残酷な描写あり
R-15
アウェイクニング・フロム・ディスイリュージョニング・ナイトメア その3
暑気にあてられてしまった者はどうするべきか。アンヘレス荘の夏は暑いものだから、そうやって倒れる者の数も少なくない。ルシウスも何度か倒れた覚えがある。だから、曲がりなりにも対処には慣れているのだ。
まずは日陰を探す。しかし、船の上にそんなものはない。少しの気休めにはなろうと思って、ルシウスは解いた下着を濡らして、その蜥蜴人の(おそらくは)太い血管が流れているであろう場所に巻きつけた。
「このあたりの海藻に、なんかデカいのはあったか」
「海底の方にケルプが生えているわ。それならこの人の大きい体も覆えると思う」
「それじゃあ、拾ってくる」
船に戻ってきたティブローナに蜥蜴人の監視を任せる。彼女は鮫人で、ただのヒトであるルシウスよりも身体能力が高い。だから、万が一なにかがあったときの生存率も高くなるのだ。ルシウスは全裸のまま海に飛び込む。海はほとんど凪いでいる。だから、運がよければ落とした剣も見つかるであろう。
ケルプ。それは、巨大な海藻である。長ければ数十メートルにもなるその巨大な海藻には、その実旨味が詰まっている。干したケルプを湯で戻すだけで、それなりのスープになってくれるのだ。含んでいる水の量も、ルシウスの下着と比べたら天と地の差である。
ケルプ自体はそのあたりに生えているので、すぐに見つかった。しかし、それを切ってくるための道具がない。最悪潜ってそのあたりの石でも拾うかと思ったルシウスは、海中を見回した。視界の端になにかキラリと光るものが映る。先ほど落とした剣だ。船上で一合打ち合ったときは余裕がなくて観察できなかったが、今見てみれば、ルシウスが持つにはやや短い。おそらく体格のいい蜥蜴人にとっては、短刀がいいところだろう。彼は剣を拾った。その刃をケルプの葉に通せば、面白いくらいに切れる。数束回収したルシウスは、再び船上に戻る。
ケルプの葉を蜥蜴人に被せる。しばらくすれば、多少なりとも冷えてくれるだろう。下着で冷やす必要はもうなくなったので、ルシウスは再びそれを腰に巻いた。あまり時間が経っていなかったにもかかわらず、その下着はすっかり乾ききっていた。
「ぼくらもちょっと食べておこう。倒れたらまずい」
「そうだね」
ケルプはかなり固い植物だ。そのまま口に入れようものなら、永遠に噛み続けなければならないと言われている。だから、普通はなにかの刃物で少しずつ削りながら食べる。喉の乾きを多少癒やすこともできるし、体を冷やす作用もあるから、夏にちょうどいい。
「その剣、きれいだね」
「……そうだな」
ケルプを削るにはやや大きすぎるが、いまはこれしか刃物がないので仕方がない。その刃には複雑な模様がみられる。高度な技術で鍛造されたものに違いなかった。手を止めてまじまじと見ていると、ティブローナが手を伸ばしてくる。彼女は指先で刃をなぞった。白灰の鮫肌に赤い筋が一本走る。
「ちょっと、何を……」
「いいの。わたしたちは傷をつける種族だから」
思い返してみれば、ティブローナの両親も体に無数の傷跡や入れ墨があった。その多くは意図してつけられたような文様を成していたが、そうでないものもあるだろうことは容易に想像がつく。ルシウスは彼女の体を見た。下紐にのみ覆われたその肢体は、まるで赤子のようにきれいであった。
繊維に逆らう方向で切り刻んだケルプは存外に柔らかく、また噛めばちょうどいい塩気とぬめりの中からやや青臭い水が染み出してくる。進んで食べたい味ではないが、えづいてしまうほどのまずさでもない。これを美味く感じたら暑気にやられて体内の水が足りなくなっていることの証左ともなる。
ふと、視界の端で、蜥蜴人が起き上がるのが見えた。
◆◆◆
