残酷な描写あり
4.虚々実々の嵐-2
「君が……、アイリーの婚約者に……?」
驚愕のあまり、カイウォルの語尾が跳ね上がる。
『女王の婚約者』の件は、ハオリュウは端から乗り気でなかった上に、一度は断ったのだ。それを再び蒸し返したのだから、当然の反応といえよう。
ハオリュウは、内心でほくそ笑む。
不自然な話の運びにならぬよう、回り道を重ねた甲斐があったようだ。異母姉を守るための『苦肉の策』なのだと、カイウォルは受け止めている。
よもや、『初めから、婚約者を申し出ることが狙いであった』とは思うまい――。
「どうか、ご検討を」
従順な臣下らしく頭を垂れ、ハオリュウは硬い声で告げた。
『父と異母姉の殺害』という罪状を突きつけてきたからには、カイウォルが異母姉を巻き込むつもりであることは明白だった。故に、逮捕直後から、ハオリュウは異母姉の名誉を守るための計略を練っていた。
目をつけたのは、『女王』という存在。
ただし、彼女に協力してもらうのが目的ではない。将来的には最強の駒になる女王だが、残念ながら、現時点ではハオリュウの助けにはならないからだ。それは、『摂政』と『女王』という、役職の力関係の問題ではなく、『頼りになる兄』と『未熟な妹』という間柄において、圧倒的に摂政の力のほうが上であるためだ。
では、ハオリュウが『譲歩』して、かねてからのカイウォルの希望であった『女王の婚約者』を引き受けたなら……。
『引き受ける』という言葉には、額面通りの意味の他に、カイウォルの配下に入るという意思を含んでいることくらい、分からないカイウォルではないだろう。
異母姉の自由と引き換えに、自分の身を売った――そう捉えるはずだ。
ハオリュウは、分不相応な申し出に恐縮するかのように、己の体を掻き抱き、指の先で、そっと自分の肩に触れる。グリップだこで変形した、ゴツゴツとした硬い手の感触を思い出しながら……。
昨日――。
「近衛隊の皆様、お待ちくださいませ」
藤咲家に押し入ってきた近衛隊は、すぐさまハオリュウを連行しようとした。そこに、シュアンが割って出た。胡散臭い濁声も、礼儀にかなった台詞を唱えれば、厳格な秘書の一声に聞こえるから不思議である。
「女王陛下のおわす王宮に参上するというのに、我が主人の出で立ちは普段着のまま。あまりにも礼を欠いたものでございます。どうか、身支度を整えるための猶予をくださいませ」
威圧感あふれる三白眼が煌めき、手入れのなっていない、ぼさぼさ頭が深々と下げられる。
頭の天辺から足の爪先まで、紛うことなく『目つきの悪いチンピラ』に見えるのだが、恥じる外見など、ひとつもないといった体で丁寧に腰を折ったなら、目の前にいるのは『眼光の鋭い切れ者』に相違なく、疑うべくは自分たちの視力のほうであるのだと、近衛隊員たちは思わざるを得なかった。
彼らは、秘書の弁は道理だ、と快諾し、衣装部屋へと向かう主人と秘書の背中を粛々と見送った。
実のところ、ハオリュウはシュアンとは異なり、普段からきちんと身なりを整えている。女王に目通りするのならともかく、罪人として逮捕をされる身であれば、着替える必要など、まるでなかった。
「おい、ハオリュウ」
ふたりきりになった途端、『目つきの悪いチンピラ』が、凄みのある凶相で詰め寄る。
「俺は、あんたが王宮に向かったら、ルイフォンに連絡を取る。だから約束しろ。絶対に単独で無茶はしねぇ、ってな」
「ですが、シュアン。そうは言われても、僕はひとりで王宮に行くのですから、どうしたって単独行動になります。無茶かどうかなんてことは、主観に依るものですので、そんな約束は無意味です」
必要とあらば、いくらでも適当な口約束のできるハオリュウであるが、シュアンを相手には忍びない。きっぱりと断ると、シュアンが箪笥を指し示した。
