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6.(12)
 まず、ベッドサイドに手を伸ばして、少し冷めたと思われるお茶を飲んでみる。
 温かいね。バテた身体に沁み渡る。

「さて、今は率直な意見を言っても問題ない。君は儂を何者だと思う?」

 僕がお茶を一口飲んだ後、アルバートさんはこう聞いてきた。僕は答える。

「意地悪な質問ですね。二人に対してそこまで親密さを持っていなさそうだから、タマとベンではない。そうすると、ニルレンとトリオとは敵対していたと思うんです」

 そして、彼はアリアの行動を把握しているにも関わらず、僕のように倒れず、ある程度動けるほどの力を持つ存在。
 アリアがわざわざ連れてこようとする存在。
 僕みたいなその辺の村人なんて吹き飛ばしてしまいそうな威圧感をもつ存在。
 そして、そこまでの力を持つのに、トリオの話しぶりからは、ニルレンがトリオに魔法をかけたときには特に干渉していない存在。

 そうなると、ニルレンの英雄譚のもう一方の重要な存在なんじゃないかと思う。

「……魔王マグス、とか」

 だめだ。そうとしか思えないのに、我ながらあまりにもおとぎ話すぎる回答だ。お茶を飲んだばかりなのに口は乾くし、暖かい部屋なのに唇も出した声も震えている。

 最近トリオの話を聞いているから麻痺しているけど、そもそも、僕にとってはトリオもニルレンもマグスも途方もなく遠い世界の現実感なんて全く無い場所に位置する存在なんだ。

 そんな存在と会うことがある日が来るなんて、思ったことさえなかった。
 いや、まだ分からないけどさ。
 アルバートさんはふっと笑う。

「聡いな」
「……よかった。正解か」

 口の中でもごもごと出し辛い言葉を出した後、冷えきった手を握った。冷たいはずの指の間から汗が出てくる。
 背の高いアルバートさんは椅子に座ったが、低いベッドで起き上がった状態の僕よりも頭一つ以上目線が上だ。身体を傾けて、この年齢の平均身長くらいの僕にゆっくりと説明してくれる。

「正しくは元だ。儂は一度滅び、しかしこの時代に新しい命として生まれた。過去の記憶を手に入れたのも中年になってからだ。今はこの小さな集落で、神殿の管理と、備える魔法の札を作っているしがない神官アルバートだよ」

 神官なのか。
 ローブだから魔法使いかと思ったけど、神官もローブを着るのか。ウヅキ村の教会の神官とは違うようだ。それとも私服なのだろうか。

 ちらりと思いながら、僕はアルバートさんに聞いてみる。

「元魔王が、かつて魔王を滅ぼすきっかけとなった神殿を管理しているというのも凄いですね」
「逆だな。神殿を管理している身であった時に、自身はかつて魔王だったと思い出したのだ」
「なるほど。ちなみに……世界を再び支配しようとする気はないんですか?」

 聞いて良いことかは分からないけど、念のため確認した。
 アルバートさんは軽く首を振る。

「できなくはないが、意味がない」

 僕は息を飲み込んだ。
 やっぱり出来るんだ。怖っ。

 トリオの制限されているとは思えないほどの魔法の力に勝っている訳だし、何より、一般人の僕が怯えるような途方もない威圧感は感じるし、そんな気はしていたけどさ!
 回答から、恐怖を感じてすっと背を伸ばした僕を、アルバートさんはじっと見た。

「世界は支配するものではない。儂にとっては、支配よりも大切な物がある」
「……はあ」

 元魔王の大切な物が想像つかない僕が曖昧に言葉を返すと、アルバートさんは言葉を続けた。

「それに、別にアリア様に従属しているわけではない。ただ、儂がずっと疑問に思い、囚われていたものと、アリア様が壊したいものが同じなだけだ」
「それが、僕をこの舞台から追い出そうとしたものなんですよね?」

 確認している内に口の中がまたカラカラに乾いてきた。声がかすれてきたから、お茶を飲む。飲み始めは適切な温度だったそれは、一気飲みができそうな程度にぬるくなった。

 今度はアルバートさんは何も言わない。僕が続きを言うのを待っている。僕は話を続けた。

「記憶と魔力をなくした勇者と、そのパートナーの魔法剣士が再び巡り会って、魔王と再び対峙する物語の中に、ごく普通の村の進学準備中の少年なんて出る訳がない。ましてや、ここが物語だと指摘するなんて。だから僕はこの舞台から追い出されそうになった」

 だから――
 僕はもう一度アルバートさんをしっかりと見た。

「だから、僕は行きます。こんな舞台壊してやる。僕はトリオとマチルダさんとアリアと一緒に行きます。だから、手助けしてくれませんか? 僕はやり方を知らないから」

 僕はかつて世界を滅ぼそうとした存在に頼んだ。言っている内にここまでの旅路が頭に浮かんでくる。

 トリオの魔力が一部戻っているため、魔物との戦いでも僕は補助ばかり。

 最近はトリオに剣を教えて貰っているとはいえ、身を守るのが精一杯で、大した役にも立っていない今日この頃だ。
 普段から流されまくっている何も持っていない凡人の僕は、何となく流されてここまで来てしまった。

 でも、流されてそのまま追い出されて消されるなんてカンベンだ。

 とはいえ、無力な僕はこの人に手伝ってもらわないと、どうしようもできないだろう。

 アルバートさんは一言「ふむ」と言ってから言葉を続ける。

「この世界が決められた物語の中だというのは正解だ」

 僕は唇を噛んで、次の言葉を待った。

「今回はこういう物語だ。かつての記憶を取り戻した魔王が世界を滅ぼそうとし、それに出くわした勇者は仲間を集め、対抗しようとする」
「……まだ、始まってないんですよね」

