魔法少女
あまり関係ないけど犬にアルコールは猛毒だからやめてね?
「あんな風になるなんて聞いてねーぞ!」
複雑に入り組んだ住宅地。真夜中であるにも関わらず、男は闇を切り裂くような声をぶちあげた。
ふだんは猫背にしてる背中を張り上げて、石造りの家屋のさらに上へと視線を届かせる。
その先には星だけしかない。ひとの目ではそれしか捉えられない。
だけど、そこから声が返ってきた。
「ひとが寝てる。静かにして」
「イベントでもなきゃ起きねーよ、どうせNPCなんだからな。それより聞かせろ。さっきのアレはなんだ」
男は耳をキンと突くような声で、姿を見せない声は淡々と涼し気な声色で。
その響きから、声の主は年端もいかない少女のものだとわかる。
「マモノ化した、んだとおもう」
「なんだと?」
「力とはスカラー。本来絶対的な存在そのものであって方向性はない。でもそこに意識が宿ることで善にも悪にもなる。天使にも悪魔にもなる。そして――」
「もっとわかりやすく言えよ」
「純粋な力は恒常性により崩壊を招く。だから力に方向を与えなければ身体はエネルギー量に耐えきれずダメージを受ける。だけどその人に意志があって、信念があって、ベクトルがあったら」
「……なるほどな」
懐から一本のビンをとりだす。中には無色透明な液体があり、それを指先だけでつまみプラプラともてあそぶ。
「欲求不満の方向性か。つまりコレをのむとき煩悩まみれだったらマモノ化する寸法だ」
「わからない。これはわたしと――彼の仮説でしかないよ」
「あいつがそう考えてるなら当たってるだろ」
たいくつそうに壁にもたれかかる。近くで風を切る音と、地に足つく音がした。
「収穫はあった?」
「大してねーな。あるとすりゃあ実験材料にしてた教会のエラいヤツが触手まみれのバケモンになった程度か――いや」
思い出したように、彼は闇夜のなかでもギラつく牙をむき出しにした。
「おもしれーヤツが一匹いたな」
「あの年よりのキャラクター?」
「ちげーよバカ。あの変身とかいいながらケモノのコスプレしやがったオンナだよ」
「たしかに、あのおんなのこには興味ある」
声が間近に聞こえる。そして、男の前にひとりの少女がすがたを現した。
薄暗いローブは魔法使いの様相。その節々に取り付けられたタリスマンが怪しい輝きを放っている。
少女の身体はとても華奢に見え、細身で骨ばった傍らの男よりもさらに小さく、ひとによっては子どもの兄弟のように見えるかもしれない。
ただし、ローブの下は薄着でやわ肌まで確認できる。純白でキズひとつ知らぬ身体のなか、瞳と髪だけがほんのり緑がかっていた。
「寒くねーのかキャス?」
「魔法があるからヘーキ」
少女のことばに大して興味も示さず、男ははげしい戦いの記憶を掘り返した。
「あのスキルは見たことがない。あのオンナの話がマジなら、たぶん管理者がいちまい噛んでるな」
「なんて言ってたの?」
「夢にわんころが出たんだってさ」
そのことばに少女はハッとした。
「それはほんとう? ほんとうに犬がいたの?」
「確かに聞いた。それでも疑うなら本人に聞けや」
「たとえ夢のなかであっても、この世界は"犬"という存在を排除してる」
「ああ――オレたちは排除される側の存在だ。それは夢の世界でも違わねぇ。でもあのオンナは夢で見た。で、あのスキルを習得したらしい」
「……」
「ついでに言うとよ、実は以前あのオンナに龍脈の水を飲ませたんだよ」
「ッ!」
そのことばに、少女は厳しい視線を彼に向ける。
「なかまでしょ?」
「聞けって。プレイヤーにそうしたらどうなるか気になってさ。はじめのうちは苦しんでたんだが、まあ、結果はおまえも知るとおりだ」
