残酷な描写あり
4.虚々実々の嵐-1
「王妃様が……窓から……飛び降りた……?」
ハオリュウは耳を疑った。
どうして、こんな話になった?
自分は、いったい何を聞かされている?
ハオリュウはただ、『ライシェン』を取り戻そうとするカイウォルが、卑劣にも異母姉を巻き込もうとするから、阻止しようとしていただけだ。死んだことになっている異母姉が王宮に姿を現せば、彼女は『外道のあばずれ』として白眼視されることになってしまうから。
断じて、秘められた王族の過去を暴くことなど、望んでいない。
「〈神の御子〉を産んだからといって、それが女子では、国民の期待に応えたことにはならない――母が、そう感じているのは明らかでした。実際、市井の遺憾の声は、私の耳にも届きましたからね」
平坦に始まった口調は、言葉を重ねるに連れ、吐き捨てるような憎しみに揺れた。
カイウォル自身、怒りに流されそうな自分に気づいたのだろう。彼は瞳を伏せ、感情を押し込める。王族たるもの、いちいち民草の戯言に心を乱していてはならない。それも、もはや遠い過去の――戻らぬ時の果ての話なのだから、と。
「私は母が心配で、暇を見つけては見舞いに行きました。心身の疲れの溜まり切っていた母は、横になっていることが多く、夢現の状態で、うわ言を繰り返していました。『男子でなくて、ごめんなさい』、『許してください』、『もう、これ以上は……』――そんな嘆願を」
ハオリュウは、ごくりと唾を飲んだ。
ここまで語られれば、もう充分だ。
待望の〈神の御子〉を産んだにも関わらず、男子ではなかったというだけで失望された現実に、王妃の張り詰めていた心の糸は切れてしまったのだ。
追い詰められ、悪夢に囚われた彼女は、自由になりたいと願ったのだろう。
唇を噛んだハオリュウに、カイウォルが頷く。
「ある日、母の部屋に行くと、彼女は椅子を踏み台にして、窓枠の上に座っていました。驚いて駆け寄る私に、彼女は言いました」
『カイウォル、愛しているわ』
『アイリーをお願いね』
「私は、間に合いませんでした。少女のような無邪気な笑顔を残し、母は窓から飛び立ちました」
「……」
「〈神の御子〉誕生で、国を挙げての祝賀ムードの中、石畳に叩きつけられ、血の海で息絶えた王妃のことなど、公にできるはずもありません。母の死の真相は闇に葬られ、君も知る、『王妃は、最後に〈神の御子〉を産み、安らかな眠りについた』という、おとぎ話が騙られるようになったのですよ」
禍々しくも美しく、カイウォルが嗤う。
彼は、酷たらしく命を散らした母を看取ったのだ。
状況からいって、王妃は、彼が部屋を訪れるのを待っていたのだろう。最も信頼を寄せていた、愛する長男に、末娘を託すために。
だが、当時のカイウォルは、今のハオリュウよりも少し年上、といった程度の少年だったはずだ。いったい、どんな思いで、彼は母の死を受け止めたのだろうか……。
ハオリュウは黙って頭を垂れた。真偽を確かめたわけではないが、疑う気にはなれなかった。
カイウォルの視線が、窓を捉える。この部屋は、かつての王妃の部屋ではないが、彼の目には窓枠に座る母の姿が見えているのだろう。
「黒髪黒目で生まれた私は、自らが王冠を戴くことを望んだことはありません」
蠱惑の旋律が、静かに奏でられた。
「私の役目は、〈神の御子〉の弟妹を支えること。――それ以外の思考は持たぬようにと、教育されてきたのですよ。私が王権を狙うようになれば、国が乱れる原因になりますからね」
カイウォルは語る。
淡々と。まるで、他人ごとのように。
「無論、成長とともに、子供時代の思考操作の呪縛など、薄れていくものです。けれど、母の最期を思うと、私は野心を抱く気にはなれません。――黒髪黒目が王になれるのであれば、母が追い詰められることは、なかったのですからね」
凛然とした響きで、カイウォルは告げる。
