▼詳細検索を開く
作者: 水無月 龍那
残酷な描写あり
3.これで彼女は好きなところに行けるはず。
「そうだな。まずは魂の話からしよう」
 テオはそう言って、まだむすっとしたままだったノイスちゃんの背中を押して話を促す。
「ぅえ? 私が話すの……!?」
「だって、この分野だと君の方が先輩だし」
 彼女はしばらく考え込んだ後「そうね」と頷いた。

 彼女達――実体を持たない幽霊という存在にとって、身体とは、人間社会で生活するための器なのだという。
「カップと紅茶のような関係。言ってしまえばそれ以上でも以下でもないわ」
 カップにヒビが入ったら別のカップへ中身を移せばいいように。器が朽ちても魂さえ残っていればなんとかなる。中身が零れたまま放置したりすると、いずれ蒸発して無くなる。そういうことらしい。
「ティーカップにコーヒー注ぐなんて冒涜が許されないように、もちろん相性はあるんだけど。まあ、そこはどうでも良いわ。許されないけどできない訳じゃない」
 許されないけど、と彼女はもう一度念を押すように言う。
「容れ物と中身の話はこんな所ね。それで。テオが言う匂いは……そうね。感じたことあるかしら。家に入った瞬間に感じる、その家特有の香り。魂も同じで、人によって違うわ」
 テオはそこに関して特に鼻が効くみたいなの。とノイスちゃんは言う。
「でも、テオの場合、嗅覚より感覚で察知してる所があるかもしれないわね。そうじゃなかったら、こんな離れた島国に居る貴方なんか見つけられないわよ」
「うん……凄いね。テオの嗅覚」
 海も大陸も超えて見つけるとかどれだけだよ、と言うと、テオはあははと照れたように笑った。
「これでも随分かかったんだよ。日本に着いてからも、結構あちこち回ったし」
「そうなんだ。うん、理屈は大体分かったけど。……僕の匂いってそんな分かりやすいの?」
「そうだね、特徴的なのもあるけど、正直言うと直感だよ」
「直感」
「うん。普通の匂いは意識しないと分からないけど、ウィルの匂いだけはたまに……そうだな、方位磁針みたいに方向を指し示すんだ。もしかしたら、俺の中に君の血が混ざってるのかもしれない」

 あそこに居たのは、俺と君と、あの女性だけだったし、とテオは言う。
 なるほど。彼女の血は僕が飲んでしまったし、たとえ、覚えてる匂いが彼女であっても、とっくに僕の一部だ。もしかしたら残り香みたいなものがあるのかもしれない。
 百年も残ってるかは疑問だけど。

「だから、この匂いはウィルだって確信と、どこかに居るって感覚だけはある」
「……ふむ」
 なんだろう。話だけ聞くと、テオの状況は僕と似たもののような気がした。
 僕の血がテオの中にあって、なにかしらの存在を主張する。
 ……悪さしてないと良いんだけど。

「と、話が逸れた。それで、色んな人の匂いを感じてきたけど、ウィルのはかなり特徴的でさ。鉄と霧みたいな匂いがするんだ。あと、時々匂いが変わる。別のが混ざったり、鉄っぽさが濃くなったり」
「鉄っぽさ……。血を飲んだ時とか、かな」
「かもね。そんな訳で、匂いを頼りに日本まできたんだけど。途中で匂いが変わったんだ」
「うん? 変わるのはよくあるんじゃないの?」
「そうなんだけど。春頃だったかな。いつもの比じゃない位、混ざった匂いが濃くなったんだ。うまく表現できないんだけど……土っぽいというか。土に染み付いた血、みたいな。呪いのような酷い臭い」

 その例えに、僕はしきちゃんと顔を見合わせる。
 彼女も同じ考えらしく、硬い表情でこくりと頷いた。
 時期的にもきっと間違いない。
 僕が彼女と出会い、血を吸った頃だ。
 
