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作者: 水無月 龍那
残酷な描写あり
1.隠し事はうまくできてるつもり
 茶色い瞳を夢に見る。
 鏡で見たあの色。あの姿。
 僕の姿を鏡のようにそっくり模してるのに、瞳だけは深い茶色をしている。

 僕はそんな彼に向かい合っている。
 場所は様々だ。
 部屋だったり、喫茶店だったり、学校の講義室だったり。あるいは何もなかったり。
 僕は何も言わない。いつも喋りだすのは茶色の僕だ。

「彼女はね。私の宝物なんだ」
「……」
「ずっと共に在った。私が、傍に居たんだ」

 ぽつりぽつりと、彼は語る。
 僕はただ、それを聞いている。

「私の宝物なんだ」
「ずっと共に在った」
「私が傍に居た」

 何度も何度も、それを繰り返す。
 僕はそれをじっと聞き続ける。
 彼の言葉が正しいんだと思い込んでしまいそうな程繰り返された時。その言葉はふと、流れを変える。

 彼の目が、僕を真直ぐに見る。
 茶色いのに、底の見えない深い穴のようなそれは、僕の視線を離さない。
 に、と彼は口の端をあげる。笑顔。ただ、それは酷くおぞましい。

「だから――誰にも渡したくない。勿論、君にもだ」
「……彼女は、僕の物じゃないよ」
 ようやく僕も口を開く。
 そもそも、彼女は物ではない。ただ、部屋を貸している人外仲間。それだけだ。
 だが、彼は首を横に振る。
「君がそう思っていなくても。私にはそうは見えないんだ」
 彼の手が僕に伸びる。そっと抱きしめるように僕を包み込み、耳元に口を寄せる。

「彼女は私の宝物だ。ずっと共にあった。私が傍に居た」
「……」
「だから、誰にも。誰にも渡さない。渡さない渡さない。絶対に。誰にも――」
「うるさい」

 彼の言葉は、ごぼ、と喉に何かが詰まった音を立てて止まる。
 僕の手は、彼の言葉を止めるのと引き換えに生暖かく濡れる。
 時には首を刎ね。時には心臓を貫く。

「――さな、い」
 でも、言葉は途切れない。
 確かにもうひとりの僕は倒れ臥した。なのに、その気配と声は霧のように纏わり付き、囁き続ける。
 同じ言葉を。繰り返し繰り返し。

 そしていつしか、その言葉はどこからともなく、ではなく僕自身が呟いている。

「彼女は僕の――共に――」
 違う。そうじゃないと頭を振る。抱えて、膝をついて、ついさっき自分が手にかけた僕を目の前にして声を上げる。
「違う! うるさい! 彼女は――黙れって!」
 喉が枯れそうな程叫んで、頭を振って。声を追い出そうとして、繰り返して。
 繰り返して。
 くりかえして。
 くりかえして――。
 
「――っ!」
 唐突に、目を覚ます。
 身体が汗でべたついている。呼吸は荒い。
 遮光カーテンで仕切られた部屋は暗い。
「また……」
 この夢か、と大きく息をついて寝返りを打つ。枕元の時計を確認すると、アラームが鳴るまで二十分程あった。
 二度寝くらいはできる時間。だけど、僕の身体は眠る事すらダルい程に疲れきっていた。
 
 □ ■ □

 蝉も鳴き始め、夏休みの計画と期末考査やレポートに追われる時期が近付いてくる。
 梅雨明けももうすぐだろう。
 日本という島国は日差しも強いが、何より湿気への耐性が問われる国だと実感する季節がやってきた。
 そんな夏間近。弁当を持参するようになった僕は、過ごしやすい席を取れる確率が格段に上がった。お弁当さまさまである。

「なあ須藤、お前最近体調悪い?」
「へ?」
 ある昼休み、柿原が突然そんな事を言ってきた。
「なんで……?」
「いや、お前さあ。普段から外出てんのかって心配になる位生っ白いから」
「外には出てるよ」
「うん。お前な。学校とバイト以外で外に出てるかって話な?」
「はい」
 僕のテーブルを叩いた軽い抵抗はあっさりと否定された。