「そして、母のような女性を作らぬために、私は一生、誰とも連れ添わない。黒髪黒目で生まれた私は、それでよい。それが、私が持って生まれた運命なのだから――と、受け入れています」
濁りのない音色。
そこに、「ただ……」と。ほんの少しの変調が加わった。
「血まみれの母の手を握りしめた、あのときだけは……、もしも、長男が〈神の御子〉の姿で生まれていたら、母の人生は、まったく別の――幸せなものだったのだろう……と、思わずにはいられませんでしたよ」
カイウォルは、自分の掌に憂いを落とす。冷たくなっていく母の手を、思い出すかのように。
それから、彼は、ゆっくりと頭を振った。香の匂いが、ふわりと漂う。
「『もしも』などという仮定は、この世に存在しない事象です。私は、すぐに、母の遺した妹を立派な王に育てることが、兄の使命だと――不幸な人生を終えた母に贈る、一番の手向けだと思いました」
切なげな微笑を浮かべ、カイウォルは正面に向き直る。
奈落の瞳の中央に、ハオリュウの顔が映し出された。
「ハオリュウ君、これで理解していただけたでしょうか。私は、君が考えているような野心など、持ち合わせていないのですよ」
引きずり込まれるような眼差しに、ハオリュウの背に、ぞくりと悪寒が走る。
だが、ここで素直に頷けるほど、ハオリュウは純真な少年ではない。それはカイウォルも承知しているようで、「ただし」と、鋭く続けた。
「私は、王が愚かであることを、決して許しません。故に、王を諫めることのできる力を、立場を欲します。それを『権力を求める』と同義とするのであれば、野心家と呼んでくださって結構です」
――君ならば、分かるでしょう?
――権力を望まぬくせに、藤咲家の当主の座を死守しようとする、君ならば……。
裏に隠された無言の重力が、ハオリュウに襲いかかる。
「――っ」
カイウォルは、ハオリュウと同じ種類の人間だ。
目的のためになら、非情な手段も厭わない。だが、禁じ手は、自分の無力の証明に他ならないと知っている。だからこそ、権力を求める。正道を歩みたいがために。
「愚者は、不幸を撒き散らします」
視線を外したハオリュウに、カイウォルが畳み掛けた。
「幼少期の精神的外傷というだけの理由で、『過去の王のクローン』を拒んだ先王は、王妃を殺しました」
王族らしい、典雅な顔立ちが酷薄に染まる。
「先王の愚かさは、世継ぎに関することだけに留まりません、彼は、あらゆる政務において、自分の感情で王権を行使しました。……王位継承者でもない、ただの王子の私には、多少の反論の機会は与えられても、王の決定を覆すことは許されませんでした」
「……」
先王とカイウォルは、ことあるごとに衝突し、不仲であったという。先王が存命だった時分、今よりも、もっと年少であったハオリュウは風評でしか知らないが、そう伝え聞いている。
どちらかといえば、カイウォルが一方的に噛み付いているような印象だったのだが、そのあたりは、どこに視点を置くかの問題なのだろう。
ハオリュウは、気圧されたように身を固くした。迂闊な発言はできなかった。
やがて、カイウォルは、緩やかに腕を組み、ソファーに背を預ける。そして、口元に、感情の読めない、雅やかな微笑を浮かべた。
聞かせるべき過去は語り終えた、ということのようだった。
ハオリュウは、低い姿勢のまま、乱れがちな呼吸を整える。
過去の告白は衝撃的ではあったが、直接、現在に繋がるものではない。カイウォルはただ、ハオリュウを手なづけるべく、親近感を抱かせるような話を持ち出しただけだ。
情報としては、間違いなく有益だった。けれど、口の先と腹の底とで、カイウォルの体温は異なるのだろう。話は事実と受け止めても、相手の思惑を読み違えてはならない。
ハオリュウにとって重要なのは、異母姉の名誉と自由を守ることだ。
話の流れを過去から現在へと戻し、こちらの意図する出口へと、カイウォルに辿りついてもらわねば。
