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作者: 栗一
残酷な描写あり
聖花の神殿 2
 ――あなたは新たな命を得て、この世界ファウンテールに降り立ちました。
 これからは、霊域にいた頃のように、死から蘇ることはできません。
 どうか、お気をつけて――。



 光が収束し、気がつくとアリアはどこかの室内にいた。
 室内と言っても、ほとんど瓦礫がれきに近い、苔むした石でできた神殿のような建造物の中で、ヒビだらけの壁には花を象った模様が描かれている。
 ずいぶんと通気性もいいらしく、埃っぽいにおいの隙間風すきまかぜが吹いていた。

「はっ! そういえば、服……!?」

 異世界に裸のまま放り出されるのは、さすがに困る。
 慌てて確認すると、どうやら服は着ているようで安心した。
 しかも、このファウンテールという世界に合わせてくれたのか、制服ではなく、少し古風な動きやすい服装を着せてくれている。
 現実世界のものに比べると少しだけ縫い目の粗い布のシャツに、ショートパンツ。スカートのようなひらひらに、靴下にはガーターベルトのようなものまでついていた。
 そして、胸元を覆っているのは革の鎧だ。

 私は拳を軽く握って、こんこん、と革鎧の肩の部分を叩いてみた。
 革製なのに、思ったよりも硬い。
 カマキリの鎌は無理でも、触手の鞭くらいは防いでくれるかもしれない。

「私、鎧なんて初めて着た……」

 今までがただの学生服で、身を守るどころか動き回ると下着すら満足に隠せないものだったから、このしっかりとした衣装がなんだか頼もしかった。

「フローリアの話だと中世ファンタジーみたいな世界のはずだけど……もしかして、ロード・オブ・ジェイドみたいな感じなのかな」

 ゲームに登場した、ちょっと不気味だけど美しい景色を思い出す。
 だとしたら怖いけど、少しだけ楽しみだった。

(そうだ……せめて、楽しもう)

 アリアはそう思うことにした。
 つらい道のりになるかもしれないけど、せっかく生まれ変わって、こうして見たこともない世界を旅できるんだから。

「さ、とりあえずこの遺跡から出て……あれ?」

 そこで、ふとアリアは気づいた。
 そういえば、武器がない。
 フローリアの説明では、この世界はいわゆる剣と魔法のファンタジー世界のようなもので、人里から少しでも外に出れば、魔物も出現するような危険な場所だという。
 丸腰で外に出るのは、まずいのではないだろうか。
 それに、簡素なものとはいえ鎧を着ているのに武器を持たないのは、なんだか妙な感じもする。

「……何か、お探しかい?」

 しわがれた声が聞こえて、アリアはびくりとした。
 背後を向くと、そこにはいつの間にか一人の腰が曲がった怪しげな老婆が立っていた。
 しわくちゃで汚れた赤い頭巾ずきんつきのローブをまとった彼女は、なんとなく「年老いたリアルな赤ずきん」という印象だった。

「あの……あなたは?」

 アリアが尋ねる。

「アタシかい? アタシはしがない旅商人だよ」
「商人さん?」
「そうさ。あんた、何か入り用なんだろう? いろいろ揃えているから、見ていくといい」
「はぁ……。でも、私、お金なんて持ってなくて……」
「おや。それじゃあ、腰につけているのはなんだい?」

 言われて、アリアは自分の腰を確かめる。
 ベルトに革のポーチ……いや、革の巾着袋だ。
 ずっしりと重みのあるそれは、たしかにアリアも中身が気になっていた。

 さっそく中身を確かめる。
 すると、そこには金色に輝く円形のコインがぎっしりと詰まっていた。

「……金貨だ!」

 アリアが小さく驚きの声を漏らすと、老婆は「イヒヒヒヒ」と怪しく笑って、それをいさめるように手を振った。

「あんまり、そういうのは人前で見せちゃあいけないよ」
「え……?」
「最近はますます物騒だからねぇ。アンタみたいな弱そうな見た目の女なんか、悪いヤツらに狙われて、あっさりと奪われちまうよ……ふぇっふぇっ」

