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作者: 結城貴美
残酷な描写あり R-15
099 反発
 この一年でだいぶ身長が伸び、ニアタを見下ろせるようになった。ビスタークは十四歳となっていた。もう鎧を着て神衛兵かのえへいの仕事をしたり、巡礼に出てもいいのではないかと思ったがまだその年齢じゃ早いとソレムに止められた。不満だった。あまりこの町にいたくなかったからだ。

 ビスタークも頭ではわかっているのだ。別に裏切られたわけではないことを。ニアタにレアフィールへの想いを一生抱えて独身でいろ、などと酷いことを言うつもりもない。
 
 マフティロも別に嫌いではない。変な奴だとは思うが、目的のためにしっかり努力する誠実な男だとも思う。ちゃんとニアタを幸せにしてくれるだろう。水の都シーウァテレスの大神官の息子など良縁に違いない。いわゆる玉の輿ではないか。
 ニアタも最初は迷惑がっていたが段々と受け入れていったらしい。本人が嫌がっていないのなら別に反対する理由もない。
 
 でももやもやとした気持ちが消えないのだ。頭ではわかっていても気持ちがついていかないのだ。二人と一緒にいたくなかった。レアフィールがいた場所に今マフティロがいるのを受け入れられなかった。皆の心からレアフィールが消えていってしまうのではないかという悲しいような悔しいような思いでいっぱいだった。

 神殿奥の聖堂で祈りや供物を捧げても何も反応は無い。供物が消えて反力石リーペイトが出るだけだ。そういうものだとわかってはいてもやるせなかった。

 ある日のこと。ビスタークはふらっと町を出てしまった。つまりは家出だ。反抗期だったのかもしれない。探されないように「旅に出る」と簡単な書き置きだけは残しておいた。金は両親の遺したものがあった。ソレムが管理し取っておいてくれていたものだ。足りなければ日雇いの仕事を探そうと思っていた。
 
 町と町の間には途中に泊まれるように建てられた簡易な小屋があるが、知り合いに会う恐れがあるため野宿を繰り返し眼神の町アークルスを目指した。その道中でも訓練だけは欠かさなかった。

 眼神の町アークルスに着いたのは夕方だったが、まず神衛兵の訓練場に行ってみた。皆、驚きつつも快く迎えてくれた。背が伸びたな、と笑って言ってくれた。今回は訓練に来たわけではなくただの観光だと嘘をついて怪しまれないようにした。
 
 隊長のトーリッドはどこかと見渡すと、ビスタークと同じくらいの年齢の少年と一緒に話をしていた。トーリッドの息子に違いないと思い少しだけ苦しくなった。息子も神衛兵を目指しているのだろう。親子に向かって軽く会釈をした。トーリッドが驚いて駆け寄って来てくれた。他の神衛兵と同じく背が伸びたな、と笑った。

 急に来たのでトーリッドは家族と予定があるということで別れ、若い神衛兵たちと夜遊びすることになった。
 ニアタのことを少しぼかして話すと、信じていた女に裏切られ他の男に取られて失恋したと思われ、女のことは女で癒せとそういう酒場に連れていかれた。フォスターが聞いていた悪評の数々はここでの出来事からであった。
 
 その酒場は人手が足りていなかったので神衛兵たちには知られないように話をつけ、滞在中そこで住み込みで働くことになった。あまり素行の良くない酒場であったので支払いが滞っている者への制裁など荒事の仕事もあった。そういう者は人間の屑のような性格だったのであまり良心は痛まなかった。ただ子どもの頃を思い出すのか、殴った相手の血が手を染めたときは過呼吸を起こした。
 
 そんな時は店の女達が慰めてくれた。容姿は頬の傷のような痣以外は悪くなかったので、酒場の女性達には可愛がられた。女の味はここで覚えた。色々なことがどうでもよくなっていた。自分がどうなろうと構わなかった。どうせ幸せにはなれないとまた目が死んでいった。
 ただ、訓練だけは、レアフィールに言われた訓練だけは続けていた。

