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7.(1)
7章は鳥視点です
 出会ってから、早六年。

 故あって、住んでいた世界を失った少女がいた。彼女は魔王マグスが故郷の かたきと知り、戦うことを決意した。そして、神より力を賜い、勇者となり、宿敵を倒した。
 そんな救世主の伝説をずっと傍で見守ってきた。
 最初は庇護対象、そもそもは自身の言葉への贖罪のために面倒を見ることが目的だったはずなのに、七年目にさしかかる今はすっかり関係性が変わってしまった。

 変わってしまった関係性の代わりというべきか、眼の前にある壁の模様は変わらなくなった。この数年、日毎に変わる風景の朝を迎えてばかりだったが、この三週間は代わり映えしない生活を楽しんではいる。

「おはよー」
「はい、おはよう」

 朝食を作るトリオの横で、長い黒髪を下ろしたままのニルレンが、喜色を顔全体に溢れさせてこんなことを伝えてきた。

「あのね。わたし、アイラに明日会いにいこうと思うのよ。タマとベン連れて」
「アイラ連絡取れたんか!」

 思ってもいなかった名前にトリオは思わず発言の主に振り向いた。ニルレンは変わらず笑みを浮かべている。

「うん、さっき連絡きた。通信道具の試作品、アイラに渡しといて良かった!」
「あいつ何やっとったんじゃ?」
「えー、普通に忙しかったらしいけど?」
「……相変わらずか」

 人を食ったような態度の彼女を思い出す。

 マグスを倒す旅の大切な仲間の一人がアイラだ。彼女に最後に会ったのは言葉通りに勝利直後だ。帰還しようとしたときには既にその姿を消していた。残りの二匹の仲間も人間ではないこともあり、英雄の仲間はトリオのみと言うことになっている。
 表に出れば場に相応しい振る舞いをすることができるニルレンとは異なり、その手のことがどうも不得手な身としては、非常に不本意な所ではある。
 そんな恨みは多少はあるが、彼女が息災であることが分かったことに比べると些末な問題ではある。

「久々に会えるのか。楽しみじゃな」

 軽く言った言葉にニルレンは大きく両手を振った。

「ダメダメ! わたし、アイラと女同士の語らいをするんだから! トリオがいたらダメよ!」
「はぁ」

 料理を続けるトリオの生返事に大袈裟に一つ頷いた後、ニルレンは一歩近づいた。昔から、彼女は人との距離感が若干近い。
 ニルレンはトリオの耳に向かって主張する。

「だって、もうすぐわたしは自由の身ではなくなるのよ。だから、今回は最後の個別行動なの」

 力強く言うその言葉に対し、トリオはため息をつく。

「いや、別に束縛せんし、明日は特に用事がないし、自由にしい……」
「ありがとう! トリオ大好き! 愛してる! 一週間不在にするから、わたしがいないからって寂しがらないでね!」

 トリオの包丁は止まり、ニルレンの方を向いた。

「え? 一週間って」

 想定よりも随分と長い。移動を考えても、せいぜい、一日二日の出来事かと思っていた。

「えー、だめ?」

 頬を膨らませるニルレンにトリオは言葉を訂正する。

「いや、 駄目とか悪い訳じゃのぅて、思うちょったより長いゆうか、そんなに遠くにおるんか?」
「まあ、会ってから他にやりたいこともあるしー」

 そこまでいって、ニルレンは声を突如明るくする。

「え? もしかして、トリオ、案外束縛しちゃいたいタイプ?」
「いや、そうじゃなくて……」
「じゃあ、わたしが束縛する! 心配しなくてもわたしは一筋!」

 包丁を使っている間に無邪気に抱きついてこようとする年下の恋人の攻撃をかわ し、料理を続けた。腕が空振りとなり、唇を突き出したニルレンはそのまま後ろを向いた。食器棚の右端から小皿を二枚、戸棚から果物を取り出す。

「タマの朝食はそっちじゃぞ」
「分かってるわよ。うるさいんだからー」

 指示された通りに二匹の食事の準備をしたニルレンは、台所を抜け、二匹に声をかけていた。トリオが人間用の朝食を持って居間へ入ったら、食卓に行儀良く座って果物を齧るベンと、ニルレンに抵抗するタマがいた。どうも無理矢理持ち上げられたようだが、皿は空になっている。

「ごはんが終わったら、ベンもタマも手伝いよろしくね。アイラに会うまでに仕上げておかないといけないから」

 ニルレンは二匹に話しかける。
 片方は食卓で、片方は持ち上げられながら、二匹は首を縦に振った。この動物たちは言葉を発することはできないが、身振り手振りと魔法で意思疎通ができる。

「また何か研究でもしちょるんか?」

 ニルレンが故郷を失った直後、敵を討つと騒ぐ彼女を止め、ひとまずトリオの目の届くところにいさせようと、無理矢理学校へ入学させた。
 それをあっという間に卒業した彼女は、王立研究所に所属し、旅をしている最中も報告書を書いたり、研究結果を送るなどしていた。

 マグスを倒すいくらか前から、入学時の同級生も入所してきたらしい。そちらに熱心に連絡をしている。最近は個人の魔力に結果が縛られないよう、誰でも同等の効果が出るように、魔法の公式を生地に練り込む共同研究をしていると言っていた。