「前に、摂政との会食で着た、カメラやマイクの仕込まれた服があっただろう? あれに着替えていくんだ」
なるほど。それで、誰よりも外見に無頓着なシュアンが、服装にこだわったのか。
納得しつつ、ハオリュウは首を振る。
初夏と初秋とで、気温的には、さほど差はなくとも、季節が違うのだ。王宮に出向くにあたり、上流階級の人間の嗜みとして、四季折々にふさわしい服を選ぶべきである。風流を無視するのは無作法といえた。
「心配はありがたいのですが、あの服は、今の時季に着るものではありません。それに、仕込んだ機器の電池は、とっくに切れていますよ」
「なんだと!? 糞っ……!」
シュアンが忌々しげに舌打ちをする。
「大丈夫ですよ」
「こういうときの、あんたの『大丈夫』は、ちっとも『大丈夫』じゃねぇんだよ!」
ぼさぼさ頭を掻きむしり、シュアンが吠える。
それから、急に真顔になった。
斜に構えた軽薄さも、傲岸不遜な図々しさも鳴りを潜めた、ただ悪相というだけの無表情を前に、いつもの顔貌には、あれでいて意外に愛嬌があったのだと、ハオリュウは間の抜けた感想を抱く。
「いいか、ハオリュウ。よく聞け。あんたは認めたくねぇだろうが、気づいてはいるんだろう?」
「いきなり、なんの話ですか?」
「『摂政が、あんたを気に入っている』って話だ。奴は、絶対に、あんたには悪いようにしない。――だから、摂政を『たらしこむ』んだ。それが、現状を解決する糸口になる」
「…………」
想像もしなかったシュアンの言葉に、ハオリュウは不快げに眉をひそめた。
ハオリュウは、カイウォルという人間が嫌いである。
前々から、傲慢な王族そのものの言動は鼻につき、平民を母に持つハオリュウを歯牙にも掛けない態度が癇に障った。
そして、『デヴァイン・シンフォニア計画』に巻き込まれて以降は、カイウォルは、ハオリュウを鷹刀一族との内偵にしようと躍起になっている。
しかも、その手段は、ハオリュウの逆鱗に触れるものだ。
「摂政殿下は、あなたの命を駒にしました。そんな人間に媚びを売るような発言を、よもや、あなた自身の口から聞くとは思いませんでした」
ぴんと張り詰めた、絹糸の如く。ハオリュウの瞳が、冷ややかな光沢を放つ。
「いいから、肩の力を抜くんだ」
薄手のシャツの肩が、温かな重みに包まれた。グリップだこで変形した、ゴツゴツとした硬い手の感触が伝わってくる。
「摂政は、いけ好かねぇ野郎だが、狂人じゃねぇ。世の中には、性根の腐った外道が山ほどいるが、奴は正常だ」
「お言葉ですが、摂政殿下は、あなたを殺そうとしたんですよ? 『僕を従わせる』という目的のためだけに、人の命を使う。そんな人間は、立派に『外道』です」
「間違えんなよ、ハオリュウ」
どすの利いた声。肩に掛けられた手に、強い力が加わる。
「俺は、俺の意思で、自分から死のうとしたんだ。そうすれば、お前が脅迫されずに済むと考えた。――俺を殺そうとしたのは、俺自身だ。摂政の野郎は、頭の片隅にだって、『俺の死』を置いちゃいなかったんだよ」
「シュアン!? 何を馬鹿なことを……」
「摂政は『あんたは、俺を助ける』と、信じて疑っていなかったのさ。事実、あんたは俺を助けてくれただろう?」
眦の吊り上がったハオリュウの気色を、シュアンの気迫が呑み込む。
「確かに、摂政は俺の命を駒にした。だが、あの脅迫は、奴の主観でいえば『取り引き』だったのさ。言う通りにすれば、対価として、俺を無事に返してやる。それどころか、貴族殺しの罪人であることが明るみに出た以上、俺の処刑は免れないはずのところすらも曲げて、『見逃してやる』――ってな」
「それは、あなたの推測でしょう?」
「そうだな。けど、俺が死にかけたときの奴の態度から、間違いねぇと思うぜ?」
「同意できませんね」
