残酷な描写あり
夜の森 1
買い物を済ませたアリアは老婆とともに神殿の外へと出た。
外は薄暗い森の中だった。建物内のそこかしこに蔦が張っていたのは、そのためだろう。どうやらこの神殿は、相当な僻地にあるらしい。
「この森をねェ……」老婆がしわがれた手を伸ばして、方向を指で示す。「こっちの方角にまっすぐ行けば、ナガルという町に着くよ」
「こっち……ですね」
「半日も歩けば、街道までたどり着けるはずさ……迷わなければね。ヒヒ……」
アリアは老婆が指差した方角をしっかりと頭の中に叩き込んで、ついでに近くの木に、先ほど老婆から買ったナイフで印をつけた。
「じゃあ、いろいろ大変だろうけど……頑張るんだよ。イヒヒヒ……」
「本当に、いろいろとありがとうございました」
旅商人の老婆へと、アリアは深く頭を下げた。
この世界でも頭を下げることが礼になるのかはわからないけど、気持ちは伝わるだろうと思って。
なんだかんだ、老婆は半日分の食料とこのナイフも譲ってくれた。
正当な取引だったかどうかは、彼女のことを信じるしかないが、右も左もわからないアリアにとってはすごくお世話になったし、いろいろと教えてもらえてありがたかった。
見た目も雰囲気もとにかく怪しいけど、たぶんいい人なのだと思う。
「森は魔物が出るから、気をつけるんだよ」
「魔物……か」
この世界に危険な魔物が出ることはフローリアから聞いていたが、やはり旅をするには相当な覚悟が必要だと思った。
それにしても、
「なら商人さんは、どうやってここまで来たのですか?」
「それもヒミツさね。アハハハ……!」
誤魔化すように旅商人は笑う。
やっぱり怪しいし、謎の多い人だった。
旅商人の老婆と別れ、背負い袋をかついだアリアは薄暗い森の中を進む。
先ほどまでいた、カマキリの魔物と何度も戦った霊域と呼ばれる静かな森とは打って変わって、そこは生き物の気配に満ちていた。
虫の鳴き声はひっきりなしに聞こえて、土や枯れ葉のにおいも濃く、漂う空気はどこか獣臭さすら感じる。
昼間の明るいうちにアリアは出発したのだが、すでに空は日が暮れ、辺りは真っ暗になっていた。
「……どうしよう」
アリアは困っていた。
「ここ……さっきも通った気がする……」
――迷った。
というより、自分が迷っているのかどうかすらわからなかった。
できるだけ同じ方向に進んできたつもりだが、なにせ道なき道を進んでいて、高い草木に邪魔をされて上手く進めず、まっすぐ歩けていた自信はない。
そして言えることは、老婆の話を信じるなら、そろそろ町に続く街道が見えてきてもおかしくない頃だ。
「どうしよう……帰り道もわからないし……」
なんだか、さっきから同じような景色を見るたびに、なんだか子供の笑い声のようなものが聞こえる気がする。
何も知らない異世界でいきなりこれは、不安だった。
食料だって、少しずつ食べても二食分程度しかない。
アリアは老婆の言葉を思い出す。
「もしも道に迷ったら、その剣を使って狩りをして魔物の肉でも食べてしのげばいいさね。ふぇっふぇ!」
「う……ぜったい、いや!」
そんな会話をしたばかりなのである。
アリアは月明かりだけを頼りに真っ暗な森を歩きながら、お腹を軽くさすった。
「お腹空いてきたな……」
とりあえずアリアは、今ある食料を食べることにする。
バックパックの中から、少し汚れた麻袋を取り出し、その中から旅商人の老婆から貰った携帯食を取り出す。
白くて丸い何か。
そう。白くて丸い何かとしか表現できない食べ物だ。
もう少し説明するなら、表面は乾燥していて硬い。
パンともちょっと違う気がするし、においは薄いけど、かすかに発酵しているような香りがする。
――あまりいい匂いではない。
「なんだろう、これ。…………本当に、なんだろうこれ」
アリアは二回言った。
未知の食べ物、“白くて丸くて硬い何か”。
少し汚れてるし、どんな味がするのだろうか……食べるのに勇気がいる。
しかし、老婆からもらった食べ物はこれと、野草を煮たもの(こちらは保存が効かないため、できるだけ早く食べないといけない)だけだ。
「……いただきます」
ライターどころか火打ち石すらなく火を起こせる技術もないから辺りは真っ暗なままだけど、切り株を見つけてとりあえず座ったアリアは、白くて丸いそれを一口かじってみた。
「……あ!」
果たして、その正体は。
「……ヨーグルト!」
口の中にチーズとヨーグルトを足したような味が広がった。