さて、どうしたら、自然な会話となるか。
ハオリュウが胸中で眉を寄せたとき、カイウォルの頬が、ふっと緩んだ。
「ハオリュウ君。話を戻しましょうか」
「え?」
「先ほどの、君の提案について、ですよ」
カイウォルは、こともなげに時の流れを現在へと移す。
どことなく恩着せがましさを感じる響きから察するに、ハオリュウが過去の話から遠ざかりたいと思っていることに気づいているのだ。腹立たしくはあるが、渡りに船と、黙って頷いた。
「君は、私の子として、新たなる〈神の御子〉を作るよう提案しました。そうすれば、権力を手にできる――と唆し、私をその気にさせるつもりだったようですが、実のところ、君にとって、私も権力も、どうでもよいのでしょう?」
「……」
「君はただ、『『ライシェン』以外の〈神の御子〉を用意すればよい』と考えただけ。他に〈神の御子〉がいれば、私が『ライシェン』の情報を得るために、君の姉君を王宮に呼び出す必要はなくなりますからね。――君の目的は、姉君を守ることのみ。実に君らしいことです」
「ええ。おっしゃる通りです」
ハオリュウは開き直ったかのように、はっきりと答えた。
一時は、どうなることかと思ったが、無事に、こちらの望む流れになってきた。これで、『代案』と見せかけた、真の『提案』を口にすることができる。ハオリュウは安堵しつつ、表面上は硬い顔を作る。
「ですが、ハオリュウ君。先に説明した通り、鷹刀セレイエが過去の王の遺伝子をすべて廃棄したため、新たなる〈神の御子〉を作る術は失われています。残念ですが、君の姉君に役に立ってもらうしかありません」
すっと通った鼻筋を上げ、カイウォルが冷酷に宣告したときだった。
今だ――と。
迫真の演技で、ハオリュウは叫ぶ。
「ま、待ってください! 『王の遺伝子』なら、あるではないですか!」
ここが王宮でなければ、そして、ハオリュウの足が悪くなければ、テーブルを叩き、立ち上がったであろう語勢。
目を丸くするカイウォルに、ハオリュウは、王族に対して無作法であったと、慌てたように頭を下げる。
「取り乱しました無礼、深くお詫び申し上げます!」
「いえ、構いません。それより、『王の遺伝子』がある――とは、いったい、どういう意味ですか?」
片眉を上げた半信半疑の面持ちで、カイウォルは詰め寄った。対して、ハオリュウは更にかしこまり、平身低頭する。
「恐れながら……、アイリー現女王陛下の遺伝子を――陛下のクローンをお世継ぎとするのです」
現女王のクローンを作るという発想は、ハオリュウが思いついたことではない。ルイフォンから伝え聞いた、女王本人によるものだ。他人の考えを、あたかも自分の発案のように口にするのは如何とは思うが、使えるものはなんでも利用させてもらう。
現在では、女王は『『最後の王』になる』などと言い出して、自分のクローンを作るという話も取りやめることにしたようだが、〈神の御子〉を崇める宗教国家のこの国で、『王』の廃止は現実的でない。ハオリュウは、『身分をなくす』という壮大な野望を抱いているが、象徴としての『王』は、残すべきだと考えている。
実は、ルイフォンには『ハオリュウと女王は、協力し合えるのではないか』と勧められたのだ。話し合いの場として、安全な通信回線を構築しようか、とまで申し出てくれた。だが、考えの甘い女王と手を組むのは危険だと、ハオリュウは、きっぱりと断った。
女王の構想が誰かに知られたところで、夢見がちな少女の妄想で済む。
しかし、ハオリュウの野望は、反逆罪に当たる。万が一にでも外部に漏れたら、命取りになる。だから、女王にも決して明かさないよう、ルイフォンに固く口止めをした。
ハオリュウは、女王と関わりなく、自分の道を進むつもりだ。
だが、それとは別の話として――。
『女王』は利用すべき『駒』だ。
