に目線を合わせる。
「ユイランさんの息子である、リュイセンさんが手伝いに来ていたとしても、それはとても自然なことですよね?」
「ええっ!? リュイセンに、逢えるの!?」
白蓮のような笑顔が、ぽんと花開いた。
しかし、ハオリュウは何も答えず、淡々と続ける。
「それから、孫のクーティエが、自分が考案した髪飾りの売れ行きが気になって、店をうろうろしている――なんてことも、あるかもしれません」
小さな「あ!」という叫びと共に、綺羅の美貌が輝いた。
「つまり、私たちが婚約者だってことを隠れ蓑に、それぞれの相手に逢いにいくのね!」
女王にしろ、ハオリュウにしろ、想い人とは身分に差があるために、なかなか逢うことは叶わない。だから、これは名案――。
ハオリュウは口元をほころばせながらも、返答はせずに言葉を重ねる。
「服を注文したあとは、リュイセンさんを護衛に、クーティエに道案内を頼んで、お忍びで王都を歩かれるのは如何でしょうか。勿論、黒髪の鬘と、カラーコンタクトも、ご用意いたしましょう」
「えっ!? 何それ! ダブルデートってこと!?」
頬を紅潮させた女王に、ハオリュウは、しれっと「ただの王都見物ですよ」と答えつつ、我が意を得たりとばかりの笑みを浮かべる。
携帯端末に視線を移すと、クーティエが『腹黒!』という目で、こちらを見ていた。
うまく女王陛下を言いくるめたわね?
可憐な表情が、そう告げる。
本当にクーティエは良き理解者だ。
――今まで僕は、何に見栄を張っていたんだろう?
ハオリュウは自嘲する。
単独でできると意地を張ることに、どれほどの価値があるというのか。
自分の望みを見誤ったら、元も子もないではないか。
だから――。
世界を変える。
クーティエを傍らに迎えるために。
罪人の見張りやら、お付きの侍従やらを華麗に退け、部屋に乗り込んできた女王は、慣れた手つきで携帯端末に指を走らせる。
そして、狼狽するハオリュウに、問答無用で手渡した。
呼び出し音が一回――鳴るかならないかのうちに、端末の小さな画面が、荒い映像に切り替わった。
『ハオリュウ!』
高い叫びが、耳朶を打つ。
雑音をまといながらも、まっすぐに届いた響きを抱きとめ、ハオリュウの心が震えた。
「クーティエ……」
彼女の背後には、ルイフォンと異母姉の姿も見えた。
どうやら、あらかじめ話をつけてあったらしい。異母姉たちが居候をしている草薙家の客間で、彼らは回線が開くのを待ち構えていたのだろう。
『ハオリュウ、大丈夫!?』
「――っ」
何をもって『大丈夫』と答えればいいのか。
ハオリュウには分からないし、おそらく尋ねたクーティエにだって分かっていないだろう。
……状況から考えて、女王との婚約の件は、クーティエにも伝わっているはずだ。
ハオリュウは口ごもり、沈黙に陥る。
そのとき、不鮮明な画像の中で、クーティエが、つんと唇を突き出した。少し拗ねたような仕草で……けれど、可憐に微笑む。
『ハオリュウ。今度は、女王陛下をどんなふうに利用しようと考えているの?』
「――!?」
『あなたのことだもの。黙って摂政殿下に踊らされるつもりなんてないんでしょう? ――じゃあ、何を企んで、女王陛下の婚約者になると言い出したのよ?』
「ク、クーティエ!」
ハオリュウは焦った。
すぐそばに女王がいるのだ。いくら、鷹刀一族と親しくなったとはいえ、本人を前に『利用しようとしている』はまずいだろう。
どう取り繕うべきかと、善人顔の下で慌てていると、すかさず、天界の琴のような美しい音色が響く。――ただし、棘を含んだ口調の。
「藤咲の当主。あなたのことは、皆から、いろいろ聞いているわ。だから、遠慮なく、『腹黒いほうの顔』で話して」
「!?」
『腹黒いほうの顔』って、なんだ?
『皆』って、誰だ?