お腹が空いていたから、けっこう美味しい。
白くて硬い何かは、何かの乳を発酵・乾燥させた乳製品なのだろう。
老婆が言うには、たしか「クルト」という名前の食べ物だった。
ちょっと汚れてたのは背に腹は変えられないとして、変なものじゃなくてよかったとアリアはほっとした。
「味は薄いけど……ぜんぜん食べられる!」
この世界に保存が効く食べ物がそんなにあるとは思えない。
タンパク質やカルシウムを確保できる乳製品を保存して食べるのはいい知恵かもしれない。
大きめのおにぎりくらいのサイズのクルトを、アリアは一気に二つも食べてしまった。
残り一つは、いざというときのために、とっておくことにした。
そういえば、食事をしたのはずいぶんと久しぶりな気がする。
「美味しかった……こっちの野菜も食べちゃおう」
アリアはバックパックからもう一つ、布に巻かれた野草を取り出した。
旅商人の老婆が野草を煮詰めて干しただけのもの。
彼女の今晩の献立にする予定だったらしいが、それも譲ってもらったのだ。
野菜は足が早いから、こちらは残さずに食べてしまうことにする。
「やっぱり、見た目は食欲湧かないな……でも、いただきます」
アリアは野草の茎のようなものをかじってみた。
「うぇ、にがっ」
ちょっとした漢方薬のようだ。
続いて、何かの葉を食べる。
「ん……にがい……けど、野菜の甘みも出てる気がする……」
野草だから、美味しくはないのだろう。
でも健康のためには食べておく必要がある。――野菜なんて、次にいつ摂取できるかわからないのだから。
「旅をするにも、いろいろと知識が欲しいなぁ……」
野草をもきゅもきゅと食みながら、アリアはつぶやいた。
せめて食べれらるものと食べられないものの見分け方、そして火の起こし方くらいは――。
実のところ、ここまで来る間に、大きな蛇がたくさん絡み合った魔物らしき生き物に何度か遭遇していて、そのたびに逃げたり、剣を使って切り抜けたりしてきたのだ。
火を起こせないと、夜を越すのは本当に危険だろう。
「それに、ちょっと寒いし……」
野宿する可能性を考えると、毛布とかも欲しいな。
何にしても、野宿という選択肢の取れない今は、歩く意外にできることがない。
アリアは老婆にもらった水袋の水を少し飲むと、森の木をナイフで切って目印をつけてから、また歩き始めた。
「……暗い……さみしい……」
草木をかき分けて、真っ暗な森を進む。
アリアは孤独だった。どうやら今のアリアには森を歩き続ける体力はあって体はそれほど疲れていないが、いつ魔物に襲われるかわからない状態のため、精神のほうが磨耗していた。
それに、寝ないでこのまま歩き続けるのもまずい気がする。
「早く……どこでもいいから、人のいる場所に行きたいな……」
こういうとき、深夜でもやっているコンビニが恋しくなる。
あったかい肉まんが食べたい。できればカレーまんがいい――。
そんなことを思いながら、アリアが進み続けていると。
しゅぅぅぅ……。という音が聞こえた。
その音には、いや、鳴き声には聞き覚えがあった。
(魔物っ!?)
アリアは音を立てないようにして腰の剣を抜き、小盾を取り出すと、体勢を低くして油断なく周囲に気を配る。
ゆっくりと、鳴き声のする茂みへと近づいていく。
ガサガサと茂みが揺れたかと思うと蛇の頭が三つ、飛び出してきた。
「来た!」
アリアは急いでその場から飛び退いた。
飛びかかってきた蛇の頭は、何かに突っかかるようにしてアリアの目前で止まる。
慌てることはなかった。この魔物は昼にも遭遇していて、頭を伸ばせる距離に限界があるのだ。
退いたアリアへと接近するために、魔物の本体が茂みの中から出てくる。
魔物は、歪な形の蛇が幾重にも絡み合ったような見た目をしていた。根本が絡み合っているから、遠くまで飛びかかっていくことができないのだ。
どういう進化をしたら、こんな生物が生まれるのか――あるいは、フローリアの言う「世界の穢れ」の影響なのだろうか。
「暗くて見づらいけど……!」
アリアは暗闇の中で目を凝らして魔物の動きをよく見ながら武器を構えて接近していく。
すると魔物は、複数ある首を素早く伸ばして噛みつこうとしてくる。
一本、二本と伸ばしてくる頭を小盾で叩き落とし、伸び切った頭のうちの一本をアリアは剣で斬りつけた。
「たあッ!」
ずばん、と魔物の頭が一刀で斬り落とされる。
(やっぱりこの剣、すごい斬れ味だ……!)
