▼詳細検索を開く
作者: 結城貴美
残酷な描写あり R-15
089 事件
!警告!
残酷な表現があります。ご注意ください。
 フォスターはベッドへ横になるとすぐ眠りにつき夢を見ていた。父親の記憶を勝手に見るという罪悪感と何か情報を得るためというプレッシャーで眠れないのではと思っていたが、記憶石メンブライトの効力によりすぐ眠くなるようになっていた。そして今、ビスタークの過去の記憶を夢として見ている。


 ビスタークの最初の記憶は両親からの愛に満ちた声かけからだった。無事に生まれてきたことへの感謝と、自分がお父さんだよ、お母さんだよ、という両親の自己紹介だった。フォスターは初めて祖父母の顔を見た。祖父リーザックはフォスターの顔と良く似ており血の繋がりを感じた。髪の色はジーニェルと同じ群青色だった。祖母のフィクティマはビスタークと同じ濃紺色の髪をしていて目の色もビスタークやフォスターと同じ濃紺色だった。

 ただ、両親は生まれたばかりのビスタークを見て少し困惑していた。
 
 ビスタークには生まれた時から右頬に大きな痣があったのだ。どう見ても何か刃物で斬られた痕のような痣だった。だが母親の胎内で守られている中で傷がつくなどあり得ない。生まれた時に傷がついたわけでも無かった。故に痣とされている。そんなことがあるだろうかと思うが、あったものは仕方がない。幸い両親は最初こそ少し驚いたものの、その後は全く気にとめず初めての子を溺愛していた。神殿の聖堂で新しい命の誕生を神へ報告したときもたくさんの反力石リーペイトが出てきたので、この子は神様に祝福されているに違いないと大いに喜んでいた。

 まだ赤ん坊だったビスタークの右頬の痣を気にしていたのは周囲の者達である。
 
 ビスタークが生まれてから流行り病がこの町を襲い、沢山の町民が死ぬことになった。ビスタークの父方母方両方の祖父母や兄弟、ソレムの妻や親族など本当にたくさんの人々が亡くなり、元々少なかった町の人口が更に少なくなった。
 助かってもカイルの祖母のオードラのように失明したり、フォスター達の養父母であるジーニェルやホノーラのように不妊になったり、多くの不幸が起きた。

 人の心は弱い。誰かのせいにしたかったのだろう。生まれたばかりの何の力も無い赤子にその全ての責任を擦り付けるかのような心ない噂が囁かれるようになった。

「あの赤子は呪われた子ではないか」

 その噂を直接聞いたわけではないが、そういう話は巡りめぐって当事者へも届いてしまうものである。それを聞いた両親は怒った。最愛の我が子になんて酷いことを、と。当然の怒りである。面と向かって言う者はいなかったが、おそらく裏では長いこと言われ続けていたのだろう。


 数年経ち流行り病も落ち着いた頃――ビスタークが四歳の時その事件は起こった。


 ビスタークの家はフォスターの家の通りの一つ隣の通り沿いにあった。ジーニェルの店の裏の斜め向かい側で今は空き家になっている家屋にビスタークの家族は住んでいた。

 ある日のこと、その家に夜、人が訪ねてきた。家族団欒の夕食が終わり、母フィクティマが食後に果物を切っていた時だった。
 ノックの音を聞いてビスタークの父リーザックが玄関を開けた。挨拶をしたその直後、リーザックが突然、首から血を吹き出し始めた。玄関前に立っていたのは隣人夫婦のまだ若い息子だった。その男は鉈を構えていた。喉を深く斬られていたリーザックは声も出さずに絶命し、隣人へもたれかかるように倒れ込んだ。リーザックも神衛兵かのえへいであったが何の警戒もしていなかった隣人の突然の凶行になす術が無かったのだろう。隣人は乱暴にリーザックの身体を床に落とすと家の中を見回してビスタークを凝視した。

