▼詳細検索を開く
作者: 結城貴美
残酷な描写あり R-15
002 妹
 話は少しさかのぼる。

 フォスターは神殿に配達へ行くことになっていた。町外れの酒造場に行き、供物用の酒樽を神殿に運ぶのだ。酒造場で働く者はそれなりの年齢の者が多く、世界の果ての絶壁にくっつくように造られ長い階段を上らなければならない神殿まで酒樽を運ぶのは体力的にも、腰にも厳しい。フォスターが店用の酒を融通してもらう代わりに運搬を引き受けている。

「ついでに畑にも行くの? じゃあ、また甘いもの作ってくれる?」
「まあ、そろそろ収穫だと思うけど、今日かどうかは微妙なところだな」

 妹のリューナが期待に満ちた声で聞いてきた。
 この町では崖に沿うように畑が横長に広がっている。その一角を借りてラギューシュという甘い実をつける作物を実験的に育てているのだ。フォスターは酒場の子のくせに下戸で甘党、趣味は料理である。以前養父ちちに連れられて別の町へ行ったときに食べた菓子の味が忘れられず、試行錯誤をしている最中だ。
 甘い実をつける植物を探し育て、そこからシロップを作ることはできた。そこから色々な菓子を作ることが今の課題である。リューナも甘い物が好きなため主に試食の方向で全面的に協力している。
 
 この辺りの土地は痩せていてあまり作物を育てるのには向いていないが、土の大神の石である養土石グーライトと、雨神の石である降雨石ライネイトのおかげで農業もできている。この世界には太陽が無く常に真上から光が届くため、崖の側だからといって長い時間日陰になることもない。

「行ってらっしゃーい」
 
 リューナは甘味への期待をこめてフォスターを見送った。とは言っても、リューナは目が全く見えないため手を振って声をかけただけではあるが。

 彼女は全盲だ。大きな水色の瞳には何も映らない。しかし何故か目の動きだけは普通なため、言われなければわからない。
 家の中の物の配置、町の建物の間隔などは経験や歩数で全て覚えている。また養父母や兄のサポートが過保護気味に手厚いため、それほど不自由はしていない。
 
 ただ、憧れる。
「見る」ということがどんなことなのか。
 触らなくても、聞こえなくても、嗅がなくても「わかる」ということがどんなことなのか。
 それはとてもすごい能力ではないのか。
 家族には言えない。気を遣わせてしまうから、表には出さないようにしている。
 
 フォスターが出掛けた後、いつものように掃除を始める。店内を掃除し終わると、外窓の拭き掃除にとりかかる。ペンダントになっている反力石リーペイトを握ると、二階の窓まで空中に浮かんでいく。ここでは日常の光景だ。

 反力石リーペイトとは、この町の飛翔神の石である。触れて理力を流すことで宙に浮くことができる。理力とは思念の力のことである。
 
 神の石はそれぞれの神の町にある神殿奥の聖堂で祈りによって神から授かるものである。光の大神の光源石リグタイトなら明かりに使えるし、水の大神の水源石シーヴァイトなら飲み水が出てくる。生活に欠かせないものから御守り程度のもの、使用者が限られ一般には出回らないものまで多種多様だ。

 触れていないと落ちてしまうのが難点だが、片手で握りもう片方の手で窓を拭いていく。目は見えていないものの、毎日の習慣なので位置の把握はできている。
 反力石リーペイトは上下には動けるが助走などの勢いが無いと左右には動けないため、窓枠を掴んで離し少し勢いをつけて隣の窓へと移動する。横移動は少々クセがあるのだが子どもの頃から使っていて慣れているので問題ない。
 そうして全ての窓を拭き終わったところで、育ての母ホノーラから中の手伝いをするようにと声をかけられる。

 光の加減で水色にも青っぽくも見えるふわふわとした癖のある長い髪を揺らしながら地面に降り立つと、転んだりぶつけたりしないよう玄関前の少しの階段に気をつけて上りながら扉を閉める。
 