老婆から買ったミスリルの剣は、本当に良質なものだった。
魔物の体を軽々と斬り裂き、しかも軽く振って血を払うだけで元通りのきれいな状態になる。
本来であれば剣は使えば使うほど斬れ味が悪くなるものらしいが、この剣は劣化する気配がない。
「よし、このまま!」
頭の一つを斬り落とされた痛みに暴れ回る蛇の魔物の攻撃を盾で払いのけ、暴れる頭のうちの一本を足で踏みつけて止めながら、アリアは魔物に接近。
蛇が絡まりあってできた魔物の中心部を、思い切り剣で斬りつけた。
ずしゃああ! と、絡み合う蛇の魔物の体がまとめて斬り払われる。
バラバラになって散らばった魔物の体は、しばらくの間びちびちうねうねと動いていたが、やがてそのおぞましい生命力も底を尽き、動きを止めた。
アリアは少し肩で息をした後、ほっと息を吐いた。
それから剣についた血を払い、顔についたどす黒い返り血をぬぐった。
「これじゃ、身が持たない……」
視界の効かない暗闇の森の中を不眠不休で歩くだけでもつらいのに、さらに魔物に襲われる危険に気を張っていないといけない。
でも、歩くしかない。
どうせ周囲に気を配っていないといけないのだから、休んでいるより少しでも歩いたほうが精神的にいい。
幸いにも、今のアリアは体力だけはあるのだから。
「泣きごとを言ってても、状況は解決しないしね……」
こんなところで遭難して死んでしまったら、晴人を守れないし、フローリアをがっかりさせてしまう。
少し息を整えたアリアが、また歩き始めると。
どこからか、ガルルルル……という獣の唸り声のようなものが聞こえた。
「……ッ!」
アリアはすぐに剣の柄に手をかけた。
(また、敵……!?)
唸り声の方向を聞き分けるために、アリアは集中した。
すると、次に聞こえてきたのは――。
「ウォオオオオン――!!」
遠吠えだった。
まるで森の中を木霊するように、周囲からいくつもの遠吠えが響き渡る。
「う、うそでしょ……!」
アリアは窮地の予感を感じながら、また腰の剣を抜いた。
外は薄暗い森の中だった。建物内のそこかしこに蔦が張っていたのは、そのためだろう。どうやらこの神殿は、相当な僻地にあるらしい。
「この森をねェ……」老婆がしわがれた手を伸ばして、方向を指で示す。「こっちの方角にまっすぐ行けば、ナガルという町に着くよ」
「こっち……ですね」
「半日も歩けば、街道までたどり着けるはずさ……迷わなければね。ヒヒ……」
アリアは老婆が指差した方角をしっかりと頭の中に叩き込んで、ついでに近くの木に、先ほど老婆から買ったナイフで印をつけた。
「じゃあ、いろいろ大変だろうけど……頑張るんだよ。イヒヒヒ……」
「本当に、いろいろとありがとうございました」
旅商人の老婆へと、アリアは深く頭を下げた。
この世界でも頭を下げることが礼になるのかはわからないけど、気持ちは伝わるだろうと思って。
なんだかんだ、老婆は半日分の食料とこのナイフも譲ってくれた。
正当な取引だったかどうかは、彼女のことを信じるしかないが、右も左もわからないアリアにとってはすごくお世話になったし、いろいろと教えてもらえてありがたかった。
見た目も雰囲気もとにかく怪しいけど、たぶんいい人なのだと思う。
「森は魔物が出るから、気をつけるんだよ」
「魔物……か」
この世界に危険な魔物が出ることはフローリアから聞いていたが、やはり旅をするには相当な覚悟が必要だと思った。
それにしても、
「なら商人さんは、どうやってここまで来たのですか?」
「それもヒミツさね。アハハハ……!」
誤魔化すように旅商人は笑う。
やっぱり怪しいし、謎の多い人だった。
旅商人の老婆と別れ、背負い袋をかついだアリアは薄暗い森の中を進む。
先ほどまでいた、カマキリの魔物と何度も戦った霊域と呼ばれる静かな森とは打って変わって、そこは生き物の気配に満ちていた。
虫の鳴き声はひっきりなしに聞こえて、土や枯れ葉のにおいも濃く、漂う空気はどこか獣臭さすら感じる。
昼間の明るいうちにアリアは出発したのだが、すでに空は日が暮れ、辺りは真っ暗になっていた。
「……どうしよう」
アリアは困っていた。
「ここ……さっきも通った気がする……」
――迷った。
というより、自分が迷っているのかどうかすらわからなかった。
できるだけ同じ方向に進んできたつもりだが、なにせ道なき道を進んでいて、高い草木に邪魔をされて上手く進めず、まっすぐ歩けていた自信はない。
そして言えることは、老婆の話を信じるなら、そろそろ町に続く街道が見えてきてもおかしくない頃だ。
「どうしよう……帰り道もわからないし……」
なんだか、さっきから同じような景色を見るたびに、なんだか子供の笑い声のようなものが聞こえる気がする。
