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5.(1)
 まだ夜中。宿屋の前まで来て、僕は立ち止まった。トリオは僕の右肩の上にふわりと乗った。

「ねえ、アリア」
「え? 何?」

 横にいる声をかけると、彼女はこちらを向いた。長い髪がこちらにぶつかる。

「アリアがフミヅキ亭入ったら、すぐに家出したってバレちゃうんじゃないの?」

 トリオも首を縦に何回か振った。マチルダさんは「そっか!」と手を叩いた。
 そしてアリアは目をぱちくりとさせた後、溜め息をつき、人指し指を一本びっと立てた。

「何のために、私がこんな恰好してると思うの?」
「ドレスよりもまだ動きやすいからじゃないの?」

 どっちにしろ動きにくそうではあるけど。スカートってひらひらしている。見る分にはいいけど、動く分には面倒くさそうだ。
 アリアは手をおろし、ワンピースのスカートをギュッと握って下を見た。それだけで布は動くから、スカートって中身が見えそうで怖いよね。膝丈よりも長いから、大丈夫なんだろうけどさ。
 僕が勝手に彼女のスカートの中身を心配している間に、彼女は握るのをやめ、首を大きく縦に振り、こちらを向いた。

「ま、それもあるけどさ、テービットの一人娘はふわふわのドレスとアップの髪型って決まっているんだよ」

 そしてまた片側の口角だけを上げる。

「大丈夫だいじょうぶ。テービットの一人娘のこんな恰好も、こんな言動も、君たち以外は見たことないんだからさ。絶対にバレない。テービットの一人娘は、こんなことしない」

 こんな『恰好』をするための準備は、どこでどうしたのかは結構気になるけど、アリアのその確信に近い口調は何だか信じたくなってはしまう。

「でも、ちょっとは準備必要かな」

 そう言って、アリアはしゃがみ、石畳に軽く被さっている土ぼこりを手に取り、軽く服の上にふりかけ、それをぽんぽんと払った。それから、服の裾を再び握り、シワを作る。

「私は見聞を広めるために旅をしようと家から飛び出した、世間知らずのお金持ちの娘。道に迷って、夜中になってやっとフミの町に着いて、あなたたちと知り合った――とりあえず、元設定はこんなものでいいでしょ」
「まあ、その位はね」
「必要じゃろうな」

 僕とトリオは頷いた。だが、マチルダさんはひとり、きょとんとした顔をする。

「え? 元設定って何?」
「ワレは分からんでもええわ。黙っとれい」
「何よー、失礼ね」

 マチルダさんは頬を膨らまる。
 それを見たアリアは苦笑し、言った。

「いざという時は私が責任もって全部何とかする。だからさ、宿屋に入ろ」

 そんな感じで、僕たちはフミヅキ亭に入った。話の流れが分かっていないマチルダさんをトリオが部屋へと連れ戻し、僕はアリアを従業員のお姉さんに紹介した。宿を探している女の子として。
 従業員さんは「可愛い子ですね」とにこにこと笑った。アリアは少し照れ臭そうに笑う。はたしてこれは地なのか演技なのか。

 物凄く可憐で可愛らしくはある。いや、本当にとんでもなく。

「でも、お客さん、テービットさんの家のお嬢さんにそっくり」

 従業員さんは微笑んだ。僕の胸の中では大きなボールが勢いよく飛び跳ねたんだけど、アリアは口元に右手を添えて軽く首を傾げて言った。

「テービットさんの家のお嬢さん……?」
「あ、着いたばかりじゃ知らないですよね。この町で有名なお家なんです。娘さんが、本当に可愛い子でして。本当にあなたにそっくりですよ」
「へぇ、そうなんですか。どんな方なのかな、ちょっと会ってみたいです」
「たまに町を歩いているから、会えるかもしれませんね」

 アリアは嬉しそうに、こくりと頷いた。
 繰り返すが、その仕草は物凄く可憐でめちゃくちゃ可愛い。現実離れした美貌と相まって、本当に訳がわからないくらい魅力的だ。

 それから、従業員さんはいつの間にか用意してあったアリアの荷物を持ち、彼女を部屋へ案内した。アリアの部屋の位置を確認しておいてほしいとトリオに言われていたため、彼女に許可をとって、僕もついていく。

