残酷な描写あり
R-15
011 不穏
次の日の朝。フォスターは珍しくリューナに起こされた。完全に明るくなる空の刻より少し前であった。
「フォスター、朝だよ。起きて~」
「ん……」
いつもならリューナのほうが寝起きは悪く、フォスターが起こす側である。今日ばかりは居ても立ってもいられなかったのだろう。部屋のドアを開けて声をかけてきた。
「リューナが俺より早く起きるなんて珍しいな」
のっそりと起き上がりながら呟いた。
「まあ今日は特別だからな……」
カーテンを開け、今日は良い日になりそうだと思う。……残念ながら、そうはならなかったのだが。
リューナはさっさと身支度を整えて店の厨房へ行き、機嫌よく朝食の支度をしていた。そこに店の扉をノックする音が響いた。
「はーい」
朝から誰だろうと思いながら扉を開けると弱々しい聞き覚えのある声が聞こえた。
「……おはよう、リューナ」
「あれ? ニアタさん? 朝からどうしたんですか?」
声の主は神官のニアタだった。
「ごめんね、朝から。ちょっとフォスターに用事があってね……」
そこへ住居側のドアから店の中にフォスターが入ってきた。
「あれ、ニアタさん? おはようございます。何かあったんですか? そんな疲れた顔して」
ニアタはそう言われたとたん、ポケットから取り出した物を握りしめ機嫌悪そうに前に突き出して言った。
「これ、返すわ」
突き出された物はビスタークの宿る濃紺色をした長い帯だった。
「げっ……」
フォスターは嫌そうに声をあげる。
「ビスターク、私の身体使ってうちのお父さんと夜遅くまで飲んでたらしいのよ。私あんまりお酒強くないのに!」
「あー……。自分の身体を勝手に使われるの、嫌ですよね……」
心の底から身体を勝手に使われた仲間となったニアタに同情した。昨日の自分と同じ状態だ。
「はぁ……やっぱり俺のところに戻ってくるのか……」
『すごく嫌そうだな』
「嫌に決まってんだろ」
やっと離れられたと思ったのに一日も経たずに戻ってくるとは。また振り回されるのかと思い気が重くなった。
「あ、それでお医者さまが来てるって聞いたんだけど」
帯を渡しつつニアタが聞いてきた。町の誰かから神殿にも話がいったのだろう。
「ああ、ザイスさんですか。ここじゃないですよ。町外れの空き家を借りたって言ってましたよ。あの畑のところの」
「あー、あそこね。……二日酔いに効く薬か何かあったら譲って貰えないかと思って」
「はは……」
フォスターの方が酷い酔いだったが程度は違えど気持ちはわかる。
「ついでにあの人も診てもらうようお願いするつもり」
「そうですね」
あの人とはヴァーリオのことだ。欠けた記憶を取り戻せないか相談するようなことを言ってニアタは立ち去った。
『この町に医者が住むようになったのか?』
ビスタークが聞いてきた。
「違うよ、旅してる医者なんだってさ。昨日父さんの傷を診てもらったんだ」
『ほう』
「昨日も町の人たちがたくさん診察してもらってさ、そのおかげて店も混んでて忙しかったんだ」
『ふーん』
「今日もリューナの目を診察してもらう予定なんだよ」
そう言ったとたん、ビスタークの声が一段落低くなった。
『は? ダメだろ、それは』
「なんでだよ」
『もし破壊神の力を封じた不具合だとしたら、面倒なことになるかもしれんぞ』
「いや、診察だけなんだし大丈夫だろ」
『それに他の町から来た奴だろ? 信用できるのか?』
「町の人みんな診察してくれて親切だったし、この前のあのヴァーリオって人と違って無表情じゃなかったし、普通の人だったよ」
『どうだかな』
「それにあんなに嬉しそうにしてるのに、行くななんて俺には言えないよ……」
フォスターは話の内容に気を取られて周囲を気にせずビスタークと会話をしてしまった。
「フォスター、一人で何しゃべってるの?」