狩りや戦いを通じて、鮫人は生活の中で多くの傷を負う。いつからか、彼らの間では、親愛な者を意図的に傷つけて、文様を刻む文化が生まれていた。そのスカリフィケーションの文化は、その他の人類種の入れ墨文化と合わさり、独特の芸術となった。
『後帝国史記 第二巻(1976年出版)』より抜粋
◆◆◆
ルシウスは剣を置く。そして手を船底につく。蜥蜴人は手がそのまま武器となるから、手を相手に向ける仕草は敵意を示す。どこかで聞きかじった知識だった。そして、蜥蜴人の目を覗き込む。ヤスリめいて細かい金属の鱗に囲まれた、その琥珀色の双眸が不思議そうにまたたいた。
「Shh-, sahsh shgsh」
言葉がわからない。であれば、仕草で示すほかない。ルシウスは緩慢な動作でケルプを指し示し、それを口に運ぶ。ゆっくりと味わうように噛み砕き、飲み込む。彼は刻んだケルプをその蜥蜴人に差し出した。彼はそれを受け取り、口に運ぶ。ルシウスと同様に、ゆっくりと口に運んだ。
「……荘に翻訳の魔術を使える人っていたかな」
「私塾のリー先生なら、もしかしたら」
私塾とは、荘の知識人が読み書きや計算、軽い魔術魔法の類を教える場だ。アンヘレス荘も例に漏れず、長耳の長命種がこぢんまりとした古代混凝土の建物の私塾を開いている。ルシウスは長男ではないので行ったことはなかったが、長女であるティブローナはたまに顔を出しているらしい。
そういえば、名前を知らないことに気がつく。ルシウスは蜥蜴人に向き直り、自分のことを指さして「ルシウス」、ティブローナのことを指さして「ティブローナ」と言った。蜥蜴人はルシウスに倣い、彼自身のことを指さして「Aahlahd」と言った。
「……アラド」
ルシウスがその名を口にすると、彼はゆっくりと首を上下に動かした。彼はルシウスを指さして「Lhucihus」、ティブローナを指さして「Thibrhona」と言った。空と海の青に挟まれて、三人の人類種が、同時に首を縦に振った。水平線の向こうから、やや小ぶりな漁船が近づくのが見えた。
まずは日陰を探す。しかし、船の上にそんなものはない。少しの気休めにはなろうと思って、ルシウスは解いた下着を濡らして、その蜥蜴人の(おそらくは)太い血管が流れているであろう場所に巻きつけた。
「このあたりの海藻に、なんかデカいのはあったか」
「海底の方にケルプが生えているわ。それならこの人の大きい体も覆えると思う」
「それじゃあ、拾ってくる」
船に戻ってきたティブローナに蜥蜴人の監視を任せる。彼女は鮫人で、ただのヒトであるルシウスよりも身体能力が高い。だから、万が一なにかがあったときの生存率も高くなるのだ。ルシウスは全裸のまま海に飛び込む。海はほとんど凪いでいる。だから、運がよければ落とした剣も見つかるであろう。
ケルプ。それは、巨大な海藻である。長ければ数十メートルにもなるその巨大な海藻には、その実旨味が詰まっている。干したケルプを湯で戻すだけで、それなりのスープになってくれるのだ。含んでいる水の量も、ルシウスの下着と比べたら天と地の差である。
ケルプ自体はそのあたりに生えているので、すぐに見つかった。しかし、それを切ってくるための道具がない。最悪潜ってそのあたりの石でも拾うかと思ったルシウスは、海中を見回した。視界の端になにかキラリと光るものが映る。先ほど落とした剣だ。船上で一合打ち合ったときは余裕がなくて観察できなかったが、今見てみれば、ルシウスが持つにはやや短い。おそらく体格のいい蜥蜴人にとっては、短刀がいいところだろう。彼は剣を拾った。その刃をケルプの葉に通せば、面白いくらいに切れる。数束回収したルシウスは、再び船上に戻る。