 その問いに、アルバートさんはゆっくりと頷いた。

「ああ。そして、その話の中で君は当事者ではない。脇役としても、その他大勢の通行人としてすらもすれ違わない、ただ世界を構成するためだけの存在だ」

 勇者は首都ワシスの近くに位置するウヅキ村を通り過ぎた。
 ウヅキ村は日帰りで全く支障なく往復で歩ける距離に位置するという立地ということから、首都向けの産業が中心で、冒険者は寄り付くことは少ないからだ。

 こんな一文があった時、ウヅキ村に具体的にどんな人が住んでいるかということは書かれない。ただ、確かに人は住んでいる。
 僕はそういう存在ということだ。 

「……その中でも、特に影が薄い存在感がない僕だからここまでこれた」
「そういうことだ。アリア様が言う通り、君は確かに賢いな」
「アルバートさんにもそれ言ったんですね……。アリアが言う時、物凄く複雑な気分なんですけど」

 思わずため息をつくと、アルバートさんは柔らかく微笑んだ。

「あの方はそういう物言いなだけで、他意はないさ」

 僕は、祭の衣装を見せびらかすアリアとアルバートさんを思い出した。二人の容姿はまるで似ていないけれど、彼はまるで、大切な孫娘のようにアリアを見つめていたし、彼女は甘えていた。
 そのままの表情で、アルバートさんは僕に問いかけた。

「さて、これからユウ君はどうしたいかな?」
「どうって……」
「君は物語とは全く関わるはずがなかった存在だから、ここから村に戻って長期休みを満喫することは可能だぞ。今のあの二人なら、帰っていく君を気にさせないようにすることは可能だし、安全に送り届けるようにはしよう」

 それは物凄く優しい言葉だと思う。多分、アルバートさんは僕を心配してくれている。彼が僕にやらせたいことをやらせなくていいと思う程度には。

 その言葉を受けて、僕は首を横に振った。

「それはとても魅力的なことですけど、お断りします。休み中にやりたかったことは、次の休みまで取っておきます。どうせ大したことする気はなかったですし」

 この二ヶ月弱の休みの間に計画していたのは、この数年間で集めたアイドルグッズの整理くらいだ。幼馴染み兼アイドル仲間のトビィは僕とは反対でこれから忙しくなるから遊ぶ予定も入れていなかったし。
 内申点としてはちょっと背伸びしていた受験から解放され、モラトリアム期間を自由にだらだらするつもりなだけだったから、問題ない。

 入学前の課題と、直後の試験はまあ……どうにかするとして。

 僕は続けた。

「そんなことよりも、僕はこんなに頑張ってるのに、勝手に不要だと消されるなんて腹が立つんです。毎回頭が痛くなるし、どうにかしてやりたいですね」
「なるほど、反骨心か」
「ただの村人でもそれくらいありますよ。……あと」

 僕は今までの人生で一番可愛いと思った子を頭に浮かべた。さらさらな長い金髪。大きな青い瞳。白磁のような肌に、ふっくらしたピンク色の頬。鈴を転がすような可憐な声。
 まるで人形のように整えられた現実感のない美貌。

 多分それは『彼女』のものではない。

 多分それは最初ちらっとだけ名前を聞いたフミの町の富豪の一人娘セアラのものだ。

 僕に気付いてくれる、最近話していてとても楽しい、仲の良い、少なくとも僕にとってはとんでもなく魅力的な女の子は、あの美少女ではない。

 最初はセアラになりすましているだけかと思っていた。
 でもそうじゃない。セアラの姿をした誰かだ。

 彼女が妙に不慣れな動きをするのは、一緒に旅立ってからすぐに気付いた。

 例えば、髪を結ぶこと。最近はマチルダさんが耐えかねてアリアの髪を整え始めたけど、彼女は纏める必要がある時、髪型なんか全く分からない僕でも分かる位にもたもたとしながら纏めていた。

 あまり器用そうではないし、育ちも悪く無さそうだから誰かに任せていたのかもしれない。最初はそう思ったけど、それにしては妙に旅に慣れすぎている。あんなに髪が長くなるまでの間、旅をしているのなら、もっと扱いに慣れているはずだ。

 髪でいうと、彼女はよく長さを無視した動きをしていた。引っかかったりしているのを指摘したことは何度もある。

 背の高さや手足の長さに戸惑っているところは見たことないのに、髪の長さについて、随分支障があるようなのは気になっていた。

 あと、アリアは妙に体力があった。
 気力という面では不機嫌だったり疲れている時は多々あったけど、村人としては平均的な体力の僕よりも華奢な体型の彼女は、マチルダさん以上にバテていなかった。

 それらはまるで人形のようで、そこに彼女自身は入っているのではないかのようだった。

 どういう仕組みで彼女が今の姿なのかは僕なんかには分からない。
 でも、多分彼女は長い髪を扱ったことがない、セアラと同じくらいの体型の旅慣れた存在だ。
 そうであるならば。

 僕はアルバートさんに言った。

「単純に、アリアの本当の姿というのをみてみたいです」

 生まれて初めて仲良く話せた女の子は、決して僕の手の届く存在じゃないのだろうけど。

 アルバートさんは頷いた。

「……それは確かに重要な動機と足り得るな」

 僕は頷き返した後、ベッドサイドに手を伸ばし、再びお茶を飲んだ。
 お茶はすっかり冷めていた。
6章終わりです。
7章はちょっと舞台が変わります。
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