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作者: 一片 綴
残酷な描写あり
一節 『笑って、泣いて、それでいいんだっけ』
「Growth is often a painful process.」——Elbert Hubbard
 初夏は嫌いな季節だ。白いシュミーズドレスを頭から被る。わたしの風が、今日もこの孤児院を吹き抜けた。

 赤毛のつんつん頭が目立つアークに手を引かれてから、二年の歳月が過ぎた。十二歳になったわたしは今、このサルヴェール孤児院で彼らと共に暮らしている。
 サルヴェール孤児院は、サルヴェール公爵領の首都——可憐さと華やかさを併せ持つ町——花の町モルの外れにある、唯一の孤児院だ。そのモルがあるサルヴェール公爵領はトリスト王国の最東端に位置していて、すぐ東にはベルカーナ帝国がある——けれど、わたしはこの町を出たことがないし、無学だったからそれ以上は知らない。わたしにとって、この町だけが世界のすべてだ。

「ようモコ、終わったか?」
「ううん。もう少し」
「そうか。じゃあ、俺は水汲みに行ってくる!」
「えっ、まだ? そういえば昨晩、意地を張って仕事を増やしたんだっけ? もうすぐ、鐘が鳴っちゃうよ?」
「ハッ、まあ任せとけって!」

 にかっと笑って、食堂の入口に掌を残して去っていく。
 もうすぐ、九時の鐘が鳴る頃合いだ。六時から三時間おきに鳴るラーリア信徒教団の大時計は、鳴る度に一回ずつその数を増やすことによって時を報せる。もう少しすれば、ごうん、ごうんと、二度だけ鐘が鳴るはずだ。それまでに、サルヴェール孤児院で暮らす子供達は生活を手伝い、それぞれの仕事を済ませる決まりだった。

 わたしも、それまでにこの食堂の埃を木桶にまとめて外に捨てなければならない。風を、風を想わなければ——数瞬ばかり目を閉じて、また目を開いたら、そっと手を払う。払った手の動きに合わせて、緩やかな風が吹く——想像通りだ。魔法は、想像したことを形にしてくれる。
 その昔、一人の魔法学者が取り決めた八属性——炎・水・氷・風・雷・土・光・闇のうち、これとこれだけは、といった具合が魔法使いにとってはほとんどらしい。けれど、わたしはそのすべてを発現できてしまう。わたしのような平民が、いったいどれだけ居るのだろう。

「やあ、モコ。今日も掃除? ご苦労さま」

 風の魔法で埃を集め終わる折、食堂の入口からピエールの声が優しく木霊した。そのそばにはポワールも立っている。
 銀色の髪と少し豪奢なコートを羽織る彼らは、ここサルヴェール孤児院の名を冠する家——サルヴェール公爵家に生まれた双子だった。いずれこのサルヴェール公爵領を統治する運命にあるピエールも、その弟として魔法学者の道を目指しているポワールも、今はときにこの孤児院を訪って、わたし達の様子を確かめている。

「いえ。ピエールさん方こそ、ご苦労さまです。今日も孤児院を見にいらしたのですか?」
「ああ。掃除はもう終わるのかい?」
「そうですね……もう少しで終わるところです」
「そっか。だったら後で、アークの様子を見に来てくれないかな? あいつ、息急く様子で水の張った木桶を運んでいたんだ。どうせまた意地でも張ったんだろう?」

 その言葉を受けて、ピエールとポワールは孤児院の外からやってきたとわかる。わたしはふふと笑って、

「そうです。ああ、でも、まだお皿洗いのお仕事が残っているので、それが終わってからでよろしければ!」

 と、簡単に笑顔を作った。口許を緩めて、彼を見上げる——向日葵だ。わたしはいつだって、まるで向日葵のように暖かな場所を探して、そこで花を咲かせている。しかし、わたしの笑顔はいつだって贋物だった。わたしはまるで日陰に咲いてしまった向日葵のようで、どうにか笑顔を工面しながら過ごしている。それは、あの人の怒号が、亡き母の記憶がわたしを今でも呪うからだ。気を抜けば、すぐに目を伏せて心ごと沈んでしまう。元気のないわたしを見せたところで誰も喜ばないし、それどころか迷惑をかけてしまうから、無理をして笑っている。