ニアタとフォスターが話をしている間、リューナは店のカウンターに座って朝食をとっていた。しかしもう既に食べ終わってこちらを気にしていたことも、後ろまで来ていたことにも気が付かなかった。リューナは怪訝な顔をしている。
「あ、もしかして、前に言ってたお父さんの幽霊と話してるの?」
「あ、ああ」
そうだった、リューナには伝えてあった、とフォスターは少しホッとした。
「私も話してみたいな。どうしたら話せるの?」
『ちょうどいい。俺から諦めるよう言ってやる』
「ええ? えっと……」
フォスターは大きく息を吐いて気は進まないながらも帯を握ったままの手を出してリューナに触れさせた。
「……これに触れば話せるよ」
リューナは帯を握って話しかけてみた。
「あの……お父さん、ですか?」
『よう。大きくなったな』
「わあ、ほんとにお父さんなの? 声が聞こえる! なんか変な感じだね」
リューナは楽しそうに帯を握ってビスタークと話している。
「私、お父さんに聞いてみたいことがあって……」
『俺からもお前に言っておきたいことがある』
フォスターはハラハラしながら聞いていた。
『外の町から来た奴についていくのは止めておけ。売り飛ばされるぞ』
「えっ? なんのこと?」
『いい具合に育ったから俺の借金の回収にお前を連れ去りに来たのかもしれねえ』
「ザイスさんのこと? お医者さんだよ?」
その設定のままでいくのか……とフォスターは思った。
『お前の目は生まれつきのものだ。今更どうにもならねえ。騙されてるんだよ。行くな、諦めろ』
「そんな……フォスター……」
リューナはフォスターに助けを求めた。
「あ、いや、この前あんなことがあっただろ? 何かあったらと思って心配してるんだ」
「…………」
つい先程まで楽しそうにしていたリューナがみるみるうちに暗い顔となっていく。
「……私だってダメだったときのことは考えてるし、覚悟はできてるつもりだよ」
「リューナ。ただ、外から来た人には気を付けないとって話で」
リューナは目がどうにもならないと言われたことがショックで、フォスターの言葉は届いていないようだった。
「私は……見るってことがどんなことなのかも知らないわ。私だけが知らないの。見えるってどんな感覚なのかどうしても知りたい。みんなはどうして触らなくても音がしなくてもわかるの? 私もできればそうなりたい」
リューナの大きな瞳から涙が溢れてきた。
「だから、ちょっとでも可能性があるなら、それにすがりたいの。ただ、希望を持っていたいだけなの」
大粒の涙がこぼれ落ち、握っていたビスタークの帯も手から離れていく。
「ただ診てもらうだけ……それも、ダメなの?」
そう言いながら、何て言ったらいいかわからずにいるフォスターの横を通り過ぎ、扉を開けて外へ出ていく。玄関前のちょっとした階段を降りると、目が見えないとは思えないほどの速さで走って行ってしまった。
「リューナ!!」
フォスターが追いかけて声を上げたが彼女の耳には全く届かなかった。
『まずいな、あいつ医者のところに行っちまったのか』
ビスタークが忌々しげにそう言ったのを聞いて、フォスターは怒り心頭に発した。
「お前があんなこと言うからだろ! リューナの気持ちも考えろよ!」
先ほど家側から店に入ってきたジーニェルとホノーラが扉を開けっ放しにして店の前で怒鳴っている息子を見て呆気にとられていた。
『またあいつが連れ去られるかもしれないのにか?』
「……まさか。とてもそんな風には見えなかった」
『フン。本当に悪い奴はな、善人のふりをして近づいてくるもんなんだよ』
「…………」
ザイステルの顔が思い浮かぶ。昨日は町の人たちを親切に診察していた。リューナを攫うようなことをするとは思えなかった。
『まあ俺はそいつを知らねえし、見てみないとなんとも言えねえけどよ……』