「でも、彼が言うには「龍脈はアイテムとして存在しない」って。だから、万が一飲めたとしても死亡イベントになるって」
「それこそオレさまの知ったことじゃない。ま、だから試した側面もあるんだが……んじゃまた試すか」
「なにを?」
「てめーらの仮説をさ」
彼は例の小瓶を少女に見せた。
「よーは欲望にまみれたヤツを唆してやりゃあいーんだろ? 夜の町つったら欲望まみれじゃねーかよ。このヘンにもあるぜ? オトコとオンナが欲望にまみれるスポットが」
少女は眉間にシワを寄せ息を吐き出した。
「スナップ、早とちりしないで」
「実験台は多いほうがいーだろ?」
「今は事を荒立てたくないの。やりすぎれば管理者に見つかるよ?」
「どうでもいいぜ。オレさまはオレさまのやり方でこのゲームを楽しむだけだ」
そして、男は静かに影へと消えていく。残された少女は天空の光に目をうつし、複雑な思いで目を閉じた。
「それぞれがそれぞれのゲームを楽しむだけじゃダメなのかなぁ」
「みんな!」
教会から出ると、心配した様子でサっちゃんが駆け寄ってきた。
「無事だったか」
「ひぃッ」
サっちゃんの迫力に圧されグウェンちゃんがちっちゃくなる。で、アニスさんのうしろに隠れる。
(うーん、やっぱりふたりが同じ人類だなんて想像できないなぁ)
いくらなんでもサイズ感ちがいすぎない?
「あぁごめん、悪気はないんだ。ってそんな場合じゃないんだよ」
ちいさなおんなの子に謝ったり慌てたようすでおおきな腕を振り回したり、今回のサっちゃんは忙しいご様子。その疑問はみんなを代表してスプリットくんが訪ねた。
「どーしたんだよそんなに慌てて」
「町の様子がちょっと騒がしいんだよ」
「騒がしいとは?」
「あっちのほうで大きな音がしてさ、いまビシェルが向かってるんだが」
「あちらは夜やってるお店がおおいところですね」
サっちゃんの指差す方向にアニスさんが反応した。見れば、たしかに遠くのほうに明かりが灯ってて人の気配を感じる。
「お酒を提供するところがありまして――それだけでなく、まあ、いろいろと」
そこまで言って、顔を伏せるアニスさん。なんでよーもったいつけた言い方しないでおしえてよー。
「いろいろってなに?」
「ぇ、あ、その――いろいろはいろいろです!」
「グレース、聖職者にあまりヘンなことばを言わせてやるなよ」
「オジサンしってるの? ねえなに?」
「オトナの世界にはいろいろあるんだよ。今日はいつもより人が多そうだな」
「そうですね、明日は休日になるので、みなさん楽しんでいらっしゃるのでしょう……教会としては、ほどほどにと注意を呼びかけているのですが」
「なるほど、フフ。そりゃあどんちゃん騒ぎが多くなるわけだ」
と、アゴをさすって最年長の酒飲みが申しております。
「ケンカのひとつふたつはしかたない。放っておけばいいさ」
「だけどビシェルが戻ってこないんだよ」
「ほう、まさかあいつもイケる口か?」
「それはねーよ」
うん、ない。ビーちゃんはお酒呑まないし。
「っていうかビーちゃんが自分の仕事ほうりだして遊びにいくなんてありえないじゃん」
「まあそうだな、おおかたケンカに巻き込まれてしまったのだろう」
言って、オジサンはその方向に向かって足を踏み出した。
「アニスどの、教会のことはお任せします。こちらは巻き込まれた仲間の世話をしてやらねばならんようだ」
「どうぞお気をつけて」
別れの挨拶をすませ、わたしたちはサっちゃんが示した光目指して歩いていく。ビーちゃんのことは心配だけど、でもなんだろう?