疑問が渦巻くハオリュウに、女王は憤然と告げる。
「クーティエはね、あなたと私の婚約の話を聞いたとき、驚きながらも、すぐに『何かの作戦だと思う』って、答えたのよ。――あなたのことを、ちっとも疑わないの。頭から信じているのよ。そんな彼女に、隠しごとなんてしていいと思っているの?」
女王は、如何にも『怒っているのよ!』という体で頬を膨らませ、ただでさえ幼く見える童顔に拍車を掛けた。正直なところ、滑稽な様相……しかし、突きつけられた言葉は、ハオリュウの心を強く揺さぶる。
彼は、ごくりと唾を飲み、端末の小さな画面を見つめた。
「クーティエ」
かすれる声で、彼女の名を呼ぶ。
『うん』
いつもと変わらぬ、彼女の声。いつもと変わらぬ、直刀のような、まっすぐな眼差し。
――僕とクーティエの、絆……。
急に胸が苦しくなり、ハオリュウは心臓を押さえた。
喉がつかえて、声を出せない。だが、沈黙すれば、周りは不審に思うだろう。
だから彼は、無理やりに言葉を吐き出す。
「クーティエ、ごめん。僕は、策を誤った」
『え?』
ハオリュウは、クーティエの背後に映る異母姉に視線を走らせる。
誤魔化した言い方をしても、聡明な異母姉は、異母弟の真意は自分を王宮から遠ざけることにあったと、気づいてしまうだろう。
もはや、どうしようもない。
かくなる上は、得ることのできた情報をルイフォンと異母姉に託し、あとを委ねる。
ハオリュウは、小さな溜め息と共に口を開いた。
「僕が『女王陛下の婚約者になる』と言えば、摂政殿下の機嫌を取ることができると考えた。他にも、殿下にとって都合の良いことを並べ立てて、『ライシェン』を諦めさせ、僕の逮捕は間違いだったとして解放するよう、働きかけたんだ。――けど」
『けど?』
「摂政殿下の目的は、『ライシェン』じゃなかった。勿論、『ライシェン』を必要としていることは事実だけれど、それ以上に、セレイエさんを捕まえることに固執していた」
狂気にも似た、カイウォルの信念は、どう言えば伝わるだろうか。
私利私欲ではない。正道とすら言える執念。
彼の思いは、間違ってはいない。
だからこそ、厄介だ。
「セレイエさんは、過去の王の遺伝子をすべて廃棄した。そして、唯一の〈神の御子〉となった『ライシェン』を切り札に、先王殺しの罪人であるヤンイェン殿下の幽閉を解かせた。――このことは、皆、知っているよね?」
ハオリュウの確認に、一同は思い思いに頷く。
「カイウォル殿下の主張は、こうだ。『セレイエさんは、自分の身勝手で、王家を存続の危機に陥らせている。彼女の暴挙は許しがたい。国賊として捕らえ、誅するべし』」
端的に告げてみたが、こんな言葉では不充分だ。
ハオリュウは歯噛みする。
それでも、携帯端末からは、幾つもの息を呑む音が聞こえてきた。そして、すぐそばからは、激しく音階を外したような調べが。
「お兄様ったら、そんなことを考えていたの!? ――そんな……、だって、もう……っ、セレイエは……」
亡くなっているのに。
声にならなかった息が、苦しげに漏れる。
「セレイエさんが亡くなっていることは、僕の口からは言えなかった。言えば、鷹刀一族とヤンイェン殿下が接触を持ったことを、証言することになってしまうからだ」
セレイエについて、もっとうまく話を進めればよかった。
後悔が付いて回る。
「カイウォル殿下は、僕を人質に、セレイエさんを連れてくるよう、姉様に命じるつもりだ。姉様、申し訳ございません。姉様にご迷惑を……」
『迷惑だなんて、思ってない! どうして、あなたは、ひとりで全部、背負い込もうとするの!?』
ハオリュウを遮り、メイシアが叫んだ。
あまり似ていない異母弟の彼と、唯一そっくりな黒絹の髪が画面をよぎり、クーティエを押しのける。
『ハオリュウ、私は書状を出したの。『父と異母姉の殺害』という、あなたの冤罪を晴らすために、王宮で釈明をする機会を与えてほしい、って』
「――っ」
『あなただって、初めから気づいていたんでしょう? カイウォル殿下の目的が『私を動かすことにある』って。なのに、『女王陛下の婚約者』になって殿下の機嫌を取る、だなんて……! クーティエが可哀想でしょう! それに、陛下だって、リュイセンだって、いい迷惑だわ!』
唇をわななかせ、眦を吊り上げるメイシアに、ハオリュウは、びくりと身を震わせる。
――勿論、気づいていた。
カイウォルは権力を駆使して、メイシアが表に出て来ざるを得なくなるよう追い詰めた。逃げ場など、なかった。
それでも、と。
ルイフォンのもとに『嫁がせた』異母姉をそのままにしたかったから、ハオリュウは悪あがきをした。結局、メイシアの王宮行きを阻止できなかったのだから、彼のしたことは、文字通り『無駄な悪あがき』だ。