ハオリュウの喉が、こくりと嚥下する。
身を低くしたハオリュウの頭上で、カイウォルの衣擦れの気配がした。話にならないとばかりに、頭を振ったのだろう。ふわりと香が漂う。
「陛下のクローン……ですか。――君は名案だと思っているようですが、私にしてみれば、頑なに姉君を王宮に近寄らせまいとしている君の、悪あがきにしか見えませんよ」
「『ライシェン』を無理やりに引き取ったところで、〈蝿〉や、母親の鷹刀セレイエからの横槍が入るだけです。でしたら、なんの柵もない陛下のクローンのほうがよいはずです!」
勢いよく体を起こし、ハオリュウは黒絹の髪をなびかせる。
「落ち着いてください、ハオリュウ君。――だいたい、女王陛下のクローンでは、次代の王もまた、『仮初めの王』である『女王』にしかならないでしょう?」
たしなめようとするカイウォルに、ハオリュウは「殿下!」と鋭く声を張り上げた。
「そのお言葉は、陛下に対して失礼です!」
『仮初めの王』である女王が軽んじられるのは、この国では『常識』の範疇だ。だから、失礼なのは、王族であるカイウォルに楯突いたハオリュウのほうなのであるが、ここは強引に押し切り、そして、間髪を容れずに言を継ぐ。
「ええ、無論、存じております。妹思いのカイウォル殿下は、世継ぎが女子であれば、先王妃様と同じく、アイリー陛下にも心ない言葉が向けられる、と憂慮されておられるのでしょう。――そのお気持ち、私が異母姉を思う気持ちと通じるものがあると思います」
「!」
カイウォルの顔色が変わった。この遣り取りが、誘導されたものであることに気づいたのだ。
機を逃さず、ハオリュウは「殿下、ご提案がございます」と、畳み掛ける。
「私が『女王陛下の婚約者』になります」
「なっ……!?」
瞳を極限まで見開き、カイウォルが絶句する。
予想通りの反応に、ハオリュウは内心の笑みを隠しつつ、淡々と続けた。
「一度、ご辞退申し上げました、『私を女王陛下の婚約者に』とのお話、改めて、お引き受けさせてください。世継ぎが女子でも、私が必ずや、陛下と御子をお守りいたします」
「君は……、いったい……?」
「その代わり、私の異母姉をお捨て置きください」
これが、異母姉を守るための秘策。
いきなり口にしたら不自然極まりない、ハオリュウの真の『提案』だ。
ハオリュウは耳を疑った。
どうして、こんな話になった?
自分は、いったい何を聞かされている?
ハオリュウはただ、『ライシェン』を取り戻そうとするカイウォルが、卑劣にも異母姉を巻き込もうとするから、阻止しようとしていただけだ。死んだことになっている異母姉が王宮に姿を現せば、彼女は『外道のあばずれ』として白眼視されることになってしまうから。
断じて、秘められた王族の過去を暴くことなど、望んでいない。
「〈神の御子〉を産んだからといって、それが女子では、国民の期待に応えたことにはならない――母が、そう感じているのは明らかでした。実際、市井の遺憾の声は、私の耳にも届きましたからね」
平坦に始まった口調は、言葉を重ねるに連れ、吐き捨てるような憎しみに揺れた。
カイウォル自身、怒りに流されそうな自分に気づいたのだろう。彼は瞳を伏せ、感情を押し込める。王族たるもの、いちいち民草の戯言に心を乱していてはならない。それも、もはや遠い過去の――戻らぬ時の果ての話なのだから、と。
「私は母が心配で、暇を見つけては見舞いに行きました。心身の疲れの溜まり切っていた母は、横になっていることが多く、夢現の状態で、うわ言を繰り返していました。『男子でなくて、ごめんなさい』、『許してください』、『もう、これ以上は……』――そんな嘆願を」
ハオリュウは、ごくりと唾を飲んだ。
ここまで語られれば、もう充分だ。
待望の〈神の御子〉を産んだにも関わらず、男子ではなかったというだけで失望された現実に、王妃の張り詰めていた心の糸は切れてしまったのだ。
