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作者: 月ノ瀬 静流
残酷な描写あり
1.月夜の朗報-1
 軒に吊るした風鈴が、ちりん、と月夜に揺れる。

 まだまだ日中は暑いものの、暦の上では、もうすぐ秋だ。夜ともなれば、かなり過ごしやすい。そのせいだろうか。涼やかな音色は、どことなく物寂しげにも聞こえた。

 ルイフォンは、そんなことを思い、それから、ガラでもねぇやと苦笑する。

 いつもの通りに、メイシアは夕食後の片付けを手伝っていて、ひと足先に客間居候部屋に戻ってきた彼は、あちらこちらの情報を集めつつ、〈スー〉のプログラムの解析をしている。草薙家この家に厄介になり始めたのは、夏の盛りのころであったから、こんな生活をかれこれ二ヶ月近く続けていることになる。

 変わらない毎日。……けれど、季節が移り変わっていくように、自分も周りも、確実に変化している――と、思う。

 実際、ミンウェイとシュアンは、この夏に、運命を拓く選択をした。

 そして、ルイフォンだって……。

 回転椅子の背もたれに寄り掛かり、彼は猫背をいっぱいに伸ばす。

 昼間は、いつもの彼からは想像もできないような、堅苦しい格好で出歩いたのだ。肩こりが激しいのは、仕方のないことだろう。鏡の中の我が身は、惚れ惚れするほど決まっていたし、これは心地の良い疲れだ。

 ――そう。

 ルイフォンは今日、メイシアに贈る婚約指輪を注文してきたのだ。

 秘密サブライズの贈り物にするため、メイシアには内緒だ。最近は『草薙家この家に持ち込んだ機材では、処理能力マシンパワーが足りない』と言って、〈ケル〉の家に出掛けることも多かったから、昼の彼の不在を、彼女は疑問に思っていない。

 だから、このことを知っているのは、高級宝飾店に入るための服装ドレスコードに協力してくれた、ユイランのみ。

 自慢の株の自動売買プログラムで儲けているので、予算はいくらでもあった。しかし、普段から身に着けられるようにと、高価な一粒石の指輪は、あえて選ばなかった。

 その代わり、彼女への想いを込め、彼自身が考案デザインした、世界でただひとつの品を注文オーダーした。

 メイシアは、きっと喜んでくれるだろう。今から、渡すのが楽しみだ。

 鋭いはずの猫の目が垂れ下がり、ルイフォンの顔は、自然とにやけてくる。

 専門の職人に加工を頼んだので、仕上がるまでには少し時間が掛かるらしい。完成の連絡が、待ち遠しくてたまらない。

 彼は上機嫌で、あれこれと妄想を繰り広げ、窓硝子に映った自分の姿に、はっとする。

 こんなに、だらしなく緩みきった顔では、メイシアに不審に思われてしまう。彼女が部屋に来るまでに、いつもの自分に戻らなくては――!

 焦る心の一方で、浮かれた気持ちは簡単には収まらず、無理に閉じようとした口元からは、抑えきれない笑みがこぼれてくる。

 これは困った――と、まったく困っているように見えない顔で、窓硝子の鏡像じぶんと無言の愚痴ぼやきを交わしたとき、携帯端末がメッセージの着信を知らせてきた。

「!?」

 送信者は、リュイセン。

 重要な話をしたいから、今すぐ、盗聴の心配のない通信環境を用意してほしい――とのことだった。

 それまで、どうやっても引き締めることのできなかったルイフォンの顔つきが、一瞬にして無機質な〈フェレース〉のものへと変わった。

 彼は、安全な会議システムを構築すべく、熟練のピアニストもかくや、とばかりの鮮やかさでキーボードに指を走らせる。

 いったい、何ごとが起きたのか。

 しばらく鳴りを潜めていた摂政が、ついに動き出したのか。

 いいだろう、受けて立ってやる――。

 はやる気持ちが、涼しくなってきたはずの室温を上昇させた。全身が、ほんのりと汗ばむ。

 あっという間に、鷹刀一族次期総帥リュイセンとの極秘セキュア回線を確立すると、ルイフォンは挑むような猫の目をモニタ画面に向けた。

 そして、兄貴分の顔が映し出されたとき……。

「――へ?」

 思わず、間抜けな声が飛び出た。

 何かが、おかしかった。

 よく見慣れているはずの黄金比の美貌に、物凄い違和感を覚える。

「ルイフォン。……その、いきなり、すまん」

 歯切れの悪い魅惑の低音が、かすかな雑音ノイズをまといながら、スピーカーを震わせた。

 リュイセンが、安全な通信環境を求めてきた。そもそも、重要な話がある、と明言していた。ならば、さぞや深刻な顔をしているだろうと――否、深刻な顔をしている『べき』であると、ルイフォンは考えていた。

 しかし、画面の中の兄貴分は、あろうことか、先ほど窓硝子に映った鏡像じぶんと、瓜二つ。

 勿論、姿形見た目の美しさは、生粋の鷹刀一族であるリュイセンに、ルイフォンは遠く及ばない。もっとも、最近、むを得ず女装変装したときにユイランに言われたのだが、実はルイフォンの顔立ちは、鷹刀のものであるらしい。だから、少しくらいは、自分と美麗な兄貴分が似ていたとしても不思議ではなく……。

 ――そういう問題じゃねぇ!

 ルイフォンは、おのれの思考にかつを入れた。

 深刻で、緊急な、非常事態に直面しているはずのリュイセンが、何故か、鼻の下を伸ばしている。懸命に取り繕い、大真面目な顔をしているつもりのようであるが、隠しきれない喜びが、そこかしこからあふれ出ている。

 これは、いったい、どういう非常事態だ?

