残酷な描写あり
5.白蓮の来訪-2
時は、アイリーがハオリュウの部屋に押しかけていった時点より、半日ほど前。
ハオリュウとカイウォルが対面した日の夜のこと――。
夕食を終えたクーティエは、寝間着にも着替えず、そのまま自室のベッドに寝転がった。
別に、眠いわけではない。
ハオリュウが囚われているというのに、眠れるわけがない。
昨日の晩だって、まともに眠れなかった。……その代わりに、授業中、うつらうつらして教師に怒られてしまったのだけど。
ただ、とても疲れていた。
クーティエは何もしていないのに。……何も、できないのに。
彼女にできたのは、ハオリュウの異母姉であるメイシアが、王宮に送るための書状をしたためるのを、そばで見守ることだけだった。
書状の中身は、こんな内容だった。
『渓谷の事故』は真実で、メイシアは自分の意思で身を投げた。だから、異母弟の『父と異母姉の殺害』という容疑は、まったくの冤罪である。
あの事故で、メイシアは谷に落ちたが、たいした外傷はなく、川の下流で通りすがりの人に助けられた。しかし、長時間、冷たい水に流されたため、しばらく高熱で意識を失っていた。
体が回復したあとになって初めて、メイシアは自分を探すために父が亡くなり、異母弟が大怪我を負ったことを知った。あまりの罪の重さに恐ろしくなって、藤咲家には帰らず、恋人のもとに身を隠してしまった。
けれど、今回、異母弟が逮捕されたと聞き、メイシアは心を改めた。自分の罪の告白と、異母弟の冤罪を晴らすために、王宮に赴き、釈明をする機会を与えてほしい――。
メイシアに、罪などないのに。
彼女は、ありもしない罪を被るのだ。
異母弟を救うために――。
クーティエは寝返りを打った。
両脇で高く結ったままの髪が、ばさりと投げ出される。それを追うように、絹のリボンが、ひらりと舞った。ハオリュウが似合うと言ってくれた、緑の髪飾りだ。
「……」
クーティエには何もできない。
自分は無力なのだと、痛感する。じわりと涙が滲んできて、慌てて手の甲で拭った。
何もしないで泣いているだけなんて、情けなくて……惨めだから。
ベッドで身を縮め、クーティエは凍える心を掻き抱く――。
どのくらい、そうしていただろうか。
不意に、小走りに廊下を近づいてくる気配を感じた。足音の様子からすると、ルイフォンだ。
何か、あったのだ。
クーティエは素早く身を起こし、ベッドから降り立つ。
「どうしたの!?」
勢いよく扉を開けると、案の定、目の前にルイフォンがいた。
今、まさにノックをしようとしていたらしく、軽く握った拳が、戸惑うように宙を叩く。内開きの扉のため、それだけで済んだが、外開きであったなら、クーティエは彼の鼻柱をしたたか打ち付けていたところだろう。
ルイフォンは一瞬、面食らった様子を見せたが、すぐに表情を引き締め、好戦的なテノールを響かせた。
「クーティエ、今すぐ客間に来てくれ。アイリーが、クーティエと話したいと、メッセージを送ってきた」
「え……? 『アイリー』って……、女王陛下!?」
驚きに、絹のリボンが跳ねる。
「ああ。王宮で何か動きがあったらしい。誤解のないように話したいから、メッセージの遣り取りじゃなくて、映像付きの音声通話をしたい、ってな」
安全性を考えると音声通話は望ましくないし、女王の持っている小さな端末では、映像付きは厳しいんだけど――などと、ルイフォンは、ぶつぶつ言っているが、クーティエとしてはそれどころではない。
「……ど、どういうこと!?」
どんな用件かは分からなくとも、ハオリュウに関することなのは間違いない。
とても気になる。今すぐ、客間に飛んでいきたい。
けれど、心が尻込みをする。
相手が『女王陛下』だからだ。
この国で、一番偉い人。平民のクーティエから見たら、雲の上の人。
畏れ多い……と思う気持ちは嘘ではないけれど、それ以上に、クーティエが、もやもやとした感情を抱いてしまう人――なのだ。
理由は分かっている。
『ハオリュウの婚約者になるかもしれなかった人』だからだ。