 そして、従業員のお姉さんが部屋から出ていった扉の音を聞いたと同時に、アリアは靴を投げ出してベッドに座り込み、天井に届くのではと思ってしまうくらいに伸びをした。

「はぁー、つっかれたぁ。お嬢様演技ってのも面倒くさいんだよ。これが」

 さようなら。可憐で清純派な清楚系美少女。
 顔は変わらないけど、空気はすっかり変わった。
 気が抜けた表情で脚をぶらぶらさせるアリアに僕は言った。

「なら、別にお嬢様演技じゃなくても」
「甘いね」

 アリアは靴を履かないまま立ち上がって僕に近づき、人指し指を僕の前で立てた。強い勢いのせいか長い金髪は艷やかに揺れる。

「私のこの姿、どう見てもいいトコのお嬢サマだよ。服や口調をまるっきり違うのに変えても、こんな顔してるんだから違和感が出るじゃないか」

 出会ってから違和感しか抱いてない彼女はそんなことを言う。
 僕が抱いているそれも、そういうことでいいのか? 違う気はするけど、そう信じたい。

「だから、ある程度お嬢様って感じを含ませないと、却って不信感持たせちゃうんだよね」

 アリアはため息をつく。

「女は化ける、っていうけど、そういうのってもうちょっと年食ってからじゃないと無理なんじゃないかな。少なくとも、私のこの姿で意識して違うものに化けるってのは難しい」
「そういうものなわけ?」

 聞くと、アリアは真顔で頷いた。

「そういうものさ。特に、フミの町有数の富豪の娘を知っているここの町の人相手に、違和感を抱かせることは簡単すぎるからね」

 淡々と説明する彼女に、僕は聞くことにした。彼女と行動を共にすることにしてから、ずっと気になっていることだ。

「そこまでして、君が僕たちの旅についていくことにした理由は何なわけ?」

 僕はアリアをじっと見た。アリアは僕から離れ、ベッドに座り、僕を見返した。

「魔力の泉への案内、じゃダメ?」
「ダメじゃないけど、胡散臭すぎる。僕には君が何者かも分からないのに」
「あはは。胡散臭いのはしょうがないな」

 楽しくはなさそうな表情で、アリアは乾いた笑い声を上げる。

「でもね、安心してほしい。私を胡散臭いと思うのは、私に対して違和感を抱くのは、今までも、きっとこれからも、君だけだよ」

 アリアの落ち着いた声。でも、僕の心は落ち着かなくなった。今までもならまだしも、きっとこれからも、って。

「どういう意味だよ」

 聞き返した僕に、アリアはまた片側だけ口角を上げて言った。

「イヤでもすぐに分かるとおもうよ。君は賢いから」

 少しだけは微笑んで見えるその表情が、一体何を含んでいるのか。僕には全くわからない。

「馬鹿にしてるのかよ」
「少なくとも、今言っても、君を混乱させるだけだね」

 言い切る彼女の言葉に、僕は黙った。しばらくしてから、彼女は細くて長い息をはいた。

「知りたいことは時期が来ればそのうち分かるはずだからさ、焦らないほうがいいよ。それがいいこととは限らないんだしさ」
「え?」

 今度は僕の言葉に答えを返してくれなかった。アリアはただ、にっこりと笑った。

 僕が十五年間生きてきた中で、一番可愛いと思った女の子の笑みは、やっぱり本当に愛らしかった。どこか違和感があるにしてもだ。
 僕は溜め息をついた。

 さっきとことん流されてやると決意したけれど。

 人生流されてきてここまできた僕は、今回も流れに身を任せるしか方法しか思いつけない。流れに刃向かうことができるほど、僕は凄くない。僕はその辺によくいる凡人だ。
 また、何も言わなくなった僕を、ただアリアは微笑んで見た。
 そして、次の目的地を知らせたいと、僕にトリオ達のところまで案内させた。
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