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作者: 栗一
残酷な描写あり
エレノーア教会 5
 口移し。それはつまり、キスをするようなもの。
 決して嫌なわけではない。女の子同士だし、それに相手は美少女なのだから。
 だけど。

(どうしよう……私、家族以外とキスするなんて初めて……)

 ファースト・キスなのだ。
 まさか、異世界でこんなシチュエーションで初めてを経験することになるなんて思わなかった。

(女の子同士だから、ノーカウント……だよね)

 アリアは銀髪の少女のきれいな寝顔を見下ろす。
 深呼吸をして、覚悟を決めた。

「ごめんね。……失礼します」

 アリアは神花の霊薬を口に含むと、髪を耳にかけて、ゆっくりと少女に顔を近づけていく。
 二人の唇が、もう少しで触れ合いそうなところまで近づくと、心臓がバクバクと音を立てた。

(この子を、助けるためだから――)

 アリアは自らの唇を少女のそれに重ねた。
 触れ合った唇に、驚くほど柔らかい感触が伝わる。少女の頭をしっかりと掴んで、大切な霊薬をこぼさないように。口と舌をうまく使って、少しずつ、少女の喉奥へと薬を流し込んでいく。

「……ん」

 二人はどちらともなく、小さく声を漏らす。
 こくん、と少女の喉が動いた。

(よかった……飲んでくれてる)

 薬がしっかりと喉奥まで届くように、アリアは少女の口の中に少しだけ舌を入れて、薬の通り道を作った。
 少女の温かさと柔らかさが、アリアの舌先に伝わってくる。

(う……な、なんか…………気持ちいい……かも)

 気を失っている少女の肩が、ぴくんと小さく揺れた。
 少女が動いてしまわないように頭をしっかり押さえながら、アリアが懸命に口の中へと薬を流し込むと、こくん、こくん、と少女の喉がわずかに動く。

「……ぷはっ…………はぁ……」

 アリアは少女から唇を離すと、少しだけ頬を赤く染めながら、熱い息を吐いた。

 ちゃんと薬は効いただろうか。心配しながら少女の様子をしばらく見ていると、人形のようなきれいな顔の、長いまつ毛がぴくりと動く。

「……ぅ」
「あ、気がついた」

 少女がゆっくりとまぶたを開ける。
 すると、覗き込んでいるアリアの顔がすぐ近くにあったから驚いたのか、少女はつぶらな瞳をぱちくりとさせた。

「えっと……ここは……? あなたは……?」

 少女は起きあがろうとしたが、体が痛むようで、お腹を押さえながら「うっ……」と小さくうめいた。

「大丈夫?」

 こくりと少女はうなずいたが、明らかにまだつらそうだった。

「……そうだ、わたし……魔族と戦って……負けてしまって…………魔族たちは、どこに?」
「安心して。追い払った――わけではないけど、もう行ったから」
「……そう……ですか」

 少女の蒼の瞳が、今度はしっかりとアリアのほうを見る。
 人形のようにきれいな少女にまっすぐ見つめられて、アリアは少しだけたじろいだ。

「あなたは……わたしを助けるために、戦ってくださったのでしょうか」
「えっと……うん、まあ」
「どなたかは存じませんが……危ないところを救っていただき……ありがとうございます」

 風が吹いて。
 長い横髪に隠れた少女の左頬が覗き、その肌が宝石の結晶のように変質しているのが見えた。
 その結晶の肌が、光の反射によって、きらりときらめく。

「あ……」

 その異質な顔を隠すように、少女は前髪を押さえた。
 見られたくないものだったのだろうか。アリアは気になったが、まずは自己紹介をすることに。

「私はアリア――えっと、オースアリア。ユイを助けてくれて、こちらこそ、ありがとう」
「ユイさん……。魔族に襲われていた、桃色の髪の少女のことでしょうか?」
「うん。私の命の恩人」
「そう……あの子はちゃんと逃げられたのね……よかった」

 少女はほっと胸を撫で下ろした。
 ずっと暗い表情だった彼女が、少しだけ口元に笑顔を見せる。
 ささやかな感情表現だが、本当に喜んでいる様子だった。

(自分が助かったことは、ぜんぜん嬉しそうじゃなかったのに……)

「わたしは、クォーツ村の……。いえ、システィナです」

 ただのシスティナ……。
 彼女は小さくつぶやいた。

「そっか。よろしくね、システィナ」

 そう言いながら、アリアは片手を差し出した。手は血と泥で汚れていたけど、ある程度は雨が洗い流してくれている。
 するとシスティナは、戸惑うようにその手とアリアの顔を交互に見た。――何かを恐れているような表情だった。
 それでも応じないのは失礼だと考えたのか、システィナはおずおずと、アリアのほうへと手を伸ばす。