女王本人には何も知らされず、摂政が勝手に言っていただけのようだが、『婚約の話が出るくらいに、ハオリュウと身分が釣り合っている』と思うだけで、クーティエの心は、ちくちくと痛む。……自分でも、嫌になってしまうけれど。
女王が、叔父の共犯者という名の恋人になり、鷹刀一族とも親しい間柄になったことは、勿論、聞いている。けれど、まったく実感がわかないのだ。
だって、『女王様』と『凶賊の次期総帥』との組み合わせなんて、どう考えても無茶苦茶だ。
そんなわけで、一度、芽生えてしまった嫉妬心は簡単には消えず、女王に対する悪感情をずるずると引きずっている……。
「俺も、詳しいことは分からねぇんだよ。何しろ、アイリーの奴、『一番に伝えるべき相手は、クーティエなの!』の一点張りでな」
そう言いながら、ルイフォンは、くるりと身を翻す。一本に編まれた髪の先で、金の鈴が誘うように弧を描き、『ともかく来てくれ』と、クーティエを促した。
「ちょ、ちょっと、待ってよ……!」
抗議の声も、なんのその、もと来た廊下をずんずんと。ルイフォンは脇目も振らずに、客間へと戻っていく。
クーティエとしては、慌ててルイフォンの猫背を追いかけるしかなかった。
安全性上の問題から短時間で、映像は出せるけど音声の品質が著しく落ちるから、複雑な話になったら音声のみに切り替えるぞ――など、幾つかの注意事項のあと、ルイフォンは女王との回線を開いた。
『はじめまして。私はアイリー。よろしくね』
陽光を模したような白金の髪と、蒼天を映したような青灰色の瞳。
通信容量の問題で、決して精細ではないモニタ画面の上でも、圧倒されるような美の化身を前に、クーティエは固まった。
『できるだけ簡潔に、ってルイフォンに言われているから、用件のみになってしまうけど、ごめんね。本当は私、あなたとたくさん、お話ししたいのよ? ――あ、緑の髪飾り! とっても似合っているわ! クーティエって、やっぱり、セレイエに似ているのね。大人びた美人顔で、羨ましいわ』
簡潔に、と言いつつ、早速、脱線している女王に、そばで聞いていたルイフォンが苦笑を漏らした。その隣のメイシアも、神妙な顔つきを保ちつつ、やはり口元をほころばせている。
そのあとも女王の脱線は続いたが、ユイランに貰った青絹の髪飾りのお礼だったので、ルイフォンたちは黙って見守っていた。女王がずっと、髪飾りを考案したクーティエに感謝を伝えたい、と言っていたのを知っているからだ。
そして、クーティエはといえば、完全に動転していた。
当然だろう。
妬心を抱いていた相手に、友人のように親しげに話しかけられただけでも狼狽なのに、唯一無二の綺羅の美貌の持ち主である『女王様』に、『美人』だの、『羨ましい』だのと褒めはやされたのだから。かろうじて、「あの……、その……」と、か細い声を落とすのみだ。
いつもの元気娘ぶりは、どこへやら。すっかり鳴りを潜めて硬直するクーティエに、さすがにルイフォンも気の毒になったらしい。すっと自分のほうへとカメラの向きを変え、助け舟を出した。
「おい、アイリー。挨拶はそのくらいにして、そろそろ用件に移ってくれ」
『あっ、ごめんなさい。クーティエに会えたのが嬉しくて、つい……』
モニタ画面の中で、女王が可愛らしく肩をすくめる。白金の髪と青灰色の瞳を持つ、絶世の美少女であることを除けば、まるきり普通の町娘の言動だ。
だが、次の瞬間、その雰囲気が一変した。
それまで、楽しげに笑みをたたえていた顔が、にわかに険しくなり、浮かれていた声の美しさはそのままに、音質と音程を変える。
『話というのは勿論、お兄様が王宮に拘束した、藤咲の当主の件よ』
クーティエの喉が、こくりと動いた。
女王の言う『お兄様』とは、当然のことながら、摂政のことだ。
『お兄様は今日、藤咲の当主を軟禁している部屋に行ったの。そこで、ふたりが、どんな会話を交わしたのかは、私には分からない。――けど、そのあとで、お兄様が私に言ったの。『君と、ハオリュウ君の婚約が決まったよ』、『ハオリュウ君の、たっての願いだ』って』
「――!?」
クーティエの心臓が凍りついた。
激しい耳鳴りと共に、頭の中が真っ白になる。
女王陛下と婚約って、どういうこと?