「摂政の奴は、良くも悪くも、育ちのいい『お坊っちゃん』だ。気位が高い分、お行儀もよろしい。持ち掛けた『取り引き』が成立すれば、必ず対価は払っただろう。――特に、ずっと年下のあんたには、矜持にかけて筋の通らんことはしねぇはずだ。みっともねぇからよ」
「あなたを取り引き材料に使った時点で、摂政殿下は充分に卑怯ですし、筋が通っていませんよ」
けんもほろろのハオリュウに、シュアンは、ふっと顔を綻ばせた。相変わらずの悪人面では、不気味に唇を歪めたようにしか見えないのだが、いつもの彼らしい表情が戻ったことに、ハオリュウは安堵する。
「あんたが、俺のために、摂政を許せねぇのは知っている。ありがとな。……けど、正面から喧嘩を売らずに、うまく立ち回れ」
肩に載せられた手が、そっと離れていく。すれ違うように「頼んだ」という、優しい濁声が落ちてきた。
シュアンの手は、ハオリュウの手だ。
ならば。
シュアンの策も、ハオリュウの策だ――。
低頭の姿勢からでも、ハオリュウは充分に、カイウォルの狼狽を感じ取ることができた。
当然だろう。
これは、カイウォルにとって、悪くない取り引きなのだから。
カイウォルに求められているのは、『ライシェン』を諦めることだけだ。
逮捕は間違いであったと宣言し、異母姉を呼ぶことなくハオリュウを解放すれば、前々から腹心にと望んでいた彼が手に入る。
女王の婚約者となった暁には、ハオリュウは口先だけでなく、誠心誠意、忠勤を尽くすつもりだ。
カイウォルに教えを請い、見識を高める。
そして、カイウォルの後継には、ハオリュウ以外あり得ないと、万人が認める人物になってみせる。――この国から身分を廃し、王族の象徴としてカイウォルに消えてもらったあと、新しい時代の指導者たり得るように。
これは、ハオリュウにとっても、悪くない取り引きなのだ。
「ハオリュウ君……」
ためらいがちな蠱惑の旋律が響いた。
ハオリュウは、もうひと押しだと身を乗り出す。
「殿下は、『ライシェン』個人に、特別な思い入れがあるわけではないのでしょう?」
そっと背中を押すように、問いかけの形をした断定を、ハオリュウは囁く。
しかし――。
「私は、充分に思いを語ったつもりでいましたが、君に理解してもらうには、まだまだ足りなかったようですね」
ゆっくりと、雅やかに。
カイウォルは頭を振った。
「殿下!?」
「『ライシェン』だけの問題ではないのですよ」
「どういう意味でしょうか?」
苦労して話を進めた末に、やっと繰り出すことのできた『女王の婚約者』という切り札だ。これが効かぬとなれば、手詰まりになる。
思わず声を荒らげたハオリュウに、カイウォルは顔をしかめた。
「私ばかりが語るのは、不公平ですよ」
君には口にしていないことが、たくさんあるでしょう? と。見透かすような奈落の瞳が向けられる。
「――っ」
ハオリュウが返答に窮すると、カイウォルは満足げに笑んだ。
「まぁ、よいでしょう。君には、話しておいたほうがよさそうですからね。オリジナルのライシェンが生まれ、殺された、四年前のことを――……」
高飛車な口調に、ハオリュウは瞳を尖らせかけ……はっと顔色を変える。
この物言いは、ただの建前だ。
ここで話を打ち切ることもできたカイウォルが、更に深い話へと進めようとしている。――それは、『女王の婚約者になる』と言って、懐に飛び込んできたハオリュウに、益を見出したからに他ならない。
――つまり、悪い状況ではないのだ。
ハオリュウは、ごくりと唾を飲んだ
四年前の出来ごとなら、既に知っている。しかし、カイウォルの目線からは、また別の事実が見えてくるのかもしれない。無論、真実が語られるとは限らないことも、考慮しておく必要があるだろう。
ハオリュウが畏まったように辞儀をすると、カイウォルは「初めに、オリジナルのライシェンの両親が誰なのかを、はっきりとさせておきましょう」と切り出した。
