残酷な描写あり
2.渦紋の謀略-1
ハオリュウは、メイシアを『死者』にした。
それは、貴族であった異母姉を、平民のルイフォンのもとへ送り出すため。
そしてまた、父――〈蝿〉によって、厳月家前当主の〈影〉にされてしまい、ルイフォンが毒刃で命を奪うしかなかった、藤咲家前当主――の死因を偽るために。
ハオリュウは、架空の事故を作り上げた。
曰く。
メイシアには平民の恋人がいた。だが、厳月家の三男との縁談が持ち上がり、無理やり別れさせられてしまう。
ふさぎ込む彼女を元気づけようと、藤咲家は家族旅行を計画した。
しかし、その旅先でメイシアは渓谷に身を投げ、行方不明に。助けようとした父親は滑落死、異母弟ハオリュウは足に一生残る大怪我を負い、あまりにも悲惨な現実に、母親は心を失ってしまった。
「――というのが、ハオリュウのでっちあげた嘘八百だったわよね?」
波打つ黒髪が空を薙ぎ、干した草の香が宙を舞う。シュアンから連絡を受けて間もなく、『藤咲家からの説明員』と言って草薙家に現れたミンウェイは、肩を怒らせ、テーブルに身を乗り出した。
「それを、摂政は『事故』じゃなくて、ハオリュウが仕組んだ『事件』だったと言うのよ!」
どんっ、と。
拳が叩きつけられる。
テーブルの上の茶器が跳ねた。衝撃は床から壁へと伝わり、応接室を彩る賞状と感謝状が、今にも落ちんばかりに傾く。
綺麗に紅の引かれた唇をわななかせ、柳眉を逆立てたミンウェイは、美麗な破壊神と化していた。
「なっ……! 何よそれ!」
すかさず放たれた甲高い叫びは、クーティエのものだ。父親のレイウェンが、ハオリュウの求婚を制したため、今のところ、ハオリュウの『お友達』である。――が、暗黙の『それ以上』ともなれば、おとなしく聞いてなどいられない。
クーティエは、ミンウェイに負けじ劣らずの剣幕で立ち上がる。
だんっ、と。
強く踏み鳴らされた両足からの振動で、飾り棚の硝子戸が揺れた。中に収められた、草薙家の功績を称えるトロフィーや盾が、ぐらりと倒れる。
ふたりに増えた破壊神を前に、ルイフォンは、激昂するミンウェイよりも、静かに憤るシュアンに来てほしかったと、渋面を作る。だが、主人不在の藤咲家を守るため、秘書はあちこちに飛び回っているとのことだった。
ふと視線を感じれば、思案顔のレイウェンが、こちらを見ていた。この破壊神は、私が鎮めたほうがよいか? と尋ねている。
年長者であり、家主でもあるレイウェンは、この場を収めるにふさわしい人物といえよう。しかし、君が仕切るほうが適任ではないかと、ルイフォンの顔を立てようとしてくれたのだ。隣で硬い表情をしているメイシアさんを安心させるのは、君の役目だろう? と。
ルイフォンが目線で謝意を述べ、口を開こうとしたときだった。
「落ち着け、お前たち。騒いでも、事態は変わらないだろう?」
性別不詳の声が響いた。直刀のような瞳が、ふたりの破壊神をまっすぐに貫く。
「シャンリー……」
「母上……」
相手の名を呟いたまま、破壊神たちは絶句した。
それは、シャンリーの迫力に押されたからではない。彼女が、両の目を涙で潤ませていたためである。
唇を噛み締め、シャンリーは握りしめた拳で目元を拭う。
「糞っ……、摂政殿下は、どうしてハオリュウばかりを酷い目に遭わせるんだ。この前は、シュアンの逮捕で脅迫しやがったし……」
男装の麗人と謳われ、勇ましい印象のあるシャンリーだが、身内の危機には打たれ弱く、涙もろかった。
声を震わせるシャンリーに、唖然とする破壊神たち。しかし、次の瞬間には、はっと我に返り、口々に叫ぶ。
「そうよ! ハオリュウばっかり、あんまりだわ!」