 その時は気付かなかった。見慣れぬ鎧を着た来訪者が後ろから近づいてきていたことに。


 店の中では育ての両親が今日の営業のために仕込みをしていた。養父のジーニェルは本当の父親ビスタークの従兄である。両親は子どもを授からなかったこともあり、フォスターとリューナを引き取って育てた。他の一般的な家庭より親子の歳は離れているが、血の繋がりは無くともれっきとした家族である。
 
 ジーニェルは白髪交じりの群青色の髪を後ろへ撫でつけた髪型で口髭を生やしている。フォスターより身長が高く身体は大きいのだがあまり気は強くない。妻ホノーラと喧嘩をするといつも負かされる。娘のリューナを溺愛しており、男が近づこうものなら威圧感を与えて追い払っている。
 
 養母のホノーラは身長が低く白髪交じりの草色の短い髪をしている。酒場の女将をしているからというわけではないのだが気が強い。フォスターとリューナを養子に迎えたのも、ホノーラがうじうじしていたジーニェルを叱り飛ばして奮起させたからだ。血の繋がりが無い子ども達だからといって何の遠慮も無く普通に接している。


 窓拭き仕事を終えたリューナがホノーラから次の仕事の指示を受けていると、何の前触れも無く、閉めたはずの店の扉が開いた。開けたのは見慣れない鎧を着た二十歳前後と思われる知らない若い男だった。どう考えてもこの町の者ではない。

「悪いが店は夕方からで……」

 と育ての父親のジーニェルが男へ近づき言いかけると、男は無言でつかつかとリューナへ歩み寄り、首後ろの襟元を掴んで自分のほうへと引き寄せた。

「!?」

 リューナは何が起きたのか咄嗟にはわからなかった。

「娘に何をする!」

 とジーニェルは慌てて飛び出し、男の腕を掴むと開いたままの扉から外へと投げ出した。リューナから引き剥がしたつもりだったのだが、男の掴む力が異常に強かったため、リューナまで一緒に外へ出てしまった。
 
 慌てて追いかけリューナの腕を掴み助けようとしたが、男はどこかから取り出した剣をジーニェルへ振り下ろした。

「……ッ!!」

 鮮血が飛び散る。ジーニェルは右肩を斬られてしまっていた。

「きゃあああ!!」

 ホノーラが悲鳴をあげた。リューナは襟元を強く引っ張られたため息を詰まらせ恐怖に身がすくんでいた。見えなくても声や音で養父のジーニェルが男に怪我をさせられた様子なのはわかった。自分も殺されるかもしれないと思い血の気が引いていく。

 近所の人々がその声で何事かと集まってきた。ちょうど外出先から自宅へ戻ろうとしていた斜向かいの家に住むカイルの父親クワインが状況を見てすぐ神殿に事件を伝えようと走っていった。他の者は何事かと遠巻きに様子をうかがっている。

 その中の頭髪の無い年長の男がこう言った。
 
「さっき、あの男に聞かれたんだ。『十五、六年前に外から来た赤子はいなかったか』って。ちょっと変な感じはしたんだが、リューナちゃんが確かそうだったよなあと思って、酒場の女の子がそうだったなって言ってしまったんだ。俺のせいだ。まさか、こんなことになるなんて。もっと警戒していれば……」

 自分の迂闊な言動に後悔し青ざめていた。

 ジーニェルは斬られた右肩を左手で押さえるが、血は止まらず服が赤く染まっていく。
 
「何が目的なんだ! リューナを離せ!!」
「お金? お金を払えばリューナを返してくれるの? だったら払うからリューナを返して!!」
 
 育ての両親が相手の男に叫んでいるが、向こうは全く無反応だ。顔が隠れないタイプの兜を被っているがその顔に表情は無く、感情が全く感じられない。若く整った顔立ちで兜から少し出ている髪と瞳の色は血のように紅い。まるで人形が動いているようでとても不気味に思える。

 リューナはその男の左腕に首を絞められるような形で押さえ込まれている。剣はジーニェルへ向けたままだ。
 
「お父さん!! お母さん!!」

 怯えているリューナが必死に叫ぶと、男は左腕に力を入れたようでリューナが苦しそうに呻く。

 クワインは全速力で神殿まで走ったようで、知らせを受けたフォスターが駆け付けたのはこの時だった。
Twitter