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作者: 栗一
残酷な描写あり
穢れの雨の町ナガル 2
 穢れの雨の町ナガルで暮らす人々の中には、穢れによって体の変化が発症している者も見受けられた。
 体の一部が不自然に黒く変色していたり、皮膚にうろこのようなものをまとっていたりするのはまだ地味なほうだった。人によっては、頭から小さな角を生やしていたり、ミミズのような細い触手を持つ者も見かけた。それらを思わず目で追ってしまうたびに、アリアはじろりと睨まれた。
 そんな異質な光景も、どうやらこの世界では普通のことらしい。道ゆく人々は気にも止めていないようだった。

 また、穢れにより体に不調が出ているのか、しきりに咳き込んでいる者もいて、その雑音ノイズが町の廃退的な雰囲気をよりかもし出している。

 そんなナガルの町での買い物を終えて、宿屋の一室に戻ったアリアを、システィナが出迎えた。

「お帰りなさい、アリア。遅かったので心配しました……」
「ただいま、システィナ。うん……ちょっといろいろあったから」

 アリアは買ってきた冒険の道具類や生活用品を部屋の隅に置いて、二つ備えられたベッドの片方に腰掛けた。
 二人で一つの部屋。
 個別に部屋を借りるより安く済むからと、意外なことにシスティナのほうから二人部屋を借りることを提案したのだ。
 路銀の少ないシスティナの代わりにアリアが宿代を払っておくと言ったら、せめて少しでもお金のかからない方法で、と。
「もちろん……その……アリアが嫌じゃなければ、ですけど……」と遠慮しながら。

 かくしてアリアとシスティナの共同生活が始まった。
 これはこれで、なんだか楽しい。シェアハウスしているみたい。

「そうなのですか……。危険なことはありませんでしたか?」

 ぎくりとしながら、アリアが顔を背ける。

「え? えっと……ないよ?」

 ごまかすアリアを、システィナがじとりと見つめる。

「アリア……?」
「な、なに?」
「どうして声が裏返ってるのですか」
「うっ」
「……何かあったのですね」
「うん……まあ」

 システィナは困ったように息を吐いた。
 べつに彼女にアリアを責めるような意図はないのだろうが、なんだか悪いことをしたような気持ちになる。

「……やっぱり、次からは、二人でいっしょに買い出しに行きましょう。分担したほうが効率はいいけど、一人で外を出歩くのは危険なので……」
「はい……そうします」

 アリアが素直に言うと、システィナはひそやかに嬉しそうな顔をした。
 いつも暗い顔をしていた彼女の見せた、ささやかな感情の変化だ。それを、いつの間にか感じ取れるようになっていたことが、アリアにとって感慨深かった。



「買い物も済んだことだし、さっそく夕飯にしようか」
「はい! アリアの手料理、楽しみです」
「うん……と言っても、この世界の食べ物のことぜんぜん知らないから、うまく作れるかわからないけど……」

 本来であれば食事なら宿の食堂を利用すればよいのだが、アリアが「自分で料理をしてみたい」と宿の女将おかみさんに頼んだら、快く厨房を貸してくれることになったのだ。
 おまけにアリアたちに、この世界における料理の手解てほどきをしてくれるという。
 若い少女二人での利用が珍しかったから、いろいろと計らってくれたのだろう。エレノーア教会のキサラたちが薦めていただけあって、実にサービスのよい宿屋だった。



 かくして、宿の厨房で女将に教わりながら、アリアたちは自らが食べるための夕飯の料理を始めた。
 食材や調理方法についてアリアは女将に教わり、包丁を扱うコツなど基本的なことをシスティナがアリアに習う。そんな流れで作業を進めていった。
 システィナはぎこちないながらも一生懸命ついてきたし、もともと現実世界で料理をしていたアリアは飲み込みが早かった。

 この地方でとれる食材は、雨の多い地域で日光があまり当たらなくても育つ不思議な穀物や野菜などであり、それらの中にはずいぶんと毒々しい見た目のものも多くあった。

「これ、本当に食べられるんですか……?」

 まるで臓器の断面のような、どことなくグロテスクな見た目の肉を見たアリアが女将に尋ねる。
 システィナは平気なようで、黙々と作業をこなしていた。

「ああ、これは穢れで変異した動物の肉だよ。見た目は悪いけど安くて美味おいしいんだ」
「ええ……」

 大丈夫なのだろうか。聞くところによると、穢れに汚染されて生えてきた触手のような部位を食べることもあるらしい。
 この世界の人たちは、たくましいとアリアは思った。

 材料の見た目はともかく、味のほうはとても美味だった。
 穢れの影響を受けた肉だから健康面はなんとなく心配だが、食べられないものではなさそうだ。見た目から想像していたよりもずっと、上品な味わいだったのである。