「許せない!」
ぎゃあぎゃあと耳障りな喚き声に、ルイフォンは頭を抱えたくなった。
ハオリュウが摂政に狙われるのは、摂政が直接的に圧を掛けられる相手が、ハオリュウしかいないためだ。だが、ここで正論を言っても、事態の収集には繋がるまい。
ともかく、強引にでも、話の主導権を握るしかないだろう。
彼が口元を引き締めると、傍らのメイシアが、そっと彼の背中に手を回してきた。細い指先が、編んだ彼の髪をくしゃりと撫でる。彼女の指の動きに合わせて、毛先を彩る金の鈴が、くるりと踊る。
『大丈夫だから』
柔らかに微笑むメイシアに、ルイフォンは口の端を上げた。
そう――。
レイウェンは心配してくれたようだが、メイシアは極めて冷静だ。
その証拠に、シュアンからの第一報を受けたとき、ルイフォンよりも早く、現状を打破する方法を口にした。正確には、ルイフォンが一瞬ためらった隙に、メイシアに先に言われてしまったのだ。
――俺のメイシアは、本当に芯が強い。
ルイフォンが誇らしく思いながら、『皆、ちょっといいか』と、切り出そうとしたときだった。
「ちょっと! ハオリュウさんの一大事ですって!?」
険しい声と共に、応接室の扉が大きく開かれた。勢いに乗った扉は、本来の開閉角度を超えて壁に打ち付けられ、部屋全体が揺れる。
「いったい、どういうことよ!?」
銀髪を振り乱し、ユイランが飛び込んできた。ミンウェイが来たとき、彼女は仕立て屋の作業に集中しているようであったため、『区切りがついたら、応接室に来てほしい』と、部屋の前に置き手紙を残してきたのだ。
普段の『品の良い初老の婦人』とは別人のような鬼の形相と、壁から落ちてきた感謝状を見比べ、ルイフォンは溜め息をつく。どうやら、鷹刀の血を引く女性たちには、破壊神が宿っているようであった。
数分後――。
どうにかして皆を落ち着かせたルイフォンは、「つまり、摂政の言い分は、こういうことだな?」と、状況をまとめた。
「メイシアの縁談は、『メイシアが嫁に行くのではなくて、厳月家の三男が婿養子となって藤咲家を継ぐ』というものだった。つまり、『長男ではあっても、平民の血を引くハオリュウは、跡継ぎとして認めない』という意味だ。そのことに不満を覚えたハオリュウが、自分を認めなかった父と、自分の立場を脅かす存在である異母姉を殺した、と」
「そうよ! 『藤咲家の前当主が亡くなった事故には、不審な点が多すぎる』とか言って、ハオリュウを連れて行ったのよ!」
いまだ気持ちの昂ぶったままのミンウェイは、「決闘のときの怪我だって、まだ松葉杖が取れたばかりで治りきってないのに!」と、興奮気味に捲し立てる。
すると、重なるように、クーティエが声を張り上げた。
「『不審』って……、だって、しょうがないじゃない! そんな事故、本当は、なかったんだから!」
その通りだ。
この事故は、ハオリュウの虚言。詳細に調べられれば、必ず不審点が出る。
クーティエは、感情のままに発した自分の台詞が、まるでハオリュウの罪を認めているかのようだと思ったのだろう。慌てて、言葉を付け足した。
「渓谷の事故は嘘だけど、ハオリュウは、お父さんやメイシアを殺してなんかいないわ! 摂政殿下は、本当は事故のことなんかどうでもよくて、単にハオリュウを捕まえたかっただけでしょ! ハオリュウが、女王陛下の婚約者になるのを断ったから! 『ライシェン』の情報を渡さなかったから! ――自分の言いなりに、ならなかったから……」
きんきんと高い、金切り声は、途中から力を失っていった。そして、涙声になりながら、ぽつりと続く。
「摂政殿下は、ハオリュウを捕まえてどうするつもりなの……?」