驚愕のあまり、カイウォルの語尾が跳ね上がる。
『女王の婚約者』の件は、ハオリュウは端から乗り気でなかった上に、一度は断ったのだ。それを再び蒸し返したのだから、当然の反応といえよう。
ハオリュウは、内心でほくそ笑む。
不自然な話の運びにならぬよう、回り道を重ねた甲斐があったようだ。異母姉を守るための『苦肉の策』なのだと、カイウォルは受け止めている。
よもや、『初めから、婚約者を申し出ることが狙いであった』とは思うまい――。
「どうか、ご検討を」
従順な臣下らしく頭を垂れ、ハオリュウは硬い声で告げた。
『父と異母姉の殺害』という罪状を突きつけてきたからには、カイウォルが異母姉を巻き込むつもりであることは明白だった。故に、逮捕直後から、ハオリュウは異母姉の名誉を守るための計略を練っていた。
目をつけたのは、『女王』という存在。
ただし、彼女に協力してもらうのが目的ではない。将来的には最強の駒になる女王だが、残念ながら、現時点ではハオリュウの助けにはならないからだ。それは、『摂政』と『女王』という、役職の力関係の問題ではなく、『頼りになる兄』と『未熟な妹』という間柄において、圧倒的に摂政の力のほうが上であるためだ。
では、ハオリュウが『譲歩』して、かねてからのカイウォルの希望であった『女王の婚約者』を引き受けたなら……。
『引き受ける』という言葉には、額面通りの意味の他に、カイウォルの配下に入るという意思を含んでいることくらい、分からないカイウォルではないだろう。
異母姉の自由と引き換えに、自分の身を売った――そう捉えるはずだ。
ハオリュウは、分不相応な申し出に恐縮するかのように、己の体を掻き抱き、指の先で、そっと自分の肩に触れる。グリップだこで変形した、ゴツゴツとした硬い手の感触を思い出しながら……。
昨日――。
「近衛隊の皆様、お待ちくださいませ」
藤咲家に押し入ってきた近衛隊は、すぐさまハオリュウを連行しようとした。そこに、シュアンが割って出た。胡散臭い濁声も、礼儀にかなった台詞を唱えれば、厳格な秘書の一声に聞こえるから不思議である。
「女王陛下のおわす王宮に参上するというのに、我が主人の出で立ちは普段着のまま。あまりにも礼を欠いたものでございます。どうか、身支度を整えるための猶予をくださいませ」
威圧感あふれる三白眼が煌めき、手入れのなっていない、ぼさぼさ頭が深々と下げられる。
頭の天辺から足の爪先まで、紛うことなく『目つきの悪いチンピラ』に見えるのだが、恥じる外見など、ひとつもないといった体で丁寧に腰を折ったなら、目の前にいるのは『眼光の鋭い切れ者』に相違なく、疑うべくは自分たちの視力のほうであるのだと、近衛隊員たちは思わざるを得なかった。
彼らは、秘書の弁は道理だ、と快諾し、衣装部屋へと向かう主人と秘書の背中を粛々と見送った。
実のところ、ハオリュウはシュアンとは異なり、普段からきちんと身なりを整えている。女王に目通りするのならともかく、罪人として逮捕をされる身であれば、着替える必要など、まるでなかった。
「おい、ハオリュウ」
ふたりきりになった途端、『目つきの悪いチンピラ』が、凄みのある凶相で詰め寄る。
「俺は、あんたが王宮に向かったら、ルイフォンに連絡を取る。だから約束しろ。絶対に単独で無茶はしねぇ、ってな」
「ですが、シュアン。そうは言われても、僕はひとりで王宮に行くのですから、どうしたって単独行動になります。無茶かどうかなんてことは、主観に依るものですので、そんな約束は無意味です」
必要とあらば、いくらでも適当な口約束のできるハオリュウであるが、シュアンを相手には忍びない。きっぱりと断ると、シュアンが箪笥を指し示した。
「前に、摂政との会食で着た、カメラやマイクの仕込まれた服があっただろう? あれに着替えていくんだ」