「ピエールさん方は?」
「アークを手伝ってくるよ。あの様子じゃあ間に合わないだろうから」
「兄さん、なにも手伝うことはないんじゃないか? あれはアークの意地っ張りが悪いんだ」

 彼の少し後ろから、ポワールが言った。ポワールはいつだって寝ぼけ眼のような目で、しかし眼前のことを確と捉えて物を言う、現実主義者だった。

「まぁ、そう言わずにさ! おれがやるから、ポワールは休んでたっていいし」
 そんなポワールとは裏腹に、ピエールは心根が優しい。それに、身体の虚弱なポワールを気遣い、身体の強い彼が働こうという。
「ふむ。まぁ、兄さんがそう言うなら。じゃあモコ、僕達は行ってくる」

 ポワールは礼儀正しく小さな一礼をして、ピエールは微笑を浮かべて掌を見せながら、食堂を去った。

「はい。わたしもすぐに向かいます!」

 優しそうに笑って、送り出す。手許に目を落とすが、後はこの一角に溜まった埃と一箇所にまとめておいた埃を、風で木桶に入れてしまうだけだった。

 さっさと済ませると、埃を溜めた木桶を両手で抱きかかえながら食堂を後にする。そのとき、ふと爽やかな香りと共に水音が聞こえた。

「あれ、ベルさん?」
「モコちゃん、おはよっ!」

 両手を使っていて顔だけで振り向く彼女は、この孤児院で暮らす子供達の中でもお姉さんで、それも本当にお姉さんのように面倒見が良かった。彼女もアークのように赤毛で、パラディール商家の生まれだ。彼女がここで暮らしているのは、貴族ぐるみの陰謀に巻き込まれた両親が商隊ごと暗殺されたからだと聞き及んでいる。

「あの、お皿洗いって……?」
「いいの、いいの! ちょっと早く終わったからね。お皿洗いとか、あたし得意だしっ!」
「わあ、ありがとうございます……!」
「モコちゃん、ちょっとお寝坊さんだったでしょう? だから、手伝った方がいいかなって」
「そうですね……」

 わたしはいつも、上手に眠れない。暗くなって、ただ眠れる時を待つだけの時間になると、両親に愛されていた頃と、愛されなくなった頃の温度差が心の裏側を掻き乱して、閉じた瞼の裏に怒れるあの人の姿が、宙ぶらりんになった母の姿が浮かぶ。少しうとうとしてきたと思えば、ふとあの人の怒号が頭の中に響もしてはっとする。だから、上手に眠れない。

「まっ、寝る子は育つよ! それより、捨てに行かなくていいの? もうすぐ時間だよ?」

 幾許か黙してしまったわたしを気遣いながら、木桶に張った水で食器をせわしく洗う。

「ああ、そうでした。すみません、助かります。行ってきます!」

 はーいと黄色い声にそびらを撫でられながら、孤児院の出入口を目指した。その途中、わたし達の寝室でさっきぶりの寝ぼけ眼を見つける。

「やあ、モコ」

 それは、わたしのベッドだった。出入口に程近い寝室の一角にあるこのベッドに横になっていた彼は、身体を休めながら本を読んでいたらしく、その手には丁寧な装丁の本が開かれている。わたしを見つけては身体を起こし、ベッドから脚を下ろして腰掛けた。

「やあ、じゃないですよ。なにも、わたしのベッドなんて使わなくても……」
「いや、モコが来るのを待っていたんだ。ほら、この本」

 窓辺の木机に木桶を置いて彼のすぐ隣にそっと腰掛けると、本を覗き込んだ。

「ええと……ああ、魔法についての本ですね!」

 孤児院に来てから、二年——わたしは読み書きと計算を覚えた。ピエールに本が読みたいと話をしてみれば、「それはいい心がけだね!」と言って読み書きを教えてくれた。食材の買い出しでベルに付き添えば、ベルがぎこちない教え方で計算を教えてくれた。おかげでわたしも簡単な計算や文章なら理解できる。