クーティエは、ごくりと唾を飲んだ。本当に訊きたいことは、そこではなく、そのひとつ先だ。
彼女は唇を震わせ、恐る恐る皆に尋ねる。
「摂政殿下は、ハオリュウに、王家がクローンに頼っていることを教えたわ。硝子ケースで眠る〈神の御子〉――『ライシェン』も見せた。だから……。知りすぎたハオリュウを、亡き者にしようとしているの……?」
皆の吐息が揺れた。
軋むような沈黙が辺りを漂い始め、しかし、すぐに、ミンウェイの乾いた笑いによって打ち払われる。
「ちょ、ちょっと、嫌だわ、クーティエ。不吉なことを言わないでよ……」
「だって、ミンウェイねぇ。この前は緋扇シュアンで、今度はハオリュウが逮捕されたのよ。摂政殿下は、権力を使って、やりたい放題だわ!」
クーティエは、わっと泣き崩れた。今までの傍若無人な破壊神ぶりは、不安な気持ちの裏返し。精いっぱいの虚勢だったのだろう。それはミンウェイも同じようで、切れ長の瞳には涙が浮かんでいた。
「落ち着け、クーティエ」
ルイフォンは諭すように声を上げた。
「確かに、摂政がハオリュウの抹殺を視野に入れていることは否定しない。でも、それは、最後の手段だ」
「どういう意味!? 摂政殿下は、何を企んでいるっていうの!?」
真っ赤に腫らした目で、クーティエが噛みつく。
「さすがに俺だって、摂政が何を考えているかなんて、正確に読み解くことはできねぇよ。けど、ハオリュウを葬ることが一番の目的ではないことだけは、はっきりしている」
「なんで、そう言い切れるのよ! 根拠は何よ!?」
悲鳴のような、クーティエの叫び。その声に被さるように、「クーティエ」と、シャンリーが静かに娘の名を呼んだ。
母親に抱き寄せられ、優しく背中をさすられると、クーティエの口からは、抑えたような嗚咽が漏れ始める。ルイフォンはシャンリーに頭を下げ、それから、食い入るような眼差しのミンウェイを視界に収めた。
「まず、シュアンのときとは、まったく状況が異なるんだ」
「どういうこと?」
ルイフォンのテノールに、柳眉を跳ね上げたミンウェイが問う。
「シュアンの『厳月家の先代当主の暗殺』という罪状は事実だったが、今回のハオリュウの『父親と異母姉の殺害』の容疑は無実だ」
「それが何よ? 摂政が事実だと言えば、無実でも事実になるわけでしょう?」
「ああ。ミンウェイの言うことは正しい。だが、今回は、ハオリュウの無実を証明できる人間がいる」
ルイフォンがそこまで言ったとき、隣でメイシアが、そっと彼の服の端を引いた。この先は自分に言わせてほしい、ということだろう。
彼が頷くと、彼女は目元だけで微笑み、そして、毅然と前を向く。
「私が『生き返って』、渓谷の事故は事実だと、証言すればいいんです。家族旅行は真実で、私は自ら身を投げた。私は流されて、下流で助かったけれど、周りが死んだものと思い込んだのをよいことに、密かに恋人のもとに身を寄せていた、と」
幾つかの、息を呑む気配がした。それが、この場の人数分ではないところをみると、とっくに気づいていた者がいるということだろう。――例えば、レイウェンなどが。
ルイフォンは、シュアンからの連絡を受けた直後の様子を思い返す。
『ルイフォン。――私、王宮に赴く』
凛と澄んだ声で、メイシアが告げた。
気高い戦乙女の顔で、ルイフォンを見上げる。黒曜石の瞳が揺れているのは、その言葉の重さのためだ。
すなわち……。
『貴族の藤咲メイシア』に戻る――と。
ルイフォンだって同じ答えに辿り着いていたというのに、声が出なかった。
彼女が貴族に戻ることは、永遠の別れを意味するわけではない。けれど、彼女が藤咲家の一員となれば、平民の彼とは違う世界で生きる人間となる。