なるほど。それで、誰よりも外見に無頓着なシュアンが、服装にこだわったのか。
納得しつつ、ハオリュウは首を振る。
初夏と初秋とで、気温的には、さほど差はなくとも、季節が違うのだ。王宮に出向くにあたり、上流階級の人間の嗜みとして、四季折々にふさわしい服を選ぶべきである。風流を無視するのは無作法といえた。
「心配はありがたいのですが、あの服は、今の時季に着るものではありません。それに、仕込んだ機器の電池は、とっくに切れていますよ」
「なんだと!? 糞っ……!」
シュアンが忌々しげに舌打ちをする。
「大丈夫ですよ」
「こういうときの、あんたの『大丈夫』は、ちっとも『大丈夫』じゃねぇんだよ!」
ぼさぼさ頭を掻きむしり、シュアンが吠える。
それから、急に真顔になった。
斜に構えた軽薄さも、傲岸不遜な図々しさも鳴りを潜めた、ただ悪相というだけの無表情を前に、いつもの顔貌には、あれでいて意外に愛嬌があったのだと、ハオリュウは間の抜けた感想を抱く。
「いいか、ハオリュウ。よく聞け。あんたは認めたくねぇだろうが、気づいてはいるんだろう?」
「いきなり、なんの話ですか?」
「『摂政が、あんたを気に入っている』って話だ。奴は、絶対に、あんたには悪いようにしない。――だから、摂政を『たらしこむ』んだ。それが、現状を解決する糸口になる」
「…………」
想像もしなかったシュアンの言葉に、ハオリュウは不快げに眉をひそめた。
ハオリュウは、カイウォルという人間が嫌いである。
前々から、傲慢な王族そのものの言動は鼻につき、平民を母に持つハオリュウを歯牙にも掛けない態度が癇に障った。
そして、『デヴァイン・シンフォニア計画』に巻き込まれて以降は、カイウォルは、ハオリュウを鷹刀一族との内偵にしようと躍起になっている。
しかも、その手段は、ハオリュウの逆鱗に触れるものだ。
「摂政殿下は、あなたの命を駒にしました。そんな人間に媚びを売るような発言を、よもや、あなた自身の口から聞くとは思いませんでした」
ぴんと張り詰めた、絹糸の如く。ハオリュウの瞳が、冷ややかな光沢を放つ。
「いいから、肩の力を抜くんだ」
薄手のシャツの肩が、温かな重みに包まれた。グリップだこで変形した、ゴツゴツとした硬い手の感触が伝わってくる。
「摂政は、いけ好かねぇ野郎だが、狂人じゃねぇ。世の中には、性根の腐った外道が山ほどいるが、奴は正常だ」
「お言葉ですが、摂政殿下は、あなたを殺そうとしたんですよ? 『僕を従わせる』という目的のためだけに、人の命を使う。そんな人間は、立派に『外道』です」
「間違えんなよ、ハオリュウ」
どすの利いた声。肩に掛けられた手に、強い力が加わる。
「俺は、俺の意思で、自分から死のうとしたんだ。そうすれば、お前が脅迫されずに済むと考えた。――俺を殺そうとしたのは、俺自身だ。摂政の野郎は、頭の片隅にだって、『俺の死』を置いちゃいなかったんだよ」
「シュアン!? 何を馬鹿なことを……」
「摂政は『あんたは、俺を助ける』と、信じて疑っていなかったのさ。事実、あんたは俺を助けてくれただろう?」
眦の吊り上がったハオリュウの気色を、シュアンの気迫が呑み込む。
「確かに、摂政は俺の命を駒にした。だが、あの脅迫は、奴の主観でいえば『取り引き』だったのさ。言う通りにすれば、対価として、俺を無事に返してやる。それどころか、貴族殺しの罪人であることが明るみに出た以上、俺の処刑は免れないはずのところすらも曲げて、『見逃してやる』――ってな」
「それは、あなたの推測でしょう?」
「そうだな。けど、俺が死にかけたときの奴の態度から、間違いねぇと思うぜ?」
「同意できませんね」