 何やら楽しげに笑う老婆の言葉に、アリアは反省した。
 貨幣の価値がどのくらいかわからないが、中世においてたしか金貨は十万円〜二十万円くらいという話も聞いたことがある。
 だとしたら、数百万円を鞄に入れて、見ず知らずの外国を歩いているようなもの――。

「ちなみにねぇ……」
「はい」
「その種類の大金貨は、一枚あれば二ヶ月は不自由なく暮らせるくらいの価値だよ」
「え“っ」

 想定よりもこの世界の金貨は貴重なものらしい。
 ひどい顔をして驚くアリアを見て、老婆また「ヒッヒッヒッ……」と楽しそうにかすれた笑い声を発した。

 それにしても、この服も金貨も、女神様――フローリアが用意してくれたものだろうか。
 いたれりくせりで、すごく助かる。

「アンタ、迷い人だろう?」
「迷い人……えっと、はい」

 確か、アストリアから――つまり現実世界から転生してきた人を、こっちでは「迷い人」というらしい。それはフローリアから聞いていた。

「どうしてわかったんですか?」
「そうさね……匂い、さね」
「に、におい!?」

 アリアは、ぎょっとしながら、自分の肩の匂いを嗅いでみた。
 たしかにカマキリの魔物と戦った直後は血と汗にまみれていたけど、あの大きな花(フローリアいわく聖花というらしい)に触れて光を浴びたあとは、シャワーを浴びた後のように全身がきれいになっている。
 そんな匂いなんてしないはず。アリアがそう不安に思っていると。

「心配しなさんな。……アンタは、花のようないい匂いがするんだよ」
「う……まあ、それなら……」
「まさに、カモの匂いさね」

 いい匂いだと言われてアリアは一瞬だけ安心したが、その後の評価は喜んでいいものか微妙だった。

「アハハハッ。……。もう十年以上も前の話だけどね、あんたと似た匂いのするヤツに会ったことがあるんだよ」
「その方も、迷い人だったんですか?」
「あァ。そうさ。迷い人とは浅からぬ縁があるのさ……。だから、安心をし……アタシゃ、アンタを悪いようにはしないよ……」

 老婆はそう言って「イヒヒヒヒ……」と怪しく笑うので、アリアは信じていいものかは、やっぱり微妙だった。
 けど、まあ今はアリアにとって頼れる人もいないわけで……。

「とりあえず、商品を見せてもらえますか?」
「いいよ。いろいろ見繕みつくろってやるから、ついて来な……」

 言うなり背を向けて歩き出した老婆を追って、アリアは廃墟のような神殿の中を歩いた。



 建物内はところどころに花の意匠が施されていたので、もしかしたら、先ほどフローリアに見せてもらった「神花」と呼ばれるものをまつっている神殿なのかもしれない。などとアリアは推察しながら、老婆の後を追い、朽ちかけた扉を開いて部屋の中へと入った。
 扉にはバリケードがしてあったが、これは商品を盗まれないようにするための老婆なりの防犯処置なのだろう。

 部屋の中には、金属製の槍や剣、そして鎧がまず目についた。
 そのほかにも瓶に入った薬のようなものや、薬草か何かの植物もある。

「さて、アンタに必要なのは……まずは武器かね」
「はい。……あ、そうだ!」

 アリアは革袋の中から、金貨を二枚だけ取り出した。

「これで買える範囲でお願いします」

 すると老婆は、また「イッヒッヒ」と笑った。

「お嬢さん、アンタは賢いね」

 それはそうだ。状況が状況だけに多少は足元を見られても仕方ないと思うが、流されるままにして見ぐるみを剥がされてしまってはたまらない。
 アリアは少し胸を張ってドヤ顔をしながら二枚の金貨を見せつけていく。