それは、もう断った話でしょう?
なんで、また、そんな話が?
しかも、ハオリュウから?
そもそも、ハオリュウは罪人として捕らえられたのよ。なのに、それがどうして、『女王の婚約者』なんていう栄誉を手にできるわけ? おかしいじゃない!
ぐるぐると。
そんな台詞がクーティエの胸を渦巻く。けれど、口を衝いて出るものは荒い息だけ。
全身から、血の気が引いていく。倒れそうになる体を支えようと、クーティエは座っていた椅子の肘掛けを握りしめた。
『クーティエ!? 大丈夫!?』
女王が叫ぶ。
白金の眉が、ぐっと歪められ、本気で心配してくれているのが分かる。天と地ほども身分の違う、平民のクーティエに。
あ、女王陛下はいい人だ。――と、思った。
そして、頭を切り替える。
ハオリュウの――貴族の当主の婚約は、彼の心が決めることではない。彼の立場が決めるものだ。
摂政との会話の中で、ハオリュウは女王の婚約者を申し出ることが益になると判断したのだろう。
ならば、クーティエは傷つかない。傷つく必要がない。
いつだったか、自分で言ったではないか。
『ハオリュウが女王陛下の婚約者になるって? それがどうしたのよ? 平民の私が、貴族のハオリュウを好きになるって、生半可な気持ちじゃないんだから!』
だから、クーティエは笑う。笑わなくてはいけないのだ。
クーティエは、ぐっと唇を噛んだ。
「へ……陛下……、ご婚約……おめでとうございます……」
兄の摂政とは違って、女王陛下は、いい人だ。
ハオリュウは幸せになるだろう。
『なっ……、何を馬鹿なことを言っているのよ!?』
女王の絶叫が響き渡った。
ハオリュウとカイウォルが対面した日の夜のこと――。
夕食を終えたクーティエは、寝間着にも着替えず、そのまま自室のベッドに寝転がった。
別に、眠いわけではない。
ハオリュウが囚われているというのに、眠れるわけがない。
昨日の晩だって、まともに眠れなかった。……その代わりに、授業中、うつらうつらして教師に怒られてしまったのだけど。
ただ、とても疲れていた。
クーティエは何もしていないのに。……何も、できないのに。
彼女にできたのは、ハオリュウの異母姉であるメイシアが、王宮に送るための書状をしたためるのを、そばで見守ることだけだった。
書状の中身は、こんな内容だった。
『渓谷の事故』は真実で、メイシアは自分の意思で身を投げた。だから、異母弟の『父と異母姉の殺害』という容疑は、まったくの冤罪である。
あの事故で、メイシアは谷に落ちたが、たいした外傷はなく、川の下流で通りすがりの人に助けられた。しかし、長時間、冷たい水に流されたため、しばらく高熱で意識を失っていた。
体が回復したあとになって初めて、メイシアは自分を探すために父が亡くなり、異母弟が大怪我を負ったことを知った。あまりの罪の重さに恐ろしくなって、藤咲家には帰らず、恋人のもとに身を隠してしまった。
けれど、今回、異母弟が逮捕されたと聞き、メイシアは心を改めた。自分の罪の告白と、異母弟の冤罪を晴らすために、王宮に赴き、釈明をする機会を与えてほしい――。
メイシアに、罪などないのに。
彼女は、ありもしない罪を被るのだ。
異母弟を救うために――。
クーティエは寝返りを打った。
両脇で高く結ったままの髪が、ばさりと投げ出される。それを追うように、絹のリボンが、ひらりと舞った。ハオリュウが似合うと言ってくれた、緑の髪飾りだ。
「……」
クーティエには何もできない。
自分は無力なのだと、痛感する。じわりと涙が滲んできて、慌てて手の甲で拭った。
何もしないで泣いているだけなんて、情けなくて……惨めだから。
ベッドで身を縮め、クーティエは凍える心を掻き抱く――。
どのくらい、そうしていただろうか。