「その顔は心当たりあるんだね」
「さっき話しただろ。彼女の血と、その呪いのこと」
「ああ」
 そう言えばそうだった、とテオは頷く。
「それで。その匂いがね。今のウィルからはあまりしないんだ」
「え」
「それは……」
 僕としきちゃんの声が重なる。
「うん。多分、物理的に外に排出されたのかな。今は――」
 と、台所に置いてたペットボトルを指差して「あれの方が、強い」と言った。
「今は血が少ないから薄まってるだけって可能性もある。もう少し時間が経って、本調子になればもっと分かると思う」
「なるほど……僕の事は分かった。で」
「うん」
「こっちが本題だよ」
 と、しきちゃんを差す。
「彼女にその匂いはある?」
「ん……。ちょっと失礼」
 そう言って、テオはしきちゃんの手を取る。脈を確かめるように手首に触れ、頷いた。
「涼しげな匂いがするね。可憐な花みたいだ」
「ありがとう、ございます」
「そうだな。多少は分かるけど、残り香って言っていいレベルかな」
「そっか」
 僕と違ってしきちゃんに出血はほとんどない。なのに匂いが薄いと言う事は、やっぱり僕の方に本体があったらしい。
 夢にまで出てきてあんなに喋ってくれる程だ。そりゃそうか。
 改めて実感したあいつの存在に溜息が出そうだけど。それ以上に安堵の気持ちが大きかった。
「だってさ。良かったね」
 そう言ってしきちゃんに笑いかけた。

 彼の身勝手な呪いは、彼女にほとんど残っていない。
 彼女の存在を己自身に縛り付ける呪いは、僕が引き受けた。一部がペットボトルの中とは言え、あれは僕の血だ。今はそんな理解でいいだろう。
 彼の執着が呪いの本体で、それが彼女の居場所を縛っていると仮定すれば、彼女が存在できる場所は僕の近く、という事になるのかもしれない。一家全滅はしないだろうけど、居場所が制限される可能性は残っている。しきちゃんにとって、状況が好転したとは言えない気もする。
 けど。
 はい、と頷く彼女を見てると、なんか。純粋に嬉しいというか、しばらくはそれでもいいか、という気もした。どうにかできるまで部屋を貸し続ければいいだけの話だ。
 置いといて。

「しきちゃんの居場所は、かつての家でも、呪いを内包する自分自身でもない。呪いは僕に奪われて、座敷童の能力しか残っていない……と、いいなあ」
「そうだね。あと、彼女の居場所を縛るのはウィルの可能性があるってことくらい?」
 テオの余計な一言に思わず手が止まる。
「……分かってる」
 
 ああ、ついさっきその可能性は考えたさ。考えたとも。
 溜息をついて手を離し、座り直す。

「僕に彼女の居場所を縛る意思はないけど、影響があるならなんとかしたいな」
「できそう?」
「分からない。僕はただ、この時代を平和に、穏やかに生きていきたいんだ。何事も無く過ぎていく平和な日常を謳歌したい。だから――」
 ふと、言葉が切れた。
「うん。彼女にもそう思えるような生活をして欲しい。呪いがなんとかできれば、好きな家で過ごすことができるだろうしね」

 僕らにとって住みにくいこの時代を、どうやって平和に平穏に生き抜いていくか。
 僕が勝手に掲げてる課題だけど。しきちゃんも。テオとノイスちゃんはどうするか分からないけど、彼らも。人間と変わらない、普通の……体質や在り方は普通じゃないけれど。それを上手く使って違和感無く溶け込めるような。そんな生き方をしたい。して欲しい。
「ね」
 念を押すように、しきちゃんに笑いかける。彼女はこくり、と小さく頷いた。

 ああ、このまま彼女はどこかへ行ってしまうのだろうか。
 座敷童が出て行った家は、没落するんじゃなかったっけ。なんて、関係ない不安もよぎるけど。別に僕の家は繁栄している訳でもない。慎ましく夜の世界を生きている。だからきっと大丈夫。
 うん。大丈夫。なんて言い聞かせる。
 だって、僕は彼女に一時の宿を貸しているだけ。そう。それだけのつもりだ。
 彼女に行く場所がないのなら、という条件だった。
 だから、出て行きたいなら。どこかへ行ってみたいなら。行ってもいい。

 これは本心のはずだ。
 なのに。なんだか胸が痛むのは何故だろう。
「お兄さん」
「何?」
「ボク、好きな所に行っても、良いのですか?」
「うん。行けるようになると思う。あいつは僕が引き受けた。あれをなんとかできたら、今度こそ君は解放されると思う。きっとどこへでも行けるよ」
「そう、ですか」
 彼女は視線を落として呟いた。

 次に彼女はなんと言うのだろう。どう別れを告げられるのだろう。
 分からない。頭が回らない。息が詰まりそうだ。
 客人が居ることも忘れて、僕は彼女の言葉の続きを待つ。

「それなら、ボクは。ここに。この家に居たいです」
「え」
 彼女は僕に向き合って正座をし、きれいに背筋を正す。
「あのお部屋に、もう少し居たいです。だから。この家に、お兄さんの傍に。居させてください」
Twitter