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作者: 沖房 甍
悲愴
 青梅に同行した不破は神奈川県警察本署内にあるこじんまりとした部屋へと通された。あくまで参考人としての任意同行であるため、部屋そのものに鍵も格子も付いてはいないし、おかしなマジックミラーが設置されているわけでもない。至って普通の会議室風の部屋だ。

「まぁ、ちょっとばかし話を伺うだけだから、気を楽にしてくださいな」

 昨日より幾分砕けた物言いで青梅は長机の一角に促す。そうは言われても事が事だけに気を楽になんてしていられない、不破はせっつく様に説明を求めた。

「どういう事でしょう? 皆守が……死んだというのは?」
「はい。今朝磯子区の掘割川河口付近で男性の死体が発見されました」

 青梅に付き添って来た制服姿の女性警官が調書らしきファイルを読み上げる。

「検視の結果、死亡推定時刻は昨夜午前1時~2時頃までの間、絞殺後に遺棄されたものと判明。所持品から都内在住の慶朝新聞社記者、皆守英二さんと身元が断定されました。水没していた携帯の記録を復元してみたところ、通話記録から最後に連絡を取ったのが不破昂明さん──つまりあなたである事が判り、何らかの事情をご存じではないかと出頭を要請した次第です」
「……すると、皆守は殺された……と!?」
「そうなりますな。……いや、たぁ言っても別にあんたを疑っている訳じゃあ無くってね。先程あんたの出入りしている会社に連絡して昨日から今朝にかけてのアリバイは証明されまして……ただねぇ──」

 腕組みして正面に腰掛けている青梅は小難しそうな顔を明後日の方向に向けたまま説明を引き継ぐ。

「──ほれ、こないだの伸介の件があって、数日も経たないうちにこれでしょ? ちょっと無関係たぁ思えないんだよねぇ……」

──当然だな。

 不破は相手が何かしらの疑惑か確証を持って自分を呼び出している事を理解した。
 ふぅむ、とこれ見よがしの嘆息をついた青梅はそのまま両の肘を机に乗せて身を乗り出す。その肘が湯呑を倒しそうな勢いだったので、ファイル片手の女性警官が慌ててそれを移動させた。

「病院ン時から気になってたんだ……不破さんよ、あんた何か知っているんじゃあないかね?」

 青梅は女性警官に「おい、アレ……」と指で招いてファイルから数枚の調書を要求する。それがあまり外に出して良い類の内容ではないらしく警官は少し躊躇する素振りも見せるが、青梅に「構わねぇよ」と言われ渋々それに応じた。
 ……どうやらこの青梅という刑事、あまり優等生な刑事ではないらしい。さもありなん、この歳でこれだけ強権働かせる事が出来るのならば本来はもっと出世しているはずである。

「三月末の事なんだけどねぇ、こっちの所轄で水死体が上がりましてね。ところが何故か公安が出張ってきて……持ってっちゃったんですわ、ホトケを」

 場末の刑事ドラマじゃあるまいし、随分軽々しく公安なんてワードが飛び出す……そりゃ普通は言っちゃまずい内容だ。

「まぁ、当然のことながらこっちにゃ捜査の詳しい情報なんて教えちゃ貰えないんですけどね、蛇の道は蛇で色々と伝わってくる話もありまして……ホトケさんは中国系企業の役員だった……って話なんですなぁ」
「外国企業……そいつは何ともきな臭い話ですね。その人物、ちゃんと正規に入国していたんですか?」
「さぁてなぁ?」

 惚けているのか本当に知らないのか……、興味本位の不破の問いに対し青梅は大袈裟に肩を竦めてみせた。

「問題はここからだ。そン時私も現場にいましてね、遺体の状況はしっかり見ているんだが、どうも今回の件と手口が似ているんですな」
「……同一犯の可能性がある……と?」
「あくまで、いち刑事の勘に過ぎないですがね。何しろ三月の事件のホトケは連中が持って行ってしまってるから照会しようにも取り合ってくれませんのでね」

 青梅は忌々し気に吐き捨てた。

「でもこちらの件はブン屋さんが被害者だったから公安も見逃しちまったんだろうなぁ……。本当ならこの両事件を並行して検証すれば解決の糸口につながるかも知れんのに……」
「要するに、まだ確証は取れていない……って事ですよね?」
「ん~、そうなんだがなぁ……」

 そう呟くと小難し気な顔をして青梅は手にした調書を一枚めくる。

「うちの伸介の件、あの後近くのごみ捨て場で牧さんの荷物が発見されましてね……、恐らく賊が逃走時に奪って行ったものと推測されるんですが……」
「それが、何か?」
「いえ、牧さんの玄関口にはハンドバッグが残されてあったんですわ。たぶんこれも旅行に持ってったものと思うんですがね……何ででしょうかねぇ? 賊はこのバッグではなくわざわざ重くてかさばる機材の入ったハードケースの方を持って行った……ってぇ話なんですなぁ」
「その機器を奪うことが目的なのでは?」