――分かっている。僕は失敗した。負けを認める。でも、だからといって、この場を悲観的な方向に持っていくことには、なんの益もないから……。
だから、せめてもの償いに、皆の心の有り様を変える。
ハオリュウは、伏し目がちに深呼吸をひとつ落とした。
次に顔を上げたとき……。
彼は、冷ややかな光沢を放つ、絹の貴公子だった。
「姉様、それから皆も。落ち着いて、聞いてほしい。――確かに、カイウォル殿下の機嫌を取って、僕を無罪放免にしてもらう、という目論見は失敗した。けれど、その代わり、殿下は僕に最大限の譲歩をしてくださった」
『最大限の……譲歩?』
回線の向こうのメイシアが、困惑を示す。
「藤咲家を陥れようとした厳月家に『正当な裁きを下す』と、約束してくださった。僕の逮捕によって近衛隊の調査が入り、『いろいろ判明した』と発表される。最終的には、僕も姉様も、何も恥じることはない、不幸な被害者だった――と、落ち着くはずだ」
『え……? どういうこと?』
「詳しいことは、あとで女王陛下に携帯端末をお借りして、書面で送るよ」
そのほうが口頭で話すより、正確に伝わるであろう。
それに、婚約の件で女性陣が次から次へと責め立ててくるため、情報を共有しておきたいルイフォンと、まったく言葉を交わせていないのだ。カイウォルに関する報告が、山ほどあるというのに。
あとで、全部まとめて書面だ。
ハオリュウは、にこやかな顔を保ちつつ、目元だけに苛立ちを含ませ、小さな画面の端を見やる。かろうじて映っているといった体のルイフォンが、苦笑混じりに口の端を上げたので、どうやら心情を理解してもらえたらしい。
一方、画面のこちら側、ハオリュウの目前にいる女王は、臣下であるはずの彼に、勝手に『端末を借りる』と言われたことを怒るどころか、むしろ『説明は当然でしょう』とばかりに大きく頷いていた。
――純粋無垢で、善良な女性なんだよな……。
『使い勝手のよい駒』としか見ていなかった自分に、ほんの少しだけ罪悪感を覚えながら、ハオリュウは「こほん」と咳払いをした。
「それで、皆は、僕と女王陛下との婚約を問題視しているようだけど、実のところ、たいした問題ではないんだ」
「どうしてよ!?」
当事者である女王が、誰よりも早く噛みついた。
ハオリュウは、すかさず彼女に問う。
「陛下。あなたは、私と結婚したいと思っていますか?」
「えぇっ!? あ、あなた、何を寝ぼけたことを言っているのよ!? あなたには、クーティエっていう人がいて、私にはっ! ……、その……」
透き通るような先天性白皮症の白い肌を、さぁっと朱に染め、女王は口ごもる。
「ええ、あなたには、リュイセンさんという人がいます。身分や立場を考えると、なかなか茨の道だとは思いますが、自分たちの関係を『共犯者』と定めた、あなたたちなら、必ずや添い遂げることでしょう」
「……そ、そうなると、いいな……って、思っているわ……」
初めの勢いはどこへやら。あちらこちらへと視線を彷徨わせる女王に、ハオリュウは畳み掛けた。
「ならば、たとえ私たちが婚約をしたところで、じきに破談となるのは自明の理。ほら、なんの問題もないでしょう?」
「は? ちょ、ちょっと……、な、何よ、それ……?」
狐につままれたような顔をする女王を横目に、ハオリュウは端末の中のクーティエに視線を移す。いつもは可憐な彼女が、今だけは間抜けに、ぽかんと口を開けていた。
彼と目が合うと、クーティエは、はっと真顔に戻り、それから胡散臭げに眉根を寄せた。
『ハオリュウ……、えっと、その……、なんか、納得できないんだけど……?』
「摂政殿下が、僕に『女王陛下の婚約者になりませんか』と持ち掛けたときの話を、よく思い出してほしい。彼は『女王陛下が相思相愛の相手と出逢うまでの時間を稼ぐために、年若い僕を婚約者にしたい』と言ったんだ」
『うん。それは聞いたけど……?』
「だから、陛下がリュイセンさんと出逢った今、僕はお役御免なんだよ」
『何を言っているのよ!? 摂政殿下が、リュイセンにぃを『女王陛下のお相手』と認めるわけがないでしょ!』
目を尖らせたクーティエが、口早に言い返す。
予想通りの反応に、ハオリュウは笑みを漏らしそうになり、慌てて口元を引き締めた。こんなことで、彼女の不興を買いたくはない。
「そうだろうね。――でも、問題ないよ」
『どういうことよ!?』
「僕が婚約者になれば、女王陛下のご結婚は、僕が十八歳になるまで延期される。――そして、いざ僕が十八歳になったとき、陛下は二十一歳だ」
『それが、どうしたのよ?』
「カイウォル殿下は、いつまでも『摂政』でいられるわけじゃない。女王陛下が成年を迎えられれば、『未成年の王の代理』である摂政の任を解かれる。つまり、僕が結婚できる歳になったときには、カイウォル殿下は既に『摂政』ではないんだよ」