「摂政の奴は、良くも悪くも、育ちのいい『お坊っちゃん』だ。気位が高い分、お行儀もよろしい。持ち掛けた『取り引き』が成立すれば、必ず対価は払っただろう。――特に、ずっと年下のあんたには、矜持にかけて筋の通らんことはしねぇはずだ。みっともねぇからよ」
「あなたを取り引き材料に使った時点で、摂政殿下は充分に卑怯ですし、筋が通っていませんよ」
けんもほろろのハオリュウに、シュアンは、ふっと顔を綻ばせた。相変わらずの悪人面では、不気味に唇を歪めたようにしか見えないのだが、いつもの彼らしい表情が戻ったことに、ハオリュウは安堵する。
「あんたが、俺のために、摂政を許せねぇのは知っている。ありがとな。……けど、正面から喧嘩を売らずに、うまく立ち回れ」
肩に載せられた手が、そっと離れていく。すれ違うように「頼んだ」という、優しい濁声が落ちてきた。
シュアンの手は、ハオリュウの手だ。
ならば。
シュアンの策も、ハオリュウの策だ――。
低頭の姿勢からでも、ハオリュウは充分に、カイウォルの狼狽を感じ取ることができた。
当然だろう。
これは、カイウォルにとって、悪くない取り引きなのだから。
カイウォルに求められているのは、『ライシェン』を諦めることだけだ。
逮捕は間違いであったと宣言し、異母姉を呼ぶことなくハオリュウを解放すれば、前々から腹心にと望んでいた彼が手に入る。
女王の婚約者となった暁には、ハオリュウは口先だけでなく、誠心誠意、忠勤を尽くすつもりだ。
カイウォルに教えを請い、見識を高める。
そして、カイウォルの後継には、ハオリュウ以外あり得ないと、万人が認める人物になってみせる。――この国から身分を廃し、王族の象徴としてカイウォルに消えてもらったあと、新しい時代の指導者たり得るように。
これは、ハオリュウにとっても、悪くない取り引きなのだ。
「ハオリュウ君……」
ためらいがちな蠱惑の旋律が響いた。
ハオリュウは、もうひと押しだと身を乗り出す。
「殿下は、『ライシェン』個人に、特別な思い入れがあるわけではないのでしょう?」
そっと背中を押すように、問いかけの形をした断定を、ハオリュウは囁く。
しかし――。
「私は、充分に思いを語ったつもりでいましたが、君に理解してもらうには、まだまだ足りなかったようですね」
ゆっくりと、雅やかに。
カイウォルは頭を振った。
「殿下!?」
「『ライシェン』だけの問題ではないのですよ」
「どういう意味でしょうか?」
苦労して話を進めた末に、やっと繰り出すことのできた『女王の婚約者』という切り札だ。これが効かぬとなれば、手詰まりになる。
思わず声を荒らげたハオリュウに、カイウォルは顔をしかめた。
「私ばかりが語るのは、不公平ですよ」
君には口にしていないことが、たくさんあるでしょう? と。見透かすような奈落の瞳が向けられる。
「――っ」
ハオリュウが返答に窮すると、カイウォルは満足げに笑んだ。
「まぁ、よいでしょう。君には、話しておいたほうがよさそうですからね。オリジナルのライシェンが生まれ、殺された、四年前のことを――……」
高飛車な口調に、ハオリュウは瞳を尖らせかけ……はっと顔色を変える。
この物言いは、ただの建前だ。
ここで話を打ち切ることもできたカイウォルが、更に深い話へと進めようとしている。――それは、『女王の婚約者になる』と言って、懐に飛び込んできたハオリュウに、益を見出したからに他ならない。
――つまり、悪い状況ではないのだ。
ハオリュウは、ごくりと唾を飲んだ
四年前の出来ごとなら、既に知っている。しかし、カイウォルの目線からは、また別の事実が見えてくるのかもしれない。無論、真実が語られるとは限らないことも、考慮しておく必要があるだろう。
ハオリュウが畏まったように辞儀をすると、カイウォルは「初めに、オリジナルのライシェンの両親が誰なのかを、はっきりとさせておきましょう」と切り出した。