彼女が自分の傍から失われるという空虚に、全身が恐怖した。
嫌だという我儘を呑み込み、華奢な体を強く抱きしめる。黒絹の髪に顔を埋め、くしゃりと撫でる。
こんなに儚げであるのに、誰よりも強い、最愛の彼女を――。
『ああ。ハオリュウを助けるぞ』
潤んだテノールで、彼女に誓う。
自分たちは、優しさに甘やかされていた。今までが特別で、今から本来の姿に戻るだけだ……。
「私が表に出れば、ハオリュウの無実は証明できます。ただ、おそらく、摂政殿下は、私が現れることを予期している――いいえ、期待しているものと思われます」
メイシアは力強く断言し、薄紅の唇をきゅっと結ぶ。
「ちょっと待って! 『メイシアが現れることを、摂政が期待している』って――どういうこと?」
困惑顔のミンウェイが答えを求め、きょろきょろと草の香を撒き散らした。予想通りの反応に、ルイフォンは、すかさず口を開く。
「だって、摂政は、『メイシアは生きている』って、知っているだろ? 平民の恋人と一緒にいるために、表向き死んだことにした、ってだけでさ。しかも、そう計らったのが、ハオリュウだってことも察している」
「それが、どういう……?」
「この状況で、ハオリュウを『異母姉の殺害』容疑で逮捕すれば、ハオリュウと仲の良い異母姉が、無実を訴えに出てくるのは『必然』だ。こんな単純な図式に、あの摂政が気づかないわけがない。つまり、『意図的に仕組まれたこと』なんだ」
「え?」
「要するに、摂政の狙いは、『ハオリュウに罪を着せて、葬ること』じゃなくて……」
「…………っ」
ミンウェイが、ごくりと唾を飲んだのを確認すると、ルイフォンは傍らに視線を送った。こくんと頷く白い首筋に、黒絹の髪がさらりと流れ、メイシアが言を継ぐ。
「摂政殿下は、『私が表に出てくるのを待ってらっしゃる』ということです」
それは、貴族であった異母姉を、平民のルイフォンのもとへ送り出すため。
そしてまた、父――〈蝿〉によって、厳月家前当主の〈影〉にされてしまい、ルイフォンが毒刃で命を奪うしかなかった、藤咲家前当主――の死因を偽るために。
ハオリュウは、架空の事故を作り上げた。
曰く。
メイシアには平民の恋人がいた。だが、厳月家の三男との縁談が持ち上がり、無理やり別れさせられてしまう。
ふさぎ込む彼女を元気づけようと、藤咲家は家族旅行を計画した。
しかし、その旅先でメイシアは渓谷に身を投げ、行方不明に。助けようとした父親は滑落死、異母弟ハオリュウは足に一生残る大怪我を負い、あまりにも悲惨な現実に、母親は心を失ってしまった。
「――というのが、ハオリュウのでっちあげた嘘八百だったわよね?」
波打つ黒髪が空を薙ぎ、干した草の香が宙を舞う。シュアンから連絡を受けて間もなく、『藤咲家からの説明員』と言って草薙家に現れたミンウェイは、肩を怒らせ、テーブルに身を乗り出した。
「それを、摂政は『事故』じゃなくて、ハオリュウが仕組んだ『事件』だったと言うのよ!」
どんっ、と。
拳が叩きつけられる。
テーブルの上の茶器が跳ねた。衝撃は床から壁へと伝わり、応接室を彩る賞状と感謝状が、今にも落ちんばかりに傾く。
綺麗に紅の引かれた唇をわななかせ、柳眉を逆立てたミンウェイは、美麗な破壊神と化していた。
「なっ……! 何よそれ!」
すかさず放たれた甲高い叫びは、クーティエのものだ。父親のレイウェンが、ハオリュウの求婚を制したため、今のところ、ハオリュウの『お友達』である。――が、暗黙の『それ以上』ともなれば、おとなしく聞いてなどいられない。
クーティエは、ミンウェイに負けじ劣らずの剣幕で立ち上がる。
だんっ、と。