 言っておいてそんなはずも無いことは不破も承知している、警察側がどの程度状況を把握しているのかが知りたいのだ。

「いや、もちろん高価な撮影機材を売却する……って選択肢はあるでしょうがね……ならば、中身も一緒に捨て置いたりはしませんやなぁ?」
「なるほど、そうですね」

 青梅の言わんとしている事は察しが付く、これは賊が何か明確な目的を持ってその奪取のため牧の部屋で待ち伏せていた……ということなのだ。

「なぁ不破さんよ、腹の探り合いはやめましょうや。似た様な理不尽に晒されちまった者同士、ここはひとつお互い隠し事無しでいきませんかね……?」

 先日病院帰りで垣間見た鋭い眼光が、再び不破に向けられていた。どうやら誤魔化しきれないな……と観念を決める。いずれにしろ情報源を絶たれてこちらは既に手詰まりなのだから、うまく立ち回って警察側からも情報を得られればそれに越したことはない。

「……分かりました、果たして牧やあなたの甥御さん、そして皆守の件にどこまで関連しているかは断言できませんが、私の知っている限りの事のあらましをお話ししましょう……」



                    ◆

 不破が事情聴取から解放された頃にはすっかり辺りが暗くなっていた。本当であれば今日は皆守と落ち合った後病院を覗いていく予定だったのだが、今日は諦めるしかなさそうだ。仕方が無く自室に戻る前に編集部に顔を出すことにする。警察に呼ばれていた件は当然知っているであろうが、改めて説明もしなければなるまい。
 ところが編集部に着くとどういう訳か他の記者の姿は無く、そこには馬場園だけが不破を待ち構えていた。


「何ですって!?」
「……二度も言わすな、聖火トーチ強奪の記事は打ち切りだ。慧哲はこの件から手を引く」

 不破を出迎えたのは記事打ち切りの通告だった。本来こうした場面では「納得いかない!」と突っかかるところだが、経験上不破はこうした事態の背景をよく理解している。

「……それは、あんたの判断か?」
「ドあほ、そんなレベルの問題じゃ無いわ」

 不破の目をなるべく見ないようにして、馬場園は人差し指を上に向ける。つまりは会社の上層部の決定ということだ。

「言っとくが、うちに社会正義とかそんなモンを期待するなよ? うちはあくまでタブロイドだ。それに基本、俺の方針は面白おかしく世間をザワつかせりゃそれでいい。だから他社から突き上げ食らうような真似は勘弁願いたいわけよ」
「……っ!」
「まぁ、昨今はコンプライアンスもうるさいことだしな、問題があった以上はおとなしく引けや」

 馬場園のポリシーはさておき、コンプライアンス云々での処分としたら少しばかり早過ぎる……不破はこの状況に妙な違和感を感じていた。
 牧の件はごく一部の新聞の片隅に報じられる程度で、世間的には決して騒ぎにはなるような事件とは言えないし、会社や雑誌の名前も出てはいない。皆守の件だって報道されるのはまだこれからである。まして彼と自分との関連性も部外者の知るところではない。
 ……圧力……。それも世間で騒がれたり一部オカルト主義者の妄信する陰謀論などという次元の低い話ではなく、何らかの権力を有する者の明確な抑え込みが働いているか、あるいはそうした力に対する忖度がそこにあるのではないか……そんな予感が不破の脳裏を掠めた。
 そうなると、フリーとは言え組織の論理に依存している立場としてはこの決定に抗うことは出来ない、精々今の不破に出来る事と言ったら馬場園に嫌味をくれてやる程度だ。

「……素直に上が怖くて逆らえないと言ったらどうですかね?」
「吠えてんじゃ無ぇぞ、即クビ切ることだってできるんだからな、契約続けるだけでも有難く思えっ!!」

 それも所詮ははかない抵抗であった。コンプライアンスをカタった舌の根も乾かぬうちに、言ってることは完全に只のパワハラである。

「とにかくこの数日は謹慎しておけ! 余計な事したら只じゃおかねぇぞ!!」

 噛みつかんばかりの勢いで馬場園はまくし立てる。かたや不破もこの場で相手の息の根を止めようかといった物騒な目つきで相手を睨みつけている。緊迫した沈黙が編集部に漂う……が、やがて不破は大きく深呼吸すると何かを振り切るようにその場を後にした。
 静寂が戻る一人残された編集部……馬場園は腰掛けていた事務椅子からずるりと崩れ落ちた。

「……ったく、あのヤローはよ。……おっかねーなぁ……」


 エレベーターに乗り込むと不破はボタンも押さずに扉に背を向けたまま、不燃素材の化粧シートが貼られた壁に額を押し付け立ち尽くしていた。そのうち階下で誰かが昇降ボタンを押したのだろう、扉が閉まりエレベーターが動き始めると突如腕を振り上げ、がん!! と側面の壁を殴りつけた。
 ……下降するエレベーターの中で、不破はびくともしない閉塞感と奈落の底まで墜ちていくような絶望に圧し潰されようとしていたのだった……。
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