▼詳細検索を開く
8.(2)
 それを聞いたアリアは物凄く低い声でトリオに向かう。

「羽根むしりとってやるって言っただろう!」
「ユウはそこにいるぞ。落ち着け」

 何が僕なんだかは知らないけど、トリオはぴょんと飛んで、アリアを何回か仰ぎ、再び右前に戻った。

「ワシは詳細は分からん。ただ、懸念事項があっても突き進むしかないんじゃないかと思っただけじゃ。少なくともニルレンは、手段を選ぶ余裕がなかったとしか思えない」
「何が言いたいんだい」

 アリアはじろりとトリオを睨む。

「ニルレンはわざわざワシを鳥に変えて、この時代まで連れてきちょる。それだけでもまあ、訳は分からんが目的はあったんじゃろ。ただ、一つ気になることがある。それは」

 そこまで言って、トリオは次の言葉を少しためらった。クチバシを細かく振るう。

 僕が続きを促すと、トリオは右の翼で赤いちょんまげをかきながら、ちらりとマチルダさんを見て、再びアリアを見た。

「ワシがニルレンに魔法をかけられた日の翌日、ニルレンの誕生日にワシらは結婚するつもりじゃった」

 僕は、昨日やけにお祭りの日にちを気にしたり、マチルダさんの言葉に反応したトリオに納得した。その一年後に二人は夫婦になるつもりだったのか。それはまあ記念日だし拘るか。僕はまともな恋愛経験は皆無だけど、そのくらいは分かる。
 トリオは話の断定の仕方の割に、遠慮がちにマチルダさんをちらちら見る。

 なるほど、確かにトリオは気付いている。アルバートさんの言う通りだ。

「その……ワシが言うのもなんじゃが、ニルレンはかなり楽しみにしちょった。あの時はちょっと無いくらいに、浮かれちょった。おかしいくらいに」
「過去の惚気かよ。トリオさん」
「違うわ。そげじゃなくて、そんな浮かれちょるのに、その時期にわざわざ婚約者と別れるようなマネをするか? せめて翌日じゃろ。とにかく手段を選べなかったんじゃろ?」

 それはつまり……。

「ワレが何をしたいのかは分からんが、正直なところ、なりふり構ってられないんじゃないのか? アリア。安全策をとる余裕はあるのか?」

 唇を噛みしめるアリアに対し、トリオは続ける。

「ユウを帰すという、安全策を講じた場合に享受できるのはユウの安全だと言うちょるが、それは本当に得られるんかのう?」
「いっつも、本当に痛いところ突いてくるよね。トリオさんって。やっぱりむしってやる」
「やめい」

 トリオは両手を構え始めたアリアを軽くいなす。僕の右手前にいる鳥が、ただの面倒見の良い悪態つきの面白鳥でなく、魔王を倒した勇者のパートナーだというのがよく分かった。
 そしてもう一人。
 その記憶を持たないかつての救世主は、背筋を伸ばし、凛とした声で尋ねた。

「ねえ、アリアちゃん。ユウ君がいることが想定外というなら、わたしとこの黄緑色の鳥がここにいるというのは想定内なのよね?」

 数秒前の理知的な様子とはうってかわって、何じゃその呼び方と騒ぐトリオの言葉に「バカとは言ってないんだからいいじゃない」と返した後、マチルダさんは続けた。

「それってつまり、わたしが何者なのか知ってるのよね? 知っててここまで連れてきたのよね? それをずっと隠していたってこと?」
「そうだね」

 同意するアリアの言葉に、マチルダさんは唇をかみしめ、視線を落とした。

「何で教えてくれない……のかは教えてくれないのかしら?」

 その答えを確認する前に、マチルダさんはため息をついた。

「この鳥がユウ君の話から突然結婚直前のフラれ話にもっていったのに、間の話がないことにも誰も何も言わないわ。これ、何かの暗黙の了解?」

 ぴょんぴょん飛びながら「フラれとらんわ! 飛ばされただけじゃ!」と怒っているトリオのことは、二人とも無視していた。せめてもということで、僕はトリオに同意した。うん、当人じゃないから知らないけど、フラれてないよ。きっと。多分。きっと。

 知らないけど。

 マチルダさんの問いに、アリアは首を縦に振った。

「はい。暗黙の了解です。諸事情により今は答えられません。でも、これだけは言えるよ」

 いつもより頬が白くなったアリアは、それでも柔らかく微笑んだ。

「私は昔の貴女のことは大好きだし、今のマチルダさんも大好きなんだ。大切でたまらないんだ」

 青い大きな瞳がマチルダさんを見つめる。それは、慈しむという言葉が実にぴったりな表情だ。
 アリアの言葉が嘘じゃないのだろうと感じた。

「ちょっとだけ待ってて。思い出せる。私が何としてでも思い出させる。あなたには幸せになってもらいたいから、私はそのためには出来ることは全部する」

 トリオがびくりと身体を震わせた。そろりと後ろへ下がり、僕の側にもう少し近づいた。
 腕を組んだマチルダさんは、うーんと首を横にひねった。

「どうせ同じ枠なら、こいつよりユウ君と一緒の枠のが嬉しいのよねぇ」

 えーと、ありがとうございます?

「んー、今私が求めていることは、疑問に対する回答を知ることと、ユウ君に何があった時に手助けしたいということであるわけで……」

 腕を組み、マチルダさんは首を傾ける。
 しばらくすると「うん!」と声を上げた。

「ま、細かいことはいっか。もうかなり前に乗っちゃった船だし、アリアちゃんの話に乗ってあげましょう!」

 マチルダさんはからりと笑った。豪快な人だ。アリアは頭を下げた。

「ご協力ありがとうございます。マチルダさん」
「おい、ワシもユウを守るからな! じゃから、ええな? アリア」
「まぁ、魔法に関してはあんたがいないとだめだしねー。ね、アリアちゃん?」

 延々トリオの言葉を無視していた女性二人だが、今度は聞いている。

「……分かったよ。しょうがない、ユウ、一緒に行こう」

 アリアは僕に頷いた。僕は頭を下げる。

「うん。よろしく。ありがとう」
「アルバートもお願い」
「はい、しっかり守りますよ。任せてください」

 アリアの頼みにアルバートさんが頷いた。

 結局、冒頭以外は僕抜きで色々と話が済んでしまった。
 僕は世界の救世主でも英雄でもないし、その相棒でもない。世界を滅ぼそうとした魔王でもない。首都の近くの何の変哲もない村に住む、ごく普通のありふれた感じのその辺によくいる少年だ。僕では力の及ばないことは、凄い大人たちが進めてしまった。

 親に流され、トリオに流され、その他の仲間にも流されてこんなところにまで来てしまった僕の初めての決意は、幸いなことに受け入れられて終わった。

 とはいえ、自分では進められなかった。僕にはこれからやらないといけないことがあるのに。

 やるせなさに、僕はひとつ、息を吐いた。
Twitter