 元々、日に焼けにくい体質ではある。
 それに加えて体質上の理由で年中長袖、できるだけ日陰。祖父が英国人だと自称する僕は、確かに色が白いのかもしれない。が、生っ白いとはまた言われたもんだ。
 が、柿原がそう言うなら、そう見える要因があるに違いない。とりあえず素直に彼の話に耳を傾ける。

「で。だ。なんかこう。最近一層顔色悪いっていうかさ」
 口にしたカレーをお茶で飲み下して、彼は首を傾げながら言う。
「なんか、いつも以上にボケてる……みたいな?」
「え。僕そんないつもボケてるみたいな事言わないでよ」
「いや、真実だろ」
 僕の反論はカレーのジャガイモと共に噛み砕かれた。
 あまりの断言っぷりに思わず苦い顔をしたのが分かる。そのまま目を逸らすと、窓に映った自分が同じ顔をしていた。瞳はブルーだ。それに少し安堵する。
「体調は悪くない、けど」
「けど?」
 顔色が悪いと言われるなら、心当たりがひとつある。が、その心当たりを正直に話す訳にはいかなかった。僕が日常を平穏に生きる為には、誤魔化す事も大事なのだ。
「……夢見が、悪いかなあ」
「夢見ぃー?」
 柿原の語尾が怪訝そうに上がる。彼からおかずに視線を移し、厚揚げの煮物をつまむ。
「最近季節の変わり目だから……かな。布団の調節が上手くいかなくて」
「なるほどなあ……って。須藤」
 この煮物は好みの味付けだな等と思ってる所に、トーンがひとつ下がった声が差し込まれた。
「お前な。俺がそんな簡単に騙されると思ってんのか」
 ご飯にスプーンを刺しながら、柿原は身を乗り出してくる。僕の弁当箱からプチトマトを一つ奪い取って、盛大な溜め息をついた。
「騙すってそんな」
「いーや、お前は何かを隠してる。目とか指に出やすいから気をつけろ」
 難しい事を言う、と口を曲げた僕に、柿原は「あのな」と視線をカレーに戻す。
「誰にだって話せない事のひとつやふたつ……みっつとかよっつとかあるかもしれない」
「お前、そんなに隠し事あるの?」
「いやいや、例えばの話だよ」
「本当に……?」
「ねえよ! 俺は日々真っ当に生きてる」
「嘘くさい」
「うるさい。俺の事は良いんだよ。で、だ。隠し事をするな、ってのは無理に話をしろって訳じゃない」
 な? と畳み掛ける言葉に頷く。
「俺も無闇に聞き出すつもりはない。お前が話せるタイミングでいいけど、できれば倒れたりする前にしてくれ」
「そうそう倒れたりはしないと思うけどなあ」
 僕がぽつりと漏らした言葉に、彼は首を横に振る。
「いやいや。お前、冬の方が圧倒的に過ごしやすそうな外見してるから、絶対熱中症とかなるぞ」
「えー……」
「あとひとつだけ言うなら」
 彼は皿に残ったカレーを集め、最後の一口を飲み下す。
「俺は、お前が何か誤魔化してる事に気付けない程鈍くない、ってのは覚えておけ? な?」
「……う、うん」
 思わず気圧されてこくこくと頷く。彼はそれで満足したのか背もたれに身体を預けた。

 それ以上柿原は何も追求してこなかった。が、彼はきっと何かに気付いている。何に気付いているのかは分からないけど。

 色々と隠し通せるのも時間の問題なのかもしれない。
 その場合、僕ができるのはこの町を出て行くことだろうか。
 結構気に入ってたんだけどな。拠点だけ残して、また戻ってくるのもいいかもしれない。
 少しだけその可能性を考えると、なんか気が重くなった。
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