 一緒に食堂の机に向かったアリアとシスティナは、自分たちが調理した料理を綺麗に完食した。

「アリア。今日はいろいろと教えてくれてありがとうございます」
「えへへ……私も、いろいろと新鮮で楽しかったよ。明日もまたやろうね」
「っ……はい!」

 それからのシスティナはご機嫌だった。食事が終わり、順番にお湯とタオルで体を清めて、あとは寝るだけになってからも彼女の表情は明るい。
 最初に会ったときは暗い顔ばかりしていたから、楽しそうにしているシスティナを見るとなんだか嬉しかった。

「ラララ、春の風に吹かれながら♪」

 気がついたら、アリアは歌を口ずさんでいた。

 ――ラララ 春の風に吹かれながら
 君と どこまでも行こう
 背中合わせ 目を閉じたら そっと
 Keep Smiling
 そのひとときが 永遠に続くように
 ……

 雨の町にはまるで似合わない、陽気なJ-POPのサビのフレーズ。
 遠い。今は遠い、決して帰ることの叶わない日本の歌。
 そんなアリアを、システィナの青い瞳が興味深そうにじっと見つめるので、急に恥ずかしくなり、歌うのをやめて目をそらした。

「あ、えっと……」
「今のは、歌……でしょうか?」
「うん」

 照れながら、はにかみながら、アリアは答えた。

「不思議なリズムでした……もしかして、アリアの故郷の?」
「故郷……うん、そうだね。私の世界にあった歌だよ」
「もっと、聴いてみたいです」

 大真面目な顔をしてシスティナが言う。

「アリア、また歌っていただけませんか?」
「え。無理だよ恥ずかしい……」
「ぜひ、お願いします……!」
「うぅ……でも……」

 瞳を輝かせながら身を乗り出してくるシスティナに、アリアはたじろぎながら身を引いていく。
 友達とカラオケに行くような習慣もなかったアリアにとっては、人前で歌うのは少し照れる。こうして誰かにじっくりと聴かれるのだと思うと、余計に。それが音楽の授業なら、頭を真っ白にして乗り切れるのだけど。

「……やっぱりダメ!」

 頬を染めながらアリアが突っぱねると、システィナは少し寂しそうにうつむいた。

「……残念です。アリアの故郷の歌、聴いてみたかったのに」
「ごめんね。心の準備ができなくて……」
「そうですよね、すみません……。でも、いつの日か……ぜひ聴かせてください」
「……考えておく」

 そっけなく答えたアリアだったが、システィナが過去でも今でもなく未来の話をしてくれるようになったことは嬉しかった。
 システィナになら、いつか――勇気を出して、歌ってみるのもいいかもしれない。



 ナガルの宿屋での一夜。まるで修学旅行のような時間が過ぎて……。
 日が登ると、アリアとシスティナの二人は行動を開始した。

 アリアの手持ちの金貨があるから当面の路銀には困らないが、それでも限りはある。これから、この世界で生きていく以上は、やはり収入を得る方法を確立しなければならない。
 そこでアリアはシスティナの勧めで、ある施設を利用することにした。

 冒険者ギルド。

 なんとも不思議なネーミングのその施設は、薬草などの物品の調達、または魔物の討伐などの仕事を、依頼という形式で斡旋あっせんをしてくれる場所なのだという。
 日雇いのようなものとはいえ、仕事の依頼内容によってはかなりまとまった金額を得ることもできる。何でも屋のようなものだ。

 それにしても、上記のような生業なりわいの人を「冒険者」と呼ぶのは面白いとアリアは思った。魔物退治や未開の地の探索をするのは、たしかに冒険といえるだろう。
 アリアのやっていたゲームの『ロード・オブ・シェイド』にも、冒険者ギルドというものは登場しなかった。

「アリア。ギルドに着ていくための防具がないので、先に新調して行きましょう」
「え、普通の服じゃダメなの?」
「問題ないとは思いますが……やはり冒険・・できる格好をしているほうが、仕事も得やすいと思います」

 アリアとシスティナは、お世辞にも見た目は強そうには見えない。
 装備だけでもそれなりにしていかないと、仕事を任せてもらえないかもしれないのだとシスティナは言う。

「見た目でなめられないようにってことだね」
「はい」

 システィナも冒険者ギルドに立ち寄るときは、魔術師であることがわかるように、杖を見える位置に持って仕事を受けに行くらしい。
 それでも彼女一人のときは、本当に簡単な薬草の採取などの依頼しか受けられなくて苦労してきたようだ。

「……今はアリアがいるから、心強いです」

 そう言って微笑むシスティナは、まるで人形のようで本当に可愛らしかった。

「じゃあ、さっそく装備を整えに行こう!」
「はい。それが終わったら、改めて冒険者ギルドに向かいましょう」

 二人は互いにうなずき合うと、さっそく武具を扱う店舗へと向かった。
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