不意に、小走りに廊下を近づいてくる気配を感じた。足音の様子からすると、ルイフォンだ。
何か、あったのだ。
クーティエは素早く身を起こし、ベッドから降り立つ。
「どうしたの!?」
勢いよく扉を開けると、案の定、目の前にルイフォンがいた。
今、まさにノックをしようとしていたらしく、軽く握った拳が、戸惑うように宙を叩く。内開きの扉のため、それだけで済んだが、外開きであったなら、クーティエは彼の鼻柱をしたたか打ち付けていたところだろう。
ルイフォンは一瞬、面食らった様子を見せたが、すぐに表情を引き締め、好戦的なテノールを響かせた。
「クーティエ、今すぐ客間に来てくれ。アイリーが、クーティエと話したいと、メッセージを送ってきた」
「え……? 『アイリー』って……、女王陛下!?」
驚きに、絹のリボンが跳ねる。
「ああ。王宮で何か動きがあったらしい。誤解のないように話したいから、メッセージの遣り取りじゃなくて、映像付きの音声通話をしたい、ってな」
安全性を考えると音声通話は望ましくないし、女王の持っている小さな端末では、映像付きは厳しいんだけど――などと、ルイフォンは、ぶつぶつ言っているが、クーティエとしてはそれどころではない。
「……ど、どういうこと!?」
どんな用件かは分からなくとも、ハオリュウに関することなのは間違いない。
とても気になる。今すぐ、客間に飛んでいきたい。
けれど、心が尻込みをする。
相手が『女王陛下』だからだ。
この国で、一番偉い人。平民のクーティエから見たら、雲の上の人。
畏れ多い……と思う気持ちは嘘ではないけれど、それ以上に、クーティエが、もやもやとした感情を抱いてしまう人――なのだ。
理由は分かっている。
『ハオリュウの婚約者になるかもしれなかった人』だからだ。
女王本人には何も知らされず、摂政が勝手に言っていただけのようだが、『婚約の話が出るくらいに、ハオリュウと身分が釣り合っている』と思うだけで、クーティエの心は、ちくちくと痛む。……自分でも、嫌になってしまうけれど。
女王が、叔父の共犯者という名の恋人になり、鷹刀一族とも親しい間柄になったことは、勿論、聞いている。けれど、まったく実感がわかないのだ。
だって、『女王様』と『凶賊の次期総帥』との組み合わせなんて、どう考えても無茶苦茶だ。
そんなわけで、一度、芽生えてしまった嫉妬心は簡単には消えず、女王に対する悪感情をずるずると引きずっている……。
「俺も、詳しいことは分からねぇんだよ。何しろ、アイリーの奴、『一番に伝えるべき相手は、クーティエなの!』の一点張りでな」
そう言いながら、ルイフォンは、くるりと身を翻す。一本に編まれた髪の先で、金の鈴が誘うように弧を描き、『ともかく来てくれ』と、クーティエを促した。
「ちょ、ちょっと、待ってよ……!」
抗議の声も、なんのその、もと来た廊下をずんずんと。ルイフォンは脇目も振らずに、客間へと戻っていく。
クーティエとしては、慌ててルイフォンの猫背を追いかけるしかなかった。
安全性上の問題から短時間で、映像は出せるけど音声の品質が著しく落ちるから、複雑な話になったら音声のみに切り替えるぞ――など、幾つかの注意事項のあと、ルイフォンは女王との回線を開いた。
『はじめまして。私はアイリー。よろしくね』
陽光を模したような白金の髪と、蒼天を映したような青灰色の瞳。
通信容量の問題で、決して精細ではないモニタ画面の上でも、圧倒されるような美の化身を前に、クーティエは固まった。
『できるだけ簡潔に、ってルイフォンに言われているから、用件のみになってしまうけど、ごめんね。本当は私、あなたとたくさん、お話ししたいのよ? ――あ、緑の髪飾り! とっても似合っているわ! クーティエって、やっぱり、セレイエに似ているのね。大人びた美人顔で、羨ましいわ』