追い詰められ、悪夢に囚われた彼女は、自由になりたいと願ったのだろう。
唇を噛んだハオリュウに、カイウォルが頷く。
「ある日、母の部屋に行くと、彼女は椅子を踏み台にして、窓枠の上に座っていました。驚いて駆け寄る私に、彼女は言いました」
『カイウォル、愛しているわ』
『アイリーをお願いね』
「私は、間に合いませんでした。少女のような無邪気な笑顔を残し、母は窓から飛び立ちました」
「……」
「〈神の御子〉誕生で、国を挙げての祝賀ムードの中、石畳に叩きつけられ、血の海で息絶えた王妃のことなど、公にできるはずもありません。母の死の真相は闇に葬られ、君も知る、『王妃は、最後に〈神の御子〉を産み、安らかな眠りについた』という、おとぎ話が騙られるようになったのですよ」
禍々しくも美しく、カイウォルが嗤う。
彼は、酷たらしく命を散らした母を看取ったのだ。
状況からいって、王妃は、彼が部屋を訪れるのを待っていたのだろう。最も信頼を寄せていた、愛する長男に、末娘を託すために。
だが、当時のカイウォルは、今のハオリュウよりも少し年上、といった程度の少年だったはずだ。いったい、どんな思いで、彼は母の死を受け止めたのだろうか……。
ハオリュウは黙って頭を垂れた。真偽を確かめたわけではないが、疑う気にはなれなかった。
カイウォルの視線が、窓を捉える。この部屋は、かつての王妃の部屋ではないが、彼の目には窓枠に座る母の姿が見えているのだろう。
「黒髪黒目で生まれた私は、自らが王冠を戴くことを望んだことはありません」
蠱惑の旋律が、静かに奏でられた。
「私の役目は、〈神の御子〉の弟妹を支えること。――それ以外の思考は持たぬようにと、教育されてきたのですよ。私が王権を狙うようになれば、国が乱れる原因になりますからね」
カイウォルは語る。
淡々と。まるで、他人ごとのように。
「無論、成長とともに、子供時代の思考操作の呪縛など、薄れていくものです。けれど、母の最期を思うと、私は野心を抱く気にはなれません。――黒髪黒目が王になれるのであれば、母が追い詰められることは、なかったのですからね」
凛然とした響きで、カイウォルは告げる。
「そして、母のような女性を作らぬために、私は一生、誰とも連れ添わない。黒髪黒目で生まれた私は、それでよい。それが、私が持って生まれた運命なのだから――と、受け入れています」
濁りのない音色。
そこに、「ただ……」と。ほんの少しの変調が加わった。
「血まみれの母の手を握りしめた、あのときだけは……、もしも、長男が〈神の御子〉の姿で生まれていたら、母の人生は、まったく別の――幸せなものだったのだろう……と、思わずにはいられませんでしたよ」
カイウォルは、自分の掌に憂いを落とす。冷たくなっていく母の手を、思い出すかのように。
それから、彼は、ゆっくりと頭を振った。香の匂いが、ふわりと漂う。
「『もしも』などという仮定は、この世に存在しない事象です。私は、すぐに、母の遺した妹を立派な王に育てることが、兄の使命だと――不幸な人生を終えた母に贈る、一番の手向けだと思いました」
切なげな微笑を浮かべ、カイウォルは正面に向き直る。
奈落の瞳の中央に、ハオリュウの顔が映し出された。
「ハオリュウ君、これで理解していただけたでしょうか。私は、君が考えているような野心など、持ち合わせていないのですよ」
引きずり込まれるような眼差しに、ハオリュウの背に、ぞくりと悪寒が走る。
だが、ここで素直に頷けるほど、ハオリュウは純真な少年ではない。それはカイウォルも承知しているようで、「ただし」と、鋭く続けた。
「私は、王が愚かであることを、決して許しません。故に、王を諫めることのできる力を、立場を欲します。それを『権力を求める』と同義とするのであれば、野心家と呼んでくださって結構です」
――君ならば、分かるでしょう?