「どう……して……」
「え?」
「いえ、その……」

 控えめに、恐れながら触れてきたシスティナの小さな白い手を、アリアは握りしめた。
 冷たくて、優しい手だった。

「わたしのせいで……あなたを、危険な目に遭わせてしまいました……」
「それは……システィナのせいじゃないよ」

 システィナは、アリアの命の恩人であるユイを助けるために戦ってくれたのだから。
 そう言おうとしたが、システィナはかぶりを振った。

「わたしは……罪人つみびとです。……あなたのような素敵すてきな方が……命を賭けてまで、救う価値のある存在ではないのです……」
「価値って……」

 システィナの言動は気になったが、素敵と言われてアリアは少し照れてしまった。

「……わたしには……あなたの行いに報いる手段もありません……」
「システィナが無事だっただけで、私は十分だよ」
「いえ……この恩は、命に変えても、かならず……お返しいたします」

 そう言いながら、システィナは起きあがろうとするが。

「……っ!」

 動いたことで体に痛みを覚えたのか、システィナはお腹を押さえて小さく苦悶の声を漏らした。

「だ、大丈夫?」
「……申し訳、ありません……」
「そっか、まだ怪我が治ってないんだよね……そうだ!」

 アリアは霊薬の瓶をシスティナに差し出す。
 システィナは可愛らしく首をかしげた。

「これは……?」
「神花の……じゃなくて、えっと……傷を治す薬だよ」
「回復のポーションでしょうか」
「ポーション……? うん。たぶんそんな感じかな」

 ポーションとは、たしか「魔法の飲み薬」という意味だったことをアリアは現世の知識として記憶している。
 どうやらこの世界には、傷を治すポーションに該当するものが存在するらしい。 

「そんな貴重なもの……いただけません……」
「大丈夫だから。まずはこれを飲んで、怪我を治そう」
「でも……わたしなどに……」
「私はシスティナに使って欲しいんだよ」
「……しかし……対価となるものなど……」
「……むっ」

 アリアはジトっとした目でシスティナのことを見据えた。

「でも、とか、けど、とか……そういうの言わない!」
「ふぇっ」

 システィナはびくんと肩を震わせた。

「お姉ちゃんの言うことはちゃんと聞く! いい?」
「は、はい……」
「さっきも言ったけど、まずは怪我を治すことが大事だから。対価とかはその後に考えればいいでしょう?」

 小動物のように瞳を震わせるシスティナの様子を見て、少しだけ嗜虐心をくすぐられたアリアは「ふふふ」と意地の悪い笑みを浮かべた。

「もし言うことが聞けないなら、またさっきみたいに口移しで無理やり飲ませちゃうよ」
「え、くちうつ……また……?」
「あ、えっと……」

 言っててさすがに恥ずかしくなって、アリアは「ボッ」と赤面した。
 見れば、システィナも「きょとん」としながらも少しだけ頬が赤くなっている。

「こほっ……と、とにかく、飲まないなら無理やり飲ますから。ほら!」
「ひゃ、ひゃめて……自分で飲みますから……こぼれちゃう……!」

 アリアに霊薬瓶の口にぐいぐいと押し付けられて、システィナはようやく観念した。慎重に瓶を手に取ると、少し躊躇してから、遠慮がちに小さな口をつけて霊薬を飲み始めた。

「一口じゃ、あまり効果がないみたいだから、全部飲んでね」

 こくん、こくん、と喉を鳴らして、言われた通りに銀髪の少女は霊薬を飲み干していく。

「……んっ……んく……」

 最後の一滴までなくなるのを確認してからシスティナは、ほっと息を吐きながら霊薬瓶から口を離した。

「すごい……痛みが、少しよくなりました」

 先ほどより顔色もよくなっている。
 血の気を取り戻した少女は、よりいっそう可愛らしく見えた。

(よかった……やっぱり私以外の人が使っても、効果はあるみたい)

「……ありがとうございます。……オースアリアさん」
「アリアでいいよ。“さん”もいらないから」
「は、はい……アリア」

 アリアはシスティナの脇に腕を入れて、肩で体を支えながらそっと持ち上げた。

「よっと」

 アリアに肩を借りる形になったシスティナは、戸惑いの声を上げる。

「あ、あの……」
「森を抜けた先に教会があるんだけど、そこまで歩けそう?」
「はい……」
「つらかったら、もっと体重かけていいからね」
「そ、そこまでしてもらうわけには……」

 その言葉が言い終わる前に、アリアはシスティナを安心させるように、にこりと笑って見せた。
 すると。
 システィナは、遠慮がちにアリアの肩を軽く握りしめた。

 そんな小さな仕草の中に、アリアは感じることができた気がした。どこか他人と壁を作ってしまっているこの少女に、込められた真意を。

(……心細かったんだね)

 だれかを助けるために、たった一人で魔族に立ち向かった少女。
 控えめで臆病な子。でも、すごく勇敢で優しい。

「ふふ……」
「……? どうしてのですか?」
「ん。なんだか私、システィナのこと好きになっちゃったかも」
「す……」

 システィナは一瞬だけ赤くなる。だが、すぐに申し訳なさそうに瞳を揺らして顔を伏せてしまった。
 何を思っているのだろう。どうしてか、彼女は自己評価が低いようだ。そんな彼女の胸の内も、いつか聞いてみたいとアリアは思ったのだった。
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