 出合った当初はトリオにしがみついてばかりいた彼女は、トリオとは違って、交友関係は充実している。とはいえ、食事をテーブルに置いた直後のたった今も手段は異なるがしがみつかれていることは変わらない。
 二人に挟まれたタマはするりと逃げた。

 ニルレンは人付き合いはかなり上手い。その様子について話を聞くと、少し羨ましくはある。故郷を離れてから友達といえる人間が全くいない気がする。積極的にいけない性格と見かけで引け目を感じるせいだろうか。

「まあね。アイラとずっと話していたことがあって、話を詰める必要があるのよ。もう、時間が本当になくて」
「……なら、こんなことしちょる場合じゃないんじゃ?」
「それは別腹よ」

 背中の側からニルレンの声が聞こえる。うなじにかかる息と、絡みついてくる腕の動きでやや腰の辺りは擽ったいし、寄せてくる細身の身体は確かに柔らかい。

 ニルレンとアイラはよく会話をしていた。
 波長が合ったようで始終雑談もしていたが、トリオがいない場で何やら思索していることには気がついてはいた。

 当初懸念は合ったが、ニルレンの表情から、害になるようなものではないと感じ、追求することはしなかった。しかし、アイラが姿を消した後も続いていたことについて、トリオは驚いた。

「一体何やっちょるんじゃ?」

 問いかけると、 ニルレンは腕の位置をずらして、後ろから肩に顎を乗せてきた。

「えー、みんなを失わないで済むようにするおまじないかな?」

 そのまま体重をかけてくるので、体勢を整える。

「何じゃそりゃ」
「これが結構真剣なのよ。だってわたし、幸せになりたいもの」

 ずっと話を混ぜっ返し続けている彼女が何やら企んでいるのは明白だ。

 ただ、ニルレンはこれ以上は何も話さない。

 このような仲になったのは最近だが、付き合い自体は長いトリオはそう感じ、追求するのはやめた。深追いするのは得意ではない。
 必要な時に教えてくれるはずだ。恐らく。きっと。

 代わりに、話を変えるべく問いかける。

「今は幸せじゃないんか?」
「えー、勿論今が一番幸せ。アイラにも会えるし。トリオとこんな関係になれるなんて思ってなかったし、凄い幸せ」

 耳元で「えへへ」と柔らかい声がする。

「離れろと言われても、絶対離れない。わたし、トリオが全部好きだもの。愛してるもの。ずっと絶対一緒にいるもの」

 ニルレンはそのまま背中側から頬に唇を寄せてから、トリオから離れ、席についた。突然軽くなった背中に空気を感じる。

「ニルレン」

 声をかけられたニルレンはトリオを見る。
 きょとんとした顔は、何となく、彼女を故郷から連れ出したときのことを思い出した。

「少なくとも、ワシからは離れんよ」
 
 そう言った後に、席につこうとした。向こう側の椅子はひっくり返って、座るはずだった相手はこちらに愛を叫んでいた。


 ニルレンは、朝食後から夕暮れ時まで姿を見せなかった。昼食の皿は、空になって扉の前に置かれてはいたが。

 やがて区切りがついたのか、タマとベンと連れだって部屋から出てきた。ニルレンは、唇を噛みしめながら、俯いていた。
 タマはおとなしくニルレンに抱っこされていて、ベンはニルレンの左腕に絡みついて脚をぶらぶらと揺らしていた。女性にしては背が高いからか、捕まっていると、ベンの脚は届かないようだ。

 間に合いそうなのかという問いには、黙って頷き、タマとベンを床に下ろしてから、体を寄せてきた。


 夜、寝床に入ろうとしたトリオの横にニルレンが潜り込んできた。すっかり日常となった唇への習慣を終え、共に寝台へ並ぶ。
 天井を見上げる体勢で彼女は伝える。

「わたし、明日からしばらくトリオに会えなくなるけど、寂しがらないでね。ちょっと、どうしてもやらなくてはいけないことがあるの」
「ああ、はい」
「そこはほら、もっと情熱的にさぁ。わたしは寂しいのよ」

 その不満に答えるべく、繋いでいる手を引き寄せると、ニルレンは身体をこちらに寄せてきた。

「うーん、この寂しさを紛らわすために、いっそ早朝にでも役場に……」
「ワシは早いとこちゃんとしたいからそっちの方がええけど、日にち決めたのはそっちじゃろ?」

 ニルレンは握っていた手を離し、腕全体へしがみついて、じたばたした。

「うー、そうだけどー、この方面からの要因追加は現時点では不確実性が過ぎるのよー」

 公では凛乎とした振る舞いをすることが多いニルレンは、内に入ると妙に幼い態度を取る。あまり良い親子関係を築いていなかったからとは考えてはいる。
 そのため、出会ってからは長年保護者のように、妹のように庇護対象として可愛がってきた。彼女が勇者となってからも、旅の相棒から恋人関係となった今も、その扱いをかえることが出来ていないところがある。
 そういう気持ちのまま、彼女をなだめる。

「何が懸念点かは知らんが、やることがあるんじゃろ? 待っとるから、しっかりやればええ」

 軽く背中を叩くと、肩の上の頭はこくりと頷いた。

「うん。どんなになっても、わたし、トリオのこと好きだからね。愛しているからね。それだけは忘れちゃだめだからね」

 そう言って、そのままニルレンは腕の力を強め、自身に引き寄せてきた。
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