――権力を望まぬくせに、藤咲家の当主の座を死守しようとする、君ならば……。
裏に隠された無言の重力が、ハオリュウに襲いかかる。
「――っ」
カイウォルは、ハオリュウと同じ種類の人間だ。
目的のためになら、非情な手段も厭わない。だが、禁じ手は、自分の無力の証明に他ならないと知っている。だからこそ、権力を求める。正道を歩みたいがために。
「愚者は、不幸を撒き散らします」
視線を外したハオリュウに、カイウォルが畳み掛けた。
「幼少期の精神的外傷というだけの理由で、『過去の王のクローン』を拒んだ先王は、王妃を殺しました」
王族らしい、典雅な顔立ちが酷薄に染まる。
「先王の愚かさは、世継ぎに関することだけに留まりません、彼は、あらゆる政務において、自分の感情で王権を行使しました。……王位継承者でもない、ただの王子の私には、多少の反論の機会は与えられても、王の決定を覆すことは許されませんでした」
「……」
先王とカイウォルは、ことあるごとに衝突し、不仲であったという。先王が存命だった時分、今よりも、もっと年少であったハオリュウは風評でしか知らないが、そう伝え聞いている。
どちらかといえば、カイウォルが一方的に噛み付いているような印象だったのだが、そのあたりは、どこに視点を置くかの問題なのだろう。
ハオリュウは、気圧されたように身を固くした。迂闊な発言はできなかった。
やがて、カイウォルは、緩やかに腕を組み、ソファーに背を預ける。そして、口元に、感情の読めない、雅やかな微笑を浮かべた。
聞かせるべき過去は語り終えた、ということのようだった。
ハオリュウは、低い姿勢のまま、乱れがちな呼吸を整える。
過去の告白は衝撃的ではあったが、直接、現在に繋がるものではない。カイウォルはただ、ハオリュウを手なづけるべく、親近感を抱かせるような話を持ち出しただけだ。
情報としては、間違いなく有益だった。けれど、口の先と腹の底とで、カイウォルの体温は異なるのだろう。話は事実と受け止めても、相手の思惑を読み違えてはならない。
ハオリュウにとって重要なのは、異母姉の名誉と自由を守ることだ。
話の流れを過去から現在へと戻し、こちらの意図する出口へと、カイウォルに辿りついてもらわねば。
さて、どうしたら、自然な会話となるか。
ハオリュウが胸中で眉を寄せたとき、カイウォルの頬が、ふっと緩んだ。
「ハオリュウ君。話を戻しましょうか」
「え?」
「先ほどの、君の提案について、ですよ」
カイウォルは、こともなげに時の流れを現在へと移す。
どことなく恩着せがましさを感じる響きから察するに、ハオリュウが過去の話から遠ざかりたいと思っていることに気づいているのだ。腹立たしくはあるが、渡りに船と、黙って頷いた。
「君は、私の子として、新たなる〈神の御子〉を作るよう提案しました。そうすれば、権力を手にできる――と唆し、私をその気にさせるつもりだったようですが、実のところ、君にとって、私も権力も、どうでもよいのでしょう?」
「……」
「君はただ、『『ライシェン』以外の〈神の御子〉を用意すればよい』と考えただけ。他に〈神の御子〉がいれば、私が『ライシェン』の情報を得るために、君の姉君を王宮に呼び出す必要はなくなりますからね。――君の目的は、姉君を守ることのみ。実に君らしいことです」
「ええ。おっしゃる通りです」
ハオリュウは開き直ったかのように、はっきりと答えた。
一時は、どうなることかと思ったが、無事に、こちらの望む流れになってきた。これで、『代案』と見せかけた、真の『提案』を口にすることができる。ハオリュウは安堵しつつ、表面上は硬い顔を作る。
「ですが、ハオリュウ君。先に説明した通り、鷹刀セレイエが過去の王の遺伝子をすべて廃棄したため、新たなる〈神の御子〉を作る術は失われています。残念ですが、君の姉君に役に立ってもらうしかありません」
すっと通った鼻筋を上げ、カイウォルが冷酷に宣告したときだった。
今だ――と。
迫真の演技で、ハオリュウは叫ぶ。
「ま、待ってください! 『王の遺伝子』なら、あるではないですか!」
ここが王宮でなければ、そして、ハオリュウの足が悪くなければ、テーブルを叩き、立ち上がったであろう語勢。