強く踏み鳴らされた両足からの振動で、飾り棚の硝子戸が揺れた。中に収められた、草薙家の功績を称えるトロフィーや盾が、ぐらりと倒れる。
ふたりに増えた破壊神を前に、ルイフォンは、激昂するミンウェイよりも、静かに憤るシュアンに来てほしかったと、渋面を作る。だが、主人不在の藤咲家を守るため、秘書はあちこちに飛び回っているとのことだった。
ふと視線を感じれば、思案顔のレイウェンが、こちらを見ていた。この破壊神は、私が鎮めたほうがよいか? と尋ねている。
年長者であり、家主でもあるレイウェンは、この場を収めるにふさわしい人物といえよう。しかし、君が仕切るほうが適任ではないかと、ルイフォンの顔を立てようとしてくれたのだ。隣で硬い表情をしているメイシアさんを安心させるのは、君の役目だろう? と。
ルイフォンが目線で謝意を述べ、口を開こうとしたときだった。
「落ち着け、お前たち。騒いでも、事態は変わらないだろう?」
性別不詳の声が響いた。直刀のような瞳が、ふたりの破壊神をまっすぐに貫く。
「シャンリー……」
「母上……」
相手の名を呟いたまま、破壊神たちは絶句した。
それは、シャンリーの迫力に押されたからではない。彼女が、両の目を涙で潤ませていたためである。
唇を噛み締め、シャンリーは握りしめた拳で目元を拭う。
「糞っ……、摂政殿下は、どうしてハオリュウばかりを酷い目に遭わせるんだ。この前は、シュアンの逮捕で脅迫しやがったし……」
男装の麗人と謳われ、勇ましい印象のあるシャンリーだが、身内の危機には打たれ弱く、涙もろかった。
声を震わせるシャンリーに、唖然とする破壊神たち。しかし、次の瞬間には、はっと我に返り、口々に叫ぶ。
「そうよ! ハオリュウばっかり、あんまりだわ!」
「許せない!」
ぎゃあぎゃあと耳障りな喚き声に、ルイフォンは頭を抱えたくなった。
ハオリュウが摂政に狙われるのは、摂政が直接的に圧を掛けられる相手が、ハオリュウしかいないためだ。だが、ここで正論を言っても、事態の収集には繋がるまい。
ともかく、強引にでも、話の主導権を握るしかないだろう。
彼が口元を引き締めると、傍らのメイシアが、そっと彼の背中に手を回してきた。細い指先が、編んだ彼の髪をくしゃりと撫でる。彼女の指の動きに合わせて、毛先を彩る金の鈴が、くるりと踊る。
『大丈夫だから』
柔らかに微笑むメイシアに、ルイフォンは口の端を上げた。
そう――。
レイウェンは心配してくれたようだが、メイシアは極めて冷静だ。
その証拠に、シュアンからの第一報を受けたとき、ルイフォンよりも早く、現状を打破する方法を口にした。正確には、ルイフォンが一瞬ためらった隙に、メイシアに先に言われてしまったのだ。
――俺のメイシアは、本当に芯が強い。
ルイフォンが誇らしく思いながら、『皆、ちょっといいか』と、切り出そうとしたときだった。
「ちょっと! ハオリュウさんの一大事ですって!?」
険しい声と共に、応接室の扉が大きく開かれた。勢いに乗った扉は、本来の開閉角度を超えて壁に打ち付けられ、部屋全体が揺れる。
「いったい、どういうことよ!?」
銀髪を振り乱し、ユイランが飛び込んできた。ミンウェイが来たとき、彼女は仕立て屋の作業に集中しているようであったため、『区切りがついたら、応接室に来てほしい』と、部屋の前に置き手紙を残してきたのだ。
普段の『品の良い初老の婦人』とは別人のような鬼の形相と、壁から落ちてきた感謝状を見比べ、ルイフォンは溜め息をつく。どうやら、鷹刀の血を引く女性たちには、破壊神が宿っているようであった。
数分後――。