何も知らない異世界でいきなりこれは、不安だった。
食料だって、少しずつ食べても二食分程度しかない。
アリアは老婆の言葉を思い出す。
「もしも道に迷ったら、その剣を使って狩りをして魔物の肉でも食べてしのげばいいさね。ふぇっふぇ!」
「う……ぜったい、いや!」
そんな会話をしたばかりなのである。
アリアは月明かりだけを頼りに真っ暗な森を歩きながら、お腹を軽くさすった。
「お腹空いてきたな……」
とりあえずアリアは、今ある食料を食べることにする。
バックパックの中から、少し汚れた麻袋を取り出し、その中から旅商人の老婆から貰った携帯食を取り出す。
白くて丸い何か。
そう。白くて丸い何かとしか表現できない食べ物だ。
もう少し説明するなら、表面は乾燥していて硬い。
パンともちょっと違う気がするし、においは薄いけど、かすかに発酵しているような香りがする。
――あまりいい匂いではない。
「なんだろう、これ。…………本当に、なんだろうこれ」
アリアは二回言った。
未知の食べ物、“白くて丸くて硬い何か”。
少し汚れてるし、どんな味がするのだろうか……食べるのに勇気がいる。
しかし、老婆からもらった食べ物はこれと、野草を煮たもの(こちらは保存が効かないため、できるだけ早く食べないといけない)だけだ。
「……いただきます」
ライターどころか火打ち石すらなく火を起こせる技術もないから辺りは真っ暗なままだけど、切り株を見つけてとりあえず座ったアリアは、白くて丸いそれを一口かじってみた。
「……あ!」
果たして、その正体は。
「……ヨーグルト!」
口の中にチーズとヨーグルトを足したような味が広がった。
お腹が空いていたから、けっこう美味しい。
白くて硬い何かは、何かの乳を発酵・乾燥させた乳製品なのだろう。
老婆が言うには、たしか「クルト」という名前の食べ物だった。
ちょっと汚れてたのは背に腹は変えられないとして、変なものじゃなくてよかったとアリアはほっとした。
「味は薄いけど……ぜんぜん食べられる!」
この世界に保存が効く食べ物がそんなにあるとは思えない。
タンパク質やカルシウムを確保できる乳製品を保存して食べるのはいい知恵かもしれない。
大きめのおにぎりくらいのサイズのクルトを、アリアは一気に二つも食べてしまった。
残り一つは、いざというときのために、とっておくことにした。
そういえば、食事をしたのはずいぶんと久しぶりな気がする。
「美味しかった……こっちの野菜も食べちゃおう」
アリアはバックパックからもう一つ、布に巻かれた野草を取り出した。
旅商人の老婆が野草を煮詰めて干しただけのもの。
彼女の今晩の献立にする予定だったらしいが、それも譲ってもらったのだ。
野菜は足が早いから、こちらは残さずに食べてしまうことにする。
「やっぱり、見た目は食欲湧かないな……でも、いただきます」
アリアは野草の茎のようなものをかじってみた。
「うぇ、にがっ」
ちょっとした漢方薬のようだ。
続いて、何かの葉を食べる。
「ん……にがい……けど、野菜の甘みも出てる気がする……」
野草だから、美味しくはないのだろう。
でも健康のためには食べておく必要がある。――野菜なんて、次にいつ摂取できるかわからないのだから。
「旅をするにも、いろいろと知識が欲しいなぁ……」
野草をもきゅもきゅと食みながら、アリアはつぶやいた。
せめて食べれらるものと食べられないものの見分け方、そして火の起こし方くらいは――。
実のところ、ここまで来る間に、大きな蛇がたくさん絡み合った魔物らしき生き物に何度か遭遇していて、そのたびに逃げたり、剣を使って切り抜けたりしてきたのだ。
火を起こせないと、夜を越すのは本当に危険だろう。
「それに、ちょっと寒いし……」
野宿する可能性を考えると、毛布とかも欲しいな。
何にしても、野宿という選択肢の取れない今は、歩く意外にできることがない。
アリアは老婆にもらった水袋の水を少し飲むと、森の木をナイフで切って目印をつけてから、また歩き始めた。
「……暗い……さみしい……」
草木をかき分けて、真っ暗な森を進む。
アリアは孤独だった。どうやら今のアリアには森を歩き続ける体力はあって体はそれほど疲れていないが、いつ魔物に襲われるかわからない状態のため、精神のほうが磨耗していた。
それに、寝ないでこのまま歩き続けるのもまずい気がする。
「早く……どこでもいいから、人のいる場所に行きたいな……」
こういうとき、深夜でもやっているコンビニが恋しくなる。
あったかい肉まんが食べたい。できればカレーまんがいい――。
そんなことを思いながら、アリアが進み続けていると。
しゅぅぅぅ……。という音が聞こえた。
その音には、いや、鳴き声には聞き覚えがあった。
(魔物っ!?)