「八属性……魔物化……ううん、だいたいは他の本でも書いてあるような内容ですよね?」

 わたしとポワールは、これまでに何度もこうして——ポワールが持ち込んでくれた——魔法について記された本を読んでは、二人で魔法を解き明かそうとしてきた。魔法についてなんて、魔法学者や魔法使いの狩人くらいしか知らないし、民間人ではなかなか知る機会に恵まれないことだから、本でもないとわからない。そうして読んできてわかったのは、万物は魔力の許容量が決まっていて、それを超過すると魔物化——心を得て動き出すということだった。
 それは人間も同じで、人によって魔力の許容量は大きく異なるけれど、いずれにせよ超過すれば人間だって魔物化するらしい。そう簡単に起こることじゃないようだけれど、わたしやポワールのような魔法使いにとっては少し怖い話だった。

「うむ、多くはすでに読んできた内容と一致するな。しかし、他でも記されていた内容には信憑性がある。何も得られていないように思えて、その実ぼくらは情報への信用を得ているんだ。そして……ここだ」

 ポワールがページを捲り、その中の一行を指で示した。

「うん? 魔法とは……ええと、これは?」
「心意……魔法とは、心意に依るものだ。そう言っているんだよ、この本はね」

 心意——それは心だ。わたし達が時に悩み、時に突き動かされ、そして時に幸福を得ている、心。それこそが、魔法を発現している。

「こんなこと、他の本には書いてありませんでしたね。これって、誰が書いたのかな……?」
「無名の魔法学者だな。他所とは連携せず、単独で研究している変わり者らしい」
「そうなんですね。それだと、ううん……本当なんでしょうか?」
「わからない。だが、こうして本にしているんだ。一般に向けてね。少しは信じてみてもいいのかも知れない」

 けれど、もし本当に心意が魔法を発現するなら、どうして八属性に分類されているのだろう。思えば、ポワールは魔法で水こそ操れないものの、すでにある水を凍らせることだけはわたし以上に得意だ。それがもし、心意——心の形によるものだとするなら、確かにポワールはどこか冷たい人かも知れないから、氷の属性に強いのも頷ける。しかし、もしそうなら、八属性すべてを発現できてしまうわたしはいったい何者なのだろう。

「そうですね。やっと見つけた、新たな手掛かりですから」
「ああ。だがまあ、狩人にでもならない限り、わざわざ魔法についてを知っておく必要はないがな……」
「でも——わたしもですが——ポワさんにとっては特に知る必要があると思いますよ。いつまでも、その魔法に抱いた疑念をかかえたままではいられそうにありません」
「ああ、そうだな。いつか、この魔法とやらをすべて解き明かしてやりたいと思っている。それが人のためになるかもしれないからな」

 そう言って本を閉じると、いつもより少し力強く立ち上がった。わたしは彼を見上げて、

「……ポワさんって、そんなに優しい人でしたっけ?」

 と首を傾げていた。彼はしかし振り返ることなく、言った。

「ふっ、いや? 単に、興味があるだけさ。序でだよ、そんなのは」

 開いた手の甲を見せてわたしに挨拶をくれながら、孤児院を出ていった。どうせならわたしといっしょに行けばいいのに、と思いながら木桶を取ってその後を追うと、アークの姿は見えてもピエールの姿は見えなかった。それどころか、ポワールの姿も見つからない。ピエールの許に向かったのだろうか。

「あれ、ピエールさん達は?」

 さっさと木陰で木桶をひっくり返して、埃を放りながら物問う。

「いや、どっか行っちまった。手伝うとか言いやがったけど、断った!」
「えっ、断ったの? 大変でしょう、そんなに……?」

 アークが意地を張って引き受けた仕事は、孤児院の外に並ぶ大樽を井戸水で一杯にすることだった。すでに二つが満杯で、さらに三つ目が片付くところだ。幸いにも井戸はすぐ近くにあるけれど、数十回は往復しなければならない。