ケルプの葉を蜥蜴人に被せる。しばらくすれば、多少なりとも冷えてくれるだろう。下着で冷やす必要はもうなくなったので、ルシウスは再びそれを腰に巻いた。あまり時間が経っていなかったにもかかわらず、その下着はすっかり乾ききっていた。
「ぼくらもちょっと食べておこう。倒れたらまずい」
「そうだね」
ケルプはかなり固い植物だ。そのまま口に入れようものなら、永遠に噛み続けなければならないと言われている。だから、普通はなにかの刃物で少しずつ削りながら食べる。喉の乾きを多少癒やすこともできるし、体を冷やす作用もあるから、夏にちょうどいい。
「その剣、きれいだね」
「……そうだな」
ケルプを削るにはやや大きすぎるが、いまはこれしか刃物がないので仕方がない。その刃には複雑な模様がみられる。高度な技術で鍛造されたものに違いなかった。手を止めてまじまじと見ていると、ティブローナが手を伸ばしてくる。彼女は指先で刃をなぞった。白灰の鮫肌に赤い筋が一本走る。
「ちょっと、何を……」
「いいの。わたしたちは傷をつける種族だから」
思い返してみれば、ティブローナの両親も体に無数の傷跡や入れ墨があった。その多くは意図してつけられたような文様を成していたが、そうでないものもあるだろうことは容易に想像がつく。ルシウスは彼女の体を見た。下紐にのみ覆われたその肢体は、まるで赤子のようにきれいであった。
繊維に逆らう方向で切り刻んだケルプは存外に柔らかく、また噛めばちょうどいい塩気とぬめりの中からやや青臭い水が染み出してくる。進んで食べたい味ではないが、えづいてしまうほどのまずさでもない。これを美味く感じたら暑気にやられて体内の水が足りなくなっていることの証左ともなる。
ふと、視界の端で、蜥蜴人が起き上がるのが見えた。
◆◆◆
狩りや戦いを通じて、鮫人は生活の中で多くの傷を負う。いつからか、彼らの間では、親愛な者を意図的に傷つけて、文様を刻む文化が生まれていた。そのスカリフィケーションの文化は、その他の人類種の入れ墨文化と合わさり、独特の芸術となった。
『後帝国史記 第二巻(1976年出版)』より抜粋
◆◆◆
ルシウスは剣を置く。そして手を船底につく。蜥蜴人は手がそのまま武器となるから、手を相手に向ける仕草は敵意を示す。どこかで聞きかじった知識だった。そして、蜥蜴人の目を覗き込む。ヤスリめいて細かい金属の鱗に囲まれた、その琥珀色の双眸が不思議そうにまたたいた。
「Shh-, sahsh shgsh」
言葉がわからない。であれば、仕草で示すほかない。ルシウスは緩慢な動作でケルプを指し示し、それを口に運ぶ。ゆっくりと味わうように噛み砕き、飲み込む。彼は刻んだケルプをその蜥蜴人に差し出した。彼はそれを受け取り、口に運ぶ。ルシウスと同様に、ゆっくりと口に運んだ。
「……荘に翻訳の魔術を使える人っていたかな」
「私塾のリー先生なら、もしかしたら」
私塾とは、荘の知識人が読み書きや計算、軽い魔術魔法の類を教える場だ。アンヘレス荘も例に漏れず、長耳の長命種がこぢんまりとした古代混凝土の建物の私塾を開いている。ルシウスは長男ではないので行ったことはなかったが、長女であるティブローナはたまに顔を出しているらしい。
そういえば、名前を知らないことに気がつく。ルシウスは蜥蜴人に向き直り、自分のことを指さして「ルシウス」、ティブローナのことを指さして「ティブローナ」と言った。蜥蜴人はルシウスに倣い、彼自身のことを指さして「Aahlahd」と言った。
「……アラド」
ルシウスがその名を口にすると、彼はゆっくりと首を上下に動かした。彼はルシウスを指さして「Lhucihus」、ティブローナを指さして「Thibrhona」と言った。空と海の青に挟まれて、三人の人類種が、同時に首を縦に振った。水平線の向こうから、やや小ぶりな漁船が近づくのが見えた。