フォスターは何をどうすれば一番リューナのためになるのかわからないでいた。
「フォスター、朝だよ。起きて~」
「ん……」
いつもならリューナのほうが寝起きは悪く、フォスターが起こす側である。今日ばかりは居ても立ってもいられなかったのだろう。部屋のドアを開けて声をかけてきた。
「リューナが俺より早く起きるなんて珍しいな」
のっそりと起き上がりながら呟いた。
「まあ今日は特別だからな……」
カーテンを開け、今日は良い日になりそうだと思う。……残念ながら、そうはならなかったのだが。
リューナはさっさと身支度を整えて店の厨房へ行き、機嫌よく朝食の支度をしていた。そこに店の扉をノックする音が響いた。
「はーい」
朝から誰だろうと思いながら扉を開けると弱々しい聞き覚えのある声が聞こえた。
「……おはよう、リューナ」
「あれ? ニアタさん? 朝からどうしたんですか?」
声の主は神官のニアタだった。
「ごめんね、朝から。ちょっとフォスターに用事があってね……」
そこへ住居側のドアから店の中にフォスターが入ってきた。
「あれ、ニアタさん? おはようございます。何かあったんですか? そんな疲れた顔して」
ニアタはそう言われたとたん、ポケットから取り出した物を握りしめ機嫌悪そうに前に突き出して言った。
「これ、返すわ」
突き出された物はビスタークの宿る濃紺色をした長い帯だった。
「げっ……」
フォスターは嫌そうに声をあげる。
「ビスターク、私の身体使ってうちのお父さんと夜遅くまで飲んでたらしいのよ。私あんまりお酒強くないのに!」
「あー……。自分の身体を勝手に使われるの、嫌ですよね……」
心の底から身体を勝手に使われた仲間となったニアタに同情した。昨日の自分と同じ状態だ。
「はぁ……やっぱり俺のところに戻ってくるのか……」
『すごく嫌そうだな』
「嫌に決まってんだろ」
やっと離れられたと思ったのに一日も経たずに戻ってくるとは。また振り回されるのかと思い気が重くなった。
「あ、それでお医者さまが来てるって聞いたんだけど」
帯を渡しつつニアタが聞いてきた。町の誰かから神殿にも話がいったのだろう。
「ああ、ザイスさんですか。ここじゃないですよ。町外れの空き家を借りたって言ってましたよ。あの畑のところの」
「あー、あそこね。……二日酔いに効く薬か何かあったら譲って貰えないかと思って」
「はは……」
フォスターの方が酷い酔いだったが程度は違えど気持ちはわかる。
「ついでにあの人も診てもらうようお願いするつもり」
「そうですね」
あの人とはヴァーリオのことだ。欠けた記憶を取り戻せないか相談するようなことを言ってニアタは立ち去った。
『この町に医者が住むようになったのか?』
ビスタークが聞いてきた。
「違うよ、旅してる医者なんだってさ。昨日父さんの傷を診てもらったんだ」
『ほう』
「昨日も町の人たちがたくさん診察してもらってさ、そのおかげて店も混んでて忙しかったんだ」
『ふーん』
「今日もリューナの目を診察してもらう予定なんだよ」
そう言ったとたん、ビスタークの声が一段落低くなった。
『は? ダメだろ、それは』
「なんでだよ」
『もし破壊神の力を封じた不具合だとしたら、面倒なことになるかもしれんぞ』
「いや、診察だけなんだし大丈夫だろ」
『それに他の町から来た奴だろ? 信用できるのか?』
「町の人みんな診察してくれて親切だったし、この前のあのヴァーリオって人と違って無表情じゃなかったし、普通の人だったよ」
『どうだかな』
「それにあんなに嬉しそうにしてるのに、行くななんて俺には言えないよ……」
フォスターは話の内容に気を取られて周囲を気にせずビスタークと会話をしてしまった。
「フォスター、一人で何しゃべってるの?」