「でも、やっぱり物の価値はわからないようだねぇ。大金貨一枚ともなれば、この剣だったら二十本買えちまうよ」
「え“っ」
「まあ、そんなに在庫はないけどね。イヒヒヒ……」
「そ、そうですか……」

 この世界の武器は、思ったより安かったらしい。
 たしか世界史の授業で聞きかじった話だと、中世において剣や槍などの武器は金型かながたか何かを使ってかなり量産されていたらしい。
 世に出回る数が多ければ、その分価値も落ちるため、現代よりもずっと安価で装備を揃えられるのだろう。
 金属の鎧も、案外、上等な布製の服と大差ない金額なのかもしれない。

「それとも、全身甲冑でも着てみるかい? それでも大金貨一枚でお釣りが出るよ」
「えっと、それっと重いですよね……?」
「重いね。アンタの細腕じゃあ動けなくなるだろうよ……ふぇっふぇっふぇ」
「……遠慮します」
「そうかい? それじゃあ……」

 老婆は鍵穴のついた長方形の箱を取り出した。ちょうど、細長い宝箱のような形だ。
 小さな銀色の鍵を使って開錠して蓋を開けると、中には一本の細身の長剣が収められていた。

「商人さん、これは……?」
真銀ミスリルの剣さ」
「ミスリル……!」

 真なる銀ことミスリルとは、ファンタジー作品に登場する架空の金属で、ロード・オブ・シェイドにも登場した高価かつ超強力な素材だ。
 なのだけど……。

「……普通の剣に見えますけど」
「ああ。やっぱりそう見えるかい」
「ミスリルってもっと、きれいな銀色をしていますよね」

 ミスリルといえば、わずかに青みがかった美しい銀色をしていた。
 だがこの剣はたしかに美しい刀身だけど、普通の鋼の剣と見分けがつかない。

「その通りなんだよ、アンタ」

 老婆はそう言いながら、震える手で箱の中から剣の柄を掴んで取り出した。
 刀身が美しくきらりと光り、覗き込むアリアの顔を映し出す。

「こいつはちょっとわけありの品でね……内包していた魔力がなくなっちまった魔剣なんだよ」
「……はぁ」
「近頃、この世界には『穢れ』というものが蔓延していてね、多くの武具や魔法のアイテムが、その力を失っちまったんだ」

 もとは魔剣――という割にはデザインもシンプルだ。
 でも、アリアはなぜかその剣に惹かれるように、あるいは魅了されたように、その刀身から目が離せなかった。

「でもね……この剣は間違いなく、アタシの扱う商品の中で一番の業物だ。……アンタ、手にとってみるかい?」
「……はい」

 アリアは言われるままに、差し出された剣の柄を握ってみた。
 適度な重さで、細身の柄が手にぴったりと馴染む。
 刀剣についてまったく詳しくないが、アリアはこの剣がすごく気に入った。
 なんだか、しっくりと来た。

「あの、値段は……?」
「ああ。魔力の切れたものだし、まけてやるよ」

 そう言うと老婆は、ピースをするように指を二本立てて見せた。

「大金貨二枚」
「うっ!」

 高い。どのくらいまけてくれたのかわからないけど、ここで予算ギリギリを示してくるあたり、この老婆もやはり商売人なのだ。
 アリアが少し迷うそぶりを見せると、老婆は「アッハッハ」と豪快に笑った。

「……と言いたいところだけどね、この剣は見ての通り地味だから、なかなか売れないのさ」
「はぁ」
「だから、商品の中で他に入り用のものがあったらオマケにつけてやるよ」