「大丈夫だよ、もう終わっからさ! それに、こいつはおれが言い出したことだ。お人好しが過ぎんだよ、あいつは」

 そう言って、また木桶を抱えて井戸まで汲みにいく。そのとき——時鐘が二回、ごうんごうんと響めいた。暫時その音だけが町を包むと、鐘の音が収まる頃、

「もう九時かよ、早えーな。ここで生活してっと、仕事してるときは時間が早く過ぎるのに、なんにもないときは遅く感じちまって仕方ねえや」

 と、アークが戻ってくる。そうして大樽に水を移すと、ちょうど三つ目も一杯になった。

「うしっ、終わりだな。しっかし……こんな生活も、いつまで続けられたもんだか」
「それって、どういう?」

 物問うと、彼はどうしたもんかと頭を掻いた。アークは頭を悩ませているとき、赤毛を揺らしてがしがしと頭を掻く癖があった。

「まあ、なんてっかさ。いつまでも、こうしていられるわけじゃねえってことだよ。いつか、おれらの力だけで生きていかなきゃいけなくなるときは必ず来る。そんときゃそんときだけどさ、それがいつかもわかんねーし、やれることやっときたいっていうか。ほら、身体を鍛えたりとかさ」

 彼が、わたしから僅かに目を逸らした。しかし言い終える頃には改めてわたしを見て、しっかりとした覇気を以て続けた。

「——狩人。あれしか、おれには道がないような気がしてるんだよ」

 わたしはしかし、彼の瞳の奥で燃え滾る確かな炎を見た。それは決意の炎だった。それでいて、その目はどこか優しい眼差しでわたしを捉えていた。

「……死んじゃうかも、知れないんだよ?」

 わたしは、アークの前だけでは、自然体でいられた。できない笑顔を工面することはないし、哀しいことがあればただ落ち込んでしまえる。だからこそ、彼はわたしのそばに必要だった。

「それでもだ。学のないおれみたいなヤツは、そうするしかない。ピエールから計算とかを教わって商人になるってのも考えたけど、おれはそういうタチじゃあなかったらしい!」
「そうなんだ。そっか……」

 狩人——わたしから父を奪ったもの。その上でアークまで奪われてしまったら、わたしは今度こそ立ち直れない。それでも、彼は狩人になる。なってしまう。先に見た炎は、物言わずして雄弁だった。

「なに、大丈夫だよ! おれはヘマなんかしねーし、そもそもそれしか道がないなら、受けて立つしかねーんだ。生命のやり取りだろうが、やらなきゃどのみち生きていけねーんだからさ。それにまだ、しばらく時間はあるだろ? それまでに強くなっときゃいいだけの話だよ」

 それに——と、アークはまた目を逸らして、どこか遠くを見ながら、言った。

「おれが狩人になる理由は、もう一つあるんだ」
「……もう一つ?」

 すぐに開口しようとしない様子を受けて、わたしは次の言葉を促した。するとまたわたしを見て、また逸らして——何度か繰り返してから、照れくさそうに言った。

「おまえを……まあ、なんだ。その、守れるんじゃないか、ってさ……それだけだよ」

 腕を組んで、また遠くを見ていた。その横顔は強かで、だからわたしは彼に暗がりから救ってくれそうな光の気配を見ていたのだった。

「えへへ、そっか。うれしい」

 そうしてただ彼を見つめていると、ふとわたしを見て、少し驚いたような顔を見せた。

「……どうしたの?」
「なんでもねえよ。ほら、そろそろおれ達の母が来る頃合いだ。戻ろうぜ!」

 今日のアークはなんだか可愛くて、わたしは珍しく機嫌が良かった。いつもより早足のアークに追いつくため、少し駈けてその背を追いかける。

「あら、アーク。ちょうど終えたみたいね」

 そのとき、わたし達の養母アンジェリクがやってきた。サルヴェール孤児院の母であり、ピエールとポワールの母であるその女性は、ピエール達よりもずっと豪奢な服飾でその権威を示していた。

「ああ、母さん。今日は早いんだな?」

 アンジェリクは懐中時計を持っているから、いつもであれば時鐘の鳴らない十時ぴったりに訪う。ピエールとポワールだって懐中時計を持っているし、貴族なら持っていて当たり前なのかも知れない。