「お前のせいだ……おまえのせいデ……ミンナシンダ……」

 明らかに異様だった。目付きも異常であった。
 
 まだ幼かったビスタークは大きな叫び声をあげた。母親とはこういう時は本能的に動けるのだろうか。フィクティマは咄嗟に息子を庇って果物を切っていた包丁を持ったまま前に出る。隣人の青年がビスタークへ近づこうとするのを阻もうとして少し揉み合った後、フィクティマの包丁が青年を刺した。と同時に青年の鉈もフィクティマの肩から胸に深く斬り込んでいた。


 そこからの記憶は真っ赤に染まっていた。


 フィクティマもリーザックと同じく血を吹き出しながら倒れた。青年は返り血で真っ赤に汚れ、苦悶の表情を浮かべて腹部に包丁を刺したまま、ゆっくりフィクティマの体を跨ぎビスタークに近寄ってこようとした。しかし一歩踏み出した体勢で一度止まった。フィクティマが死ぬ間際に青年の足を掴んでいたのだ。息子のところへは絶対に行かせまいと力を込めて掴んでいたようだった。青年が何とかその手を離そうともたついている間、ビスタークはあまりの出来事に思考が停止し動けなくなっており逃げることが出来なかった。

 ようやく自由に動けるようになった隣人は蔑むような見下すような、かなりの憎しみに溢れた恐ろしい表情をしてビスタークを見る。そしてゆっくりと鉈を振り下ろし幼児を殺そうとした。この間、とてもゆっくりと時間が流れているように感じた。

 そこでビスタークの心の中の何かが弾けた。

 恐怖、絶望、諦め、怒り、悲しみ、覚悟。色んなごちゃ混ぜになったビスタークの感情が記憶を見ているフォスターに流れ込んできた。

「わああああああああ!!!!」

 ビスタークは絶叫を上げると青年に向かって突進し、フィクティマが刺した腹部の包丁に向かって全力で体当たりした。青年は今まで震えて動けずにいた子どもの突然の行動に反応できず、床へ仰向けに倒された。ビスタークは相手が床に倒れると同時に包丁を握って抜き、再度別の箇所に渾身の力を込めて突き刺した。
 
 何度も、何度も。
 その度に血飛沫が舞う。

 青年が完全に動かなくなっても、ビスタークは手を止めなかった。

 フォスターはあまりの惨状に目を背けたかったが直接頭の中へ流し込まれる記憶に抗えず、最悪の気分のまま見続けることしか出来なかった。見たくない部分は飛ばすこともできるとエクレシアに言われていたのに衝撃のあまりそれを思い出すことが出来なかった。それに、これは父親を理解するために見ておかなければならない気もしていた。

 ――あんなふざけたクソ親父にこんなことがあったなんて――。

 今までこの事件のことは全く聞いたことがなかった。両親が亡くなって神殿で育てられたとしか聞いていなかった。きっと周りが気を遣って耳に入らないよう配慮してくれていたのだろう。誰もが思い出したくない事件だったから口にしたくなかったのだろう。それに育ての両親であるジーニェルとホノーラがこの話題から自分たちを守っていてくれたのだろう。そう思った。
 
 ビスタークが異様な叫び声を上げたからだろうか。それとも家の玄関が開いたままで父リーザックが倒れているのが外から見えたからだろうか。異様な気配に町民達が集まってきた。現場を見ると皆、あまりの惨状に息を呑み動けなくなっていた。三人分の血の海の中で奇声を上げ死体を刺し続けている幼子を誰も止めることが出来なかった。返り血を浴びて全身血塗れの頬に大きな痣のある子どものその様子はあまりに異様で「呪われた子」と言われるのも当然だとその現場を見た皆が思った。

「な……なんで、なんで、誰も止めないんじゃ!!」

 後から駆けつけた大神官のソレムに後ろから抱擁されるまでビスタークはずっと恐慌状態だった。

「もう大丈夫じゃ! 大丈夫じゃから!!」

 抱きしめられて緊張の糸が切れたようにビスタークはソレムの膝の上に崩れ落ちた。過呼吸を起こし身体全部が痙攣していた。しばらく治まらなかったが、ソレムに抱えられ背中をさすられているうちに段々落ちついてきた。時間が経って静かになると、今度は放心状態となっていった。
Twitter