 他に必要なもの。
 なんだろう。食料だろうか。
 少し考えて、アリアはハッと大事なものを思い出した。

「そうだ、盾! 盾はありますか?」
「うん? アンタ、盾を使うのかい?」

 アリアは強くうなずいた。
 そうだ。カマキリの魔物との戦いで、どれだけ盾に助けられたかわからない。
 最後になんとか勝てたのも、アリアの必殺技(だとアリア自身は思っている)のパリィが決まったからだ。
 これから危険な異世界で盾なしで生きていくなんて、考えられない。

「そうかい……それなら、アンタに向いてそうなこれを使ってみないかい?」
「えっと、それは?」
「マインゴーシュという、防御用の短剣さ。使い方は――」
「あ、いえ。盾がいいです」
「そうかい?」

 アリアが盾にこだわるのは意外だったようだ。
 おそらくアリアの体つきを見て、盾を使いこなせるほどの力がなさそうだと思ったのだろう。身のこなしを活かして戦う剣士のようなスタイルが合っていると。
 だけど、今のアリアには見た目以上の身体能力がある。
 これも、どうやらフローリアの力のおかげらしい。

「それじゃあ、盾だね。ひとえに盾といっても、使い道によっていろいろあるからねぇ……。扱いやすいサイズのカイトシールドにラウンドシールド、全身を守るタワーシールドに、攻撃にも使えるタイプの棘盾。……」

 アリアはじっくりと説明を聞いた。
 なにせ、自分の命を預ける盾だ。しっかりと合ったものを選ばないといけない。

「……それから、相手に押し付けるようにして攻撃を防ぐ、小さなバックラー」
「――バックラー!」

 がたん、と音が鳴りそうな勢いでアリアはバックラーという盾に食いついた。
 小盾を意味するバックラーはロード・オブ・シェイドというゲームにおいて、防御性能は低いが、とくにパリィがしやすいタイプの盾だったのだ。
 アリアもゲーム中にお世話になった、優秀な装備品だ。

「おや。これを選ぶなんて、もしかしてアンタ、案外玄人くろうとなのかい?」
「いえ、そういうわけじゃないけど……」
「まあ、詮索のしすぎはよくないからね。でも、アンタは運がいいよ。ちょうど質のいいものがあるんだ」

 そう言うと老婆は、風呂敷のような荷物袋の中から一つの小さな盾を取り出した。
 これだ。まさにアリアの知っているバックラーだった。

「これは、とにかく硬さが売りでね。でっかい魔物に踏まれても壊れない、ドラゴンの一撃にだって耐える代物さ」
「ドラゴンの……すごい!」

 この世界のドラゴンがどのくらい強いかはわからないが、こういう例えに出すくらいに強力な存在なのだろう。
 とにかく、壊れない盾なら最高だとアリアは思う。

「ま、それ以外はとくに何の効果もない小さな盾なんだけどね」
「十分ですよ!」
「アンタ、持ってみるかい?」
「はい!」

 アリアはバックラーを受け取って、構えてみた。
 どちらも見た目より軽くて、でもしっかりとした作りで頼もしい。
 新品の装備をもらって、アリアはなんだか気分が高揚してきた。

「よく似合っているじゃないかい」
「そう、ですか?」
「あァ。アンタ、意外と死戦を潜り抜けてきたタイプだね。なんとなくわかるよ」

 どう答えていいかわからず、アリアは曖昧に微笑む。
 でも、様になっていると言われたなら、悪い気はしなかった。

「剣と盾で合わせて大金貨二枚でいいよ……」
「ほんとですか!?」
「ちょっと割安だけど、楽しませてもらった礼さね……イッヒッヒ」
「ありがとう、商人さん!」

 アリアは剣と盾を受け取り、代わりに金貨二枚を渡した。

「そういえば、商人さん」
「なんさね?」
「すごい荷物だったけど、どうやってここまで持ってきたのですか?」

 老婆は皺だらけの顔にさらに皺を作って、人差し指を口元に当てながら笑みを浮かべた。

「そいつは、企業秘密さね。――イッヒッヒッヒ」

 やっぱり旅商人の老婆は、どこか怪しい人物だった。
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