目を丸くするカイウォルに、ハオリュウは、王族に対して無作法であったと、慌てたように頭を下げる。
「取り乱しました無礼、深くお詫び申し上げます!」
「いえ、構いません。それより、『王の遺伝子』がある――とは、いったい、どういう意味ですか?」
片眉を上げた半信半疑の面持ちで、カイウォルは詰め寄った。対して、ハオリュウは更にかしこまり、平身低頭する。
「恐れながら……、アイリー現女王陛下の遺伝子を――陛下のクローンをお世継ぎとするのです」
現女王のクローンを作るという発想は、ハオリュウが思いついたことではない。ルイフォンから伝え聞いた、女王本人によるものだ。他人の考えを、あたかも自分の発案のように口にするのは如何とは思うが、使えるものはなんでも利用させてもらう。
現在では、女王は『『最後の王』になる』などと言い出して、自分のクローンを作るという話も取りやめることにしたようだが、〈神の御子〉を崇める宗教国家のこの国で、『王』の廃止は現実的でない。ハオリュウは、『身分をなくす』という壮大な野望を抱いているが、象徴としての『王』は、残すべきだと考えている。
実は、ルイフォンには『ハオリュウと女王は、協力し合えるのではないか』と勧められたのだ。話し合いの場として、安全な通信回線を構築しようか、とまで申し出てくれた。だが、考えの甘い女王と手を組むのは危険だと、ハオリュウは、きっぱりと断った。
女王の構想が誰かに知られたところで、夢見がちな少女の妄想で済む。
しかし、ハオリュウの野望は、反逆罪に当たる。万が一にでも外部に漏れたら、命取りになる。だから、女王にも決して明かさないよう、ルイフォンに固く口止めをした。
ハオリュウは、女王と関わりなく、自分の道を進むつもりだ。
だが、それとは別の話として――。
『女王』は利用すべき『駒』だ。
ハオリュウの喉が、こくりと嚥下する。
身を低くしたハオリュウの頭上で、カイウォルの衣擦れの気配がした。話にならないとばかりに、頭を振ったのだろう。ふわりと香が漂う。
「陛下のクローン……ですか。――君は名案だと思っているようですが、私にしてみれば、頑なに姉君を王宮に近寄らせまいとしている君の、悪あがきにしか見えませんよ」
「『ライシェン』を無理やりに引き取ったところで、〈蝿〉や、母親の鷹刀セレイエからの横槍が入るだけです。でしたら、なんの柵もない陛下のクローンのほうがよいはずです!」
勢いよく体を起こし、ハオリュウは黒絹の髪をなびかせる。
「落ち着いてください、ハオリュウ君。――だいたい、女王陛下のクローンでは、次代の王もまた、『仮初めの王』である『女王』にしかならないでしょう?」
たしなめようとするカイウォルに、ハオリュウは「殿下!」と鋭く声を張り上げた。
「そのお言葉は、陛下に対して失礼です!」
『仮初めの王』である女王が軽んじられるのは、この国では『常識』の範疇だ。だから、失礼なのは、王族であるカイウォルに楯突いたハオリュウのほうなのであるが、ここは強引に押し切り、そして、間髪を容れずに言を継ぐ。
「ええ、無論、存じております。妹思いのカイウォル殿下は、世継ぎが女子であれば、先王妃様と同じく、アイリー陛下にも心ない言葉が向けられる、と憂慮されておられるのでしょう。――そのお気持ち、私が異母姉を思う気持ちと通じるものがあると思います」
「!」
カイウォルの顔色が変わった。この遣り取りが、誘導されたものであることに気づいたのだ。
機を逃さず、ハオリュウは「殿下、ご提案がございます」と、畳み掛ける。
「私が『女王陛下の婚約者』になります」
「なっ……!?」
瞳を極限まで見開き、カイウォルが絶句する。
予想通りの反応に、ハオリュウは内心の笑みを隠しつつ、淡々と続けた。
「一度、ご辞退申し上げました、『私を女王陛下の婚約者に』とのお話、改めて、お引き受けさせてください。世継ぎが女子でも、私が必ずや、陛下と御子をお守りいたします」
「君は……、いったい……?」
「その代わり、私の異母姉をお捨て置きください」
これが、異母姉を守るための秘策。
いきなり口にしたら不自然極まりない、ハオリュウの真の『提案』だ。