簡潔に、と言いつつ、早速、脱線している女王に、そばで聞いていたルイフォンが苦笑を漏らした。その隣のメイシアも、神妙な顔つきを保ちつつ、やはり口元をほころばせている。
そのあとも女王の脱線は続いたが、ユイランに貰った青絹の髪飾りのお礼だったので、ルイフォンたちは黙って見守っていた。女王がずっと、髪飾りを考案したクーティエに感謝を伝えたい、と言っていたのを知っているからだ。
そして、クーティエはといえば、完全に動転していた。
当然だろう。
妬心を抱いていた相手に、友人のように親しげに話しかけられただけでも狼狽なのに、唯一無二の綺羅の美貌の持ち主である『女王様』に、『美人』だの、『羨ましい』だのと褒めはやされたのだから。かろうじて、「あの……、その……」と、か細い声を落とすのみだ。
いつもの元気娘ぶりは、どこへやら。すっかり鳴りを潜めて硬直するクーティエに、さすがにルイフォンも気の毒になったらしい。すっと自分のほうへとカメラの向きを変え、助け舟を出した。
「おい、アイリー。挨拶はそのくらいにして、そろそろ用件に移ってくれ」
『あっ、ごめんなさい。クーティエに会えたのが嬉しくて、つい……』
モニタ画面の中で、女王が可愛らしく肩をすくめる。白金の髪と青灰色の瞳を持つ、絶世の美少女であることを除けば、まるきり普通の町娘の言動だ。
だが、次の瞬間、その雰囲気が一変した。
それまで、楽しげに笑みをたたえていた顔が、にわかに険しくなり、浮かれていた声の美しさはそのままに、音質と音程を変える。
『話というのは勿論、お兄様が王宮に拘束した、藤咲の当主の件よ』
クーティエの喉が、こくりと動いた。
女王の言う『お兄様』とは、当然のことながら、摂政のことだ。
『お兄様は今日、藤咲の当主を軟禁している部屋に行ったの。そこで、ふたりが、どんな会話を交わしたのかは、私には分からない。――けど、そのあとで、お兄様が私に言ったの。『君と、ハオリュウ君の婚約が決まったよ』、『ハオリュウ君の、たっての願いだ』って』
「――!?」
クーティエの心臓が凍りついた。
激しい耳鳴りと共に、頭の中が真っ白になる。
女王陛下と婚約って、どういうこと?
それは、もう断った話でしょう?
なんで、また、そんな話が?
しかも、ハオリュウから?
そもそも、ハオリュウは罪人として捕らえられたのよ。なのに、それがどうして、『女王の婚約者』なんていう栄誉を手にできるわけ? おかしいじゃない!
ぐるぐると。
そんな台詞がクーティエの胸を渦巻く。けれど、口を衝いて出るものは荒い息だけ。
全身から、血の気が引いていく。倒れそうになる体を支えようと、クーティエは座っていた椅子の肘掛けを握りしめた。
『クーティエ!? 大丈夫!?』
女王が叫ぶ。
白金の眉が、ぐっと歪められ、本気で心配してくれているのが分かる。天と地ほども身分の違う、平民のクーティエに。
あ、女王陛下はいい人だ。――と、思った。
そして、頭を切り替える。
ハオリュウの――貴族の当主の婚約は、彼の心が決めることではない。彼の立場が決めるものだ。
摂政との会話の中で、ハオリュウは女王の婚約者を申し出ることが益になると判断したのだろう。
ならば、クーティエは傷つかない。傷つく必要がない。
いつだったか、自分で言ったではないか。
『ハオリュウが女王陛下の婚約者になるって? それがどうしたのよ? 平民の私が、貴族のハオリュウを好きになるって、生半可な気持ちじゃないんだから!』
だから、クーティエは笑う。笑わなくてはいけないのだ。
クーティエは、ぐっと唇を噛んだ。
「へ……陛下……、ご婚約……おめでとうございます……」
兄の摂政とは違って、女王陛下は、いい人だ。
ハオリュウは幸せになるだろう。
『なっ……、何を馬鹿なことを言っているのよ!?』
女王の絶叫が響き渡った。