どうにかして皆を落ち着かせたルイフォンは、「つまり、摂政の言い分は、こういうことだな?」と、状況をまとめた。
「メイシアの縁談は、『メイシアが嫁に行くのではなくて、厳月家の三男が婿養子となって藤咲家を継ぐ』というものだった。つまり、『長男ではあっても、平民の血を引くハオリュウは、跡継ぎとして認めない』という意味だ。そのことに不満を覚えたハオリュウが、自分を認めなかった父と、自分の立場を脅かす存在である異母姉を殺した、と」
「そうよ! 『藤咲家の前当主が亡くなった事故には、不審な点が多すぎる』とか言って、ハオリュウを連れて行ったのよ!」
いまだ気持ちの昂ぶったままのミンウェイは、「決闘のときの怪我だって、まだ松葉杖が取れたばかりで治りきってないのに!」と、興奮気味に捲し立てる。
すると、重なるように、クーティエが声を張り上げた。
「『不審』って……、だって、しょうがないじゃない! そんな事故、本当は、なかったんだから!」
その通りだ。
この事故は、ハオリュウの虚言。詳細に調べられれば、必ず不審点が出る。
クーティエは、感情のままに発した自分の台詞が、まるでハオリュウの罪を認めているかのようだと思ったのだろう。慌てて、言葉を付け足した。
「渓谷の事故は嘘だけど、ハオリュウは、お父さんやメイシアを殺してなんかいないわ! 摂政殿下は、本当は事故のことなんかどうでもよくて、単にハオリュウを捕まえたかっただけでしょ! ハオリュウが、女王陛下の婚約者になるのを断ったから! 『ライシェン』の情報を渡さなかったから! ――自分の言いなりに、ならなかったから……」
きんきんと高い、金切り声は、途中から力を失っていった。そして、涙声になりながら、ぽつりと続く。
「摂政殿下は、ハオリュウを捕まえてどうするつもりなの……?」
クーティエは、ごくりと唾を飲んだ。本当に訊きたいことは、そこではなく、そのひとつ先だ。
彼女は唇を震わせ、恐る恐る皆に尋ねる。
「摂政殿下は、ハオリュウに、王家がクローンに頼っていることを教えたわ。硝子ケースで眠る〈神の御子〉――『ライシェン』も見せた。だから……。知りすぎたハオリュウを、亡き者にしようとしているの……?」
皆の吐息が揺れた。
軋むような沈黙が辺りを漂い始め、しかし、すぐに、ミンウェイの乾いた笑いによって打ち払われる。
「ちょ、ちょっと、嫌だわ、クーティエ。不吉なことを言わないでよ……」
「だって、ミンウェイねぇ。この前は緋扇シュアンで、今度はハオリュウが逮捕されたのよ。摂政殿下は、権力を使って、やりたい放題だわ!」
クーティエは、わっと泣き崩れた。今までの傍若無人な破壊神ぶりは、不安な気持ちの裏返し。精いっぱいの虚勢だったのだろう。それはミンウェイも同じようで、切れ長の瞳には涙が浮かんでいた。
「落ち着け、クーティエ」
ルイフォンは諭すように声を上げた。
「確かに、摂政がハオリュウの抹殺を視野に入れていることは否定しない。でも、それは、最後の手段だ」
「どういう意味!? 摂政殿下は、何を企んでいるっていうの!?」
真っ赤に腫らした目で、クーティエが噛みつく。
「さすがに俺だって、摂政が何を考えているかなんて、正確に読み解くことはできねぇよ。けど、ハオリュウを葬ることが一番の目的ではないことだけは、はっきりしている」
「なんで、そう言い切れるのよ! 根拠は何よ!?」
悲鳴のような、クーティエの叫び。その声に被さるように、「クーティエ」と、シャンリーが静かに娘の名を呼んだ。
母親に抱き寄せられ、優しく背中をさすられると、クーティエの口からは、抑えたような嗚咽が漏れ始める。ルイフォンはシャンリーに頭を下げ、それから、食い入るような眼差しのミンウェイを視界に収めた。