アリアは音を立てないようにして腰の剣を抜き、小盾を取り出すと、体勢を低くして油断なく周囲に気を配る。
ゆっくりと、鳴き声のする茂みへと近づいていく。
ガサガサと茂みが揺れたかと思うと蛇の頭が三つ、飛び出してきた。
「来た!」
アリアは急いでその場から飛び退いた。
飛びかかってきた蛇の頭は、何かに突っかかるようにしてアリアの目前で止まる。
慌てることはなかった。この魔物は昼にも遭遇していて、頭を伸ばせる距離に限界があるのだ。
退いたアリアへと接近するために、魔物の本体が茂みの中から出てくる。
魔物は、歪な形の蛇が幾重にも絡み合ったような見た目をしていた。根本が絡み合っているから、遠くまで飛びかかっていくことができないのだ。
どういう進化をしたら、こんな生物が生まれるのか――あるいは、フローリアの言う「世界の穢れ」の影響なのだろうか。
「暗くて見づらいけど……!」
アリアは暗闇の中で目を凝らして魔物の動きをよく見ながら武器を構えて接近していく。
すると魔物は、複数ある首を素早く伸ばして噛みつこうとしてくる。
一本、二本と伸ばしてくる頭を小盾で叩き落とし、伸び切った頭のうちの一本をアリアは剣で斬りつけた。
「たあッ!」
ずばん、と魔物の頭が一刀で斬り落とされる。
(やっぱりこの剣、すごい斬れ味だ……!)
老婆から買ったミスリルの剣は、本当に良質なものだった。
魔物の体を軽々と斬り裂き、しかも軽く振って血を払うだけで元通りのきれいな状態になる。
本来であれば剣は使えば使うほど斬れ味が悪くなるものらしいが、この剣は劣化する気配がない。
「よし、このまま!」
頭の一つを斬り落とされた痛みに暴れ回る蛇の魔物の攻撃を盾で払いのけ、暴れる頭のうちの一本を足で踏みつけて止めながら、アリアは魔物に接近。
蛇が絡まりあってできた魔物の中心部を、思い切り剣で斬りつけた。
ずしゃああ! と、絡み合う蛇の魔物の体がまとめて斬り払われる。
バラバラになって散らばった魔物の体は、しばらくの間びちびちうねうねと動いていたが、やがてそのおぞましい生命力も底を尽き、動きを止めた。
アリアは少し肩で息をした後、ほっと息を吐いた。
それから剣についた血を払い、顔についたどす黒い返り血をぬぐった。
「これじゃ、身が持たない……」
視界の効かない暗闇の森の中を不眠不休で歩くだけでもつらいのに、さらに魔物に襲われる危険に気を張っていないといけない。
でも、歩くしかない。
どうせ周囲に気を配っていないといけないのだから、休んでいるより少しでも歩いたほうが精神的にいい。
幸いにも、今のアリアは体力だけはあるのだから。
「泣きごとを言ってても、状況は解決しないしね……」
こんなところで遭難して死んでしまったら、晴人を守れないし、フローリアをがっかりさせてしまう。
少し息を整えたアリアが、また歩き始めると。
どこからか、ガルルルル……という獣の唸り声のようなものが聞こえた。
「……ッ!」
アリアはすぐに剣の柄に手をかけた。
(また、敵……!?)
唸り声の方向を聞き分けるために、アリアは集中した。
すると、次に聞こえてきたのは――。
「ウォオオオオン――!!」
遠吠えだった。
まるで森の中を木霊するように、周囲からいくつもの遠吠えが響き渡る。
「う、うそでしょ……!」
アリアは窮地の予感を感じながら、また腰の剣を抜いた。