すごく大きな不安が胸にひろがってく。
(なんだろうこの気持ち。キュッとしめつけられるような……)
夜の街の一角、ひと筋だけ煌めく光。わたしはことばにできない気持ち悪さを抱えてオジサンの背中を追っていった。
複雑に入り組んだ住宅地。真夜中であるにも関わらず、男は闇を切り裂くような声をぶちあげた。
ふだんは猫背にしてる背中を張り上げて、石造りの家屋のさらに上へと視線を届かせる。
その先には星だけしかない。ひとの目ではそれしか捉えられない。
だけど、そこから声が返ってきた。
「ひとが寝てる。静かにして」
「イベントでもなきゃ起きねーよ、どうせNPCなんだからな。それより聞かせろ。さっきのアレはなんだ」
男は耳をキンと突くような声で、姿を見せない声は淡々と涼し気な声色で。
その響きから、声の主は年端もいかない少女のものだとわかる。
「マモノ化した、んだとおもう」
「なんだと?」
「力とはスカラー。本来絶対的な存在そのものであって方向性はない。でもそこに意識が宿ることで善にも悪にもなる。天使にも悪魔にもなる。そして――」
「もっとわかりやすく言えよ」
「純粋な力は恒常性により崩壊を招く。だから力に方向を与えなければ身体はエネルギー量に耐えきれずダメージを受ける。だけどその人に意志があって、信念があって、ベクトルがあったら」
「……なるほどな」
懐から一本のビンをとりだす。中には無色透明な液体があり、それを指先だけでつまみプラプラともてあそぶ。
「欲求不満の方向性か。つまりコレをのむとき煩悩まみれだったらマモノ化する寸法だ」
「わからない。これはわたしと――彼の仮説でしかないよ」
「あいつがそう考えてるなら当たってるだろ」
たいくつそうに壁にもたれかかる。近くで風を切る音と、地に足つく音がした。
「収穫はあった?」
「大してねーな。あるとすりゃあ実験材料にしてた教会のエラいヤツが触手まみれのバケモンになった程度か――いや」
思い出したように、彼は闇夜のなかでもギラつく牙をむき出しにした。
「おもしれーヤツが一匹いたな」
「あの年よりのキャラクター?」
「ちげーよバカ。あの変身とかいいながらケモノのコスプレしやがったオンナだよ」
「たしかに、あのおんなのこには興味ある」
声が間近に聞こえる。そして、男の前にひとりの少女がすがたを現した。
薄暗いローブは魔法使いの様相。その節々に取り付けられたタリスマンが怪しい輝きを放っている。
少女の身体はとても華奢に見え、細身で骨ばった傍らの男よりもさらに小さく、ひとによっては子どもの兄弟のように見えるかもしれない。
ただし、ローブの下は薄着でやわ肌まで確認できる。純白でキズひとつ知らぬ身体のなか、瞳と髪だけがほんのり緑がかっていた。
「寒くねーのかキャス?」
「魔法があるからヘーキ」
少女のことばに大して興味も示さず、男ははげしい戦いの記憶を掘り返した。
「あのスキルは見たことがない。あのオンナの話がマジなら、たぶん管理者がいちまい噛んでるな」
「なんて言ってたの?」
「夢にわんころが出たんだってさ」
そのことばに少女はハッとした。
「それはほんとう? ほんとうに犬がいたの?」
「確かに聞いた。それでも疑うなら本人に聞けや」
「たとえ夢のなかであっても、この世界は"犬"という存在を排除してる」
「ああ――オレたちは排除される側の存在だ。それは夢の世界でも違わねぇ。でもあのオンナは夢で見た。で、あのスキルを習得したらしい」
「……」
「ついでに言うとよ、実は以前あのオンナに龍脈の水を飲ませたんだよ」
「ッ!」
そのことばに、少女は厳しい視線を彼に向ける。
「なかまでしょ?」
「聞けって。プレイヤーにそうしたらどうなるか気になってさ。はじめのうちは苦しんでたんだが、まあ、結果はおまえも知るとおりだ」