ニアタとフォスターが話をしている間、リューナは店のカウンターに座って朝食をとっていた。しかしもう既に食べ終わってこちらを気にしていたことも、後ろまで来ていたことにも気が付かなかった。リューナは怪訝な顔をしている。
「あ、もしかして、前に言ってたお父さんの幽霊と話してるの?」
「あ、ああ」
そうだった、リューナには伝えてあった、とフォスターは少しホッとした。
「私も話してみたいな。どうしたら話せるの?」
『ちょうどいい。俺から諦めるよう言ってやる』
「ええ? えっと……」
フォスターは大きく息を吐いて気は進まないながらも帯を握ったままの手を出してリューナに触れさせた。
「……これに触れば話せるよ」
リューナは帯を握って話しかけてみた。
「あの……お父さん、ですか?」
『よう。大きくなったな』
「わあ、ほんとにお父さんなの? 声が聞こえる! なんか変な感じだね」
リューナは楽しそうに帯を握ってビスタークと話している。
「私、お父さんに聞いてみたいことがあって……」
『俺からもお前に言っておきたいことがある』
フォスターはハラハラしながら聞いていた。
『外の町から来た奴についていくのは止めておけ。売り飛ばされるぞ』
「えっ? なんのこと?」
『いい具合に育ったから俺の借金の回収にお前を連れ去りに来たのかもしれねえ』
「ザイスさんのこと? お医者さんだよ?」
その設定のままでいくのか……とフォスターは思った。
『お前の目は生まれつきのものだ。今更どうにもならねえ。騙されてるんだよ。行くな、諦めろ』
「そんな……フォスター……」
リューナはフォスターに助けを求めた。
「あ、いや、この前あんなことがあっただろ? 何かあったらと思って心配してるんだ」
「…………」
つい先程まで楽しそうにしていたリューナがみるみるうちに暗い顔となっていく。
「……私だってダメだったときのことは考えてるし、覚悟はできてるつもりだよ」
「リューナ。ただ、外から来た人には気を付けないとって話で」
リューナは目がどうにもならないと言われたことがショックで、フォスターの言葉は届いていないようだった。
「私は……見るってことがどんなことなのかも知らないわ。私だけが知らないの。見えるってどんな感覚なのかどうしても知りたい。みんなはどうして触らなくても音がしなくてもわかるの? 私もできればそうなりたい」
リューナの大きな瞳から涙が溢れてきた。
「だから、ちょっとでも可能性があるなら、それにすがりたいの。ただ、希望を持っていたいだけなの」
大粒の涙がこぼれ落ち、握っていたビスタークの帯も手から離れていく。
「ただ診てもらうだけ……それも、ダメなの?」
そう言いながら、何て言ったらいいかわからずにいるフォスターの横を通り過ぎ、扉を開けて外へ出ていく。玄関前のちょっとした階段を降りると、目が見えないとは思えないほどの速さで走って行ってしまった。
「リューナ!!」
フォスターが追いかけて声を上げたが彼女の耳には全く届かなかった。
『まずいな、あいつ医者のところに行っちまったのか』
ビスタークが忌々しげにそう言ったのを聞いて、フォスターは怒り心頭に発した。
「お前があんなこと言うからだろ! リューナの気持ちも考えろよ!」
先ほど家側から店に入ってきたジーニェルとホノーラが扉を開けっ放しにして店の前で怒鳴っている息子を見て呆気にとられていた。
『またあいつが連れ去られるかもしれないのにか?』
「……まさか。とてもそんな風には見えなかった」
『フン。本当に悪い奴はな、善人のふりをして近づいてくるもんなんだよ』
「…………」
ザイステルの顔が思い浮かぶ。昨日は町の人たちを親切に診察していた。リューナを攫うようなことをするとは思えなかった。
『まあ俺はそいつを知らねえし、見てみないとなんとも言えねえけどよ……』
フォスターは何をどうすれば一番リューナのためになるのかわからないでいた。