『え?』
「王兄とはいえ、カイウォル殿下は女王陛下の『臣下』になるんだ。『臣下』が勝手に決めた婚約なんか、女王陛下は『王』という最高の権力でもって、破棄してしまえばいい」
『ああっ!』
クーティエの声が、高く震えた。同時に、至近距離からも女王の驚愕が重ねられ、立体音響となる。
「以前、『女王の婚約者』を勧められたときには、まだ陛下とリュイセンさんが出逢っていなかった。それに、陛下のお人柄も分からなかったから、迂闊なお返事はできなかった。――けど、事情が変わった。ノーリスクで、カイウォル殿下の機嫌を取れるなら、『女王の婚約者』の札を手にしない理由がない」
鋭く言い切ったハオリュウの言葉に、画面の中も外も、しんと静まる。
……これは詭弁だ。
皆がこれ以上、状況を悪く捉えないようにするための。
そして、クーティエに伝えるための。
もう少しだけ、待っていてほしい、と。
厚顔の下に、ハオリュウは祈るような気持ちを隠す。
不意に、高い声が響いた。
『ハオリュウ、腹黒!』
小さな画面のクーティエが、『言ってやったわ』とばかりに、ぐっと口角を上げた。それから、緩やかに目を細め、悪戯好きの森の妖精のように、可憐に笑う。
『とっても、ハオリュウらしいわ!』
あなたの思惑は分かったから、受け止めてあげる。――そんな無言の声が聞こえた。
ハオリュウは、誰にも気づかれないように、そっと唇を噛む。
クーティエは、いつだって、そうやって笑い飛ばしてくれる。本当は、泣きたいほどに傷ついていても。
彼女には我慢させてばかりだ。
破棄が前提とはいえ、他の女性との婚約に抵抗がないはずがない。平気なふりをして笑ってくれる彼女に、彼は甘えているのだ。
――だから僕は、身分のない世界を、あなたに贈る。僕自身のために。
ハオリュウは胸の内で誓い、クーティエが作ってくれた明るい流れに乗るべく、気持ちを切り替えた。
「これで、納得していただけましたでしょうか?」
改まった口調で、ハオリュウは皆に問いかける。
「……やっぱり、なんか、もやもやするわ」
女王が、不満げに口を尖らせた。
「そうですね。やはり、私などが陛下の婚約者というのは、不遜かもしれませんね」
「だから、そういうことじゃなくて!」
テーブルの向こうから、白金の頭が詰め寄る。綺麗に整えられた毛先が、ハオリュウの頬をぺちんと叩いた。
距離感のおかしさ以外は、計算通り。うまく誘導できた反発に、ハオリュウは満足げに微笑む。
「陛下。私は婚約者として、あなたに服を贈りましょう」
「はい?」
何を言っているの? と。青灰色の瞳が、胡乱に歪んだ。
「あなたのお気に入りのデザイナーであるユイランさんが、王都で開いている店にお連れいたします」
「え?」
「もしも、その店に――」
焦らすように、ゆっくりと。ハオリュウは、女王に目線を合わせる。
「ユイランさんの息子である、リュイセンさんが手伝いに来ていたとしても、それはとても自然なことですよね?」
「ええっ!? リュイセンに、逢えるの!?」
白蓮のような笑顔が、ぽんと花開いた。
しかし、ハオリュウは何も答えず、淡々と続ける。
「それから、孫のクーティエが、自分が考案した髪飾りの売れ行きが気になって、店をうろうろしている――なんてことも、あるかもしれません」
小さな「あ!」という叫びと共に、綺羅の美貌が輝いた。
「つまり、私たちが婚約者だってことを隠れ蓑に、それぞれの相手に逢いにいくのね!」
女王にしろ、ハオリュウにしろ、想い人とは身分に差があるために、なかなか逢うことは叶わない。だから、これは名案――。
ハオリュウは口元をほころばせながらも、返答はせずに言葉を重ねる。
「服を注文したあとは、リュイセンさんを護衛に、クーティエに道案内を頼んで、お忍びで王都を歩かれるのは如何でしょうか。勿論、黒髪の鬘と、カラーコンタクトも、ご用意いたしましょう」
「えっ!? 何それ! ダブルデートってこと!?」
頬を紅潮させた女王に、ハオリュウは、しれっと「ただの王都見物ですよ」と答えつつ、我が意を得たりとばかりの笑みを浮かべる。
携帯端末に視線を移すと、クーティエが『腹黒!』という目で、こちらを見ていた。
うまく女王陛下を言いくるめたわね?
可憐な表情が、そう告げる。
本当にクーティエは良き理解者だ。
――今まで僕は、何に見栄を張っていたんだろう?
ハオリュウは自嘲する。
単独でできると意地を張ることに、どれほどの価値があるというのか。
自分の望みを見誤ったら、元も子もないではないか。
だから――。
世界を変える。
クーティエを傍らに迎えるために。