第6話:妹救出②
廃墟の街は、巨大な死体だった。
空は鉛色の雲に覆われ、陽光は届かない。
風は埃と血と腐った肉の匂いを運び、どこかでカラスが鳴いている。
崩れたアスファルトの隙間から雑草が生え、ビルの窓はすべて割れ、
かつて「人の住む街」だった痕跡は、ただの墓標のように残っているだけだ。
三階の部屋。
割れた窓から吹き込む風が、カーテンの残骸をはためかせる。
埃と硝煙の匂いが混じり、床には古い血痕が黒くこびりついている。五人は息を殺して、窓の外を見下ろしていた。
道の真ん中で、少女が這っていた。
メーテルリンク・ヴェスパー。
銀の髪は血と泥で汚れ、制服は裂け、右腕は肩から千切れて、
地面に長い血の帯を引きずりながら、それでも前へ、前へと進もうとしている。
瞳だけが、まだ燃えていた。
憎しみと、絶望と、それでも消えない意志で。その背後を、ゆったり、まるで散歩でもするように歩いてくる影があった。
白髪の長いポニーテールが風に揺れ、
異色瞳(左灰・右青)が、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のように輝いている。
黒の学生服の肩に浮かぶ「呪」の文字は、脈打つように蠢き、
病的に白い肌は、月光を浴びて蛍光灯のように光っていた。
ロイヤルダークソサエティ所属のナイトオブラウンズ、トリスタン。
生まれて半年。
人類の負の感情の結晶。
弱者属性(堕落)の極みでありながら、
無邪気すぎる、純粋すぎる、邪悪すぎる笑顔を浮かべている。
「ねぇねぇ、メーテルリンクちゃ~ん♪」
声は、甘くて、軽くて、キャンディを舐め回すみたいに楽しげだ。
「お前が逃がした子たち、ぜ~んぶ捕まえちゃった♪
生きたまま、指から一本ずつ、ぽきぽきぽきって折って、
『痛いよぉ』『助けてぇ』『もうやめてぇ』って泣き叫んでたよ~!
すっごく可愛かったんだからぁ!
最後は目玉くり抜いて、舌引っ張り出して、 『お姉ちゃんどこ?』って言わせてあげたんだ~!」
メーテルリンクの肩が、びくりと跳ねる。
それでも、ゆっくりと体を起こし、血まみれの顔を上げた。
唇は裂け、歯は欠け、片目は腫れ上がっている。
それでも、彼女は笑った。
怯えた、媚びるような、壊れた笑みを。
「わ、分かりました……あなたに従います……
だから、お願いです……殺さないでください……」
震える手が懐に滑り込む。
トリスタンは目を丸くして、ぱちぱちぱちぱちと嬉しそうに拍手した。
「わぁ~~~!! 命乞い!? マジで!?
超~可愛い!! ゾクゾクする~~!!
ねぇねぇ、もっと泣いて? もっと震えて?
土下座して? 舌出して?
俺、こういうのめっちゃめっちゃ好きなんだよね~~!!」
その瞬間――メーテルリンクの体が、壊れた人形の糸が切れたように跳ね上がった。
懐から抜いたナイフが、
トリスタンの腹に、根元まで突き刺さる。
「死ね!!
誰がお前のペットなんかになるもんですか!!」
ナイフを捻り、引き裂き、抉る。
黒い血が噴き出す。トリスタンの笑顔が、ほんの一瞬だけ、ぴくりと歪んだ。そして、すぐに、もっと大きく、もっと嬉しそうに、狂おしく笑い出した。
「いたぁぁぁぁぁい!!
うわ、マジで刺した! マジで刺したよ!?
あはははははははははは!!
最高!! 最高すぎる!!
痛いのに気持ちいい~~!!
ねぇ、もっと刺して? もっと抉って?
俺の内臓、引っ張り出してみてよ~♪」
左手が、ぱっと火を噴いた。メーテルリンクの体が、文字通り、粉々に弾け飛ぶ。胸が縦に裂け、肋骨が外に捲れ、
腕が千切れ、脚がねじ曲がり、
内臓が宙を舞い、血しぶきが花火のように広がる。少女の体は、まるで人形を八つ裂きにしたように、地面に散らばった。
「わぁ~~~!! 赤い花火~~!!
キラキラしてる~~!!
ねぇ、まだ生きてる? まだ喋れる?
最後に何か言いたいことある~?
『痛い』? 『怖い』? 『助けて』?
どれでもいいよ~! 全部聞かせて~!!」
地面に落ちたメーテルリンクは、
半分欠けた顔で、血の泡を吐きながら、
かすかに、かすかに、呟いた。
「……お兄様……」
その瞬間。白と金の雷光が、雷鳴とともに炸裂した。トリスタンの体が、十メートル以上吹き飛ばされ、
アスファルトを削りながら転がる。
「魔力変形・雷槍穿ち」
白い雷の槍が無数に降り注ぎ、
ロイヤルダークソサエティの兵士たちを、一瞬で灰に変えた。埃と硝煙の中から、白と金の騎士が現れる。
ラスティ・ヴェスパー。
妹の散らばった肉片の前に立ち、
静かに、ゆっくりと、膝をついた。
「……遅くなって、すまなかった」
血まみれの銀髪を、震える手で撫でる。
まだ温かい。
まだ、わずかに脈打っている。メーテルリンクは、欠けた唇を動かした。
「お兄……様……来て、くれた……?」
涙と血で歪んだ顔に、
それでも、確かに笑みが浮かぶ。
「来て、くれたんだ……嬉しい……」
トリスタンは地面に寝転がったまま、
腹の傷を指で弄りながら、
くすくす、けらけら、狂ったように笑い続ける。
「わぁ~~~!! お兄ちゃんキター!!
やっと本気で遊べる~~!!
ねぇねぇ、さっきの子、めっちゃ可愛かったよね!?
最後まで抵抗して、ナイフ刺して、
でも結局ぐちゃぐちゃにされちゃって~!
最高のオモチャだったよ~~!!
ねぇ、お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ?
妹ちゃんの残りのパーツで、
人形作ってあげようか~?」
白と金の聖剣が、静かに抜かれた。剣先に、雷が絡みつく。
「……油断はしない、確実に潰す」
トリスタンは跳ね起きると、
両手を広げて、満面の笑みで叫んだ。
「やったぁぁぁぁ!!
本気だ本気だ!!
ゾクゾクする~~~!!
ねぇ、触ってもいい!?
魂に直接触っちゃうよ~?
お兄ちゃんの絶望、全部見たい!!
泣き顔も、怒り顔も、壊れる瞬間も、
全部全部、俺のオモチャにしてあげる~~~!!」
無邪気な、
あまりにも無邪気な、
純粋すぎて、底なしの抜けた、
邪悪の化身。
それが、トリスタンだった。廃墟の街に、
雷鳴と笑い声が、重なり合う。
妹の血が、まだ温かかった。
その温もりを胸に、
ラスティは一歩、踏み出した。
光は、決して折れない。
たとえ闇がどれだけ深く、どれだけ無邪気に笑おうとも。戦いが、始まる。
そして、それは、
魂を賭けた戦いになることをラスティは予感していた。