「でも、彼が言うには「龍脈はアイテムとして存在しない」って。だから、万が一飲めたとしても死亡イベントになるって」
「それこそオレさまの知ったことじゃない。ま、だから試した側面もあるんだが……んじゃまた試すか」
「なにを?」
「てめーらの仮説をさ」
彼は例の小瓶を少女に見せた。
「よーは欲望にまみれたヤツを唆してやりゃあいーんだろ? 夜の町つったら欲望まみれじゃねーかよ。このヘンにもあるぜ? オトコとオンナが欲望にまみれるスポットが」
少女は眉間にシワを寄せ息を吐き出した。
「スナップ、早とちりしないで」
「実験台は多いほうがいーだろ?」
「今は事を荒立てたくないの。やりすぎれば管理者に見つかるよ?」
「どうでもいいぜ。オレさまはオレさまのやり方でこのゲームを楽しむだけだ」
そして、男は静かに影へと消えていく。残された少女は天空の光に目をうつし、複雑な思いで目を閉じた。
「それぞれがそれぞれのゲームを楽しむだけじゃダメなのかなぁ」
「みんな!」
教会から出ると、心配した様子でサっちゃんが駆け寄ってきた。
「無事だったか」
「ひぃッ」
サっちゃんの迫力に圧されグウェンちゃんがちっちゃくなる。で、アニスさんのうしろに隠れる。
(うーん、やっぱりふたりが同じ人類だなんて想像できないなぁ)
いくらなんでもサイズ感ちがいすぎない?
「あぁごめん、悪気はないんだ。ってそんな場合じゃないんだよ」
ちいさなおんなの子に謝ったり慌てたようすでおおきな腕を振り回したり、今回のサっちゃんは忙しいご様子。その疑問はみんなを代表してスプリットくんが訪ねた。
「どーしたんだよそんなに慌てて」
「町の様子がちょっと騒がしいんだよ」
「騒がしいとは?」
「あっちのほうで大きな音がしてさ、いまビシェルが向かってるんだが」
「あちらは夜やってるお店がおおいところですね」
サっちゃんの指差す方向にアニスさんが反応した。見れば、たしかに遠くのほうに明かりが灯ってて人の気配を感じる。
「お酒を提供するところがありまして――それだけでなく、まあ、いろいろと」
そこまで言って、顔を伏せるアニスさん。なんでよーもったいつけた言い方しないでおしえてよー。
「いろいろってなに?」
「ぇ、あ、その――いろいろはいろいろです!」
「グレース、聖職者にあまりヘンなことばを言わせてやるなよ」
「オジサンしってるの? ねえなに?」
「オトナの世界にはいろいろあるんだよ。今日はいつもより人が多そうだな」
「そうですね、明日は休日になるので、みなさん楽しんでいらっしゃるのでしょう……教会としては、ほどほどにと注意を呼びかけているのですが」
「なるほど、フフ。そりゃあどんちゃん騒ぎが多くなるわけだ」
と、アゴをさすって最年長の酒飲みが申しております。
「ケンカのひとつふたつはしかたない。放っておけばいいさ」
「だけどビシェルが戻ってこないんだよ」
「ほう、まさかあいつもイケる口か?」
「それはねーよ」
うん、ない。ビーちゃんはお酒呑まないし。
「っていうかビーちゃんが自分の仕事ほうりだして遊びにいくなんてありえないじゃん」
「まあそうだな、おおかたケンカに巻き込まれてしまったのだろう」
言って、オジサンはその方向に向かって足を踏み出した。
「アニスどの、教会のことはお任せします。こちらは巻き込まれた仲間の世話をしてやらねばならんようだ」
「どうぞお気をつけて」
別れの挨拶をすませ、わたしたちはサっちゃんが示した光目指して歩いていく。ビーちゃんのことは心配だけど、でもなんだろう?
すごく大きな不安が胸にひろがってく。
(なんだろうこの気持ち。キュッとしめつけられるような……)
夜の街の一角、ひと筋だけ煌めく光。わたしはことばにできない気持ち悪さを抱えてオジサンの背中を追っていった。