 しばらくそこで過ごしていたが、あれこれとやり過ぎてしまったようで酒場は町に目をつけられた。強制捜査のため神衛兵が乗り込んできたときにビスタークは見つかってしまった。驚かれ、身柄を確保された。酒場の大元の出資者の検討はついていたが、証拠が不十分で罪に問われなかった。

 経緯を聞かれビスタークを酒場へ誘った若い神衛兵たちは謹慎および減俸処分となった。悪いのは自分で神衛兵たちは悪くないと庇ったがトーリッドに子どもをそんなところに連れていくなんて解雇処分じゃないだけマシだと取り合ってもらえなかった。

 この地域は成人年齢が特に決まっていない。結婚すれば確実に成人として扱われるが、そうでなければ周囲の大人が認めたかどうかで判断される。ビスタークはまだ大人だと認められていなかった。

 神殿から飛翔神の町リフェイオスに連絡が行ったようで、直々に大神官のソレムが迎えに来た。

「ビスターク、帰るぞ」
「……」

 ソレムは自分だけで借りた馬車に乗ってきた。御者台の隣にビスタークを座らせ、関係者へ頭を下げお詫びと挨拶の後すぐに町へ出発した。ビスタークは「こんなに大神官は小さかったかな」と思った。町を離れていた半年の間にまた背が伸びたのだ。ソレムには白髪も増えていた。自分のせいかもしれないと思った。
 
 しばらくの間は無言だったが、ソレムのほうから話しかけてきた。

「ビスターク、すまんかったのう……」
「? なんで大神官が謝るんだよ。悪いのは俺だろ」
「レアフィールとニアタにお前のことを任せっぱなしで、父親代わりとしてちゃんと向き合わなかったわしが悪いんじゃ」
「……」

 ビスタークにとってソレムは父親ではなく、あくまでも大神官であった。あの頃一番忙しかったのはソレムだったのでそれは仕方がないと考えていた。あの事件のときの血塗れだった自分を必死に止めてくれただけで十分だと思っている。

「お前だってレアフィールがいなくなってつらかったろうに……我慢させてすまなかった」
「……こっちこそ、迷惑かけて悪かった」

 横に並んで顔を合わさずに話すというのは、わりと素直に話ができるものなのかもしれない。

「……レア兄のいた場所があいつに侵食されていくのがな、なんていうかさ」

 うまく言語化できず曖昧に自分の気持ちを表現したのだが、ソレムにはなんとなく伝わったらしい。

「ああ……そういうことじゃったか。悪い奴ではないんじゃがな」

 わかってもらえたことに少し安心し、おどけるように言う。

「あいつに『マフ兄って呼んでもいいんだよ』って言われたのはイラっとしたな」
「わはははは。そんなこと言われたのか」
「言われた。絶対言わねえと思った」

 笑い飛ばすソレムに口を尖らせてマフティロへの文句を口にした。

「儂もな、ニアタは亡くした妻にそっくりな一人娘じゃからな、色々複雑な気持ちなんじゃよ」

 いつも飄々としているソレムの本心を初めて聞いた。

「悪いヤツじゃねえのはわかってるけど……変なヤツだよな」
「初めて来た時は何事かと思ったわい」

 半笑いで、しかししみじみとソレムが言う。

「そういえば、あのとき大神官、めちゃくちゃ面白がってたよな?」
「まあのう。実際面白かったしのう。実の娘に対してじゃなければもっと面白かったんじゃがのう」
「振り回されるニア姉見てるのは楽しかったけどな。……絶対に断るって言ってたんだけどなあ」

 そう言うと一瞬寂しい気持ちがよぎる。ソレムはそれに気付くとこう言った。

「わしらの前でならレアフィールの話をしてもええんじゃよ。きっと笑いながら横で聞いとるよ」
「でも」
「ニアタならもう大丈夫じゃよ。むしろ話したくてしょうがないのかもしれん」
「……そうかな」

 まだ寂しげな顔をしていたビスタークにソレムは告げる。

「ビスターク、前へ進むんじゃ。でないと過去に追い付かれるぞ」
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