「ええ。昨晩アークが意地を張っていたものだから、お腹を空かせていると思って。食事にしましょう、いらっしゃい」

 アンジェリクの後に続いて、孤児院に戻る。ここで生活している幾人かの子供達が、少し早いアンジェリクの到着——即ち食事の時間が早まったことを喜んでいた。

「おっ、また花の絵を描いたのか? これ、モコが描いたやつだよな?」

 アークが机から持ち上げたのは他でもない、わたしが描いた花の絵だった。それを観察するようにしてまじまじと見つめている。そうまでされると、少し恥ずかしい。

「あ、うん……川沿いの柵にぶら下がってたの。お花なんて、もう見飽きてるかも知れないけど……」
「確かに、花なんてモルで暮らしてりゃあ慣れっこだ。でもさ、この絵はモコが見た花の絵だろ? おれに見える花じゃなくて、モコにしか見れない花の見え方なんだ。モコには、こう見えてるってことで……ああ、口が下手だよな、おれってさ」

 そう言って、また頭を掻いた。その言葉は確かに口下手で、しかし何よりも上手だった。
 わたしはそれを聞いて、なんだか胸が熱くなって——どうしても嬉しくて、思わず口許が緩んだ。その瞬間だけ、わたしはしっかりとおひさまを向いて咲く向日葵のように、わたしのために笑っていた。
 しかし、そんなことは許されない。わたしは心から笑っていいような人じゃない。とっさに口許を手で隠し、身体を背けて縮こまる。

「ちょっと何してんのよ、アーク……モコちゃん嫌がってるでしょー?」
「いや、おれは——」
「言い訳は無用だ。早めに白状した方がいいぞ」
「アークに限って、そんなことはしないと思うけどね……」

 ベルが炊事場から出てきた、と思えばピエールとポワールが孤児院に這入ってきた。いつもの五人が揃った——わたしは、この場所で彼らの為だけの笑顔を咲かせていられたなら、それだけで十二分に幸せだった。たとえ、それが心からの笑顔ではなかったとしても——わたしは彼らが笑って過ごせるように、幸せに、平和でいられるように。ただ、そう願って日々を生きていた。

「こそこそと連日何をやっているのかと思って後を尾けてきてみれば、こんなことに金を使っていたのか、アンジェリク」

 そのとき、どこか暴慢な声が孤児院を木霊した。ちょうど今このサルヴェール孤児院に這入ってきた男の声だった。ひと目で貴族とわかる格好、それも特に豪奢な服飾が多く、相当に名の知れた男だとわかる。背高で、見上げないとその顔を認めることすらできない。わたしも辺りの子と同じくしてその声がした方向を反射的に見遣れば、随分と厳しい顔つきが見つかった。

 しかし、その声を聞いたピエールとポワールが肩が跳ね上げて、魂消る感懐を隠せずに目を見合わせた。アンジェリクも彼の声を耳にすると怯えた様子を露わにしている——その姿を見て、わたしはただ、懐かしいと思った。彼らは二年前のわたしだ。そしてあの男は、父だ。彼ら二人の父でありながら、わたしにいつまでも消えない呪いを残した、あの人のようだった。

「セザール。私は二人を——」
「わからないのか。孤児院など、無駄金だと言っている。こんなもの、早々に撤去させる」

 もう少しまともなことに金を使え——そう言い残して、その男は去った。沈黙——ただそれだけが、この一室を支配していた。
 少しして、でさ、と一人の男の子がおしゃべりの続きをし始めた。それを皮切りにして、いつも通りの喧騒に支配された。どこか大人びてしまったわたし達を除いた他の子達は、状況をうまく飲み込めていないようだ。
 しかし、わたし達はみんなただ立ち尽くすばかりだった。モルに孤児院はここしかない。いつか、おれらの力だけで生きていかなきゃいけなくなるときは必ず来る——アークの言葉が脳裏を過る。母の死とあの人に捨てられた瞬間のように、問題はいつも突然やってくる。わたしはただ、みんなのそばで平和にいられたら、それでいいだけなのに。
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