 堅物で鳴らしたリュイセンに、まさかの女の影? あり得ないだろう。……いや、さすがに、そこまで言い切っては、如何いかな兄貴分でも失礼か。今まで、ミンウェイひと筋だったために浮いた話がなかっただけで、近づいてくる女は、あとを絶たなかったのだから。

 ――ならば、本当に?

 ルイフォンの脳裏を、疑惑まみれの憶測がよぎる。

 ミンウェイをシュアンのもとへ送り出して以降、兄貴分の消沈ぶりは、見るにえないものがあった。それを思えば、真実なら非常にめでたい事態だ。

 だが、現在、鷹刀一族は、摂政との緊迫状態にある。浮かれている場合ではない。

 メイシアに婚約指輪を贈ろうとしている自分を棚上げにしているようであるが、ルイフォンとは違って、リュイセンは融通の利かないたちなのだ。だから、生真面目な兄貴分に限って、まさか、そんなことは……。

 思考回路が、堂々巡りを繰り返す。

 普段のルイフォンなら、あれこれ無駄に考えるより、単刀直入に本人から正しい情報を仕入れるべきだと、とっくに気づいているはずだった。しかし、頭脳派を自称する彼から、正常な判断力を奪うほどに、リュイセンの美貌には前代未聞の事態が起きていたのである。

 猫の目を見開いたまま、明らかに動転ぎょっとした顔で凍りついたルイフォンに対し、リュイセンは無反応であった。何故なら、そもそも、彼はモニタ画面を見ていなかったからである。

 リュイセンの目線は、彼の手元に落とされていた。カメラには映っていない机の上には、これから話そうとしている『今日の出来ごと』をまとめた原稿が載っている。

 本当は、もっと早くに――屋敷に戻り、鷹刀一族総帥イーレオたちへの報告を終えてすぐにも、弟分に連絡を入れたかった。しかし、あまりにも複雑、かつ多岐にわたる内容であったため、ある程度、事情を把握しているイーレオたちへの報告でさえ、難航したのだ。ならば、寝耳に水の弟分へは、きちんと原稿を用意してから話すべきだろう。――生真面目なリュイセンは、そう考えた。

 故に、夜も更けて……とまではいわないが、だいぶ遅くなってから、やっと準備が整ったのである。

「ルイフォン……、あの、な……。実は、今日、屋敷に珍客が現れて……な」

 緊張の面持ちの黄金比の美貌が、しどろもどろの魅惑の低音を紡いでいく。

 やがて。

 風鈴の音色に彩られた静かな夜に、ルイフォンの驚愕の雄叫びが響き渡った。





 片付けの手伝いを終え、客間居候部屋へと戻ってきたメイシアを出迎えたのは、最愛のルイフォンの問答無用の抱擁だった。

「メイシア、聞いてくれ!」

「きゃっ!?」

 彼女は危うく、手にしていた保冷ポットを取り落としそうになった。だいぶ涼しくなったとはいえ、暑がりのルイフォンのために、冷たいジャスミンティーを運んできたのだ。グラスは部屋にあるからと、ポットのみだったのは幸いといえよう。

「ルイフォン? どうし……」

「さっき、連絡があったんだが、リュイセンがすげぇんだ!」

 投げかけた疑問も、昂揚したテノールに呑み込まれる。

 ルイフォンは興奮に全身を震わせながら、メイシアを強く抱きしめた。

「絶対に、恐ろしく面倒臭くて、呆れるほどに大変に決まっている。けど! これは、最高の朗報だ! ああ、もう、こんなのあり得ねぇだろ!? 頭が爆発パンクしそうだ!」

 猫の目を好戦的に輝かせ、ルイフォンは覇気に満ちた声を響かせる。しかし、口をく台詞は、彼らしくもなく要領を得ず。ともすれば矛盾したようにも聞こえる言葉の数々に、メイシアは「えっと……?」と、戸惑いの上目遣いで小首をかしげる。

「あ……。すまん」

 最愛のメイシアの可愛らしい仕草に、自己中心的マイペースなルイフォンも、ようやく我に返った。照れ隠しのように、「こほん」と咳払いをする。

 それから彼は、ほんの少し、思案した。兄貴分からのたくさんの報告事項のうち、何から伝えるのがよいのかと、悩んだのだ。

 結論として、彼が一番、衝撃を受けた情報から告げることにした。

「リュイセンに、特別なひとができた」

「えっ……」

 その瞬間、メイシアの頬が薔薇色に染まった。深窓の令嬢として、慎み深く育った彼女ではあるが、やはり年ごろの少女。色恋沙汰には心が踊るようだ。

 これだけでも、充分に驚嘆に値する話題だろう。しかし、まだ先がある。

 ルイフォンは絶妙な間を計り、言を継ぐ。

「相手は、なんと! 女王だ!」

「!?」

 聡明なはずのメイシアの頭脳が、動きを止めた。何を言われたのか、理解できなかったのだ。黒曜石の瞳もまた、ぱっと見開かれたまま、瞬きひとつしない。

 凍りついてしまった彼女の髪を、ルイフォンが、くしゃりと撫でる。

「な? すげぇだろ?」

「うん……」

 メイシアは呆然としたまま、こくりと頷く。

 驚愕が、徐々に祝福へと変わっていく中、彼女は、皿洗いの最中に聞こえたような気がしたルイフォンの雄叫びは、どうやら空耳ではなかった、と悟ったのだった。

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