「まず、シュアンのときとは、まったく状況が異なるんだ」
「どういうこと?」
ルイフォンのテノールに、柳眉を跳ね上げたミンウェイが問う。
「シュアンの『厳月家の先代当主の暗殺』という罪状は事実だったが、今回のハオリュウの『父親と異母姉の殺害』の容疑は無実だ」
「それが何よ? 摂政が事実だと言えば、無実でも事実になるわけでしょう?」
「ああ。ミンウェイの言うことは正しい。だが、今回は、ハオリュウの無実を証明できる人間がいる」
ルイフォンがそこまで言ったとき、隣でメイシアが、そっと彼の服の端を引いた。この先は自分に言わせてほしい、ということだろう。
彼が頷くと、彼女は目元だけで微笑み、そして、毅然と前を向く。
「私が『生き返って』、渓谷の事故は事実だと、証言すればいいんです。家族旅行は真実で、私は自ら身を投げた。私は流されて、下流で助かったけれど、周りが死んだものと思い込んだのをよいことに、密かに恋人のもとに身を寄せていた、と」
幾つかの、息を呑む気配がした。それが、この場の人数分ではないところをみると、とっくに気づいていた者がいるということだろう。――例えば、レイウェンなどが。
ルイフォンは、シュアンからの連絡を受けた直後の様子を思い返す。
『ルイフォン。――私、王宮に赴く』
凛と澄んだ声で、メイシアが告げた。
気高い戦乙女の顔で、ルイフォンを見上げる。黒曜石の瞳が揺れているのは、その言葉の重さのためだ。
すなわち……。
『貴族の藤咲メイシア』に戻る――と。
ルイフォンだって同じ答えに辿り着いていたというのに、声が出なかった。
彼女が貴族に戻ることは、永遠の別れを意味するわけではない。けれど、彼女が藤咲家の一員となれば、平民の彼とは違う世界で生きる人間となる。
彼女が自分の傍から失われるという空虚に、全身が恐怖した。
嫌だという我儘を呑み込み、華奢な体を強く抱きしめる。黒絹の髪に顔を埋め、くしゃりと撫でる。
こんなに儚げであるのに、誰よりも強い、最愛の彼女を――。
『ああ。ハオリュウを助けるぞ』
潤んだテノールで、彼女に誓う。
自分たちは、優しさに甘やかされていた。今までが特別で、今から本来の姿に戻るだけだ……。
「私が表に出れば、ハオリュウの無実は証明できます。ただ、おそらく、摂政殿下は、私が現れることを予期している――いいえ、期待しているものと思われます」
メイシアは力強く断言し、薄紅の唇をきゅっと結ぶ。
「ちょっと待って! 『メイシアが現れることを、摂政が期待している』って――どういうこと?」
困惑顔のミンウェイが答えを求め、きょろきょろと草の香を撒き散らした。予想通りの反応に、ルイフォンは、すかさず口を開く。
「だって、摂政は、『メイシアは生きている』って、知っているだろ? 平民の恋人と一緒にいるために、表向き死んだことにした、ってだけでさ。しかも、そう計らったのが、ハオリュウだってことも察している」
「それが、どういう……?」
「この状況で、ハオリュウを『異母姉の殺害』容疑で逮捕すれば、ハオリュウと仲の良い異母姉が、無実を訴えに出てくるのは『必然』だ。こんな単純な図式に、あの摂政が気づかないわけがない。つまり、『意図的に仕組まれたこと』なんだ」
「え?」
「要するに、摂政の狙いは、『ハオリュウに罪を着せて、葬ること』じゃなくて……」
「…………っ」
ミンウェイが、ごくりと唾を飲んだのを確認すると、ルイフォンは傍らに視線を送った。こくんと頷く白い首筋に、黒絹の髪がさらりと流れ、メイシアが言を継ぐ。
「摂政殿下は、『私が表に出てくるのを待ってらっしゃる』ということです」